第三章:海の向こうから7
マナの泣き顔を見た日から、一週間が、経った。
この一週間、マナを見ることは、一度もなかったが、大して気にもしなかった。
年下の女に泣き顔を見られてしまった気まずさもあるだろうし、それ以前にマナは、王子の護衛である。
ああは言っていたが、実際のところ、暇などほとんどないだろう。
婚約式も済み、お祭り騒ぎだった小さな港町にも落ち着いた静けさが、戻りつつあった。
祝いにやってきた貴族達も家路に着き、屋敷の使用人達も夏の休暇を取り始めた。
暑い夏を予感させる太陽に閉口しながら、屋敷にたどり着いた私を迎えたのは、興奮気味のエミリーだった。
「ああ、キティ。待っていたのよ。」
屋敷の玄関で待機していたらしく、一回目のチャイムと同時にドアから飛び出してきたエミリーは、いきなり私に抱き着いてきた。
「お待たせしてしまいましたか?申し訳ありません。時間通りだと思っていたのですが。」
暑い中で歩いていたから、知らず知らずの内に足どりが、重くなってしまったのかもしれない。
「いいえ、違うのよ。私が、待ち切れなかったのよ。」
私の謝罪にエミリーは、慌てたように言った。
「何かお困りになることでも?」
「いいえ、キティ。困るなんて、とんでもない。素晴らしいことよ!あんまりにもうれしかったから、早くキティに伝えたかったのよ。」
なるほど、エミリーの空色の瞳は、朝日を受けたように光り輝いている。
「吉報なら、是非とも教えて頂きたいです。」
「じゃあ、教えてあげるわ。」
エミリーは、勿体振るように咳ばらいをした。
「私、シャーレン国に行けることになったのよ。」
「…なるほど。それは、良いですね。素敵な体験になると思います。」
「それだけ?驚かないの?」
私の反応が、気に入らなかったのかエミリーは、少し不満げに口を尖らせた。
「エミリー様は、シャンリ様と婚約されたわけですから、シャーレン国の王への謁見は、義務のようなものです。遅かれ早かれ、訪問することになると思っていました。」
「やっぱり、キティは、なんでも知っているのね。」
「・・それでも、エミリー様の御歳を考えると、早いと思います。シャンリ様は、よっぽどエミリー様に御執心とお見受けします。」
私の言葉にエミリーは、真っ赤になると抗議するように私を見た。
「キティには、人とからかうなんて真似は、似合わないわ。」
「正直に申し上げただけです。」
「まったく、キティったら、お兄様に感化されてきたんじゃないかしら。もう一つの用件を言うのを忘れてしまうわ。これは、あなたのことなんだから。」
「私のですか?」
「ええ。ねえ、キティ。私、まだ彼にあなたを紹介していなかったことに気がついたの。同じ屋敷内にいるのに会ったことがないなんて、奇妙よね。」
「彼って、まさかシャンリ様ですか?」
嫌に予感に思わず、顔をこわばらせた。
「ええ、もちろん。でね、私、彼にキティのことを色々話したのよ。それで、あなたに一度会ってみたいっておしゃったの。ねえ、キティ。彼にあなたを会わせたいわ。」
「とんでもない。そんな軽率な考えは、どうかお捨てになってください。私は、あくまでイデル様に雇われている一介の使用人に過ぎないのですよ。田舎の家庭教師を紹介するなんて、エミリー様が、恥をかくことになりかねません。」
エミリーは、少し悲しそうな顔が、すぐに私に向き直った。
「でも、あなたは、私にとって尊敬できる先生よ。それに女性としてもとても魅力的だわ。あなたを紹介して私が恥をかくことは絶対にないと確信しているし、私は、自分が間違っているとは、決して思わないわ。」
毅然として言い切るエミリーの表情には、出会った頃の幼さは見当たらず、強い意志と自信が表れていた。
シャンリ様という存在を見出したエミリーは、以前とは比べ物にならない程、大人びた。
「もう一度お願いするわ。シャンリ様と会ってくれる、キティ?」
知らず知らずのうちに頷いていた。
エミリーを変えた人間と話してみたいと思った。