第三章:海の向こうから6
マナは、とにかくよく笑う男だった。
歩きながら、炙りソーセージを大口で頬張ったり、露店に並べられた絵に真剣に見入ったりする姿は、彼の親が、息子に「愛しい子」と名づけた理由が、分かる気がした。
堂々とした態度や人を試すように見る瞳のせいで、私よりずっと年上だと思っていたけれど、実は、三つしか違わなかった。
「小さい頃からそばにいるから、口が憚るようだけど、シャンリ様は、弟みたいな感じだな。」
何度も止めたのに購入したテンガローハットには、けばけばしい極彩色に羽が付いていて、背の高いマナが、私に向かって顔を向けるたびに、羽が、大きく揺れるものだから、道行く人は、皆こちらを振り返った。
「キティのことも教えてよ。エミリー様を主人だと言っていたけれど、長いこと仕えているのか?あまり、見えないけれど、侍女として?」
帽子から羽を抜き取ろうと、後ろから伸ばした私の手をマナは、あっさりと掴まえると、手を繋いだまま歩き出した。
びくともしないのは、分かっていたけれど、一応手を抜き取ろうと、努力してみた。
「エミリー様が、この町にいらしてから、マハナ語の家庭教師としてお仕えしています。」
「じゃあ、ここの人なの?」
マナは、意外だという風に目を見開いた。
「おかしいですか?」
「いや、そういうんじゃなけれど・・。雰囲気が、少し硬いっていうか。俺は、この国に来たばかりだから、よく分からないけれど、どっちかっていうと、屋敷に集まっている貴族に近い感じだと思ってさ。俺、最初は、キティをお祝いに来た貴族だとばかり思っていたんだ。」
少なからずとも、マナの言葉に私は、傷ついた。
「・・・。エミリー様に聞けば、どうせ分かることなので、言っておきますけれど、私は、この町で生まれたわけじゃありません。二年前にこの国で起きた革命をご存知ですか?」
現在、王制を執っている国の人間に対して、話すべき話題でもないが、仕方ない。
「ああ。」
マナも話題が話題だけに少しくぐもった声で短く答えただけだった。
「私は、その革命で、貴族の身分を剥奪されました。王党派の貴族には、ほとんど同じ処遇を受けたので、別段珍しいことでも、ありませんが。」
「その後にこの町に?」
「ええ。」
しばしの沈黙の後、マナは、いきなり走り出した。
もちろん、私の手は、握ったままである。
「ちょっと、待って下さい。いったい、どうしたんですか?」
息も切れ切れにマナに叫んだけれど、マナは、無言のまま、わたしの手を引いて、混み合った市場を走り抜けた。
市場の東にあるなだらかな丘には、クルクルと回る水車小屋以外は、何もなく、人気もない。
私の手を引いたまま、その丘を一気に駆け上がったマナは、てっ辺まで来ると、しゃがみこんでしまった。
胸元を押さえて、なんとか息を整えていると、突然、マナが、辺りに響き渡るような大声で、叫んだ。
「ごめん!」
「え?」
驚いたのと、まだ上手く喋れなかったのとで、私は、小さく聞き返した。
「無神経なことを言ってしまった。本当に悪かった。」
マナは、私の肩を掴んで、頭を下げた。
「謝らないで下さい。そんなつもりで話したんじゃありません。」
すっかり動転してしまった私は、慌てて言った。
東方の人々にとっては、所詮、海の向こうの他国の話である。
マナが、こんなに驚くとは、思わなかったのだ。
「・・俺も大事な人を失くしたんだ。」
マナは、俯いたまま、ぽつりと言った。
「えっと、それは?」
話が、全く見えなくて、私は、戸惑ったように尋ねた。
「俺の婚約者だった。」
「それは・・・・。」
私は、なんて言ったらいいのか、分からなくて、ただ黙りこくっていた。
「改革派が、悪だったとは、言い切れない。彼女の顔だって、数えるくらいしか見たことない。だけど、どうしてかやりきれないんだ。」
出会ったから、始終笑顔だったマナの顔に一筋に涙が伝った。
顔を手で覆っているから、マナが、どんな顔をしているかは分からないけれど、強くかみ締めた唇は、微かに血が滲んでいた。
二人のことは、何も分からないはずなのに、どうしてか胸が、苦しくなった。
「初めて、彼女を見た時、妖精みたいだって、思った。金色の髪とか藍色の瞳とか、この世のものじゃないくらいに美しかったから。・・なんだか、キティは、その子に似ている。だから、話しかけてみたくなった。実は、話したこともなかったんだ。」
「失望させてしまったでしょう。」
「いいや。」
頬の滴をぬぐって顔を上げたマナは、くすりと笑った。
「こんな女性になってくれていたら、よかったのにと思ったよ。」
青い丘に風が、吹く。
薄れていくあの人に私も問いかけてみる。
あなたは、マナに似ているのだろうか。