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第5章

続きです。 

どうぞ宜しくお願いします。

みさを家まで送った帰り道、リヒトは達男に頼まれた買い物を済ませるとスーパーの駐車場に停めた車の中で、買ったばかりの温かい缶コーヒーを飲んだ。

「はぁ~…あったけぇ…」

素手で持つには少し熱い缶を、着ているジャンバーの袖口を手のひらまで無理にひっぱって、布越しに両手でしっかりと持った。

ほんのちょっとだけ車を離れていただけなのに、もう車内は外の温度と変わらないほど寒く冷えてしまっていた。

「…あっ…名前…聞くの忘れた…あ、でも表札に池田って書いてたか…」

乗せてきたおばさんの名前こそ聞かなかったけれど、家の場所と表札はちゃんと見てきた。

なので、万が一前輪がパンクした自転車を届けることになっても大丈夫だと思った。

「さてと…」

缶のコーヒーは半分しか飲めなかった。

リヒトはようやく温まってきた車をゆっくりと動かすと、駐車場の出入り口を目指した。

街の明かりがまだ賑やかだった場所から、徐々に明るさが少なくなった。

ラジオから聞こえる声が、先ほどの軽薄なDJから上品な女性アナウンサーに変わっていた。

流れる曲も洋楽ばかりではなく、懐かしの歌謡曲や最近のJポップが多くなっていた。

すれ違う車も少なくなると、リヒトはあの日のことを思い出していた。

それはラジオからの曲のせいだった。


「はぁはぁはぁ…早苗~!いいから、早く逃げろぉ~!…リヒトを…リヒトを頼んだぞぉ~!」

あの時もこんな秋から冬にかけての寒い夜だった。

学校から帰ってすぐ、慌てた様子のお父さんが僕とお母さんに急いで仕度しろって言ったんだった。

だから、僕はランドセルに学校の道具を詰めるしかできなかったから、お気に入りのおもちゃも忘れちゃったんだ。

海に近かった白くて2階建てのあの家は、今頃どうなっているんだろう?

僕のピアノは、まだあるだろうか?

お母さんが大事に育てていた野菜や花は、もう枯れてしまっただろうか?

大好きだった僕のシロは、ちゃんと優しい人に飼われているだろうか?

わんわんって、僕が学校から帰って来ると、嬉しそうに飛びついてきたっけ。

大好きなシロ、毎日一緒にお散歩したね。

ごめんね、シロ。

一緒には連れて行けないんだ。

ところで…いつからなんだろう?

お父さんを訪ねて、怖いおじさん達が毎日のように来ては玄関の外から大声で怒鳴ったり、おかしな張り紙を沢山貼って…。

お父さん、あいつらに捕まっちゃったんだろうか?

お父さん、ちゃんと逃げたかな?

あの時、僕は足がもげるんじゃないかって思うほど、お母さんと一緒に走って走った。

そうだ。

そうだよ。

あいつらがしつこくしつこく追いかけてくるから、だから、僕とお母さんは埠頭の先から海に隠れたんだった。

夜空と境目がわからないほどの真っ暗い海の中なら、絶対に見つからない。

そう、思ったんだった。

お母さんは体があんまり丈夫じゃなかったけど、だけど、あの場合、僕らはどうしても海の中に逃げるしか道はなかったんだ。

夏とは違って、海の水は信じられないほど冷たかった。

体中が冷たくて痛かったな。

それに、目を開けても真っ暗な海が、ちょっぴり怖かった。

だけど僕はお母さんとがっちり手を繋いで、ブクブクと沈んでいった。

すぐに息が苦しくなったけど、僕らは絶対に慌てちゃいけなかった。

慌てて体を動かすと、余計に水が冷たく感じたから。

本当に心臓が止まってしまいそうだったから。

こんな時、漫画の中では必ず人魚が助けてくれると信じてたから、僕の心は案外落ち着いてたっけ。

でも、どうして僕はお母さんの手を離しちゃったんだろう?

人魚の国まで、絶対に手を離さないって決めてたのに…。

一人ぼっちになったけど、僕は目を固く閉じてじっと我慢したんだ。

我慢すれば、きっと人魚が助けに来てくれる。

目を開けたら、そこは人魚の国だと思ったんだ。

そして、人魚の国で離れちゃったお父さんとお母さんに会えると、僕は信じてたんだ。

だから、だから、まさか目を開けたらそこにずぶ濡れの知らないおじいさんの顔があるなんて、思いもしなかったんだ。

人魚はみんな若くて綺麗な女の人だと思ってたから、人魚の中にもおじいさんがいるんだって、その時僕は思ったんだった。

「おいっ!しっかりしろっ!坊主!おいっ!聞こえるか?坊主!頼む!目を開けてくれっ!坊主!今、救急車が来るからなっ!頑張れっ!坊主!おいっ!聞こえてるか?坊主!死ぬんじゃないっ!死ぬんじゃないぞっ!」

次に目を開けた時、おじいさんがうるさいほどの大きな声で僕に叫んで、顔をぺちぺちと叩いて…。


「ぷっ!ふふふふっ…あはははははは…」

回想しながら車を運転しているリヒトは、あの時自分を海から引き上げ助けてくれた「じいちゃん」の顔を思い出すと、何故か沸々と笑いが込み上げた。

「ははははははぁ~…あの時のじいちゃんの顔…ふふふふふ…ウケる…ぶぶぶぶぶ…」

本当は哀し過ぎて自分でもどうにもならないほど、苦しい思い出のはずなのだが、今のリヒトにはあれっきり消息が途絶えてしまった両親のことよりも、まずは目を開けてすぐのじいちゃんの馬鹿がつくほど真剣な顔がおかしくて堪らなかった。

後になってからせめて写真の1枚ぐらいでも持って逃げてたら。と思った。

けれども、今更それを後悔したところでどうにもならないことも、リヒトはちゃんと知っていた。

じいちゃんと暮らすようになってからしばらくの間、大好きだった父と母の顔を思い出そうとしても、何故かなかなか思い出せなかった。

夢の中に何度も出てくるけれど、いつも二人の顔だけはぼんやりとしていた。

声もそうだった。

だけど、つい半年ほど前だったろうか?

じいちゃんのアトリエを掃除している最中、自分よりも少し高い棚の上にあった綺麗な外国のお菓子の缶を落としてしまった時、中から古い新聞記事の切り抜きを見つけた。

そこに懐かしい父と母の写真が載っていたのを見て、リヒトはようやく両親の顔も声も温かかったぬくもりも思い出すことができた。

それと同時に薄々感じ取ってはいたけれど、はっきりと両親の死も知ったのだった。

どこからともなく涙が溢れ出ると、不意に部屋に入ってきたじいちゃんが驚いて静かに抱きしめてくれた。

リヒトはそれから、じいちゃんが毎月決まった日に綺麗な花束を買って来て、店の窓際辺りの小さな古い棚の上に飾る意味を知った。

助手席に置いたスーパーの花屋で買った花束をちらりと見てから、リヒトはじいちゃんが待つ海岸の家まで車を走らせた。


真っ暗ですっかり冷えてしまった家に入ると、みさは食卓の椅子にどっかりと腰を下ろした。

「…はぁ~…疲れた…」

たかだか数時間の出来事を回想すると、普段からは考えられないほど盛り沢山な内容だったと思った。

みさの脳内は、忙しく今日の出来事を上手くまとめようとしていた。

だが、心も体も疲れきってしまったみさはぼんやりと、カーテンも閉めていない暗い外を眺めるだけ。

気にかけていた晩御飯を作る気力も出ないまま、みさはただただその場でぼんやりしているのが精一杯だった。

そのうちピンポーンと玄関のチャイムが鳴った。

「…誰だろ?…リヒト君?かなぁ…」

ふらついた足取りで玄関に出ると、そこには夫の姿があった。

「ただいま…あれっ?どした?ママ…昼にメールしたっきりだったけど、また発作か?病院には行ったかい?…」

きょとんとした顔で矢継ぎ早に質問してくる夫に、みさはやっと我に返ったようにハッとして慌てて返した。

「ああ、パパ、おかえりなさい…ごめんなさい…晩御飯の仕度できなかったの…ホントにごめんなさい…ちょっと色々あってね…」

全身から疲労感が溢れているみさを見ると、夫は心配でしょうがなかった。

「ママ、大丈夫か?…ちょっとソファーに腰掛けて休んで…何だったら、俺が作るからさ…」

みさの両肩を後ろから押しながらリビングに戻ると、夫は張り切って台所に立とうとした。

「ああ、いいって…あたしやるから!大丈夫…だから…」

ぐ~~~~ぎゅるぎゅるぎゅるぎゅる。

そこまで言いかけると、予告もなしにみさの腹の虫が大きく鳴った。

「あっ、ははははは…ママ、じゃあさ、遅いけどこれからなんか食いに行こうか?…ママも疲れてるみたいだし、俺も腹減ったから…なっ?そうしようか…ママ、何食いたい?…今日はさ、ママの好きな物食いに行こう!…どこ、行きたい?遠慮なく言って…」

みさの腹の音に笑いが押さえ切れなかった夫は、優しい笑顔でみさを誘った。

「…パフェ…」

「えっ?何っ?」

「…いちごのパフェ…」

「えっ?何だって?」

自分の小声はさておき、夫の耳の悪さに若干イラついたみさは、ちょっぴりキレた形で「だ~から、いちごのパフェだってば!」と言い放った。

「ええ~っ?パフェ~?ママ、腹減ってんのに、そんなんでいいの?他には?ちゃんと食事は?」

「あっ!そっか…ごめんね、今、一番食べたい物言っちゃったね…食事は…う~ん…パパに合わせる…それじゃ駄目?」

特に何か食べたいって訳でもなかった夫は、腕組みをしてちょっとの間考えた。

「…う~ん…そうだなぁ…う~ん…じゃあ、ママが食べたいパフェがあるからさ、ファミレスでいいかい?」

「うん、いい。」

「そっか、じゃあ、出発!」

夫が元気よく拳を頭上に振り上げると、すぐさまゴツンと何かに当たった。

「いってててててて…」

「パパ、大丈夫?」

「あはははは…いてててて…大丈夫、大丈夫…はははは…これ!これだった…」

痛がりながらも夫が頭上を指差すので、みさはゆっくりとその方向を見た。

「ああ、やだ…あははははは…パパ、大丈夫?…あはははは…」

夫が拳を振り上げたところは、丁度出入り口のドアの真下だった。

心も体も疲れきっていたみさは、夫の可愛い失敗で元気が出たのだった。


最後まで読んでくださって本当にありがとうございました。

お話はまだ続きますので、よろしくお願いします。

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