第三十話 一目惚れ
ギルド館で夜を明かすと、日も昇ったばかりだというのに月の袖引くの団長タリ・カラさんが副団長のレムン・ライさんを連れてやってきた。
タリ・カラさんは俺たちを見て目を丸くする。ボルスに来ている事を知らなかったのだろう。
しかし、すぐに団長らしい顔つきに戻ると俺たちの座るテーブルへ歩いてきた。
「テイザ山脈越えには失敗したんですか?」
「成功しましたよ。往復してきたところです」
ミツキに目配せして地図を出してもらう。
タリ・カラさんは地図を見て首を傾げた。
「川や谷まで書き込まれてますね。現場に行って確認するわけにもいかないので本当かどうかわからないですけど、嘘を吐くとも思えませんし」
疑い深い。
テイザ山脈は踏破不可能という常識が蔓延しているからなのだろうけど。
俺はカウンターで新種の植物に関しての質問に答えているビスティを見る。
「踏破を証言してくれる人もいるんですけどね。テイザ山脈で見つけた新種の植物って証拠もあります」
「失礼しました」
タリ・カラさんが頭を下げ、疑っていた事を謝ってくる。
レムン・ライさんがタリ・カラさんの肩に手を置く。
タリ・カラさんが振り返ると、レムン・ライさんが小さく頷いた。
「鉄の獣さんに、今のボルスの状況をお話しします」
そう口火を切ったタリ・カラさんの説明は、おおむね料理屋の看板娘が言っていた事と同じものだった。
だが、ロント小隊長から直接聞いたというだけあって、軍の詳しい内部事情なども話にあった。
「旧大陸派の精霊人機操縦士は開拓学校の卒業者というだけあって、泥濘に足を取られて転倒する事故は少なく、整備も行き届いているようでした。対する新大陸派は新大陸出身者で構成されているためか叩き上げの操縦士が多く、地形の大きな変化に戸惑いが見られます」
「新大陸派の精霊人機の転倒事故が多いんですか?」
タリ・カラさんが深刻そうに頷いて、レムン・ライさんを振り返った。
「あなたから説明して」
「かしこまりました、お嬢様」
レムン・ライさんが丁寧に一礼して、口を開く。
「新大陸派の精霊人機に転倒事故が多いのは事実です。しかしながら、機体を傷めないように配慮した転倒をしているように見受けられるのです。また、この転倒事故の発生を受けて、旧大陸派の精霊人機を前線に投入、新大陸派の精霊人機は後方支援と定まりました」
そういう魂胆か、とミツキがため息を吐いた。
「お気付きの通り、ロント小隊長は旧大陸派を前線に揃えるための演出だと断言しておりました」
対抗派閥を前線に据えて、逃げ出さないように自派閥で背後を固めて監視する。
聞けば、輜重隊も新大陸派が握っているという。
「旧大陸派を消耗させようとしてますね」
「はい。ロント小隊長にも備えるようにと言われています。特に、物資は不足することを前提として用意してほしいとの話でした」
輜重隊を新大陸派に握られている以上、リットン湖攻略の最中はロント小隊他旧大陸派に最低限の物資補給しかなされないだろう。
何らかの形でリットン湖周辺で孤立した場合、すぐに物資が尽きてしまう。
そんな状況下で物資を持たない援軍が来ても邪魔なだけだ。
「速度重視で最低限の荷物を持って駆け付けるという事も出来ないわけですね」
「そうです。ですが、積載量が少ない上に弾薬を積まないといけないお二人はご自分の物資だけを持ってきていただければ大丈夫です。ロント小隊への予備物資は月の袖引くが責任を持って用意します」
俺とミツキに求められるのはロント小隊の早期発見、更に救援部隊である月の袖引くとロント小隊の合流の手引きとの事だった。
俺はビスティが戻って来たのに合わせて立ち上がる。
「俺たちもこまめにボルスに戻ってきます。普段はテイザ山脈に居ます」
「できればボルスに滞在していてほしいのですが、無理ですか?」
「ホッグスに睨まれてますからね。依頼だからボルスに滞在できているだけで、依頼が無ければまた退去を命じられると思いますよ」
タリ・カラさんが満月を思わせるその金色の瞳を物憂げに伏せて、残念そうにため息を吐く。
ボルスはいま軍人であふれかえっているが、月の袖引くは軍に伝手がほとんどない。
情報が得られず、知らないうちに孤立したり後手に回ってしまう可能性を考えると気が気ではないのだろう。
ロント小隊長の他に、ベイジルやワステード元司令官との面識がある俺とミツキは情報源として活用できる。
手伝いたいのは山々だけど、辛抱してもらうしかない。
「疲れているみたいだから、美味しい料理屋さんを紹介しましょうか?」
ミツキがタリ・カラさんに笑顔で申し出る。
「いえ、今はそんな気分では――」
「お嬢様が興味を引かれないのでしたら、このレムン・ライが謹んでお話を伺いましょう」
怪訝な顔をして断りかけたタリ・カラさんを遮って、レムン・ライさんが先を促した。
ミツキは笑顔のままで頷いて、お喋りな看板娘のいる料理屋の名前を告げる。
「いろいろと美味しいですよ」
「それは楽しみです」
ミツキが伝えたかったことは伝わったようだ。
情報収集の一助になれば幸いだと思いつつ、俺は明日からのテイザ山脈での調査に備えて買い出しに出るべく、ギルドの出口に足を向けた。
その時、ビスティが固まっている事に気付く。
「ビスティ、どうかしたのか?」
声を掛けるが、ビスティは硬直したまま動かない。
ビスティの視線を辿ると、タリ・カラさんがいた。
何だろう。タリ・カラさんの反応から察するに、知り合いではなさそうだけど。
凝視してくるビスティに気付いたのか、タリ・カラさんは不思議そうに首を傾げる。
「どうかしましたか?」
「――いえ、なんでもないです!」
ビスティが赤くなった顔をそむけ、出口へ歩き出す。
タリ・カラさんがおかしなものを見るようにビスティを見送りつつ、ミツキに問う。
「わたし、何か失礼なことしましたか?」
「大丈夫だと思いますよ」
ミツキが口元に手を当てて笑みを隠しながら、タリ・カラさんに言い返した。
ビスティが出口の扉直前で俺たちを振り返る。
「二人とも早く行きましょう!」
急かされるまま、俺はタリ・カラさんとレムン・ライさんに別れを告げてビスティに駆け寄った。
ミツキが隣で呟く。
「ラブコメの波動を感じるよ」
「青春の香りが漂うな」
互いに顔を見合わせて、頷きあう。
面白い事になりそうだけど、果たして状況がそれを許すかどうか。
「戦場の恋みたいな?」
「B級映画っぽいな」
食料品店の前を素通りしかけたビスティを引き留めて、店の中へ入る。
「……開拓団に入る方法ってご存知ですか?」
魚の干物を選んでいると、ビスティが質問してきた。
「開拓団ごとに違う。入りたい開拓団があるなら直接話を持って行くしかないな」
あまり無責任なことも言えないので、月の袖引くについては何も言わないでおく。
「そうですか。強くないとダメだったりしませんよね?」
「それも、開拓団によるとしか」
「そうですか……」
買い物の間、ビスティは終始上の空だった。
それにしても、一目ぼれとは驚きだ。本当に存在したんだな。
ラピュタ並みの都市伝説だと思ってた。うん、むしろ、存在して当然か。
「ヨウ君、ヨウ君、ダブルデートとか興味ない?」
ミツキがご機嫌だ。両手でハートマークを作って〝ダブル〟を強調するため分割している。そのハート、割れちゃってますよ。
「人の恋路の邪魔はするなよ」
「応援してるんだよ」
心外だなぁ、とミツキは唇を尖らせる。
恋愛なんて当人同士の問題だと思うし、周りが応援したところで破局するときは破局する物だ。
「基本的に放置、助けを求められたらその時だけ協力すればいい」
「それがヨウ君のスタンスなら否定はしないけどさ」
つまんない、とミツキが不満そうに言う。
その時、ビスティが店の壁掛け時計を見た。
「お昼を食べてこようと思います」
「一緒に行こうか?」
「いえ、一人で大丈夫です!」
ビスティが必死さの見える態度で断って、店を飛び出していく。
行き先の見当はつく。おそらく、看板娘のいるあの料理屋だろう。
「今日の内に情報収集を開始するとしても、レムン・ライさんが来店するだけでタリ・カラさんはいかないと思うんだけどな」
「空回ってるね。あれが青春だよ」
腕組みをして、ミツキが弟を見守るお姉さん風に頷いた。
昼過ぎに帰って来たビスティは遠目にもそうとわかるほど落ち込んでいる様子だった。
ボルスの防壁の外でキャンプしていた俺とミツキは顔を見合わせ、どちらが声をかけるべきか相談する。
結果、同性の方が話しやすいだろうから、と俺がビスティに声をかけることになった。
「何かあったか?」
予想はつくけど、あくまで何も知らない振りをして訊ねる。
ビスティが重苦しいため息を吐いた。
「月の袖引くの入団条件を副団長さんに訊ねたら、遠回しにお断りされまして……」
「それはその、なんというか」
予想した、というわけにもいかず、俺はミツキに視線で助け舟を求める。
だが、ミツキは船の出航を見合わせた。
ビスティを見れば、今にも雨が降りそうな顔をしている。
嵐の予感を前に、ミツキは船の出航を見合わせ、そ知らぬふりで明日以降の料理の下ごしらえをし始めた。
仕方がないので、俺はビスティに向き直る。
「遠回しに断られたって、なんて言われたんだ?」
「いまは団の中がごたついているから、新しい団員は受け入れられない、と」
「けっこうはっきり断られたな」
「うぅ……」
ビスティが頭を抱える。
ビスティは副団長に断られたと言っていたから、先の発言はレムン・ライさんの物だろう。
いまの月の袖引くは団長至上主義から脱却して、団内で相談する空気を醸成している真っ最中だ。
外から新しい団員を受け入れて新しい風を呼び込んでも、団内に受け入れるだけの容量がまだないのだろう。
「諦めずに待てばいいんだ。ビスティは新種の植物とか香辛料の栽培方法とか、村を運営するのに必要な商売の経験だってあるんだから、有用なところを前面に押し出して売り込んでいけば向こうも考え直すだろう」
あまりしつこくするとタリ・カラさんにストーカーだと思われそうだけど、節度はわきまえているだろう。
駄目そうなら俺も止めればいい。
ビスティは俺の意見を聞いて希望を取り戻したらしい。
「自分を売り込む。なるほど。行商と同じですね」
そう呟くと、ビスティは何やらぶつぶつと真剣な顔で呟き始めた。
自分のアピールポイントを考えているらしい。
だんだんと面接対策みたいになっているけど、やってることは似たようなものか。
自分の世界に入り込んでいるビスティを放置して、俺はミツキを手伝う。
明日からはまたテイザ山脈に分け入って、調査することになる。
二日程度でボルスに帰還するつもりでいるが、テイザ山脈内の魔物がどうなっているかも注意しないといけない。
ミツキも同じことを考えていたのか、テイザ山脈を横目に見た。
「ギルドにテイザ山脈内で魔物がいなくなったことは報告したけど、対策を打ってくれるかな」
「動いてはくれるだろうけど、有効な手が打てるかどうかはまた別問題だ。派閥争いが表面化している今のボルスに開拓者は近付きたがらない。人を集めようとしても、断られるだろうな」
「軍の方に掛け合ってくれれば、居残り組の枠を増やして対応してくれるんじゃない?」
「情報の出所が俺とミツキだってホッグスに知られたら、多分取り合ってもらえない」
俺とミツキの情報の裏を取ろうにも、テイザ山脈に入れる人間が限られる。
あまり楽観視はできないという事だ。
ギルドには弓兵機アーチェの操縦士、ベイジルに話を伝えてくれるように頼んであるため、ベイジルが動いてくれると期待するほかない。
「前途多難だね」
「まぁ、いつもの事さ」




