第二十八話 静かなテイザ山脈
テイザ山脈を登ること半日、俺たちは昼食を準備していた。
「来てよかった……」
小さな川のそばで感動に打ち震えている様子のビスティを横目に、野菜を切る。
川のそばには白や赤の花がいくつも咲いている。腰丈までの高さがあるその花は青に近い紫で縁どられた花弁を持ち、ダリアに似た形をしていた。
「凄いですよ! 新種の花ですよ! 園芸種としても絶対に人気が出ますよ!」
興奮しているビスティは、手帳に周辺の状況をメモしている。栽培時の参考にするつもりなのだろう。
ビスティの言う通り、川のそばに生えているこれらの花は園芸種として人気が出そうだった。
旧大陸では新大陸の花の栽培が流行している上に、この花は貴族好みの外観をしている。貴族の邸宅で花瓶に活けられることもあるだろう。
「なぁ、ビスティ」
「ちょっと待ってください。もう少し時間をください」
手帳にペンを走らせているビスティに、俺はため息を吐く。隣でミツキが苦笑していた。
テイザ山脈をある程度登ってから、追っ手はこれ以上の追跡を断念するだろうと判断して速度を緩めたのがいけなかった。
速度が落ちたことで恐怖心も和らぎ、景色に目を配る余裕ができ始めたビスティは目ざとく新種の植物を発見しては俺に停止を命じ、手帳を開いてメモを始めるようになった。
ただでさえ調査の進んでいないテイザ山脈で、中腹以降は俺とミツキ以外に入った事もない半未踏破の領域だ。新種の植物がごろごろしているのも当然だった。
新種を発見するたびに足を止めて調査を始めるとまでは思わなかったけど。
テイザ山脈越えは時間がはるかに短縮されるとはいえ、こうも足を止められては先回りされないとも限らない。ギルドの職員にラックル商会の人間がいるのなら、ビスティが俺とミツキに防衛拠点ボルスまでの護衛を頼んだ事は調べがつくはずだ。
「一度ボルスに到着してからまた入山するのはダメか?」
暗に先を急ぎたいとビスティに告げると、不満そうな顔で振り返ってくる。
「僕一人じゃテイザ山脈に入れないです。連れてきてくれるんですか?」
「ボルスを拠点にするなら、こっちとしてもありがたい話だから、テイザ山脈との往復で足をやるのは構わないよ」
リットン湖攻略隊に何かあった時、ボルスに居れば素早く行動できる。依頼を受けてテイザ山脈を調査している、とボルスを拠点にする大義名分を手に入れるためにもビスティの依頼は渡りに船だ。
「お昼ができたよ」
ミツキに声を掛けられて、俺はビスティに濡れタオルを差し出す。
「これで手を拭いて」
ビスティは水魔術を小さく発動してざっと手を洗い、泥を流した後でタオルを受け取り、念入りに手を拭いた。新種の植物を触った後だ。毒などを警戒しておいた方が良い。
パスタを食べながら、俺はビスティにこれから行くボルスの状況を説明する。
「テイザ山脈の調査を手伝うのはいいけど、今のボルスは軍内部の派閥争いが起きているから、巻き込まれない様に別の街へ行くのも選択肢の一つだ。ガランクから一番近いからボルスへ直行してるけど、栽培方法の特許を取った後なら別の街で活動する手もある」
たとえば、俺とミツキが拠点にしている港町だ。旧大陸との貿易港でもあるあの港町はデュラの代わりとして発展しつつあり、それなりの規模の大手商会も支店を置いている。
ビスティがもともと持っていた栽培方法に加えて、今はテイザ山脈を登ってくる過程で手に入れた新種の植物が数種類ある。交渉材料としては十分だ。
軍の派閥争いと聞いてもピンと来ていない様子のビスティに、旧大陸派や新大陸派が存在する事、ここ半年におけるボルスの動きを説明する。
新聞などをあまり読んでいなかったのか、俺の話にビスティは相槌を打ちながら真剣に聞いて、小さく唸った。
「事情は分かりましたけど、一般人が巻き込まれるんですか?」
「俺とミツキは新大陸派のホッグスに目をつけられているから、あまり長く一緒に行動すると目をつけられる可能性が高い。ボルスは次のリットン湖攻略戦で旧大陸派の影響が激減すると思うから、新大陸派に目をつけられるとラックル商会に狙われるよりも厄介だ」
ラックル商会とは規模も権力も武力も段違いだ。睨まれると最悪、暗殺されてしまう。
ラックル商会だけでも手に負えなかったビスティに選択の余地はないと思う。
だが、ビスティは川に咲く新種の花を見て真剣に悩み始めた。
自分の命と新種の植物を発見することを天秤にかけているらしい。
「……僕は父から引き継いだ香辛料の栽培方法を完成させただけで、自分で一から何かをしたことってないんですよ」
ビスティは呟いて、ちらちらと新種の花を見る。
「行商だって父の後を継いだだけです。もちろん、行商の方はラックル商会に睨まれるまで順調でしたし、栽培方法を完成させた事の自負もあります。でも、このまま父の後を継いで行商で稼いだ資金を元手に開拓村を立ち上げてそこで香辛料を栽培して村を経営していくだけって、なんか、こう、違う気がするんですよ」
頭の中で気持ちを表す言葉を探しながら、ビスティは曖昧に言う。
「父の計画とは別に、自分が始めて自分で終わらせるような何かがしたいんです」
「あぁ、言いたいことはなんとなくわかった」
誰かが準備した計画を完遂するのは、それはそれで凄い事だ。だが、成果は計画立案者と折半される。
成果も名誉も全部ひとり占めしたいと思うなら、計画段階から一人でやるしかない。
ビスティはライフワークが欲しいのだろう。
口にしてしまうのは憚られて、俺は話を元に戻す。
「派閥争いに巻き込まれてもいいっていうなら、協力する。ただ、俺たちはリットン湖攻略の状況次第で知り合いの救助のために動かないといけないから、こまめにボルスへ帰ることになる」
「旧大陸派の方ですね。もちろんいいですよ。救助、頑張ってください」
「俺たちが救助に出ている間、ビスティは護衛もなしにボルスに取り残されることになるんだが、何か対策はあるのか?」
「その時は青羽根に護衛を頼む事にします」
ビスティの荷物を運搬車両ごと届けてくれる青羽根の到着日時はまだわからないが、リットン湖攻略隊の出発と前後することになるだろう。
ビスティの護衛を引き受けてくれるかどうかは分からないが、青羽根なら受ける気もする。
ビスティも青羽根が護衛を引き受けない可能性に気付いたのか、少し考えてから口を開いた。
「青羽根が受けてくれなかった場合は、僕を港町まで送り届けてくれますか?」
「急ぎになると思うから、ディアの背に乗ってもらうけど、それでもいいか?」
ビスティはディアを見て一瞬顔を顰めたが、仕方ない、と首を振った。
話がまとまった頃には昼食も終え、俺は立ち上がる。
「それじゃあ、早い所ボルスに行きましょう」
寄り道は控えめに、と続けようとした時には、ビスティはすでに新種の花を見ながら手帳を開いていた。
「先が思いやられるね」
「そうだな」
ミツキと一緒にため息を吐き、ビスティの調査が終わるまで周辺の地形をメモする。
今後もビスティを連れてテイザ山脈に入るのなら、簡易的にでも地図を作っておいた方が良いと思ったのだ。
測量をしている暇はないし、ミツキの開発したマッピングの魔術も魔力消費が多すぎて精霊獣機では迂闊に発動できないため、かなり適当な地図である。
それでも、未踏破のテイザ山脈で川などの目印を知っているかどうかは、遭難の危険性に大きくかかわってくる。
俺はついでに狙撃が可能な場所も探しておいた。
活動しているかどうかも分からないが、テイザ山脈は火山だ。
あちこちに巨大な火山岩が転がっているため射線が通りにくい反面、潜む場所に事欠かない。
高所を取れない場合でも川下から川上へ開けた場所、巨石の上などで狙撃銃を使えるだろう。
「――そう言えば」
ミツキがふと気付いたように周囲を見回す。
「スケルトンの生息地帯だって聞いたのに、テイザ山脈で見たスケルトン種って交通訴訟賞だけだよね」
「街道で倒した二体はテイザ山脈から流れてきたんだと思うが、確かに山の中では見てないな」
嫌な予感がする。
地域内から魔物が姿を消した時、どこかで群れを作っているというのはあくまでも経験則だが、実際にボルスが襲われるのを見たこともあって油断はできない。
索敵魔術に反応はないが、警戒を強めておこう。
「ミツキ、ボルスまでの道順に変更を加えたい。魔物、それもスケルトン種の群れと遭遇する可能性がある以上、隠れながら進むと狙撃銃の射線が通らなくなる」
スケルトン種相手に自動拳銃の効果は薄い。弾道を逸らされてしまうからだ。
スケルトン種への有効な攻撃手段が狙撃銃である以上、主戦軸に狙撃銃を据えてミツキの魔導手榴弾で接近戦に対応する方針に変えた方が良い。
ミツキは方針の変更に異を唱えることなく、パンサーの肩にある魔導手榴弾の格納部を一撫でする。
「魔導手榴弾は凍結型を使うって事でいいよね?」
港町の防衛戦の最中、ミツキが機転を利かせて開発したアイシクルの魔術式を刻んだ魔導手榴弾の凍結型は殺傷能力が低い代わりに周辺の地形への被害が少なく、対象の動きを止めたり、進行を遅らせる効果がある。
頭を破壊しないと倒せないスケルトンの群れが相手だと殺傷能力がない。しかし、下手に爆発させるよりは安全だ。
ミツキと相談しながらテイザ山脈の尾根を利用したり、こまめに周辺を双眼鏡などで調べられるように高所を選んでボルスへの道順を定める。
群れとの遭遇時の対処、はぐれた場合の合流場所を相談し合ってから、ビスティに声をかけた。
「そろそろ行こう」
「も、もうちょっと」
ビスティの手元を覗き込んだミツキが首を横に振る。
「ビスティ、新種の花の名前は後で考えて」
「実物を前にして考えた方がいい案が浮かぶじゃないですか」
「……摘んでいく?」
かさ張るものでもないし、一輪くらいなら大丈夫だろう。
「――って、ちょっと待て」
根っこから掘り起こそうとしたビスティを慌てて止める。
なんで止めるの、と言いたげな顔で首を傾げられて、俺は頭が痛くなった。
「鉢植えがあるわけでもないんだから、根っこごと持って行けないって。茎から先だけで十分だろ」
「標本を作るのなら根っこからでないと意味がありません。主根かヒゲ根かだけでも調べておきたいんです」
「……早くしてくれよ」
この人、植物学者になればいいと思う。それこそ、ライフワークとしてのやりがいも十分だろう。
ビスティによる新種の植物の調査が終わるのを待ってから、俺たちはテイザ山脈の踏破を再開した。
魔物に全く出会わない。山の頂を大型スケルトンが塞いでいる事もなく、俺たちのテイザ山脈越えは順調だった。
あまりにも順調すぎて、一日目の終わりの夜に見た夢では山頂に翻る大きな旗が出てきた。
旗の夢を見た翌日の夜、俺たちは一切魔物に出くわさないままテイザ山脈を越え、防衛拠点ボルスに到着した。




