第十九話 しわ寄せを受ける者
「――入れ」
ホッグスの声が扉越しに入室を許可した。
俺はワステード元司令官と一瞬視線を合わせてから、部屋に入る。
ホッグスは俺とミツキを見た瞬間顔を顰めたが、すぐにワステード元司令官とベイジルを見た。
「何の用だ?」
「この二人の開拓者を次の作戦に参加させる依頼をベイジルが交わしていたので、許可をお願いしに参りました」
ワステード司令官が丁寧な物腰で言うと、ホッグスは馬鹿にしたように笑った。
「知っているぞ。鉄の獣だろう? 愛機を獣に貶めている開拓者の鼻つまみ者だ。リットン湖の調査でも調査隊の和を乱したと聞いている。リットン湖攻略戦を前にしたこの大事な時期に士気を落とされてはかなわん。即刻退去しろ」
ハエでも払うように手を動かして、俺たちに退去を命じたホッグスはベイジルをじろりと見て、厭味ったらしく言葉を連ねる。
「まったく、こんな連中を参加させろとは、生きた英雄も落ちぶれたな」
そこに、ワステード元司令官が口を挟んだ。
「私もそう思います」
「――なに?」
意外にもワステード元司令官が同意したことに、ホッグスは怪しいモノを見るように目を細める。
しかし、ワステード元司令官はベイジルを見て、勝ち誇ったような顔を浮かべた。
「司令官もこう言っている。参加は諦めるんだな」
ベイジルが鼻から息を吐き出して、天井を仰ぐ。
「分かりました。これも、今までのツケと思って諦めましょう」
ワステード元司令官とベイジルのやり取りの意味が分からないのか、ホッグスは怪訝そうに眉を寄せている。
しかし、ホッグスはワステード元司令官やベイジルに質問する事も出来ない。対抗派閥に何かを質問しても、正しい回答が得られるとは限らないからだ。
ホッグスの注意が完全にワステード元司令官とベイジルに向けられたこの瞬間に、俺は事前にワステード元司令官に言われた通りの空気を読めない発言役を実行する。
「まぁ、ベイジルにも悪い話じゃないだろ。俺たちも軍の派閥争いになんて巻き込まれるのはまっぴらだから、依頼主のベイジルが派閥争いに首突っ込むのは反対だったし」
「――ヨウ君」
ミツキに肘でつつかれて、俺は誤って口を滑らせた振りをして、顔をそむける。
「あぁ……ともかく、現状維持が一番だってことだよ」
苦し紛れに締めくくる。
部屋が微妙な空気になった。
ミツキがため息を吐く。
「私もヨウ君に賛成。ここで言う話じゃないけど、ベイジル派閥全部巻き込むとボルスを誰が守るのって話だし」
ミツキが肩を竦めて、ベイジルを見る。
「依頼は破棄でいいよね。司令官も副司令官も、どっちも説得できなかったベイジルの責任で」
ミツキに問われたベイジルは、ホッグス、ワステード元司令官の順に見て、頭を掻いた。
「仕方がありません。依頼は破棄してかまいません」
「ならそう言う事で」
ミツキがベイジルに背を向け、司令官室の扉を開ける。
廊下へ出るミツキに続いて、俺も外に出た。
「ボルスくんだりまで来て無駄足かよ」
「派閥争いに巻き込まれるよりマシでしょ」
打ち合わせ通りの会話をしながら廊下を歩き、司令部を出る。
とりあえず、これでホッグスはベイジル派閥が存在するか裏を取るだろう。
そもそもが生きる伝説として扱われているベイジルだ。不用意に戦死させるとボルス全体から総顰蹙を食らう事くらいホッグスだって理解している。
ベイジルがワステードと同じ旧大陸派ではなく、ボルスに根差している中立派閥だと分かれば、戦死させる危険性を冒してまで出撃はさせないだろう。
ボルスに残しておけば、間違ってもリットン湖攻略戦で戦功は立てられないのだから、始末するつもりでない限りボルスから出撃させる理由がない。
――というのがワステード元司令官の話だったんだけど、
「ワステード元司令官、本格的に死亡フラグ立ってるよね」
日本語でミツキが呟いた言葉に同意する。
「巻き込んだの俺たちなんだよなぁ」
作戦に同行は出来ない。ワステード元司令官にまで断られてしまっている。
「こまめにリットン湖攻略の進捗状況を調べて、何かあったらここに駆けつけるしかないね」
「後手後手だな。でも、それしかないか」
ボルスに残っているとホッグスに怪しまれる。
精霊獣機を停めてあるギルドのガレージに入ると、見覚えのある男がディアの横の壁に背中を預けて待っていた。
「ロント小隊長?」
「……来たか」
俺とミツキを横目で確認して、壁から背中を離したロント小隊長がギルドの中へ入っていく。
ついてこい、というところだろうか。
ギルドに入ると、ロント小隊長はすでに休憩スペースの椅子に腰かけていた。
ミツキと一緒に向かいの椅子に腰掛ける。
ロント小隊長は腕を組んで不愉快そうに眉間に皺を寄せる。
「腹の立つ話だが今回の作戦、派閥争いが絡んでいる」
「知ってます」
いま一芝居打ってきましたとも言えず、短く答えると、ロント小隊長は溜め込んでいたモノを吐き出すように長く息を吐いた。
「旧大陸には開拓学校がある。開拓学校卒業者は今回のリットン湖攻略戦が初の任務という者も多くいる。その点、デュラ偵察やヘケト駆除を行った我が小隊は恵まれている方だろう」
「何が言いたいんですか?」
ミツキが結論を求めると、ロント小隊長はぐっと眉間に力を込める。ますます皺が寄った。
「……使い潰される」
静かに一片の疑いもなく断言して、ロント小隊長は俺とミツキを見た。
「身内の恥を晒すようで言いたくはないが、今回の派閥争いで最も不利益を被るのは開拓学校卒業者、旧大陸派閥の末端だ。ワステード副司令官ほどの高位将官ならば死線に送られることはないだろうが、我々は違う」
心の底から悔しそうに歯ぎしりして、ロント小隊長は〝身内の恥〟を暴露した後、続ける。
「いざという時の救援部隊が欲しい。魔物が跋扈する未開拓地の奥へ最速で駆けつけ、孤立部隊を即時発見、安全に誘導できる者だ」
「それを俺たちにやれって言いたいんだと思いますが、すでにホッグス司令官に退去を命じられてます」
「ちっ、あの無能、よく働く」
ロント小隊長が舌打ちする。聞かれていたらどうするんだろう。
「それに、救援部隊を用意しても、使い潰すつもりならそもそも孤立させる事さえしないかもしれませんよ?」
「その場合は生き残れる。後ろから魔物が来ないのならば、対応は可能だ」
当然のことのように言いきったロント小隊長はさりげなくギルド内を見回してから、声を小さくした。
「砲撃タラスクを覚えているな?」
俺とミツキはそろって頷いた。
カメ型大型魔物タラスクの中で、ボルスに対して遠距離砲撃とばかりに火球を打ちこんでいた魔力袋持ちの個体だ。
「ベイジルさんに討ち取られたあの砲撃タラスクを解剖したところ、後ろヒレを食いちぎられた跡が見つかった。同じカメ型魔物と思われるが、かなり巨大な個体だ。そしておそらく、歯がある」
歯があったからなんだというのだろう。そう思っているとミツキが思い出す様に首をわずかに傾ける。
「ヨウ君、タラスクに歯はなかったよ」
「それじゃあ、新種?」
ロント小隊長が警戒しているのはその新種の歯を持つ大型魔物か。
確認すると、ロント小隊長は深く頷いた。
「雷槍隊も全機出撃する予定の今回の作戦で滅多なことは起こらないと思いたい。だが、正体不明の新種がいるとなると何が起こるかは分からない。どうしても保険が欲しい」
「その新種相手の捨て駒にされた場合の救援部隊が欲しいって事ですよね。戦力もかなり必要になるんじゃ?」
助けに行っても新種と交戦中でした、では俺とミツキが参加しても焼け石に水だと思う。
「全力で離脱できるように準備を進めている。その点は心配いらない」
ロント小隊長は難しい顔でギルドホールを見回した。
「鉄の獣がボルスを退去させられるとなると、他の開拓団に頼むしかないか。回収屋は来てるのか?」
「別のところで仕事があるとの事で、港町の防衛戦の後で別れました」
「飛蝗は?」
「一度村に戻るそうです。防衛戦で精霊人機が一機、中破したので修理している頃だと思います」
「鉄の獣の伝手も使えないのか」
ロント小隊長は腕を組み、眉間のしわを深くする。
知らない仲でもないし、協力したいのは山々だが……。
「リットン湖攻略隊に何かあったら駆けつけますよ」
「そうしてくれると助かる」
ひとまず、可能な限り救援に駆けつける事を約束した時、ギルドの入り口から開拓団〝月の袖引く〟団長タリ・カラさんが現れた。後ろには執事然として丁寧な物腰の副団長レムン・ライさんもいる。
例によって疲れた顔をしていたタリ・カラさんだったが、開拓団の空気が変わった事で心労が軽減されたらしく、少し肌艶が良くなった気がした。
タリ・カラさんは俺たちに気付いて会釈する。
俺もミツキと揃って会釈を返すと、ロント小隊長が怪訝な顔をして俺の視線を追った。
「知り合いの開拓者か?」
「開拓団〝月の袖引く〟の団長と副団長さんです」
タリ・カラさんたちがちょうど俺たちのところにやって来たので、紹介する。
ロント小隊長は何かを思い出すように目を閉じた後、はたと気づいたようにタリ・カラさんをじっと見つめた。
「名前を聞いたことがある。戦場を選ばない魔術戦主体の開拓団だったはずだな」
俺に聞かれても知らない。ボルスに来るまで一緒にキャラバンの護衛をしていたが、索敵範囲の関係上俺とミツキですべての魔物を処理してしまったから、タリ・カラさんたちが戦う姿を見ていないのだ。
ロント小隊長の質問に、タリ・カラさんはあいまいに頷いてミツキを見た。
「リットン湖攻略隊ロント小隊の隊長、ロントさんだよ」
ミツキがロント小隊長を紹介すると、タリ・カラさんは慌てて頭を下げた。
「失礼しました。開拓団〝月の袖引く〟の団長タリ・カラです」
ロント小隊長はタリ・カラさんを見てから、後ろに立っているレムン・ライさんを見た。
「若い団長だな」
「先代は一昨年、戦死しました」
レムン・ライさんが恭しく答えると、ロント小隊長はお悔やみを言って、タリ・カラさんを見る。
「月の袖引くがここにいるという事は、リットン湖攻略戦への参加希望か?」
「はい。ですが、紹介が無ければ参加させられないと言われて、困っていたところです」
「そうか、そうだろうなぁ」
ロント小隊長が嫌悪の色を含んだ声を上げて、天井を見る。
旧大陸派の戦力を削ぐことが目的とも考えられる攻略戦だ。
ホッグスにとっては、自らに不利な証言者となり得る開拓者の参加は阻止しようとするだろう。
開拓団〝月の袖引く〟が参加を断られた事で、ロント小隊長はホッグスへの疑いを深めたのだ。
「ちなみに、どんな理由で断られたんですか?」
「軍の威信をかけた攻略戦だから、と言われました。おそらく、開拓団はどこも参加を断られていると思います」
タリ・カラさんの証言に、ロント小隊長がため息を吐く。
そして、意を決したようにタリ・カラさんを見た。
「依頼をしたい」
ロント小隊長が月の袖引くに依頼した内容は、防衛拠点ボルスに滞在し、リットン湖攻略が失敗した際に救援隊としてロント小隊を発見、回収するというものだった。
魔物の群れに飛び込むような、危険な依頼である。
タリ・カラさんは眉を顰めたが、レムン・ライさんが肩に手を置いて押しとどめ、意見を述べた。
「軍に、それも一派閥に恩を売ることができる依頼です。依頼の発生条件もリットン湖攻略が失敗した場合という前提のもと成り立っています。この依頼を受け、リットン湖攻略後に手付かずの周辺未開拓地を我々が開拓する際、後ろ盾になってもらう事を報酬として頼むのはいかがでしょうか?」
レムン・ライさんの提案にタリ・カラさんが答えるより先に、ロント小隊長が口を挟んだ。
「一小隊長にそこまでの権限はない。ある程度の融通は出来るがな。それに、周辺地図、魔物の生態などの情報を優先的に譲渡するのならば可能だ」
「では、それで結構です。団長、一度この話を持ち帰り、団内で相談してはいかがでしょうか?」
レムン・ライさんに促され、タリ・カラさんは少し考えた後頷いた。
「分かりました。夜には連絡します」
「頼んだ。鉄の獣も、いざという時には頼む」
そう言って、ロント小隊長は頭を下げてから、ギルドを出て行った。




