第六話 シェルターの外
昼ごろに目を覚ました俺は、昨夜からテーブルに広げたままの教科書を読む芳朝に声を掛けられた。
「おはよう。ご飯にする? パンにする? それともパスタ?」
「お好み焼きで」
バカげた応酬を繰り広げて、俺はベッドから起き上がる。
俺が寝ている間に着替えたのか、芳朝は手編みらしい白のセーターに七分丈のジーンズという出で立ちだった。長い髪は青いリボンで簡単にひとまとめにしている。うなじの白さが眩しい。
芳朝が簡易調理台に向かい、コップにコーヒーに似た苦みのある白い飲み物を淹れて持ってきた。
やけに香ばしいその白いコーヒーもどきを喉に流し込む。新大陸でよく飲まれているという嗜好飲料だ。
俺は芳朝が読んでいた教科書に目をやる。
「教科書を読んでたのか?」
「精霊人機の基礎構造学と、魔導核へ刻む魔術式の教科書だけね」
魔導核の教科書をめくりながら、芳朝は答える。
魔導核は魔術を図式化した魔術式を刻みこみ、魔力を流すだけで魔術を発動できるようにした物だ。威力や規模は固定だが、発動までの時間が極端に短いのが特徴である。
精霊人機を動かす際に使われる他、コンロの火を起こす魔術もこの魔術式を刻まれた魔導核を利用している。複雑な火加減の調整を術者が行う手間が省けるからだ。
ところでこの魔導核の原材料は魔力袋と呼ばれる魔物や肉食動物の持つ臓器を硬化させたものである。
魔力袋は後天的に発生する臓器で、魔術の発動を助ける物と考えられているが、その正体は不明だと教科書には書いてあった。
大型の魔物や長生きした肉食獣の中に作られている事が多く、稀に人間も魔力袋を作り出すことがあるという。
魔力袋の大きさや品質によって、魔導核にした際に同時発動できる魔術式の数が左右され、高品質の魔力袋はほぼ間違いなく精霊人機に使用するための魔導核へ加工される。
芳朝が魔力袋に関する記述を指でなぞりながら、首を傾げる。
「この記述がおかしい気がするの」
そう言って、芳朝は俺に教科書を突き出してくる。
「魔力袋は魔物や肉食動物が魔術を使用するために必要不可欠な臓器であると考えられる……。確かに、おかしいな」
指差された文章を読み上げ、俺は精霊人機の基礎構造学の教科書を手に取る。
昨夜は寝不足だったせいで記憶が少々あいまいだが、目的のページはすぐに見つかった。
「スケルトン種は魔術を使ってるな」
後天的に発生する臓器であるはずの魔力袋を持たない生まれたてでも、スケルトン種はその体を維持するための魔術を使用している。
二つの教科書で記述が食い違っていた。
「スケルトン種だけは生まれつき魔力袋を持っているって事だろうな」
「もしそうなら、スケルトンを狩れば魔力袋を大量に手に入れられるし、それを魔導核に加工して売りさばく仕事をしている人がいると思うの。私は聞いたことないけど、赤田川君は?」
「聞いたことないな」
魔導核の需要は極めて高い。原料である魔力袋も同様だ。
スケルトン種が必ず魔力袋を有しているのなら、専門に狩りを行う者が居てもいいはずだ。
「気になるが、今は考えても仕方がない。それより、俺が昨日の晩に考えたことを話していいか?」
「……これの事?」
教科書をぺらぺらとめくった芳朝が、俺が昨夜隅に描いた精霊兵器の設計図を指差した。
シカの形を模した俺の設計図を眺めた芳朝は、軽く頷いた。
「人型じゃなくて動物型にしたのは分かるんだけど、理由を聞いてもいい?」
「俺たちは中型魔物を専門に狩る開拓者を目指そうと思うんだ。その上で、魔物から距離を取りつつ、魔導銃を撃つことができる安定性と速度、走破性を実現するなら四足の動物が一番だと思ったんだよ」
俺が考えているのは、魔導銃を持って駆け巡りながらの一撃離脱戦法だ。
芳朝は俺の考えに理解を示しながらも疑問が一つある、と首を傾げた。
「精霊人機の適性がない私たちがどうやって動かすの?」
「それをこれから考えるつもりだったんだけど、いま閃いた」
会心の笑みを浮かべつつ、俺は胸を張って説明する。
「精霊人機と同じ動作方法にする必要はない。バイクや自動車と同じようにハンドルやペダル操作を取り入れつつ、ある程度の自動化を魔術で行えばいい」
「そんなことができるの?」
「魔術式を使えばできると思う。姿勢制御の魔術もあるから横転防止はすぐにでも可能だ。障害物を自動で避けるのも、遊離装甲の魔術を弄れば実現できると思う」
「すでに頭の中に設計図がありそうね」
感心したように言って、芳朝は教科書を俺の前に置いた。
「協力するよ。でも、開拓者をやるなら最低限の剣術や魔術も身に付けないとね」
「そうだな。資金はそれなりにあるんだし、開拓者を雇って教えてもらうのもいいかもしれない」
開拓学校の入学資金などをほぼ丸々持っている俺はもちろん、魔導銃の特許料でそれなりに儲けている芳朝も経済的な余裕が十分ある。
一通り今後の予定を詰めた後、俺は窓に歩み寄り、通りを見下ろした。
昼間だけあって宿の前の大通りを行きかう人の数は多い。デュラからの避難民も混ざっているからか、窮屈そうだ。
路地の陰などに目を凝らしていると、宿を見張るようにしている三人組の男の姿を見つけた。
「まだ狙われてるみたいだ。当分はこの宿で食事をとるしかないな」
「私は一生部屋の中でもいいよ」
「引き籠りめ」
「じゃあ言い直すよ」
芳朝はコホン、とわざとらしく咳払いして、桜色の口元にうっすらと笑みを浮かべて黒い瞳で上目使いに俺を見る。
「赤田川君と二人きりなら、一生この部屋の中でもいいよ?」
「ちくしょう、あざと可愛いじゃねぇか。だが、断る!」
「つれないなぁ」
前世から引き籠りだという芳朝は部屋の中での過ごし方を心得ているらしく、教科書を読み始める。
俺は鞄の中から取り出したノートに獣型精霊兵器の設計図を書き込む。魔導式はまだ手を出せないが、機械的な構造であれば俺の知識でも十分だ。
「設計は赤田川君に任せるよ。私は魔導核に刻む魔術式を考える」
役割分担を決めて、芳朝は魔導核の教科書を読み進めていた。
時折意見を交わしながら、休憩や食事、睡眠を挟みつつ三日もすると機械的な設計図はほぼ書き上がった。
元となる精霊人機からかなりの部分をパクリスペクトして部品の互換性を高め、新しく部品を製造する手間を極力なくした獣型の精霊兵器。
我ながら惚れ惚れする出来栄えだ。まだ設計図なのに。
「名前は精霊獣機でいいか?」
「総称ならそのセンスのかけらもない名前で良いと思うよ。分かりやすいし」
そっけない言い方をしつつも、芳朝はやたら気合の入った字で設計図に〝精霊獣機〟と書き込んでくれた。
だが、完成した設計図はあくまでも試作機だ。
実際に作って調整を加えつつ、俺と芳朝が実戦で使うような完成形へと近づけていかなくてはならない。
だが、材料や部品がない。技術的にも、設計図通りに組み上げられるかどうか心もとなかった。
教科書でも精霊人機の整備の仕方を学べるのだが、実際にやってみなくては分からない事もあるだろう。
「外の様子はどうだ?」
「見える範囲に私達を狙ってそうな人はいないね。この町に着いて四日も経っているから、お金を持っていなかった人は開拓者として働いているんだと思うよ」
窓の外を確認した芳朝の言葉に安心して、俺は荷物を片手に立ちあがった。
「部品や材料は手に入らないけど、技術だけなら開拓者ギルドで身に付けられるかもしれない」
開拓者が集まって作る開拓団の中には精霊人機を持つ集団がある。
開拓団の中でノウハウが蓄積されていれば、ギルドにもノウハウが流れている可能性があった。
「開拓者ギルドに行って精霊人機を持つ開拓団を雇おう」
「精霊人機の整備方法を教えてもらうつもり? ノウハウをそう簡単に教えてくれるとは思えないよ」
「たしかに開拓団にも秘密のノウハウがあるだろうけど、ギルドで共有されているような整備方法は別だ。依頼料次第では交渉の余地があると思う」
それに、芳朝の開拓者登録もまだ終えていない。開拓団を雇えなかったとしても、無駄足にはならない。
「それに、いい加減に部屋の中から出ないと気が滅入るんだ」
「こんなに尽くしている私との生活が負担だなんて、ひどい!」
「――は?」
演技がかった口調で叫んだ芳朝が泣き真似をする。
凄く面倒くさいシチュエーションを選んできた芳朝に、俺は驚愕した。
芳朝は驚き固まる俺をちらりと見ると、顔を両手で覆う。
「私を捨てるつもりね。そうなんでしょう?」
「いま顔を隠してる理由は、笑ってるからじゃないだろうな?」
「質問に答えてよ。いつもそうやってはぐらかすんだから!」
うわぁ、ほんとうに面倒くさい。
俺は一度咳払いして声を作る。
「捨てるはずがないだろう。外へ出て、芳朝をみんなに自慢するんだ。俺に尽くしてくれてばかりの芳朝へのささやかな恩返しも兼ねて、今日は外でお昼を食べよう。もちろん奢らせてくれるよな?」
芳朝が泣き真似を止め、手の位置をずらすと上目づかいで俺を見る。
「奢らないと気が滅入る?」
「あぁ、尽くしてもらってばかりだから、奢らないと気が滅入るよ」
「なら、しょうがないなぁ」
へらっと笑った芳朝は、顔を隠していた手を下ろし、すっと真面目な表情になる。
「なかなかのフォロー。赤田川君、もしかしてリア充だった?」
「いまのフォローに高評価を与える芳朝の前世を思うと涙が浮かぶよ。さぁ、出かけるから用意しろ」
人差し指で芳朝の頭を軽くついて、俺は財布の中身を確認する。
冗談の応酬だったとはいえ、奢ると言い出したのは俺だ。反故にはできない。
芳朝はすぐに準備を終えて、鍵を片手に立ち上がる。
俺は窓を閉めて、芳朝と一緒に部屋を出た。
扉に鍵をかけ、宿の主に部屋の鍵を預ける。
「掃除は結構なので、誰も入れないようにしてください」
店主は笑顔で頷き、鍵を壁の棚に入れた。
「ご本人が同伴でない限り、部屋へ通すことはございませんからご安心ください。本日はデートですか?」
十三歳の男女が一緒に外へ出ると聞かされればそう考えるのも無理はない。
実際、昼食は外で食べることになっている。
「お昼は必要ないので、厨房の方に伝えておいてください」
「かしこまりました。デュラからの避難民が昨夜暴力事件を起こしているので、お二人もお気をつけて」
忠告に礼を言って、俺は芳朝と並んで宿を出た。
人通りが多い道を選んでまっすぐにギルドへ向かう。
道すがら、俺は街並みを見回す。
丘の上に白い壁の家が立ち並ぶこの港町は、海の上から見ればきっと美しく映えるだろう。
レンガ敷きの道路にはアーチ型の模様が一定の間隔ごとに作られており、街路樹は鮮やかな緑を頭に被っている。街路樹を透かして見る緑と白い家とのコントラストが見事だった。
港町らしい潮風に乗って、花の香りが微かに感じ取れた。顔を向けると街路樹の向こうに花壇がある。
「そんなに大きな港町じゃないけど、よく整備されていて綺麗だな」
「デュラの代わりになるように作られている町だからね。まだ港の整備が進んでいないから大型船の入港には規制がかかっているけど、これからもまだまだ発展していく町だよ」
新大陸で生まれ育った芳朝は事情通らしい。
この港町を取り巻く事情を芳朝から聞いていると、道の先に建物が見えてきた。
「……異世界人のセンスなのかな?」
「えっと、デュラにあったギルドの建物はこんなんじゃなかったんだけど……」
開拓者ギルドの建物は、こじんまりとした城だった。
ファンシーな明るい色に塗られたとんがり屋根が五つ、装飾的な意味合いしかない桃色の歪なひさしが壁から突き出していて、これでもかというほどにアーチを取り入れた外観は明らかな過剰装飾。
どこからどうみてもラブホです。
俺は芳朝と顔を見合わせ、気まずくなって互いに顔をそむけた。今回ばかりはさすがの芳朝も耳まで赤くなっている。
前世の記憶故に建物を見た瞬間そっち系の建物だと思ってしまうが、この世界の人たちにとってはおしゃれな建物で通っているらしい。ギルド館に入っていく開拓者や依頼者は建物を見上げて少し誇らしげな顔をしていた。
「ど、どうする?」
「意識しないでよ。気まずい」
「無茶だろ。だって、これだぜ?」
しばらく問答を交わして、俺たちは覚悟を決めてギルド館へ足を踏み入れた。
中の様子は、俺が開拓者登録を済ませたデュラの開拓者ギルドと同じだ。広めのホールにテーブルがいくつか置かれており、職員が開拓者それぞれに対応している。
俺は芳朝と一緒に空いているテーブルに腰を下ろした。
ここ最近はデュラからの避難民が開拓者としての新規登録をしていたらしく、芳朝が申し出ると、またか、という顔をしながらもすぐに書類を出してくれた。
俺は芳朝が書類に記載している横で、精霊人機を持つ開拓団がこの町にいるか訊ねる。
「精霊人機を持っている開拓団ですか。少し待っていてください」
職員さんが立ち上がってカウンターの職員とやり取りすると、一枚の紙を片手に戻ってきた。
「いましたよ。開拓団〝竜翼の下〟が今朝町に入って来たようです。防衛任務に定評のある傭兵型の開拓団で、防衛を行う新規開拓地がこの付近にあるそうです」
デュラが魔物に襲われた時にも思ったが、新大陸は魔物の群れによる襲撃で町や村が一夜で滅びる危険な土地だ。
デュラほど大きな町が滅びるのは稀だというが、防衛機構の整っていない新規開拓地など魔物の脅威の前には無力だろう。
開拓団〝竜翼の下〟はそんな防衛力が貧弱な土地に出向いて護衛を行う事を主な仕事として評価を得ている開拓団だという。
「団員数は戦闘員二十名、非戦闘員が二十名の計四十名。兵装は精霊人機が二機、整備車が二両ですね。精霊人機乗りは大型撃破数が今年で七体の実力派です。中型を倒した歩兵戦闘員も多く、経験豊富な開拓団ですよ」
俺は芳朝に目配せする。
この開拓団は文句なしの大あたりだろう。
俺は職員から渡された紙に書いてある情報を読み、決断する。
「この開拓団に依頼を出すことは可能ですか?」
「すでに依頼を受けているようなので、掛け持ちできる内容であれば可能です。先方が受けてくれるかはわかりません」
「では、依頼を出すので、書類をください」
俺は職員さんから渡された書類の空欄を埋めて提出する。
俺が出した報酬額に目を丸くした職員さんは、依頼内容を見て納得したように頷いた。
「この金額であれば、受けてもらえると思います。精霊人機の整備員は未だに少ないので、開拓者ギルドとしてもこういった形での技術習得は大歓迎ですよ」
ニコリと笑った職員さんが、個人的にも話を通しておくと約束してくれた。