第二十二話 ここより始まる
「ヨウ君、この依頼を受けたら、私が大事じゃなくなるでしょ?」
何を言っているのか、分からなかった。
ミツキが俺の手を引いて借家に向かって歩き出そうとする。
ボールドウィンが困惑の表情で俺に声をかけてくる。
「二人とも、どこに行くんだ?」
正直、今ボールドウィン達に関わっている場合じゃない。
俺は言葉を選びつつ、ボールドウィンを振り返る。
「帰るんだ」
「もう帰るのか? 気分が悪いなら休んでいけばいいだろ。倉庫って言っても整備車両の中ならベッドもあるから、家とあんまり変わらないだろ」
「変わるさ」
俺はミツキに引っ張られるまま歩き出す。
まだ引き留めようとしているボールドウィンを肩越しに振り返って、続きを口にする。
「お前たちがいる。だから、俺たちは帰るんだ」
理解できていない様子のボールドウィンを置き去りに、俺はミツキに並んで借家への道を歩く。
言葉は交わさなかった。
ただ、ミツキはずっと俯いて、俺の手を離さなかった。
途中でギルドのガレージに寄り、ディアとパンサーに乗る。
リーゼさんが何か言っていたが、無視した。
いまはくだらない諫言も的外れの忠告も聞いている暇はない。
早々にガレージを後にして、借家へ向かう。
いつの間にか空は曇り始め、帰り着く頃にはぽつぽつと雨が降り始めていた。
借家のガレージにディアとパンサーを停めて、キッチンでコーヒーもどきを淹れながら一息つく。
いつもは俺がコーヒーもどきを淹れている間リビングのソファーの上で本か新聞を読んでいるミツキが、今日はずっと俺のそばを離れない。いまもキッチンに立つ俺を見つめながら、壁に背中を預けていた。
「見張らなくても、消えたりしないって」
冗談めかして声を掛けるが、ミツキは小さく頷くだけだった。
「……怒ってない?」
わずかな間を挟んで、そうミツキが訊ねてくる。
「何に?」
「私から依頼を受けたいって言い出したのに、放り出したこと……」
怒っているかどうかを聞かれれば、怒っていない。
依頼を受けたいと言った時のミツキの気持ちも、放り出したくなったミツキの気持ちも分かる。
だが、それが良い事だとは思わなかった。
コーヒーもどきを淹れ終えて、カップに注ぎ、ミツキに渡す。
「なぁ、ミツキは努力する意味は何だろうって言ってたよな」
初めて会った日の事だ。ミツキは前世も含めた身の上話の中で、努力の意味を見失ったと語った。
努力して期待に応えて、誰かの中で自分の存在が大きくなっていく事に喜びを覚えたから、まずは努力から始め、期待に応えていくうちに都合のいい存在としか見られなくなっていったことに、努力する意味を見失った、と。
なら、努力してスカイを改造して、期待以上の成果を上げて、青羽根の団員が開拓者としての意識を変えるきっかけになった今の状況は、ミツキが望んだもののはずだ。
だが、ミツキは青羽根の団員に慕われた事を喜ぶよりも、俺の中でミツキが、ひいては日本の存在が薄れていく事に怯えて逃げ出した。
「ミツキにとって大事なのは努力を認められることじゃないんだろ?」
努力は最初から手段でしかない。
誰かに大事にしてもらいたいから、自分の有用性を示す。そのための手段が努力であり、期待に応える事だった。
だから、大事にされなくなるための努力なんて本末転倒で、今回の依頼を完遂する事で俺に大事にされなくなる未来を予見して努力を、依頼を放棄する選択をした。
出会った時から、ミツキはずっと言っていた。
「……ヨウ君さえいればいいの」
ミツキが呟く。
「……でも違ったんだよ」
ミツキが一度も口をつけていないカップをキッチンテーブルに置いた。
「ヨウ君さえいればいいんじゃない。ヨウ君じゃなきゃダメだったんだよ」
ミツキは青羽根の団員に慕われるかどうかなんて、二の次だったのだろう。それを意識していなかっただけだ。
俺と一緒にスカイの改造に取り組む事に意味があった。努力する時間や思い出を共有する事に意義があった。
一緒に努力する限り、俺の中でのミツキの存在は大きくなっていく。転生者である俺たちにとって、過ごした時間は死んでも失われない価値を持つ。時を重ねるごとに死んでも消えない存在として俺の中に残る。
それは俺がミツキに日本の思い出を共有する役割を求めたのと同じように、代替の利かない役割だ。
青羽根の団員と俺とでは選択の余地などなかったのだ。
ミツキはキッチンテーブルの上のカップを見つめる振りをして、顔を伏せている。
俺はミツキに声を掛ける。
「理屈とか、依存しているとか抜きにしてもさ。俺はミツキと一緒にいて楽しいと思ってる。一緒に得体のしれないジビエ料理を食べたり、プロトンとかディアやパンサーを作ったり、崖を上って景色を見たり。それは全部、この世界でミツキと一緒に作った思い出だ」
もちろん、良い思い出ばかりではない。
白い目で見られたり、汚水を頭からかけられたり、責任をなすりつけられたり、色々あった。
でも、ミツキと会えてよかったと思う。前世の思い出話がなくとも、この世界での思い出だけで、俺にとってミツキが大切な存在であることに変わりはない。
ミツキが僅かに顎を引く。
「私も、ヨウ君に会えてよかったと思ってるよ。手料理を食べてもらえてうれしかった。キリーのお父さんに水を掛けられたときも、ぬいぐるみを拾って持って帰ってきてくれた。私と一緒にいるとデュラの人たちに悪く言われるのに隣に居続けてくれた。私のために怒ってくれた」
ミツキが長く息を吐き出す。胸に手を当てて、顔を上げた。それでも、俺に背中を向けている。
「こういうの経験ないから良く分からないけど、多分、ヨウ君の事が好きなんだと思う」
「そこは言い切ってほしかったな」
「……そういうヨウ君はどうなの?」
俺に背中を向けたままその質問をぶつけるのか。
「飽きるまでコーヒーを淹れ続けるよ」
遠回しに告白すると、ミツキはカップを手に取り、少し冷めたコーヒーもどきを飲み干した。
カップをキッチンテーブルに戻して、ミツキがゆっくりと振り返る。
「一生……違うね。何度生まれ変わっても飽きないよ」
「あぁ、そのための努力を俺は惜しまない」
「私も飽きられないように努力しないとだね」
少し首を傾げるあざとい仕草をしつつ、ミツキがほほ笑んだ。
空になったミツキのカップにコーヒーもどきを注いで、俺は自分のカップに入ったコーヒーもどきを飲み干す。
「それを飲み終わったら、青羽根の倉庫に行くぞ」
もう依頼を放棄する理由はなくなった。
同時に、この世界に足をつける覚悟もできた。
それはミツキも同じだ。
ミツキが頷いた。
「うん。ボールドウィンには悪いことしちゃったね」
「右往左往してたからな。お詫びにあの店にでも連れて行くか」
ジビエと称して魔物を食材として使った料理ばかりを出している店を思い浮かべ、提案する。
「魔物料理はハードルが高いよ。遠征でもできるお手軽料理とか教えてあげる。レシピを書くから少し待ってて」
「あぁ、お詫びとしては実用的すぎるかもしれないけど、あいつらにとってはいいかもな」
ミツキが紙にペンを走らせている間にカップなどを洗う。
ミツキの用意が整って、俺たちは借家を出た。
倉庫への道を歩く。
いつの間にか本降りになった雨を凌ぐために差した傘の下に肩を寄せ合って、歩き続ける。
「もう意味のないことかもしれないけど、バランド・ラート博士については調べるの?」
ミツキが首を傾げて訊ねてくる。
俺は少し考えて、頷いた。
「一応、調べておこう。いまのところ何もないけど、俺たちの転生が人為的な物なら何らかの理由があるはずだ。知らないまま利用されて不利になるのは嫌だからな」
分かった、と頷いたミツキが空を見上げる。
傘の端から見える空は雨雲に覆われていて、しばらく晴れそうにない。
「マライアさんから情報を聞き出して、研究所とやらに踏み込めればいいんだけど」
「自宅兼研究所なら良いが、軍の施設だったりするとかなり厄介だよな」
いま気にしても仕方がない、と先を急ぐ。
倉庫に到着すると、ボールドウィンが扉の横に立っていた。両手には何故か水の入ったバケツを持っている。
ボールドウィンが俺たちに気付いて、バケツを放り出した。
「いきなり帰るなよ! おかげでひどい目にあったんだぞ!?」
ボールドウィンが俺たちに駆けてくると同時に、倉庫の入り口から青羽根のメンバーが顔を出した。
「おぉ、帰って来たのか。ボールの奴がまた無神経なこと言って怒らせたんだろ?」
倉庫の入り口から出てきた整備士長が呆れた顔で言うと、ボールドウィンが振り返った。
「だから、俺は何も言ってねぇよ! 言ってないよな?」
「やっぱり自信ないんだな」
整備士長が肩を竦めると、ボールドウィンが口を閉ざして整備士長を睨みつける。
俺は二人の間に割って入った。
「悪いな。今回はこっちの事情だ。もう済んだことだから安心してくれていい」
俺に続いて二人の間に割って入ったミツキも二人を引き離す。
「ボールドウィンのせいじゃないから、安心していいよ。心配させてごめんね。これ、お詫びのレシピ」
青羽根の料理を仕切っている整備士長にミツキのお手製レシピが渡される。
「お詫びのレシピってなんだ? 相変わらず発想が分からないな」
整備士長は頭を掻きつつ、ミツキのお手製レシピを眺め、ポケットに突っ込んだ。
「それより、スカイの予備部品に不良品が混ざってたんだが、代わりを用意してもらおうにも出発まで時間がない。どうにか使えるようにしたいんだ」
倉庫を指差しながらの整備士長の言葉に、俺はミツキと視線を交わしてから、頷いた。
「分かった。協力するよ」
久しぶりに口にした気のする言葉は、雨の中でも綺麗に響いた。
次回更新日は八月一日となります。




