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転生したから新世界を駆け巡ることにした  作者: 氷純
第三章  彼と彼女は見つめあう

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第七話  英雄という罪

 調査そのものは滞りなく進み、森の中へと入る。

 湿地帯の調査を終えて一区切りついたとはいえ、気を抜けるような状況でもなかった。

 特に調査隊の雰囲気がとても暗い。空気が淀んでいるというか、もう調査隊の周りだけ光の屈折率がおかしいんじゃないのかと疑いたくなるほどだ。

 それもそのはず、今日の昼を過ぎた頃になってブレッドファーに続いてベイジルまでもが高熱を出して倒れたのだ。

 調査隊の指揮を取る二人が相次いで倒れてしまい、今は雷槍隊の残り二名が整備士長や調査班長、歩兵隊長と対応を協議している。

 調査隊そのものではなくベイジル個人に雇われた俺とミツキが会議に呼ばれることはなく、二人でのんびりと夕食の準備を進めていた。


「多分、ボルスに帰ることになるだろうな」

「そうだろうね。指揮系統が混乱したままでも調査は続けられるだろうけど、とっさの事態に対応できないだろうから」


 すぐにボルスへ帰るとすれば、また湿地を抜けることになる。

 せっかく洗浄したんだけどな、とディアを振り返る。

 そろそろ魔力も補充しておきたいところだ。


「夕食を終えたら魔力を込めるぞ」

「はーい」


 気の抜ける返事をして、ミツキが鍋を火にかけた時、整備士君が不満顔で歩いてきた。


「二人とも、ベイジルさんが呼んでるから来てくれ」

「仕事ですか?」

「話せないって言われたんだ。早く行け」


 依頼人からの呼び出しとあってはいかざるを得ない。

 夕食の準備を中断して、俺はミツキと共に整備車両に向かう。

 うろこ状の遊離装甲に覆われた軍用の整備車両の荷台には簡易の休憩スペースがあった。ベイジルはここに寝かされているらしい。

 仕事の話でなかったら、すぐに夕食の準備に戻ろう。そう思いつつ休憩スペースに入る。

 従軍医が振り返り、俺を見て眉を寄せる。こちらも眉を顰めると、視線を逸らされた。

 休憩スペースには二段ベッドが二つあり、手前の下の段にブレッドファー、奥の下の段にベイジルが、それぞれ寝かされていた。

 俺はベイジルの枕元に置かれている椅子をミツキに勧める。


「ありがと」

「どういたしまして」


 礼を言ったミツキに同じく日本語で返して、ベッドに横たわるベイジルに視線を移す。


「それで、ご用件は何でしょうか?」


 ベイジルが上半身を起こして、周囲に人がいない事を確認する。

 従軍医に少し離れるよう指示すると、ベイジルは改めて俺を見た。


「君に指摘されてから色々と考えましたよ。結論も出た。まったくもって、君の言う通りでした」


 ベイジルはそう切り出した。

 どうやら仕事に関する事ではなさそうだと思い、退出するためミツキに声をかけようとした俺の声を遮るように、ベイジルが続ける。


「自分も、あなた方の事を蔑んでいました。その上で、仲良くすることに意味があった」


 退出しようとした俺の気配を読んだか、ベイジルが俺の服の袖を掴んで引きとめる。

 とにかく聞けと言わんばかりだ。話は大体わかったからもう興味もないのだが。

 俺の気も知らずに、ベイジルは語り出す。


「以前、墓でお会いしましたね。あの墓はボルス攻略戦で自分が見捨てた仲間の墓なんです。自分は仲間を見捨てた時、一切の罪悪感を覚えなかった」


 過去を振り返る眼をしたベイジルが、興味なさそうに欠伸を噛み殺すミツキを横目に見つつ、当時を語る。

 ボルスを攻略するために新設された精霊人機弓兵隊は、あまりにも急に作られた隊であったために隊内でケンカが頻発したらしい。

 ライバル関係にあった隊からそれぞれ引き抜かれて来たり、新開発された精霊人機用の弓を若年ながら上手に扱える隊員が妬まれたり、操縦士歴が長く隊の指揮を取ろうとする者の弓の命中率が低かったり、火種はいくらでも転がっていた。

 新設されたばかりであるにもかかわらず苦戦していた鳥型の魔物を次々と撃破していた事もあり、隊員たちが皆得意になっていた事も災いしていた。

 不和は日増しに顕著となり、個人行動が目立ち、それでも毎回の戦果は素晴らしかった。


「そんな状況でしたから、ヘケトの大量発生に巻き込まれた時、弓兵隊の仲間を見捨てる事に自分は躊躇しなかった。それがどれほど卑劣なことなのかも考えず、自分は戦場を撤退し、数少ない生き残りとなりました」


 後日、大量発生したヘケトの処理が一段落して再び戦場を訪れたベイジルは逃げ遅れた弓兵隊の精霊人機を見ることになった。


「横一列に並んでいました。連携を取っていたんですよ。生き残るために力を合わせ、力及ばずに全滅したんです。新聞でも報じられましてね。死の間際まで仲間を思い、戦い抜いた悲劇の英雄だ、と」


 ベイジルが自嘲的な笑みを浮かべる。


「生き残った自分たちまでも、同じ英雄として見られてしまった。我先にと見捨てて逃げた自分たちまでもが、悲劇の英雄になってしまった。生き残った仲間はみな罪悪感に耐えきれずに軍を退役していきました」


 ベイジルが俺を見る。


「きっと、自分はあなた方を、嫌われているあなた方を見捨てない自分でいたかった。死んでいった英雄の仲間なのだと胸を張れる自分でいたかった。謝罪します。自分はあなた方を利用していた」


 そんなことを謝られてもなぁ。

 俺は肩を竦めて見せる。


「どうでもいいですよ。利用されることには慣れてます。それを受け入れるつもりがないだけでね。話は終わりですか?」


 すでにミツキも立ちあがっていた。俺も、ベイジルに掴まれている服の袖が自由になり次第こんな場所から出て行って夕食を作りたい。

 しかし、ベイジルは首を横に振った。


「ひとつだけ、あなた方二人に言いたいことがあります。これは英雄になりそこなった卑怯者の教訓です」


 息を吸って、ベイジルが真剣な目を俺とミツキに向ける。

 俺はもちろん、ミツキもまったく興味を示していない事に気付いて、ベイジルの顔が険しくなる。


「あなた方はまだ私と違って負い目がない。ならば、今のうちから人との関係を保ち、いざという時に見捨てない様に心構えを作っておくべきです」


 ベイジルの忠告もどきを聞いて、ミツキが「うへぇ」と不味い物を口に含んだように舌を出す。気持ちは分かるが、さすがに自重しろ。

 だが、ミツキは近くに誰もいない事をいいことに、ベイジルに言葉を返す。


「そんな考え方だから英雄になれないのよ」


 ベイジルが困惑したように眉を八の字に寄せる。

 どういう意味か分からないのだろうが、懇切丁寧に教えてやる義理もない。依頼の内容には含まれてもいない事だし。

 俺は腕を軽く振ってベイジルに掴まれていた服の袖を解放する。


「それじゃあ、失礼します。何か仕事があれば呼んでください」


 いまだに俺たちの事を胡散臭そうに見ている従軍医や整備士君の横を抜けて、整備車両を出る。


「なんというか、教訓話のつもりなんだろうけど、結論が微妙にずれてるんだよな」

「らしいと言えばらしいんじゃないの」


 ミツキがつまらなそうに言って、パンサーに駆け寄る。


「結局、私たちには関係のない話だったし、時間を無駄にしたね」

「まったくだな」


 人との関係を保つ意味なんて、もはや俺たちにはない。そんな苦行に人生を浪費したくもない。

 夕食作りを再開すると、雷槍隊員の一人が調査中止の決定を知らせてきた。



 翌朝、調査隊は完全に浮き足立っていた。

 ベイジルの容体が急変したためだ。

 現在は意識さえあやふやな状態だという。ブレッドファーの容体も気を抜けないが、元々の体力の差が出た形でベイジルの方が危ないらしい。

 同時に、調査隊の隊員からも発熱を訴える者がちらほらと出始めていた。


「おそらくは伝染病です」


 従軍医が調査隊や俺たちを集めてそう宣言した。うすうす感じていただけに混乱はなかったが、問題はこれからどうするか、だ。

 従軍医が言うには機材や薬品が足りず、拠点に戻らないと打つ手がないという。


「ここから拠点までどれほど急いでも二日、途中で魔物との遭遇戦があればその分遅れることが予想されます。伝染病だとすれば、日を追うごとに動ける人員も少なくなるでしょう」


 すでに精霊人機の操縦士であるブレッドファーやベイジルが倒れており、精霊人機を操縦できる者は雷槍隊の二人しかいない。歩兵もいるが、大型魔物に出くわせばかなりの被害が出ると予想された。

 それに、動ける操縦士二人の体調が崩れた場合、戦力が激減する。


「救援を呼ぶべきでしょう。ベイジルさんもいつまで体力が持つか分かりません。戦力の補充に加えてボルスに受け入れ態勢を整えてもらわないといけません」


 従軍医の言葉に雷槍隊の操縦士が沈痛な面持ちで周囲を見る。


「とにかく出発しよう。救援を呼ぶのは精霊人機でボルスに駆け込める距離まで近付いてからになる」


 地図さえできたばかりのこの未開拓地で援軍を呼ぶために伝令を先行させても、遭難の恐れがある。また、密度が低いとはいえ魔物が生息しているのだ。中型以上の魔物に出くわせば伝令はひとたまりもない。湿地帯を車両より速く走れるわけでもない。


 ――精霊獣機を除いては。

 調査隊の面々がちらちらと俺とミツキの様子を窺っている。今まで邪険にしてきた手前、頼るのも憚られるのだろう。

 もともと、俺もミツキも調査隊に雇われたのではなく、ベイジル個人に雇われている。調査隊そのものには俺たちへの命令権がない。意識があやふやなベイジルにも命令できるだけの意識がない。

 俺とミツキの自主判断に任されている。

 出発の準備を急ピッチで進めている調査隊をディアの背中から眺めつつ、俺はミツキに問う。


「どうする?」


 ミツキはパンサーの背中に寝そべっていたが、不意に片手をあげてこの世界の言語で問い返してくる。それも大声で、だ。


「ベイジルが気にくわない人!」


 何事かと目を向ける調査隊の面々と、悔しそうに歯を食いしばる整備士君を含む数人を横目に見つつ、俺はまっすぐに空へ手を伸ばす。

 ミツキが俺の上げた手を見て、それから俺の顔を見つめて笑みを浮かべる。


「気にくわないベイジルに一泡吹かせてみたい人?」

「あぁ、吹かせてやりたいね」


 感謝も称賛も誉も等しく無価値だと思う。

 けれど、大変に意地悪なこの世界で、罪悪感は膨大な負債だ。記憶のある限り負い続ける返す当てのない負債だ。

 ベイジルはまだ勘違いしているのだろう。人との関係を良好に保っていなくては、人間はいざという時に人を助けられないのだ、と。

 それはある意味で真理だし、ベイジルという人間は実際にそうだったのだろう。

 だが、その結論を俺たちに当てはめないで貰おうか。

 壁の外側の世界がどうなろうとかまわない。

 でも、俺はミツキに軽蔑される人間になるつもりはない。同様にミツキも俺に軽蔑される人間になるつもりはないだろう。

 助けたい人間がいるから助けるんじゃない。

 助けられる人間を見捨てた自分たちを好きになれないと分かっているから、助けるんだ。


「さて、結論が出たことだし、行こうか」


 指揮を取っている雷槍隊の操縦士の下へ、ディアの足を進める。ミツキもパンサーに乗ってついてくる。

 横に並んだミツキが俺の方へ身を乗り出した。


「仇で返されたら、これに新たな一ページを加えましょ」


 そう言ってミツキが気持ちの良い笑みを浮かべて掲げるのは、防衛拠点ボルスの歴史の小冊子。仇で返されるまでの経緯を書き足してばら撒くのだろう。


「ハリネズミは刺されたら刺し返すものよ」

「せいぜい、誰も嘘を吐かない事を祈るとしようか」


 雷槍隊の操縦士が俺を見て怪訝な顔をする。ミツキの挑発的な質問は聞こえてなかったのだろう。


「どうした?」

「先行してボルスから援軍を呼びます。俺たちの証言だけだと信用されない可能性が高いので、救援を求む文書をください」


 操縦士は驚いて一瞬硬直したが、俺たちの気が変わる前にと思ったのかすぐに動き出す。

 紙に文章を連ねながら、操縦士が俺をちらりと見た。


「どちらが届けてくれるんだ?」

「二人で行きます。危険なので」


 当然のことを答えると、操縦士は顔を顰めた。


「どちらかだけでも残ってくれないか? 中型魔物を仕留められる戦力を失うのは痛い。それに、君たちの索敵能力もここで生かしてほしい」

「無理です。精霊獣機はこの二機を一組で動かすのが大前提ですから。どうしてもというのなら、伝令役は取りやめます」


 優先順位ははっきりしている。ミツキを危険に晒すくらいなら、ベイジルたちを見殺しにする。道徳心なんかよりミツキの方が上だ。

 罪悪感を抱いても生きていけるが、ミツキがいないと生きていけないのだから、天秤に掛けるまでもない。

 俺が譲らない事を感じ取った操縦士はミツキを見る。ミツキを説得出来ればどうにかなると思ったのだろう。

 しかし、ミツキも俺と考え方が同じだった。


「なんであなたたちのためにヨウ君と離れなくちゃいけないの?」


 明確な拒絶を含んだミツキの問いに出鼻をくじかれた操縦士が諦めて紙を筒に入れ、差し出してくる。


「どれくらいで戻れる?」

「ボルスまで半日、援軍と調査隊の合流地点は河のあたりでしょうね」

「……半日?」


 半信半疑の操縦士に頷く。

 半日で十分だ。



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