第三話 防衛拠点ボルスの歴史
防衛拠点ボルスは元々湿地帯だ。
鴨に似た大型魔物を始めとした鳥型の魔物が幅を利かせていたこの地域の攻略は難航した。
まだミツキが魔導銃の基礎概念を作り出す前でもあり、精霊人機は遠距離攻撃の手段を魔力の消費が激しい魔術に頼っていた時代だ。
空を自由に飛び回る鳥型の魔物に精霊人機の攻撃はなかなか当たらず、魔術の連続使用で蓄魔石の魔力が枯渇して身動きが取れなくなることも多々あった。
また、鳥型の大型魔物には魔力袋を持つ個体も多くいたらしい。
空から一方的に魔術で攻撃され、さながら爆撃じみた魔物の攻撃の合間を縫って撃ち返す。
攻略は遅々として進まず、対策が練りに練られた。
その結果、大型魔物の腱を利用した精霊人機用の大型弓が開発される。魔力消費を抑えつつ、遠距離への攻撃手段を確保するには妥当な武器だった。
大型魔物の腱という入手の難しい素材を弦として使うこの大型弓は材料の希少さ故に数も少なく、必然的に当時の精霊人機操縦士の中から適性のある者ばかりを集めた特別部隊が編成された。
精霊人機弓兵隊と名付けられたその部隊は精霊人機二十機からなり、随伴歩兵だけで二百を超える大規模部隊だった。
その中に、当時十代後半だったベイジルも精霊人機の操縦士として抜擢された。
まだ新兵と言っていい年齢だったが、精霊人機での弓の技量は他の操縦士とそん色ないほどだった。
精霊人機弓兵隊は一度の戦闘で大型魔物三、中型魔物十七の戦果を挙げ、その後も順調に勝利を重ねて魔物の数を減らしていった。
時間はかかるだろうが、攻略の目途が立ったと旧大陸にある祖国の上層部は安堵する。
そして、一年半が経過して七度目の攻略戦が始まった時、それは起こった。
ヘケトの大量発生だ。
ヘケトの天敵である鳥型の魔物が精霊人機弓兵隊によって討伐されて数を減らしたことが原因だった。
鳥型魔物とヘケトの群れ、そして精霊人機弓兵隊の三つ巴の戦いは苛烈を極めた。
鳥型魔物は上空からの攻撃、ヘケトは地上からの攻撃であったため、必然的に精霊人機弓兵隊が二種類の魔物から攻撃を受けることになる。
上空の鳥型魔物への注意を怠れば魔術による攻撃にさらされ、地上のヘケトへの注意が疎かになれば長い舌に絡め取られて転倒する。
湿地帯であるために撤退時に車両がぬかるみに嵌まるなどの事故もあり、撤退を支援するために精霊人機が踏みとどまって魔物を抑えることになる。
撤退が完了した時、精霊人機の操縦士は五名が愛機と共に行方不明となり、七名が死亡、さらに四名が重傷を負っていた。
精霊人機はほとんどが大破し、弓兵隊は事実上の解散を余儀なくされる。
生き残った操縦士が相次いで軍を後にする中、ベイジルだけは憑りつかれたように湿地帯攻略のため精霊人機に乗り続けていく。
――というところで防衛拠点ボルスの歴史と題された小冊子を閉じる。
なんというか、防衛拠点ボルスの歴史はベイジルの人生と言っていいぐらい、小冊子に彼の名前が出てくるんですけど。
「生ける伝説みたいな扱いになってるね」
ミツキが俺と一緒に読んでいた小冊子に書かれているベイジルの名前を指先でなぞる。
「これでまだ現役だっていうんだから、そりゃあ有名にもなるよな」
探せばファンクラブとかあるんじゃないのか。
噂をすれば影が差す、道の先から整備車両や運搬車両が列をなしてやって来るのが見えた。精霊人機は運搬車に乗せてあるのだろう。三機の雷槍隊専用機に加え、ベイジルさんが操る数少ない弓兵隊仕様の精霊人機アーチェが今回の調査に同行すると聞いている。
集合場所に到着したベイジルが全体に停止を指示して、整備車両を降り、俺たちの下へ歩いてくる。
「おはようございます。今日から一週間、よろしくお願いしますね」
友好的に挨拶してくるベイジルの後ろには胡散臭そうに俺たちを見る調査隊の人々。
「おはようございます。こちらこそよろしくお願いします。調査内容はリットン湖周辺の生態調査と地質調査、それから地図作りで変更はありませんか?」
訊ねると、ベイジルは頷いて俺が持つ小冊子に目を向けた。
「この防衛拠点を作る際には事前の生態調査がまだ重要視されていませんでした。同じ悲劇を繰り返さないよう、ワステード司令官が計画してくださったんです」
ヘケトの大量発生は鳥型魔物の数が精霊人機によって減らされた事が原因だった。
リットン湖の生態系を不用意に乱してまた魔物の大量発生を招かないようにというのがこの調査計画の主旨らしい。
「地図作りは最近開発されたマッピングの魔術式で行われますから、すぐに済みますよ。便利な世の中になりましたね」
そのマッピングの魔術式の開発者は俺の隣にいますけどね。
ミツキは名乗り出る気もないらしく、パンサーの設定を弄っている。
「早く出発しましょう。調査項目の詳しい内容は道中で説明してくれればいいから」
ぶっきらぼうに言うミツキにベイジルは嫌な顔一つしない。後ろの調査隊の連中とは大違いだ。
ベイジルも腹の中で何考えてるか分からないけど。
「では、出発しましょうか」
ベイジルが整備車両の助手席に戻り、防衛拠点ボルスを出発する。
リットン湖までは崖や川を避けて曲がりくねった道を進み、二日ほどかかるという。
調査は実質的には三日間で行われ、最重要なのが地図の作成と生物の食物連鎖の調査となっている。
今回は調査第一回というだけで、後々本格的な調査も行われるらしいが、その頃には俺もミツキも拠点の港町に帰っているだろう。
成人男性の腰丈くらいありそうな雑草が生い茂る湿地帯を進んでいると、ミツキがパンサーの足回りを気にしつつ愚痴をこぼす。
「泥を落とすのが大変そう」
「洗浄液は多めに持ってきているけど、本格的な清掃は調査が終わってから念入りにすることになるな」
魔術で作り出した水でも洗い流せない事はないが、魔力に反応してバネなどが作動する可能性があるため、可能なら洗浄液を使いたい。
道らしい道は半日ほどで途切れ、雑草に覆われた湿地にディアを進める。
それにしても、発動させている索敵の魔術式に、一向に反応がない。
ミツキがポーチから双眼鏡を取り出して周囲を確認し、首を傾げる。
「魔物がいないと生態調査ができないんだけど」
「調査隊の方も怪しんでるみたいだな」
整備車両を振り返ると、周囲を険しい顔で見まわしていたベイジルと目があった。
ベイジルが拡声器に魔力を流す。
「アカタワさん、ホーアサさん、少し周辺の索敵をお願いします。戦闘は避けてくださいね」
俺の名前が短くなった。代わりに心の距離が長くなる。
もともと近付いてもいないけど。
「ヨウ君、行くよ」
ミツキが率先してパンサーを加速させる。
ぬかるみに足を取られてもすぐに重量軽減の魔術を強化して抜け出し、調査隊の周辺を探ってみる。
「魔物がまるでいないな」
「隠れてる様子もないね。ヘケトの群れが追い払ったのかも」
俺たちが護衛していたキャラバンを襲ったヘケトの群れの数を考えれば、大型魔物でさえも飲み込んでしまいかねない。戦いは数だ。
しかし、湿原を覆う雑草はヘケトの巨体に押し倒された様子がない。ここをヘケトが通ったとは少し考えにくかった。
「ひとまず報告に行こう」
ディアの頭を調査隊の方へ向けて、俺はミツキと一緒に駆け戻る。
調査隊の下に戻ると、ベイジルが片手をあげて手招いてくる。
「お疲れ様です。どうでしたか?」
「魔物の影はありません。雑草が倒れている場所もありませんでした」
「ヘケトの群れが原因ではない、と」
さすがに長く軍に籍を置いているだけあって話が早い。
ベイジルは腕を組んで周りに集まっている車両の運転手を見回した。
「経験上、魔物の密度が低くなった時は別の場所で群れを成しているものです。ここから先は慎重に進みましょう。精霊人機は二機、起動状態、歩兵は十名ずつの交代で車両に併走してくださいね」
おっとりとした話し方で的確に指示を出すベイジルに、車両の運転手たちが頷いて各々の車両に走って仲間たちに指示を伝えに行く。
ベイジルは細めた目で運転手たちの動きを追いながら、俺たちに声をかけてきた。
「魔物を発見したらファイアーボールで合図してください。この辺りの魔物は動きの遅い種類が多いですから、早期に発見できれば一方的に攻撃を加えることができます」
ベイジルの指示に了解の意を伝えて、俺はミツキと一緒に持ち場へ戻る。
調査隊は周囲を警戒しながら進み、川に差し掛かったところで動きを止めた。
やはり、魔物の気配はない。
ミツキが長い黒髪の毛先を指で弄りながら周囲を見回した。
「嫌な静けさよね。夏休みの校舎みたい」
「どんな喩だ」
「生徒会の仕事で夏休みに学校へ行ったとき、こんな感じだったの」
実体験だったか。
しかし、ミツキの喩も良く分かる。
いつもはもっとにぎやかなはずの場所で生き物の気配が全く感じられないと違和感を覚えるものだ。
俺は周囲を見回す。
相変わらず生き物のいない湿原が広がり、手前には幅が七メートルくらいありそうな川がある。
どうやって川を渡るのかと思って調査隊を見ると、川の水を採取していた。
整備士らしき人たちは各車両の車高を上げたり、地図作製機と化した精霊人機が出力した周辺地図を紙に書きだしたりしている。
ベイジルが俺たちのところへやってきた。
「思った以上に川が深いので、渡れるところを探しながら上流へ向かう事になります。ここの調査が済むまでは休んでいてくださって結構ですよ。お昼など一緒にどうですか?」
「いえ、私たちは自分で作れるので」
ベイジルの誘いをミツキが断る。
ベイジルと話していると調査隊の面々から嫌な視線が注がれるのだ。一緒に食事なんかして毒でも盛られたら堪らない。
残念ですね。と呟いて、ベイジルが整備車両に戻って行く。
お昼の準備を始めながら、調査隊の動きを見る。
水質調査の結果が出るまで手持無沙汰になった調査員が、食事を準備するメンバーに数人加わっている。新兵はいないらしく、全員がきっちり働いていた。
調査隊を眺めていた俺の視界が突然塞がられる。やわらかい手の感触がした。
「だーれだ」
「二次元胸族」
「ヨウ君との関係に期待が持てれば胸が膨らむかもしれないよ。さぁ、わたしが期待に胸ふくらませるような何かを言ってみて」
無茶振りされた。
「帰ったらデートでもするか。しばらく二人きりの時間も取れなかったし」
デュラの偵察からマッカシー山砦、更には防衛拠点ボルスへのキャラバン護衛と続いたため、二人でのんびり過ごす時間がなかった。
それを思い出して提案してみると、ミツキのお気に召したらしい。
俺の目を覆っていたミツキの手が離れ、後ろから抱きつくように首に回される。後頭部に厚手の服の感触。これは胸の位置なのか腹の位置なのか。
「いいね、二人きりの時間。一日中、部屋の中でゴロゴロしたいよね。立ったり、座ったりしている時間よりも横になっている時間の方が長いくらい自堕落な一日を過ごしましょ」
「おい、待て。デートって言っただろうが。なんで部屋の中で過ごすんだよ、引き籠り」
「家の中でもデートは出来るよ。本を読みましょ。ほら、そのなんちゃらの歴史って本を読んで、タイムトラベルとか」
ミツキが指差すのはもちろん防衛拠点ボルスの歴史と題された小冊子だ。
「こんな血なまぐさい過去にタイムトラベルしたくねぇよ。人と魔物の死骸が転がる散歩道なんて間違ってもデートスポットじゃねぇだろうが」
二人でわいわい騒ぎながらお昼を食べていると、視線を感じた。
顔を向けてみると、眉を寄せて険しい顔をした調査隊の面々が一斉に視線を逸らす。
気を使って日本語でやり取りしていたのに、わざわざ聞き耳を立てるようなまねでもしたのだろうか。どの道、理解はできなかったろうけど。
「ヨウ君、あいつらの事なんて放っておきなよ」
「そうだな」
ミツキに言われて、俺は調査隊を意識から外した。




