第一話 同行依頼
野営をするため人のいない所を探して防衛拠点ボルスを歩き回る。
真新しい建物が立ち並ぶボルスの中、どこに行っても必ず一人は見かける。
この防衛拠点ボルスは周辺を湿地に囲まれ、まだ魔物の掃討も済んでいない危険地域であるため、どこでも必ず警戒の目があるのだ。
野営しようとしても追い出されてしまうため落ち着けず、徹夜の影響もあって重たい瞼を何とか持ち上げながらディアを歩かせる。
「こうなったら防壁の外で休むか?」
「墓地なら人が居ないと思うよ?」
ミツキさん、それ本気で言ってるんですかね。
まぁ、俺もミツキも一度死んだ記憶を持っているわけで、墓地が似合わないとは言えないけども。
そういう意味では俺やミツキはゾンビとかキョンシーの範疇なのだろうか。それともスワンプマン?
いろいろと根深そうな思考実験から意識を逸らして、俺は墓地に向かう。
クゥと可愛らしい音が聞こえてミツキに目を向けると、お腹を撫でながら背筋を伸ばしていた。空腹らしい。
「そういえばまともに食事したのは昨日の夜襲前か」
「広場か何かがあれば簡単に作って食べることもできるんだけど」
「通りがでかいせいか、広場らしい場所もないんだよな」
各門の近くは混雑が予想されるためか広場のようになってはいるが、食事をしていると見咎められるだろう。
すでに日も落ちて通りに並ぶ家が明かりを灯し始めた。魔導核を使用した魔術の白色光だ。
墓地に到着した時、先客を見つけた。
「おや、あなた方も墓参りですか?」
先客が俺たちを振り返って訊ねてくる。茶髪で眼鏡をかけた五十代の痩せた男だ。痩せた体に軍服の勇ましさが不釣合いだが、着慣れている様子が無視できない。
先客は手を合わせていた墓から隣の墓に移ると、供え物らしい酒を墓前に置いてまた手を合わせた。
視線を巡らせると、横並びになった七つの墓に物が供えられている。先ほど司令部に呼ばれる前にもこの墓地に来たが、その時にはなかったものだ。
あの痩せた男が供えたのだろうか。
「――ベイジルさん、こんなところにいた!」
不意に声が聞こえて墓地の入り口を振り返る。
整備士の格好をした青年が俺たちに気付いて頭を下げようとして、精霊獣機を見た瞬間顔をゆがめる。
青年は俺たちを無視することに決めたらしく、ベイジルと呼んだ痩せた男に再度声をかけた。
「司令官が呼んでます。リットン湖周辺の調査隊として出撃してほしいそうです」
「あまり墓地で騒いではいけないよ。少し静かにしていなさい」
ベイジルが答え、しばらく墓に祈ってから立ち上がる。
ベイジルは俺とミツキを見て、にこやかな笑みを浮かべた。
「騒がしくてすまないね。こう言っては何だけれども、ゆっくりしていきなさい」
整備士の青年とは全く違う穏やかな反応に、俺は眉を寄せる。ずいぶんと分厚い外面だな。
ベイジルが整備士の青年と墓地を去る。
俺はミツキと顔を見合わせた。
「どうする? 本当にここで一晩休むか?」
「人が来ないと思ってここに来たのに先客がいたし、ちょっと迷うね」
ミツキが苦笑して首を傾げた時、駆け足で迫る足音を聞いて目を向ける。
俺たちを見つけて駆けてくるのは司令部でも見た副司令官だ。
「ようやく見つけましたよ」
結構な速さでかけてきたにもかかわらず息を乱していない副司令官が俺とミツキを見てそう呟く。
探されるような心当たりもないので警戒していると、副司令官が司令部の方向を指差した。
「一緒に来てください。少し不可解な点がありましたので、質問したいんです。マッカシー山砦の護衛隊には席を外してもらいました」
かってに司令部を出て行かれなければ探し回る必要もなかったと嫌味をつけたして、副司令官が俺たちに背を向け、司令部に歩き出す。
それより、なんで俺たちが付いて行く事を前提に行動してるんだ、この人。
あれだけ責任を押し付けておきながら勝手なものだ。
俺は遠ざかる副司令官を見送りながら、ミツキに日本語で声を掛ける。
「どうせ、他にも責任を押し付けようとしてるんだろうけど、どうする?」
「依頼そのものは終わっているんだからついて行く義理もないでしょ。このまま見送ってしまいましょう」
俺とミツキがついてきていない事に気付いた副司令官が怪訝な顔で振り返る。
「何をもたもたしてるんですか。早く来てください。司令官の時間も無限にあるわけではないんですよ」
「俺たちの時間も無限にあるわけではないので、依頼でもないのに顔を出す必要はないな、と相棒と意見がまとまったところです。聞きたいことがあるのか押し付けたい責任があるのかは知りませんが、むざむざ付いて行く気はありません。司令部の中には護身用の武器も持ち込めませんからなおさらです」
話は終わりと打ち切って、俺はミツキに防壁を指差してみせる。このままここに居てはますます面倒事が舞い込むのだから、外に行った方がいくらかマシだ。
副司令官が初めて焦った表情を見せた。
「ちょっと待ってください。誤解ですよ。我々はただ、街道付近や森の中で銃殺されていたヘケトについてお聞きしたいんです」
ミツキがすっと目を細めて副司令官を睨んだ。
「ヘケトが街道と森の中で死んでいるのを見つけたのは何時ですか?」
「それは……」
「おかしいですよね。戦闘地域に行ってから戻ってくるまでの時間を考えると、キャラバン護衛部隊がこのボルスに到着してから調査に出たのでは間に合わないはずです。つまり、キャラバンの援護に現れたあの三機の雷槍隊の操縦士の誰か、あるいは全員が銃殺されたヘケトの死骸を見たはず。それなら、キャラバンの護衛部隊の証言の矛盾にも気付くはずです」
キャラバン護衛隊の証言では、俺とミツキが独断専行して森の中に入り、ヘケトに取り囲まれた事になっている。
だが、実際には森の中や街道など、広範囲にわたっての機動戦闘を行った証拠としてヘケトの死骸があちこちに転がっている。これは俺の、街道にヘケトを誘導したという証言を補強する証拠だ。
「索敵を独断で行ったというのならヘケトと遭遇した時点でキャラバンに戻って報告するはずですし、街道まで行く必要もありませんよね。気付きませんでしたか?」
言葉に詰まった副司令官に畳みかけて、ミツキは冷たい声で問う。
「さっき私たちを司令部に呼んだ時点で証言の矛盾を指摘できる情報を持っていたにもかかわらず、私たちに責任を押し付けたと推理できますけど、何か反論はありますか?」
副司令官の目が泳ぎ、助けを求めるように俺を見て息をのんだ。
多分、俺はミツキ以上に冷たい目をしていたと思う。
しかし、俺は一度目を閉じてからすぐに愛想笑いを浮かべて見せた。
「司令部にはいきませんけど、ここで話すのは構いませんよ。手短に済ませてくださいね」
どうせ何も変わらないのならわざわざ衝突する必要もない。
その場限りで友好的な態度を装って、別れた瞬間にすべて忘れてリセットで良い。
俺の考えなど知りもしない副司令官がほっとしたように手帳らしきものを取り出す。
「では、質問を――」
副司令官の質問は俺たちがヘケトを倒した位置に始まり、数や大きさ、魔力袋持ちがいたか、などだった。
詳細な位置など覚えている暇はなかったし、魔力袋持ち、つまり魔術を使用するヘケトがいたかも確かめている暇はなかった。魔術なんて撃ち込まれる前に即離脱する戦法を取っていたのだから当然だ。
質問に答えていくたびに副司令官の顔が険しくなっていく。
「……本当にこれだけの戦果を挙げたんですか?」
「現場に行けばいくつかは死骸も残ってるんじゃないですか? 生き残ったヘケトが食べている可能性もありますけど、周囲に残った血からある程度の推測もできるでしょう」
別に信じてもらう必要はどこにもない。
半信半疑ながらも、俺の態度から嘘ではないと判断したらしく、副司令官は手帳に何事か書き込んでからポケットにしまった。
「ありがとうございました。司令官に報告してきますので、ここで少し待っていてください」
「ここで、ですか?」
俺はあえて墓地に視線を向けて、肩を竦める。
「宿にも泊めてもらえないので、そろそろボルスを出てしまおうかと考えていたんですけど」
俺が言いたいことを察したのか、副司令官は困った顔で通りを振り返った。
「宿を紹介しましょうか?」
「はい、お願いします」
愛想笑いで礼を言うと、良いように使われた副司令官は引きつった笑みを返してきた。
ちょっとは俺たちの気持ちが分かっただろうか? 分からないだろうな。
宿に案内され、精霊獣機を見て嫌な顔をしている店主へにこやかにあいさつして一泊分の料金を前払いする。
ガレージで恒例となった寄らば斬るぞのデモンストレーションをして精霊獣機に近寄らないよう警告し、俺は副司令官と別れて部屋に入った。
先に部屋でくつろいでいたミツキがベッドの上で欠伸を噛み殺す。
「適当に食べられる物を作るから、休んでていいぞ」
俺は部屋に備え付けの簡易キッチンに向かいながら、ミツキに声を掛ける。
しかし、ミツキは首を横に振ってベッドから降りると、俺と一緒に簡易キッチンに立った。
「手分けして作った方が早く休めるからね」
ミツキが食材を切り、俺がパンを小さくちぎる。
食材とパンを炒めてミガスを作った俺は、簡単なスープを作ったミツキと一緒にテーブルに料理を並べた。
「いただきます」
手を合わせた直後、部屋の扉が叩かれた。
お預けを食らった犬の心情と題して原稿用紙三枚半は埋められそうな気持を抱えて、俺は席を立つ。
「どなたですか」
声を掛けつつ扉を開けると、副司令官が立っていた。
副司令官が軽く頭を下げて、扉の前から一歩横にずれる。出て来いという事かと思ったら、意外なことに副司令官には同行者がいた。
「食事中だったのかい? これは申し訳ないね」
「ワステード司令官?」
防衛拠点ボルス司令官ワステードその人が、人当たりのいい笑顔を浮かべて立っていた。
ワステード司令官は部屋の中に目をやり、ミツキに視線を定めた。正確には、ミツキの前に並んでいる料理に、だ。
「これはこれは、匂いだけでなく見た目も美味しそうだ。どこの地方の料理かな?」
スペインだ。言っても分かるはずがないから言わないけど。
「料理が冷める前に用件を話してもらえませんか?」
せっつくと、ワステード司令官は横を見た。部屋の中にいる俺からは死角になっている位置だ。
ワステード司令官の目配せで死角から出てきたのは墓地でも見かけた痩せた男。確か、ベイジルと言っただろうか。
ベイジルがにっこりと笑って軽く頭を下げる。
「ヘケトとの遭遇戦におけるお二人の戦果を偶然見させていただきました。それで、できればリットン湖の調査に同行していただければ嬉しいなと思いまして、足を運んだしだいです」
「……はぁ?」
ベイジルが墓地を出て司令官の下に向かったタイミングを考えれば、俺たちからの聞き取りを終えた副司令官が司令官に報告する際にその場にいても不思議ではない。
だが、ベイジルは俺とミツキが精霊獣機に乗っている姿を墓地で見たはずだ。それでもなお同行を頼むというのはいかにも胡散臭い。
俺が警戒しているのが伝わったのか、ベイジルが苦笑する。
「ワステード司令官からもぜひにと言われております。報酬は前払いでどうでしょうか。自分の財布から出しますから、あまり大きな額ではございませんが」
ポケットマネーを使ってまで俺たちを雇う?
ますます胡散臭さが増している。
警戒を深める俺に、ミツキが近付いてきた。
「ベイジルさんでしたっけ? 精霊獣機を見たはずですよね。気持ち悪いとは感じませんでしたか?」
ミツキの質問にベイジルはあいまいに笑って首を傾げた。
「自分は何かに嫌悪感を向けることが許されるような人間ではありません」
「良く分からないですね」
許すとか許されるとかいう問題ではない気がする。
ベイジルはあいまいに笑ったまま、墓地の方角にちらりと視線を向けた。
「自分が蔑まれることはあっても、自分が蔑んでいい存在などこの世にはありません。確かに、お二人を嫌う方はいらっしゃるようですが……」
ベイジルはそっと副司令官に目を向け、すぐにミツキに視線を戻す。
「自分が指揮を取る以上、お二人に不当な扱いはしないと誓いましょう。そのためにも、自分の財布からお二人の雇用料をお出しします」
なにか過去に色々とあったらしい雰囲気を出しているが、言葉に嘘が含まれているようには見えない。
「……なぜ俺たちを雇おうと思ったんですか?」
気になって問いかけると、ベイジルはニコリと笑う。
「街道や森の中であなた方が倒したというヘケトの位置から推察するに、たった二人で森の中を駆け回ったのでしょう? あの精霊獣機という乗り物は足が速そうですからね」
「では、俺たちの機動力が欲しい、と」
「いえ、確かにお二人の戦闘力や機動力には期待していますが、それだけではありませんよ」
俺の予想を肯定しつつ、決め手は違うと言ってのけるベイジルの考えが読めない。
ベイジルは笑みを深めて続けた。
「お二人は人のために命を張れる人なのだな、と思ったのです。自分に何かがあっても、お二人が調査隊にいればどうにかなるだろうという打算あっての依頼ですよ」
命を張れる人か。
その命を張れる人は司令部で死んだようだ。命がけで守った相手の裏切りでぽっくり逝って、今じゃ壁の中だ。
俺は少し考えてから、ミツキに日本語で相談する。
「どうする?」
「依頼を受けるメリットは正直言って全くないよね」
ミツキが肩を竦めて返し、ワステードをちらりと見た。
「ただ、この司令官が是非と言ってるらしいから、バランド・ラート博士について質問してみてもいいんじゃないかな。防衛拠点ボルスにバランド・ラート博士が滞在した記録はないけど、軍がバランド・ラート博士の殺害事件を追っているかどうかの裏は取れるかもしれないよ」
「一理あるな」
相談の結果を踏まえて、俺はベイジルに向き直る。
日本語でのやり取りを不思議そうに眺めていたベイジルは、俺たちの相談がまとまった気配を感じたのか愛想笑いを浮かべた。
「どうでしょうか。受けてくれますか?」
「命を張るのはまっぴらごめんですが、その依頼は受けてもいいです。こちらの質問に答えていただけるならね」
「質問、ですか?」
報酬として質問に答えろと言われるなんて、ふつうは考えない。それだけに、ベイジルはとても不思議そうな顔をしていたが、答えてもらいたい相手はベイジルではなくワステード司令官だ。
俺はワステード司令官に向き直り、質問を口にする。
「バランド・ラート博士について知っている事を教えてください」
「バランド・ラット?」
「バランド・ラートです。精霊研究者の」
訂正しても、ワステード司令官は心当たりがない様子で副司令官やベイジルを見る。演技には見えなかった。
ミツキが俺の袖を引き、日本語で耳打ちしてくる。
「反応がおかしいよ?」
「あぁ、そうだな」
ワステード司令官は副司令官やベイジルも知らないとみて、俺を見た。
「申し訳ないが、そのバランド・ラート博士というのは誰かな?」
「半年ほど前、旧大陸の港町で殺害された軍属の精霊研究者です」
「軍属の精霊研究者……あぁ、思い出した。確か宿屋で精霊教徒に暗殺されたという」
ワステード司令官はようやくバランド・ラート博士に思い至り少し満足げな表情をしたが、すぐに困ったような顔になった。
「申し訳ないが、面識もないね。なぜ、私たちにそれを訊ねようと思ったのかな?」
「軍がバランド・ラート博士の暗殺事件を調査しているとマッカシー山砦司令官ホッグスから聞いたからです」
次の瞬間、俺の言葉を聞いたワステード司令官の目がきらりと光った。
「――詳しく聞かせてもらいたいね」




