第十五話 マッカシー山砦司令官ホッグス
マッカシー山砦は、新大陸でも初期に作られた砦だ。
旧大陸との交易をおこなう港町デュラと周辺の村や町を守り、新大陸内部への開拓を助けるために設けられた。
標高七百メートルのマッカシー山の頂にあるこの砦は新大陸の内陸部への橋頭保としての意味合いがあったために規模も大きく、マッカシー山中腹をぐるりと囲む二重の分厚い防壁と山頂の三つの塔からなっている。
だが、すでに開拓の最前線がより内陸へと移った今、このマッカシー山砦の重要性は一段階落ちてしまっていた。
それでも、第二防衛ラインとしての役割と最前線へ行く前の補給基地の意味があり、多数の兵が詰めている。
一般人の立ち入りは制限されているものの、小隊長クラスの軍人の紹介状があれば入ることができるそうだ。
ロント小隊長の紹介状を持っている俺たちも一応、入る事は出来る。
というわけで、森を突っ切ってやってきたマッカシー山の麓にて、俺は山頂を見上げていた。
「案外小さな山だけど、勾配がきつそうだな」
マッカシー山は木々が高さ五メートル以下で切り揃えられて、大型魔物を山頂から発見できるように配慮されている。
麓から山頂までは、なだらかに整備された坂が蛇行していた。
整備車両の全長は九メートルあるから、山頂まで一直線に駆け上がるような急勾配は上り切れないのだろう。整備車両が通行出来るように何度も折り返した坂が作られたらしい。
「ヨウ君、砦の兵士がこっち見てるよ」
芳朝、じゃなくてミツキに言われて、防壁の門に立っている兵士に目を凝らす。
「ほんとだ。仕事熱心だな」
坂を上り切って、第一防壁にたどり着くと、サーベルを持った兵士が俺たちを怪しむ様にじろじろと見つめていた。坂を上っている間もずっと観察されていた。
「すみません。マッカシー山砦司令官ホッグスさんへ、リットン湖攻略隊ロント小隊隊長ロントさんから文書を預かっています。直接渡してくれとの事なので、取次をお願いします」
ロント小隊長から受け取った紹介状を差し出して兵士に頼む。
兵士はいぶかしげに俺が差し出した紹介状に目を通した後、精霊獣機に侮蔑的な視線を向けてから眉を寄せた。
「少し待て」
兵士が門の左右にある詰所の中に声をかけ、同僚を使いに出す。
少しと言いつつ体感で一時間ほど待たされたあと、ようやく中へ入れてもらえた。
精霊獣機を気味悪そうに見る兵士に案内されて格納庫に向かうが、得体のしれない物を持ち込むなと言われて追い返された。
「……防壁の外に出しておけ」
「野ざらしはさすがに困るんですが」
「そんな気色の悪い物を持ち込まれる我々の方が困る。外に出せ」
仕方なく、防壁の外にディアとパンサーを停める。
いたずらされては困るので、迎撃システムを起動し、効果範囲を周囲三メートルに拡張する。二日以内なら魔力も持つだろう。
兵士さんに声をかける。
「俺たち以外の人には触れないように設定したので、この二機に近付かないでください。移動させるときは俺たちに声をかけてくださいね。そうしないと――」
足元の石を拾ってパンサーに向かって軽く放り投げる。
キンと鋭い音がして、俺が投げ込んだ石は真っ二つになった。パンサーの尻尾に付いた刃で両断されたのだ。
目をむいている兵士にミツキがにこやかに声を掛ける。
「血を落とすのは面倒だから、なるべく近付かないでくださいね」
兵士が「お、おう」と引き気味に頷いてくれた。
二重になった防壁の中へ通してもらった俺たちだったが、司令官のホッグスは仕事で手が離せないとの事で、砦の奥へ案内された。
二重の防壁をくぐると三つの塔と宿舎らしき建物、武器弾薬の備蓄庫と食糧庫があった。
防壁から案内してくれた兵士から、砦内部の担当士官に案内役の交代がなされる。
担当士官は俺とミツキが精霊獣機に乗って来た事を知らないらしく、なかなか好意的に接してくれた。
すれ違う兵士も俺たちを珍しい来客くらいにしか認識していないようだ。
「人が多いですね」
第二防衛ラインとはいえ、常駐戦力はもっと少ないと思っていたのだが、視線をどこへ向けても兵士が視界に入ってくる。かなりの人口密度だ。
担当士官が苦笑する。
「このマッカシー山砦には三十機の精霊人機が詰めていますからね。随伴歩兵や整備士などを含めるとこれでも手が足りないくらいです」
「三十機?」
過剰戦力だと思ったのは俺だけではないようで、ミツキも驚いた顔で格納庫がある方角を振り返った。
担当士官が苦笑を深める。
「最盛期には五十機前後で推移していたそうですよ。周辺の町や村へ戦力を向かわせても、この砦が落とされたら意味がありませんからね。後はこの砦を経由して任務地へ向かう部隊の精霊人機が常に五機はあったようです。格納庫がまるで戦場のようだったと整備班長から聞いています」
「いつごろの話ですか?」
「おおよそ、三十年前ですね」
俺とミツキが前世で子供だった頃か。
昔話の流れに乗って、俺は話を切り出した。
「バランド・ラート博士の事はご存知ですか?」
「バランド・ラート……先ごろ暗殺されたという精霊研究者ですか?」
「昔この砦に滞在していた時期があるそうなんです」
唐突に話が変わって戸惑った様子の担当士官に補足すると、合点が入ったように頷いた。
「昔話の続きでしたか。でも、バランド・ラート博士の事は知らないですね。いつごろこの砦に滞在していたんですか?」
「二十年前からの二年間だったはずです」
はず、などと誤魔化してはいるが、実際はデュラのギルドで発見した開拓者登録書類で正確に把握している。
バランド・ラート博士は二十年前にこの砦を訪れ、二年間滞在した後、大工場地帯ライグバレドへ移動した。
担当士官は苦笑気味に自らの胸を指差すと「何歳に見えますか?」と訊ねてきた。
見たところ二十代の半ばに見える。
そりゃあ、二十年前にこの砦にいた人物との面識はないだろう。
「直接会った事はなくても、話を聞いたこととかありませんか?」
担当士官が首を横に振る。
「ないですね。二十年前からこの砦に勤めている人ならあるいは会った事があるかもしれませんけど。でも、二十年前となると何人いるかなぁ」
後半は自問するように呟いて、担当士官が指折り数える。
「整備班長と司令官と赤盾隊の五人くらいしか思いつかないですね」
どの人も簡単には会えない相手だった。
司令官のホッグスは言うに及ばず、整備班長はマッカシー山砦の戦力の中枢を担う精霊人機の整備や調整を統括する役職で警護の人間が付いている。
五人いるという赤盾隊は司令官ホッグス直属の精鋭精霊人機乗り達で、赤塗のタワーシールドを装備した重装甲の専用機の乗り手たちだ。マッカシー山砦内では文句なしの最高戦力であり、やはり会う事は出来ない。
となれば、これから手紙を渡すホッグス司令官に直接聞くしかないだろう。しかもチャンスはこの一回限り、失敗は許されない。
砦の奥にある待合室に通されて、お呼びがかかるまで時間を潰す。
ミツキが心配そうにディアとパンサーを停めた方角を見る。もちろん、ここからは建物や防壁が邪魔で二機の姿は確認できない。
「心配しても仕方がないだろ。早めに用事を済ませて帰るしかない」
声を掛けると、ミツキはため息を吐いた。
「そうなんだけどさ。やっぱりいたずらされないか心配になるでしょ」
迎撃システムを起動させてあるとはいえ、直接ロックジャベリンか何かを撃ち込まれると無事では済まない。そこまでするやつがいるかは謎だが。
ミツキの心配が伝染して俺までそわそわしてしまう。
別の事を考えようと、バランド・ラート博士について司令官のホッグスへ質問する内容を考える。
面識があるかどうかの確認と人柄やここで何をしていたか、が主な質問になるだろうか。
考えていると担当士官が戻ってきた。
「司令官の時間が空きましたので、どうぞこちらへ」
案内されて出向いた先は砦の中枢にある司令官室だった。部外者である俺やミツキを通していい場所なのか、少し疑問だ。
担当士官が開けた扉の向こうに五十代も終わりに差し掛かった男が待っていた。
「司令官、文書を持ってきた二人を案内しました」
肩幅の広い筋肉質なその男がマッカシー山砦司令官のホッグスらしい。
赤銅色の髪を後ろに撫でつけてあり、額には頑固そうな皺が刻まれている。
ホッグスが無造作に片手を突き出してきた。
手のひらを上にしているからには握手を求めているわけではないだろう。
「さっさと文書を寄越せ」
「どうぞ」
促されるまま文書が入った筒を渡すと、ホッグスはふんと鼻を鳴らしてじろりと俺たちを見た。
「……なんでこんな子供を寄越したんだ」
ぶつぶつ言いながら、ホッグスは筒から文書を取り出して読み始めた。
ロント小隊長にもいろいろと事情があったんだよ。弁護する気もないけど。
ホッグスは眉間に皺を作って文書を読み終えた後、俺を見る。
「やはり軍人ではないようだな。最近の開拓者は新聞屋の使い走りもするのか?」
「……何の話ですか?」
ロント小隊長の文書に俺とミツキが開拓者であることが書かれていたとしても、新聞屋なんて単語が書かれていたとは思えない。
ミツキと揃って首を傾げると、ホッグスは腕を組んで鼻を鳴らした。
「バランド・ラートの事を聞きたがったと聞いている」
あぁ、それで。
バランド・ラート博士殺害事件を追っている記者か何かだと思ったのか。
「新聞記者ではないですが、バランド・ラート博士に興味があるんです。いくつか質問をしたいのですが――」
「断る。バランド・ラートについては軍も調査中だ」
「軍が?」
いや、あり得ない話ではないのか。バランド・ラート博士は一応軍に籍を持っていたはずだ。少なくとも、新聞では軍人として報道されていた。
そうなると、バランド・ラート博士は軍人と開拓者を両立していた時期がある事でほぼ確定か。しかし、何のために両立していたんだろう?
「そもそも、新聞記者でもないお前たちがなぜバランド・ラートの事を調べている?」
自分たちが転生した謎を調べる一環ですと答えられるはずもなく、俺は用意していた言い訳を口にする。
「バランド・ラート博士の殺害現場に偶然居合わせたからです。それで、気になって」
「……なんだと?」
ホッグスが眉を寄せ、俺をまじまじと見つめてくる。
しばらく俺を無言で見つめていたホッグスが机の引き出しから紙を一枚取り出し、ペンを走らせる。
「ともかく、バランド・ラートについてこれ以上嗅ぎまわるのはやめろ」
俺はミツキと視線を交わす。
ホッグスはバランド・ラートについて隠しておきたいらしい。それが軍の総意なのかはわからないが、厄介なことになってきた。
ホッグスが書き上げたばかりの手紙を筒に収め、俺に放り投げてきた。
空中で掴みとると、ホッグスは睨むように俺を見据える。
「防衛拠点ボルスへのキャラバンの護衛を頼もう」
いきなり話が変わって困惑した時、ミツキが俺の袖を引いて、囁いてくる。
「防衛拠点ボルスって前線基地の一つだよ。リットン湖攻略隊が集結してる」
「嗅ぎまわられて確信を掴まれないうちに追い払うつもりか」
「余計な事を嗅ぎまわる私たちを前線に放り込んで始末するつもりかもよ」
いずれにせよ、愉快な話ではない。
ホッグスが目配せすると、担当士官がすまし顔で扉を塞いだ。
「断ればどうなるか、分かるな?」
この場で断ったとして、口封じに殺される可能性はあるだろうか。
簡単に殺せるのならばキャラバンの護衛なんて面倒なことを頼まないはずだ。
しかし、断って対立を明確にしてしまうと今この場は無事でも後々どうなるかはわからない。
「キャラバンは民間人の物ですか?」
冷静に情報を得るべく訊ねると、ホッグスが警戒を深めたのが眉間の皺の数から分かった。
「キャラバンは民間人だ。もちろん、この砦からも護衛の人員を出す」
ホッグスの言葉が事実ならば、キャラバンの護衛をしている間に殺される可能性は低い。
仮にキャラバンの人間まで軍の手の者だったとしても、ディアとパンサーにさえ乗ってしまえば逃げることも可能だ。
この砦にいる軍人はだれ一人、精霊獣機の足の速さは知らないだろう。十分に裏を掻ける。
ホッグスや軍に警戒されてバランド・ラートについて調べにくくなるよりは、素直に従う姿勢を見せた方が無難だ。
ミツキが真剣な顔で耳打ちしてくる。
「ロント小隊長との契約期間が五日、ホッグスの指示に従う事も依頼内容に入っているからここで断る大義名分がないよ」
「失敗したな」
俺は考えてから、ホッグスをまっすぐ見る。
「キャラバンの護衛は受けましょう。ただし、依頼内容を文書にしていただきます」
依頼内容と実際が異なっていれば即座に破棄してギルドに駆け込み、庇護を求めてやる。
「小賢しい。まぁ、いいだろう」
ホッグスが新しい紙を用意して素早くペンを走らせる。
依頼内容を書くという事は、今回の依頼はあくまでもバランド・ラート博士の謎を追う俺たちに対するけん制か。
ホッグスの書いた依頼内容に間違いがない事をミツキと一緒に確かめて、キャラバンの護衛を承諾した。
担当士官が扉の前から退く。
「では、無事を祈る」
嘘くさいセリフを吐くホッグスに見送られて、俺はミツキと早足で司令官室を後にした。




