第十二話 冷めた二人
朝を迎え、恐怖に染まった青い顔でがちがちと歯を鳴らしているキリーの父親たち三人を最前線に配置してデュラの南門へ進んだ。
昨日の夜騒動を起こしたのが嘘のように、素人開拓者は静まり返っている。もはやお通夜状態だ。
「口は災いの元ってやつだよな」
「笑う門には福来るって言うけど、笑い声を立てたらいけないってことよね」
「鼻で笑うしかないな」
バカな話をしていると、ロント小隊長が整備車両の助手席から手を振っていた。
ディアの足を進ませて助手席に並ぶ。
ロント小隊長が助手席の窓に肘を乗せ、声を落とす。
「我が隊も君達を気味悪がっている者が大半だ。今回は少しばかり荒療治だが、君達二人が抜けると索敵能力も防衛力も激減する。あの三人の犠牲で今回は許せ」
「もともと犠牲なんて望んでないんですが」
「こうでもしないと示しがつかない。あの三人を助けたければ個人的に動け。我が隊は一切関与しない。もっとも、あの三人を命がけで助ける意味は見いだせないが」
話は終わりだ、とロント小隊長は窓を閉めた。
俺は芳朝の下に戻り、話を伝える。
「――で、どうするの?」
自動拳銃の弾倉の予備を確認しながら、芳朝が訊ねてくる。
「あの三人を助けるかどうか、という意味なら助けた方が良いだろ」
放っておいても素人開拓者の恨みはロント小隊長に向かうが、俺たちが助ける事で少しでも見直してもらえる可能性がある。
「どうせ見直してなんかくれないよ。赤田川君だって諦めてるんでしょ。私もデュラの人たちにはもうなにも期待してない。ただ助けることが人として当たり前の事だからっていう道徳観に背中を押されてるだけだって割り切った方が、後々気が楽よ?」
「冷めてるなぁ。まぁ、芳朝も割り切れているならいい。助けられるのに助けなかったら後味悪いから助けるぞ」
「りょうかい」
力の抜ける棒読み声で芳朝は返事をした。
俺も似たようなものだ。正直、あまり気は進まない。キリーの父親に掛けられた汚水の臭いも未だに覚えている。
「面倒臭い」
「同感」
結局、一番割を食ってるのは俺と芳朝ではないだろうか。
誰に文句を言う事もできず、俺は遠目に見えてきたデュラの南門に向けてディアを加速させた。
威力偵察部隊が南門を潜る前の先行偵察だ。
すでにその場にギガンテスやゴライアがいた時、数を把握しておかなくてはならない。
南門をくぐると、そこは瓦礫の山だった。
それもそのはず、以前俺がデイトロさんと一緒にデュラに回収依頼で来た際に、マッカシー山砦からと思われる回収部隊がこの南門付近でひと暴れしているのだ。
「視界良好ってか。西門でやったみたいに民家の屋根伝いに前線へ移動する方法は取れないな」
「整備車両の屋根に乗って射線を確保するのが良いかもね。私は役に立てないかも」
射程が短い自動拳銃を構えたまま、芳朝が周囲を見回した。
遮蔽物がないこの南門付近での戦闘は厳しい物になるだろう。
俺はディアの頭を南門に向け、やってきた本隊と合流するべく駆けさせる。
南門付近の惨状にデュラ出身の素人開拓者たちが悔しそうな顔をしている。
ロント小隊長はギルド経由で南門付近の状況を聞いているためか、驚いた様子はない。
昨日と同じように各員が配置につく。
違うのはロント小隊の持つ三機の精霊人機のやや後方で剣を構えているキリーの父親たち三人だけだ。
キリーの父親たち三人は精霊人機の足元を攻撃する小型、中型の魔物を排除あるいは誘導し、精霊人機の補佐を行うための随伴歩兵の役割を担う。
精霊人機の転倒を招く足元への攻撃を妨害する随伴歩兵はかなり重要な役目なのだが、死亡率が非常に高い役割でもある。精霊人機を狙った大型魔物の攻撃に巻き込まれやすく、精霊人機の足運びを妨害しないよう少数で配置されるため自然と多勢に無勢となりやすい。
一般的には使い捨ての利く素行の悪い兵を配置して小型や中型魔物の囮にする。ギルドの会費を滞納した場合に開拓団へ斡旋される開拓者も、随伴歩兵として使い潰されたりする。
随伴歩兵はこれまでの偵察で省かれていた。人員が少なすぎるうえ、撤退を念頭に置いた戦闘をするため精霊人機のそばに随伴歩兵を置く必要性が薄いからだ。
危険な随伴歩兵役を命じられたキリーの父親たちは遠目にも腰が引けている。
「懲罰部隊みたいだな」
「みたいじゃなくてそのものでしょ」
芳朝がパンサーの上で身構える。戦闘が始まったらすぐにあの三人を助けに行って下がらせるつもりなのだろう。
俺は対物狙撃銃を肩からおろしてスコープを覗き込む。
遠くにゴブリンらしき姿がちらほら見えるが、俺たちに気付いているはずなのに襲ってくる気配がない。
精霊人機を警戒しているらしく、ゴライアが到着してもにらみ合いが続く。
「学習してるな」
「ギガンテスも最初から投擲攻撃をしてくるかもね。赤田川君もキリーのお父さんたちの退避を援護して」
「そうした方がよさそうだな」
話している内に重たい足音が近づいてくる。
俺はディアのレバー型ハンドルを握り込んだ。
遠く、まだ無事な教会の建物の裏からギガンテスが姿を現す。
「――なんだ、アレ」
現れたギガンテスは全身に傷があり、両腕に関節が二つあった。一本の腕にまるで肘が二つあるように関節を曲げている。
奇形のギガンテスだ。
俺はすぐに整備車両の助手席にいるロント小隊長を見た。無表情で感情が読み取れない。奇形のギガンテスの存在を知っていたのだろうか。
奇形のギガンテスは昨日俺たちが戦ったギガンテスたちのように仲間を呼ぶ雄たけびを上げず、出来の悪いヤジロベエのように左右に体を大きく揺らして歩いてくる。
投擲をするつもりもないらしく、無防備にこちらへ歩いてくるだけだ。
ロント小隊の精霊人機の一機がハンマーを片手に動き出す。遊離装甲が鈴に似た音を奏で、相反するように硬質で重たい足音を立てながら奇形ギガンテスに近付いていく。
ゆっくりと間合いを測るように近付く精霊人機に対して、奇形のギガンテスは無造作に距離を詰める。
「赤田川君、あのギガンテス、様子がおかしい」
「芳朝もそう思うか」
あまりにも無防備すぎるのだ。攻撃を受けても倒れない自信があるのだろうか。
ロント小隊長が整備車両の拡声器から精霊人機に指示を飛ばす。
「魔力袋持ちの可能性あり。二機で当たれ」
「了解しました」
進み出ていた精霊人機が僅かに後退し、後方に待機していた二機のうちの一機が動き出す。
その時、奇形のギガンテスがその場で跳躍した。
垂直に三メートル近く飛び上がったギガンテスの脚を起点に魔術が発動する。
発動された魔術はロックジャベリン。だが、使い方がおかしかった。
奇形のギガンテスの脚を延長するように足首から伸びた石の槍が、まるで上げ底靴のようになっている。
三メートル近い上げ底靴と化したロックジャベリンを両足に身に着けたギガンテスが片足を引く。
何をするのか予想がついて、精霊人機がハンマーを地面に降ろした。
直後、ギガンテスの脚が地面と平行して振るわれる。精霊人機の腰部を狙った回し蹴りだ。
事前に地面へ下ろしていたハンマーにギガンテスが脚につけていたロックジャベリンの上げ底靴が衝突して砕け散る。
そこまでは良い。精霊人機の被害は皆無だ。
だが、そばにいたキリーの父親たち三人には砕け散った石の破片が降り注ぐ。
「――ちっ!」
俺は即座にディアを加速させた。
魔力袋持ち、つまりは魔術を使うギガンテスとの戦闘に巻き込まれたら生身の人間なんてひとたまりもない。
早くキリーの父親たち三人を退避させる必要がある。
「頭の上、失礼します!」
ロント小隊の歩兵部隊が作る防衛ラインをディアの跳躍力に任せて飛び越える。
驚いた顔でディアを見上げるロント小隊の歩兵部隊に謝って、速度を殺さず前線へ向かう。
奇形のギガンテスはムエタイじみた動きで遠距離からの蹴りを繰り返していた。精霊人機がハンマーを振り上げて蹴りに対応するも、奇形のギガンテスは間合いを完全に理解しているらしくハンマー部分に石の上げ底靴を当てている。
投擲よりも威力があり、後方への石礫で二次被害をまき散らす奇形ギガンテスの攻撃を防ごうと精霊人機が距離を詰めようとする。
しかし、ギガンテスは近付こうとする精霊人機に対してケンカキックを放ち、強制的に距離を取らせる。
生身であるギガンテスと違って機械である精霊人機は柔軟性がないため、ケンカキックをまともに受けると仰向けに倒れかねない。
精霊人機は威力を消すために後方へ数歩後ずさる他になく、ギガンテスへ近づくことも叶わない。
破片を受けて血を流しているキリーの父親たちの下へディアで駆け寄り、ギガンテスの蹴りの副産物で降り注ぐ石の破片をディアの黒い角で弾き飛ばす。
軽く五メートル以上の高さから勢いよく降り注いでくる石の破片はまともに喰らうと即死しかねない。掠っただけでも危ない。
「意識はあるか!?」
頭を庇って地面の上で丸まっているキリーの父親に声を掛ける。恐る恐る顔を上げたキリーの父親が俺の顔を見て驚いたような顔をした。
「お、おまえ、なんで……」
「そんな事を聞いてる場合か。このままここにいたら戦闘に巻き込まれて死ぬぞ!」
俺は素早く周囲を見回す。
キリーの父親は無事らしい。石の破片が頭に掠ったのか、意識のない素人開拓者が一人、もう一人は肩を押さえてうめいている。
「芳朝、意識のない奴を拾って先に下がってくれ!」
「赤田川君は!?」
意識のない素人開拓者の男をパンサーに咥えさせ、芳朝が俺を見る。
ディアは二人で乗る事も出来るが、俺を含めてこの場にいるのは三人。さすがに定員オーバーだ。
「そこの二人、動けるんならここから頭を下げて防衛線まで下がれ。瓦礫はディアの角で防ぐ!」
ディアの角は乗り手である俺を守るために大きく作ってある。ディアの陰にいる限り石礫を防ぐことは十分可能だ。
奇形ギガンテスの攻撃に巻き込まれるのを恐れているのか、ゴブリンやゴライアも近付いてくる気配がない。
俺はディアを横歩きさせて石礫に対する盾になりながら、キリーの父親たちをロント小隊の歩兵隊がいる地点まで誘導するつもりだった。
だが、キリーの父親と一緒にいた素人開拓者の一人が怒りの形相で口を開いた。
「ふざけんな! 化け物の仲間のお前がそれから降りやがれ! その背中が一番安全なんじゃねぇか!」
俺を引き摺り下ろすつもりか、素人開拓者が手を伸ばしてくる。
しかし、ディアが頭を振って素人開拓者の手を弾いた。芳朝の乗るパンサーの尻尾と同じ迎撃システムに反応したのだ。
手を弾かれて頭に血が上ったらしい素人開拓者の腹を、俺は渾身の力で蹴り飛ばす。
尻餅をついた素人開拓者の頭上を瓦礫がかすめ、背後の石畳に激突した。俺が蹴り飛ばさなければ頭に直撃していただろう。
尻餅をついたまま睨みつけてくる素人開拓者を睨み返しながら、俺は口を開く。
「自惚れんな。お前には俺が命がけで守るほどの価値なんかないんだよ。自分の行い振り返って頭冷やせ。さもなきゃ見捨てるぞ!」
ディアに騎乗したまま恫喝する。自分でも慣れない台詞回しに舌がもつれそうになるが、何とか言い切った。
石の破片を防ぎ続けるディアの角を見て、庇護下から外れたら死ぬしかない事を理解したのだろう、素人開拓者は悔しそうに俯いた。
俺は視線をキリーの父親に向け、睨みつける。
「キリーの父親だろ、あんた。どうする? 見捨てていいか?」
問いかけると、青い顔をしたキリーの父親が頭を庇って腰を落とした。
ロント小隊の防衛ラインまでキリーの父親たちを守りながら、俺は精霊人機と奇形ギガンテスの戦いを盗み見る。
生身の脚の部分を鞭のようにしならせて、魔術で作り出した石の上げ底靴をぶち当てる奇形ギガンテスの攻撃は単純だが、その攻撃範囲も威力も馬鹿にできない。
攻撃を耐える事に特化した竜翼の下の精霊人機とは異なり、ロント小隊の精霊人機は万能型、悪く言えば器用貧乏だ。
奇形ギガンテスの蹴りを、精霊人機はハンマーを盾にしてことごとく防いでいるが、開拓学校を卒業したばかりという事もあってか姿勢を制御するので精いっぱいらしく、まともに反撃もできていない。
それどころか、度重なる攻撃で精霊人機の関節に疲労が蓄積しているらしく、ギシギシと音を立てていた。
そうこうしている内に、遠くに新たなギガンテスが現れた。
まだ二体目、本来なら、この威力偵察はギガンテスが三体揃ってから撤退の運びとなる。
あともう一体、ギガンテスが現れないと撤退できない。
「――シカの、スコープで奥のギガンテスの指を確認しろ!」
整備車両からロント小隊長の命令が聞こえてくる。
シカ、つまりはディアに乗っている俺に対しての命令だろうが、簡単に言ってくれる。
迂闊にスコープを覗き込むと頭上への注意が疎かになって危険なんだよ。
「ったく、自分で確認しろっての!」
無論、無理なのはわかっている。整備車両からでは奇形ギガンテスの攻撃の余波で降り注ぐ石礫と舞い上がる砂埃が邪魔になり、遠くにいるギガンテスの指までは確認できないのだろう。
俺は対物狙撃銃からスコープを取り外し、降り注ぐ石礫の空隙を縫って覗き込む。
遠く、どこぞの商会の看板をワシ掴みにして振りかぶるギガンテスの指には薬指がなかった。
「首抜き童子……」
俺は慌てて整備車両にむけて、手刀で首を叩くジェスチャーをする。
奇形ギガンテスと首抜き童子、魔力袋持ちのギガンテス二体を相手取るにはロント小隊の新米精霊人機乗りは分が悪い。
ロント小隊長も同様の判断を下したらしく、拡声器から指示を飛ばしてくる。
「シカの、そこの二人は捨てていい。戻れ。竜翼の下、ガンディーロを〝二重肘〟に当ててくれ。首抜き童子はこちらで防ぐ」
奇形ギガンテスこと〝二重肘〟に向けて、竜翼の下の精霊人機ガンディーロが重厚感のある足音を響かせ、分厚い遊離装甲で銅鑼にも似た長く重い音を奏でる。長剣を肩に担ぎ、タワーシールドを正面に押し出すようにして構えると、ガンディーロが走り出した。
二重肘がガンディーロに反応する。奏でる音だけで重量級と見抜いたのか、ケンカキックで距離を取ることもできないとみたらしく、初めて足を肩幅に開く迎撃態勢をとった。
俺はキリーの父親と素人開拓者を見る。
「二人とも、今のうちに走れ!」
ロント小隊長からの命令もあり、俺はこの二人をこれ以上面倒見きれない。
それに、このままここに残るとガンディーロと二重肘による戦闘に巻き込まれてしまう。
キリーの父親がいち早く反応し「うわぁあ」と情けない悲鳴を上げて駆け出した。
もう一人の素人開拓者も走りだし、俺はディアを操作して二人の後ろに続く。
ガンディーロが横を走り抜けた。
振り返ると、ガンディーロが二重肘にタワーシールドを押し当て、突き飛ばしていた。
しかし、二重肘は両腕を正面に突き出して魔術で石の丸盾を作りだし、ガンディーロのタワーシールドを受け止めたかと思うと両腕それぞれの二つの関節で器用に威力を相殺した。
結果、三歩後ずさるだけで耐えきった二重肘が右足を思い切り振り上げる。
バンと衝撃音を響かせ、ガンディーロの腹部を守っていた遊離装甲が蹴り飛ばされた。
衝撃で吹き飛んだ遊離装甲が地面に落下して耳障りな音を立てる。
俺は正面に視線を戻す。
「――おい、馬鹿、何してる!?」
音に驚いたのか、キリーの父親が転んでいた。
ディアの蹄で踏み潰しかけて、俺は慌ててディアを後ろ脚で立たせ、後ずさる。
「早く立って走れ!」
もたついているキリーの父親に怒鳴る。
しかし、キリーの父親は青い顔で俺を振り仰いだ。
「い、石の破片で足を切ったみたいで……」
キリーの父親の足を見れば、確かに脛のあたりからドクドクと血を流していた。
「た、たのむ、見捨てないでくれ!」
キリーの父親が身勝手なことを言いながら俺に手を伸ばしてくる。
俺の後ろでガンディーロが二重肘の攻撃を受けて後ずさる音が聞こえた。
「おい、早くそこをどけ! 全力を出せないだろうが!」
ガンディーロの拡声器から操縦士の怒鳴り声が聞こえてくる。
ロント小隊長からも再度、素人開拓者を見捨てて速やかに戻ってこいと命令される。
ここでキリーの父親を見捨てても誰にも非難されるいわれはないだろう。
けれど、ここでキリーの父親を見捨てるような人間は、大事な物を作る資格なんてない。
ガンディーロの操縦士やロント小隊長の命令を聞いて、キリーの父親の顔は絶望に染まっていた。
「この前の事は謝る。悪かった。だから!」
「……うるさいな」
俺はキリーの父親の襟首を掴み、渾身の力で持ち上げてディアの角に引っかけた。
「掴んどけ。振り落とされるなよ!」
「――え?」
理解できていない様子のキリーの父親にかまわず、俺はディアの首の付け根にあるレバー型ハンドルを握り、アクセルを全開にする。
鋼鉄の蹄が石畳に打ち下ろされるカンッという甲高い音を伴って、ディアが一歩を踏み出す。
駆けだしたと認識した瞬間、周囲の景色が吹き飛ぶように後ろへ流れる。
「ぎゃああああ」
角にぶら下がった状態のキリーの父親が叫ぶ。すぐ下を高速で地面が流れていくのだ。そりゃあ怖いだろう。
あぁ、もう、ざまぁみろだ。
あっという間に前線から遠ざかった俺は整備車両のそばでディアを止め、キリーの父親を地面に転がした。
腰を抜かしているキリーの父親を無視して、先に戻っていた芳朝の下に向かう。
芳朝は冷めた目で運んできた意識のない素人開拓者を見下ろしていた。
俺に気付くと、芳朝は笑みを浮かべる。
「無事でよかったよ」
もう素人開拓者に興味のかけらもないのか、パンサーの顔を俺に向けて歩かせてくる。パンサーが後ろ脚で意識のない素人開拓者に砂をかけているが、気付いているのかいないのか。
芳朝は俺の顔をまじまじと見て首を傾げる。
「なんでそんな仏頂面なの?」
「耳を澄ませばわかるんじゃないか」
ディアを盾にしてここまで守った素人開拓者が仲間の素人開拓者に俺への文句を言っている。
振り返れば、素人開拓者は気持ちの悪いシカ型の機械に手を弾かれたと声高に語り、わざとらしく手を擦っていた。自分は命を救われても芳朝の味方になったりはしないと必死にアピールしているのだ。
芳朝の仲間になろうものならデュラに居場所がなくなるから、必死なのだろう。
素人開拓者の一団の視線がキリーの父親に向く。
「おい、お前はどうなんだ?」
質問ではない。あれは脅しだ。
キリーの父親の目が泳いだのは一瞬の事で、すぐにへつらう様な笑いを浮かべた。
「お、おれだってひどい目に遭わされたんだ。聞いてくれよ。あの気持ち悪いシカの角へ乱暴に引っかけられた時――」
やっぱりな、と俺はキリーの父親を見限って、ディアの足を進める。
芳朝が隣に並んだ。
「だから言ったでしょ。期待するだけ無駄よ」
芳朝に改めて言われるまでもなく、分かっている。
「でもさ、嫌われているからって助けちゃいけない理由にはならないだろ」
別に感謝の言葉が欲しかったわけじゃない。
俺はただ、自分に恥じる人間にはなりたくなかっただけだ。
これからも前世の記憶を持ったまま転生するのだとすれば、ふとした瞬間に見殺しにした相手の顔が浮かんで悔やむかもしれない。
もうこれ以上、人と親しくなれない理由を作るなんてバカバカしいから助けただけだ。
芳朝がパンサーをディアに寄せてくる。
「つまり、道徳観から助けただけって事でしょ。赤田川君も冷めたね」
「気に障ったんなら謝るよ」
芳朝は「違うよ」とゆっくり首を振り、満面の笑みを浮かべた。
「他の誰に対して冷めてもいいけど、私にだけは温かい人でいてね」
「……撤退したら、コーヒーを淹れるよ」
「うん。楽しみにしてる」




