第三話 追加のお仕事
デュラに出発することになった経緯を伝えると、もはや俺と芳朝の専属受付となっている係員が渋面を作った。
「あの子の依頼ですか。気になってはいましたが、アカタタワさんたちが受けるとなると……」
「赤田川です。問題がありますか?」
「問題というほどのものはありませんが……。できれば受けて頂きたい依頼がいくつかあるので」
係員が手元の依頼書をぺらぺらと捲る。
どうせ遠出を促すための依頼だろうな、と思っていたら、係員が出してきた依頼書には意外な内容が書かれていた。
「お二人が戻ってきたと聞いた上の方からこれらの依頼が下りてきてまして」
名前が発音できないから妥協したな。
依頼内容は現在各地に散っているデュラの避難民へ、デュラ奪還作戦が開始される旨を伝達するという物だった。
同行する軍人が奪還作戦への資金提供を呼びかけるらしい。
お金はいくらあっても困らないからだろうけど、国から支給されるはずの費用で足りないとも思えない。
「もしかして、この同行する軍人ってマッカシー山砦から派遣されますか?」
「可能性は高いと思いますが、私から確かなことは言えないです」
答えた係員は視線を逸らした。
マッカシー山砦には一度依頼の邪魔をされている。戦場から物品を回収する依頼を受ける開拓団、通称回収屋のデイトロさんと共に出かけたデュラのギルド資料を回収する依頼でのことだ。
きな臭いとデイトロさんが評価していたマッカシー山砦が絡む依頼。それも金に関する事となると慎重にならざるを得ない。
芳朝が依頼書を白い指先で摘み、興味なさそうにひらひらと振る。
「これさ、梯子を外されたりするんじゃないのかな。寄付された資金を軍人さんが持って行った後、マッカシー山砦は知らぬ存ぜぬで押し通して、私たちが詐欺を働いたことにするとか」
「いや、ギルドから降りた依頼だからそこまであからさまな事はないと思うけど」
ないよね、と係員に訊ねると、青い顔で俯いた。
「上の方から私に直接渡された依頼書なので、依頼内容を知っている職員が私だけだと今気づきました」
何それ、怖い。
とはいえ、よほどのお馬鹿でない限りはそんな梯子のはずし方はしないだろう。
「わざわざ俺たちをはめなくても、寄付金はすべて使い切ってしまいましたって帳簿を作ればいいだけだろ。人件費が異様に高くなってたりするかもしれないけど、俺たちの知った事じゃない」
「それもそうね。ただ、君子危うきに近寄らずとも言うし、この依頼は受けたくないよ」
芳朝が摘まんでいた依頼書を係員に返して、依頼を拒否する。
俺も同意見だ。危ない橋を渡る気はない。
寄付を集めているのがマッカシー山砦である以上、うまく取り入れば中へ入れるかもしれないという淡い期待はあるものの、今回は見送ることにした。
「そんなわけで、別の人に頼んでください。寄付を呼びかけるのなら嫌われ者の俺たちより適任の人が何人もいるでしょうから」
詐欺るつもりなら俺たち以上の適任者は見つからないと思うけどね。
罠に嵌めたとしても俺たちに有利な証言をしてくれる心当たりもない。
係員は眉を八の字にした情けない顔で依頼書を引っ込めた。俺たちに断られたと上司に報告するのは気が滅入るのだろうけど、もしも詐欺だったとき割を食うのは係員も一緒だ。
「では、お二人はデュラに行くとして、帰還はいつごろになりますか?」
「三日後には戻れると思います。足は速いので」
精霊獣機の踏破力をもってすれば、精霊人機や整備車両よりも早く現場に到着できる。森を突っ切れる恩恵は大きい。
精霊獣機を知っている係員は「アレですか」と呟いた。デイトロさんと同じで有用性を認めつつも受け入れられない人だ。
話は終わり、と席を立つと、係員に呼び止められる。
「デュラに行くのでしたら、魔物の数と、各門付近の状態を見ておいてくださると助かります」
「奪還作戦前の偵察を軍がするはずでしょう?」
「開拓学校を卒業したばかりの新人が行う偵察です。ギルドからも人を募ることが予想されますから、こちらから出す開拓者の選考基準を定めるためにも現場の最新情報が欲しいんです」
お二人の仕事に対する誠実さは信用しています、と付け足されては断りにくい。たとえそれがうわべだけの空虚な言葉だと知っていても……。
「分かりました。ですが、あくまでもついでです。中途半端な物になることは覚悟しておいてください」
あとで文句をつけられても困るので予め断っておいてから、俺たちはギルドを出た。
借家に帰って準備を整え、番犬代わりのプロトンをメンテナンスしてから出発する。
精霊獣機にまたがっていつも通りの嫌悪の視線を浴びながら、俺たちは通りを抜け、門をくぐって外に出た。
空は高く澄み渡り、南を目指して鳥の群れが飛んでいく。
風は少々強いが、陽も照っていて冷たさは感じない。
「スピードを出しても大丈夫そうだな」
「走らせながら作戦を決めよっか」
芳朝が先にパンサーの速度を上げ、俺は追従する。
道の上を走っていたのはわずかの間。すぐに森の中に突っ込んだ俺たちはディアとパンサーの障害物回避に頼りながら駆け抜ける。
森に入ってからは芳朝が俺の後ろに回った。
俺の愛機であるディアは森の中でも角のおかげで木の枝を折って進む事ができるが、芳朝が乗るパンサーには角のような乗り手を保護するガード機能がない。芳朝自身が小柄なので身を屈めればパンサーの頭が障害物を払いのけてくれるのだが、不便に変わりはない。
ディアの鋼鉄の角が枝を折るパキパキという音が断続的に響く。
成人男性の太ももと同じくらいの太さがあるディアの四肢は地面に転がる石を踏んでもバランスを崩すことなく、音も立てない。
無機質な鋼鉄のシカはその本来の重量に比例した安定感で森を駆けてくれる。
半日ほど森を突っ切ったところで日も落ち、野営の準備に入った。
二人きりで魔物のいる森の中で野営するのは自殺行為だが、俺たちの場合は精霊獣機に備わった警報の魔術があるため奇襲を受ける危険性は低い。
明日はギガンテスたちの寝ている早朝にデュラへ潜入するため、早めに食事を済ませようと余っていたチーズの消費も兼ねてパスタヴォーロを作る。チーズと卵を混ぜて茹でたパスタに絡ませるだけの簡単料理だ。
失敗しようのない料理だけあって味もそこそこ。食べやすいチーズに助けられている感が強い。
さっさと食べ終えて後片付けをした後、いつものようにディアの角とパンサーの尻尾に布を渡してテントを作る。
中に入って横になると、すぐに眠気が襲ってきた。
その時、足に何かが当たる軽い衝撃を感じて体を起こす。
「芳朝、蹴るなよ」
「じゃあ絡む」
「それもやめろ」
絡ませてくる芳朝の足を避けると、くすくすと機嫌の良さそうな笑い声が聞こえた。
「明日は早いんだから、あまりじゃれるなよ」
猫か、お前は。
基本的に夜行性の芳朝は「つまんないの」と不満を漏らす。
「そういえばさ、なんでキリーの依頼を受けようと思ったの?」
「芳朝も悩んでただろ。この依頼をこなせば少しくらい周りからの見る眼が変わるかもしれないって、芳朝も思ったんじゃないか?」
キリーは芳朝の事を「頭のいい化け物」だと言っていたが、おそらくは周囲の大人の言葉を聞いて覚えてしまったのだろう。言葉の裏にある悪意を理解していれば芳朝に依頼をしようとは思わなかったはずだ。
「キリーだけを味方につけたところで大勢に影響はないけど、少しずつ変えていくしかないだろ」
芳朝を化け物と呼ぶ利己主義な大人たちではなく、真の意味で芳朝を頼りにして慕ってくれる味方を増やしていくべきだ。
それはきっと、今の俺と芳朝の間にあるような歪な関係ではないだろうから。
芳朝が身じろぎする音が聞こえる。顔をこちらに向けたのだろうか。
「今度は赤田川君が生きづらくなるよ?」
「あまり変わらないだろ」
「向こうが遠ざかるのとこちらが遠ざかるのは違うよ。向こうが遠ざかっても赤田川君は追いかけないけど、赤田川君が遠ざかると向こうは追いかけてくるんだから。デイトロさんみたいにね」
人懐っこい飄々とした性格の回収屋、デイトロさんの顔を思い出して、俺は思わず顔を顰めた。
確かに、芳朝自身は本来人当たりの良い性格をしているし、芳朝を認める者がいれば俺にも目を向けるだろう。
なら、俺だけが突っぱねるか?
駄目だ。そんなことをすればせっかく構築した芳朝の交友関係も台無しになってしまいかねない。
二律背反、解消する方法は芳朝と別の道を歩むことくらいだろうか。
別の道を歩めるくらいなら、最初からこんな関係には発展していないだろう。
「――ねぇ、赤田川君」
芳朝の甘い声が聞こえる。
「無理をしなくても、私はこのままでいいんだよ?」
「……あんまり俺を甘やかすな」
「真面目だね。だから悩むんだろうけど」
俺は寝返りを打って芳朝に背を向ける。
「もう寝ろ」
「うん、そうする。おやすみなさい」
「……おやすみ」
話を打ち切っておいてなんだが、こんな気分で寝ていられるか。
悶々としながら、何とか眠ろうと瞼をきつく閉じる。
自然と聴覚が鋭敏になり、ディアの角の向こうから規則正しい寝息が聞こえてきた。
さんざん煽っておいて、芳朝はあっさりと寝入ったようだ。
俺はため息を吐いて、気分転換に外の空気でも吸おうとテントから出る。
空を見上げれば満天の星が広がっている。前世で見上げた空とは全く違う星の並びを見上げて、またため息を吐いた。
中途半端な覚悟で人の内面に首を突っ込んだ結果がこれだ。
自分で変化を受け入れる覚悟もないくせに、周囲に変化を求めている。
周囲から絶え間なく浴びせられる虫の音が、うじうじするなと俺の頭を叩いている気がした。
ごそごそと音が聞こえて振り返ると、芳朝がテントから出てきて目をこすっていた。
「赤田川君、何してるの?」
お前がそれを聞くのかよ。
芳朝は俺の隣に立ってあくび交じりに空を見上げる。
「星を見てたの?」
「まぁ、そんなところだ」
はぐらかすと、芳朝は「へぇ」と気のない返事をして、何かを探すように地面に目を凝らした。
「どうした?」
問いかけると、芳朝は諦めたように肩を上下させて、また星を見上げた。
「蛇にでも噛まれようかと思って」
「そんなに簡単に帰れたら悩んでないって」
ラストシーンだけ覚えてるけど、内容はうろ覚えだ。うる覚えって言いたくなるくらいうろ覚えだ。
どんな話だったかな。
芳朝に聞いても碌なことにならない気がして、俺は星を見上げて話題を逸らす。
「そういえば、この世界の蛇って鰓があるのを知ってたか?」
「え、何それ初耳なんだけど。蛇って両生類だっけ?」
爬虫類だ。この世界ではどうだか知らないが。
「本で読む限りは地上で生活するけど、あいつら元々川を泳いで渡ったりするから、こっちの世界では両生類に進化していてもおかしくないな」
あれ、退化かもしれない。どっちだ?
芳朝は「ほへぇ」と感心したような声を出す。俺が星を見ていると聞いた時より反応が大きい。
俺より異世界の蛇に関心がありますか。そうですか。




