第十九話 二人の精神的な引き籠り
朝になり、各々で朝食を摂った後で出発となる。
ここから先は整備が行き届いた道ではなく、雑草と木を払っただけの簡素な道だ。適当な仕事ぶりが道のど真ん中に度々残された切り株から読み取れる。
精霊獣機に乗る俺たちにとっては全く問題のない道だが、馬車に乗っている商人たちや車両を使っているデイトロさんたちは対応に苦慮していた。
自然とスピードが落ちてしまうが、それも込みで日程が立てられているため予定に遅れは出ていない。
俺はのんびりとシカ型精霊獣機ディアに揺られながら四苦八苦する商人や回収屋を眺めていた。
ぬかるみにハマった馬車を救い出すため、整備車両にロープを繋いで引っ張っている。
隣で芳朝が欠伸を噛み殺した。
「こうしてキャラバンを組んでいると精霊獣機の使いやすさが分かるね」
「積載量の問題もあるから一概には言えないけど、踏破性は群を抜いてるよな」
精霊獣機に乗っている身としてはじれったくて仕方がないが、徒歩で護衛している開拓者たちにとってはちょうど良い小休止になっているようだ。
馬車がぬかるみから脱出したその時、芳朝が乗るパンサーが唸り声を上げる。
芳朝が太もものホルスターから素早く自動拳銃を抜いた。
銃身が長い鈍色の自動拳銃はやや重たいが安定した命中率を誇る高威力の銃だ。
芳朝が銃を抜いたのを見て、開拓者たちがどよめく。
「何か来ます。注意してください」
芳朝が警告しても、開拓者たちは怪訝な顔をするだけだ。
しかし、俺は芳朝が警戒する理由を知っている。
俺が肩にかけていた対物狙撃銃を下ろした時、今度は俺の愛機であるディアがドアの軋むようなびぃーという鳴き声を発した。
「決まりだ。中型クラスの魔物が来る」
精霊獣機はあくまでも魔導工学の産物であり、動物とは違う。
ディアやパンサーの鳴き声の正体は芳朝が借家に仕掛けていたのと同じ警報機だ。
俺はスコープを覗き込み、森の中に目を凝らす。
「……いた。やや左後方にゴライアが一体。ゴブリンはここからだと草が邪魔で確認できない」
四メートルほどの人型の魔物が森の中を見回すように歩いてくるのが分かる。距離はおよそ八百メートル。気付かれるのは時間の問題だ。
「仕留められる?」
「距離があるから無理だな。当たると思えない」
俺の報告を受けてようやく魔物を認識した開拓者たちが動き出し、ゴライアの襲撃に備える。
デイトロさんが精霊人機に乗り込む直前、俺のディアに一瞬鋭い視線を向けていた。
他の開拓者も同じようにディアやパンサーを一瞥する。
まだ精霊獣機に嫌悪感があるらしい。
「いい加減、腹立ってきた」
「ゴライアが一体だけなら仕留めちゃいなよ。前衛の開拓者さんもいる事だし、よく狙って撃てるでしょ」
俺は頷いて、対物狙撃銃をディアの角に乗せる。
市販されている中では最大射程を誇り、ほとんどの中型魔物に対して効果があるとされる対物狙撃銃だ。五発入りの弾倉をすでに装着してある。
火薬の代わりに銃に組み込まれた魔導核で小規模な爆発を起こす魔導銃は機構内での爆発に耐えられるよう頑丈に設計されていてかなり重たい。
俺はディアの首の付け根にあるレバーを引いて頭の高さ、角の高さを調節する。それだけで騎乗したままでも楽に狙撃姿勢を取れるようになった。
開拓者たちに気付いたゴライアが森を掻き分けて走ってくる。その姿をスコープ越しに確認しながら、俺は狙いを定めた。
ゴライアが開拓者たちを間合いにおさめ、その長い腕を振りかぶる。
同時に、開拓者たちが間合いを詰めるべく一気に駆けだす。
両陣営がぶつかる寸前に、俺は引き金を引いた。
引き金を通して魔力が吸い取られ、魔導核が刻まれた魔術式を光らせる。
直後、爆発音が響き、ディアの首が発砲の反動を相殺するために縮まった。ディアに騎乗せずにいまの俺の姿勢で撃とうとすれば確実に肩を痛めるほどの反動だが、ディアの首の反動相殺機能のおかげで俺に衝撃は届かない。
わずかに跳ねたスコープ越しに覗くと、ゴライアが怯んでいる。
振り下ろされようとしていたゴライアの左腕から血が噴き出していた。
怯んだゴライアに開拓者たちが殺到し、剣や槍がいくつもの線を描く。
抵抗らしい抵抗もできないまま、ゴライアが体中から血を流して倒れ込み、開拓者の一人がゴライアの首を刎ねて、あっさりと戦闘は終了した。
ゴライアが連れてきたゴブリンが逃げ出そうとするが、追いかけた開拓者に次々と仕留められていく。
戦闘は終了とみて、俺は対物狙撃銃を肩にかけ直してディアの首を点検する。
「……首に異常はなし。反動相殺もできていたし、ある程度は連射できそうだな」
高威力の銃を反動無しで連射できると分かった以上、次の戦闘があれば中型魔物に二、三発撃ちこんで倒すこともできるだろう。
初戦闘にしては十分な成果だ。よくやったな、ディア。
俺がディアの頭を撫でていると、芳朝がパンサーの頭に両肘を突いて前かがみになる。
「出番なかった……」
「この人数でゴライアとゴブリン数体だけが相手なんだから、芳朝の出番はなくて当たりまえだろ」
芳朝の装備は中型魔物を相手にするには分が悪い。
ため息を吐いた芳朝が何かに気付いて口を閉ざす。
芳朝の視線を追って振り返れば、開拓者たちが精霊獣機を気味悪そうに見つめていた。
「……役に立っても扱いは変わらないみたいね。もっと活躍しないとダメかな」
芳朝が日本語で呟いた。
俺以外に聞かせるつもりはないからだろう。
精霊人機から降りたデイトロさんが俺を手招いている。
ディアのレバー型ハンドルを操作してデイトロさんに向かって歩かせると、芳朝も後ろからついてきた。開拓者たちの好意的とは言えない視線に芳朝一人を晒したくはないから、俺は少し速度を落として芳朝が隣に並ぶのを待つ。
デイトロさんが腰に手を当てて俺の対物狙撃銃を指差した。
「驚いたよ。中型魔物を撃ち抜ける魔導銃なんて撃ったら肩が外れるんじゃないかって、デイトロお兄さんなりに心配してたんだけど、杞憂だったね」
「精霊獣機で反動を軽減できますから」
「あぁ、やっぱりそれの首が関係してるんだね」
それ、とデイトロさんがディアに視線を移す。
デイトロさんは頭を掻きながら小さく唸った。
「有用なのは理解したけどね……」
デイトロさんは自身の感情に納得がいかない様にため息を吐き出す。
「もう何も言わないよ。理解できない物だと割り切った方が精神衛生上もよさそうだ。自分でもこんなに頭が固いなんて思わなかった。デイトロお兄さんがデイトロおじさんになる日も近いかな」
すぐに出発するよ、と言い置いて、デイトロさんは整備車両へ歩いて行った。
言葉通りにキャラバンはすぐに動き出す。
その後開拓地の近くまで戦闘らしい戦闘はゴライアの襲撃が一回だけで、あとは稀にゴブリンに出くわす程度だった。ゴライアにしろゴブリンにしろ、護衛の開拓者があっさり倒してしまったから、俺と芳朝の出番はない。
それでも警報の魔術があるおかげで不意打ちを受けない事には感謝された。
開拓地の近くで包帯を腕に巻きつけた俺と芳朝は他の開拓者たちと口裏合わせをしてから開拓地に入る。
開墾したばかりの畑が広がる村だった。
畑の枚数に比べると家の数が明らかに多く、人口も比例するように多い。キャラバンが運んできた物資の中には食料品も多く含まれているから、飢える事はないのだろう。
ギルドから補助金も出ているだろうし。
開拓村の住人はデュラの出身者も多い。ほとんどは開拓が終わり次第村を出ていくらしいが、中には定住を決めている者もいるとギルドで聞いている。
「それにしては、あまりいい雰囲気とは言えないな」
ギスギスとした空気が蔓延して、村人の顔には覇気がない。
デュラからの避難時に見かけた人々が不満たらたらで木の伐採をしていた。
よくよく観察してみると、デュラからの避難民グループと開拓村グループでわかれていて、互いに言葉をかけあう事さえしていないようだ。
デュラの避難民グループに斬り倒された木が倒れる音が響くと、開拓村グループがうんざりしたような顔を向ける。
「倒すときは危ないから声を掛けろって言ってるだろ」
「ヘイヘイ、分かってますよ」
デュラの避難民はいい加減に返事をして舌打ちする。
この三か月、こんな態度をとり続けていたのなら開拓村が二分されるのも当然だろう。
俺が横目で見ると、芳朝は肩を竦めた。
「デュラは新大陸でも最初期からある町で交易港としても栄えていたから、住人たちのプライドが高いのよ」
それで開拓村の人たちを根拠もなく見下していて言う事を聞かない、と。
「最悪だな、それ」
呆れていると、避難民グループが俺と芳朝に気付いたようだった。
精霊獣機に嫌悪の視線を向けた後、乗っているのが俺と芳朝だと気付いて露骨に嫌そうな顔をする。しかし、俺たちの腕に巻かれた包帯に気付くと見下す様に顎を上げた。
ここまで分かりやすいとポーカー勝負でも吹っかけて有り金を巻き上げてやりたくなる。
開拓村の奥へ進んでいくと、村長だといういかにも働き盛りな三十代の髭男が二人の男女を伴ってやってきた。
護衛のようについてきている男女のうち、女性の方は開拓団〝竜翼の下〟副団長リーゼさんだ。俺と目が合うと静かに黙礼する。
キャラバンの商人が村長と話し始めると、手持無沙汰になったリーゼさんともう一人の男性がこちらにやってきた。
「ドラン、久しぶりじゃないか!」
デイトロさんが腕を大きく広げて男性に駆け寄る。
ドランと呼ばれた男性は苦笑しながらデイトロさんの抱擁をすらりと躱した。
「デイトロは相変わらずみたいだな」
旧知の間柄らしい二人を遠巻きにしていると、リーゼさんが芳朝とパンサーを見比べて顔を顰める。
「その妙な乗り物は何ですか?」
「精霊人機を私たちが乗れるように改造した、その名も精霊獣機です」
精霊人機の整備方法を教えてもらった時にリーゼさんとも仲良くなっているからか、笑みを浮かべて芳朝がすらすらと説明する。デイトロさんにもした説明だから淀みがない。
「精霊獣機……」
険しい顔でパンサーを見ていたリーゼさんは、最終的に腕を組んでため息を吐いた。
「なぜ、このような気持ちの悪い物を作ったんですか?」
「き、気持ち悪い……」
その評価は俺でもへこむぞ。
芳朝がすっと無表情になった。
「人が作った物を理由も告げず一方的にただ気持ち悪いと言ってのけるリーゼさんの精神性こそ気持ち悪いです」
芳朝が返す刀でリーゼさんを両断する。
まさか芳朝に言い返されるとは想像していなかったのだろう、リーゼさんが怯んだ。
精霊人機の整備方法を学ぶために〝竜翼の下〟で学んでいた時も、芳朝は人当たりが良かった。団員と距離を置いていた俺と対比して、芳朝は人を遠ざけるような性格ではないとリーゼさんは過大に判断していたのだろう。
だが、リーゼさんは芳朝の地雷を踏み抜いている。
確かに芳朝は自分から人を遠ざけようとはしない。本質的には寂しがりな人間だ。
芳朝は今までの人生で努力を評価されず、自身を評価されず、自分は他の人にとって取るに足らない存在だと突きつけられてきた。
そんな芳朝が〝努力して〟作り出した精霊獣機を、リーゼさんはこともあろうに気持ち悪いと〝評価した〟のだ。
反発されて当然なのだが、芳朝の前世はもちろん半生さえ知る由のないリーゼさんでは真の意味で何がいけなかったのかを知る術がない。
芳朝に反発された理由が分からないまま、リーゼさんは動揺で震える指先でパンサーを指差す。
「理由も何も、気持ち悪い物は気持ち悪いでしょう?」
同意を求められても頷けるはずがない。俺にとってパンサーはカッコいい。扇形の尻尾はカッコいいというより可愛い感じがしないでもないけど。
芳朝は呆れたのか面倒くさくなったのか、ため息を吐いて顔をそむけた。
「理解できないならそれでもかまわないけど、貶す以外の言葉がないのなら口を閉じていてください」
芳朝からの明確な拒絶を受けてリーゼさんは戸惑ったように視線をさまよわせ、俺に目を留めた。
「……壁の内側に引き込んだまま放さないつもりですか」
「必ず壁の外側へ出てくるなんて思う方が傲慢ですよ?」
いつかの仕返しがてら言い返すと、リーゼさんはむっとした顔をした。
しかし、芳朝が反応を示さない以上俺に何を言っても無駄だと考えたのか、リーゼさんは背を向けて歩き出す。
デイトロさんたちの会話に加わるリーゼさんの背中を見送って、俺は芳朝を見る。
すでにリーゼさんは眼中にないのか、芳朝はパンサーの頭に手を置いて空を見上げていた。
まるで世界に蓋をしたような曇天を見上げたまま、芳朝が日本語で呟く。
「きっと、私たちはこの世界の人たちから見ると生理的な嫌悪感を抱くくらいずれてるんだろうね」
「仮にそうだとしても、俺が芳朝に向ける感情や芳朝が俺に向ける感情には無関係だろ」
この言葉に何の意味もないことは分かっている。
壁の内側で完結することが芳朝にとっても俺にとっても良くない事だから、こうして転生した理由について探ることにした。
だから、壁の内側をいくら肯定しても俺たちは前に進めない。
「やっぱり、私は赤田川君がいればそれでいいよ」
芳朝が笑いかけてくる。
その言葉が妥協の産物だという事に、芳朝は気付いているのだろうか。
きっとその言葉は他ならぬ芳朝自身が言われたくない言葉であるはずなのに。
「ねぇ、赤田川君」
芳朝は笑みを浮かべたまま小首をかしげる。
「町に帰ったら、開拓者の登録書類にあったニックネームの欄に前世の名前を記入しない?」
そんな後ろ向きな提案をよりにもよって今するのか。
「卑怯だな」
「……断る?」
芳朝の笑みに一瞬寂しさの色が滲んだことに気付いて、俺は空を仰いだ。
「断らないさ。精霊獣機が受け入れられなかったんだから」
「そう言ってくれると思った」
芳朝はパンサーの上で晴れ晴れとした顔をした。
翌々日、港町に帰還した俺、コト・ファーグは登録書類に前世の名前である赤田川ヨウの名を記載する。
同時に、芳朝もこの世界の名前を捨て去るように芳朝ミツキと前世の名前を記入した。
発音しにくそうにしている職員さんを無視して、俺は芳朝と手を繋いでギルド館を後にした。
世界が一瞬で狭まったような実感があった。




