エピローグ
七十年振りに訪れた港町は活気に満ち溢れていた。
旧大陸からの大型貨客船から降りた俺は懐かしいというには様変わりしすぎた港町を見回して苦笑する。
ずいぶんと発展したもんだ。
貨客船に乗っている時に素通りしたデュラの寂れた様子とはえらい違いだと思いつつ、俺はコートのポケットに手を突っ込んで歩き出す。
潮風に背中を押されるように町の中心へ。
代わり映えのしないラブホチックな開拓者ギルドの建物を横目に素通りして、さらに奥へ。
あった、あった。
これがこの世界の汽車か。ちょっと俺が描いた設計図のデザインと変わってるな。
丸っこいフォルムだが、これはこれでアリだ。
「チケット一枚くださいな」
「はいよ! って、坊主一人か?」
「十三年も生きてるといろいろあるんだって。おっさんも経験あるだろ?」
「十三歳で一人旅の経験はねぇよ。まして、俺がガキの頃は汽車なんてなかったからな」
「だろうね」
おっさんの年齢は見たところ三十五歳くらいだし、この辺りではまだ開発段階だったろう。
おっさんに訝しい目で見られながらも汽車のチケットを購入し、中に乗り込む。
向かって右側、ホームに近い方に廊下があり、個室の扉が並んでいる。
チケットに書かれた部屋番号を確認し、中に入った。
「あ、失礼。先客がいましたか」
俺は個室にいた先客の若い男に非礼をわびる。ノックしなかったのはまずかった。
若い男は特に気にした様子もなく愛想のいい笑顔を見せて、読んでいた本を膝の上に置いた。
「いえいえ、どうぞお気になさらずに。少年はどちらまで?」
「マッカシー山砦を経由して中継の町ボルスで乗り換え、テイザ山脈鉄道に乗ってリットン湖岸の町ウェインドリまで」
「それはまた、ずいぶん長旅ですね」
若い男が驚いたように目を丸くする。
俺は若い男の対面の椅子に腰を下ろした。綿が詰まった上等な椅子だ。めっちゃ体が沈む。
ふと、若い男の膝に置いてある本の題名が眼に入った。
「鉄の獣の物語……」
思わずつぶやくと、若い男は楽しそうに本を持ち上げた。
「面白いですよ。いまからおおよそ百五十年前、新大陸開拓中期に活躍した実在の開拓者です。歳も君と同じくらいですね」
あぁ、図らずもどんぴしゃだ。
というかなんだよその本、こっぱずかしいだろうが。書いたやつ誰だ。肖像権の侵害で訴えてやろうか。
若い男は本の表紙を指先で撫でる。
「新大陸の学校教科書には必ず名前が載っている二人の人物です。旧大陸でも名前くらいは聞いたことがあると思いますよ」
「あぁ、習いましたよ」
教科書に自分の名前を見つけた時の何とも言えないもやもや感ときたら半端じゃなかった。テストで名前欄以外に自分の名前を記入する羽目になるとはさすがに思わなかったぜ。
開拓者名が覚えにくいと同級生たちが愚痴っていた時は申し訳ない気分になったもんだ。
苦い顔をしている俺を見て、鉄の獣に良い感情がないと思ったのか、若い男は本を突き出して身を乗り出してくる。
「誤解も多いですが、今の魔導核十年廃棄の原則を提案したのが彼らだと、廃棄原則を起案したウィルサム本人が後に語っています。伝説扱いされていますがね」
あ、それ事実です。
若い男は体を椅子に戻すと本を開く。
「十代前半にして開拓者に登録、一年もしないうちに頭角を現し、精霊獣機と呼ばれる精霊兵器を開発、乗り回していたことから鉄の獣と蔑視されました。しかし、戦果は華々しく、記録にあるだけでもデュラを占拠した人型魔物の討伐戦で大型人型魔物ギガンテスを単独撃破、超大型魔物クーラマを単独撃破など、当時の戦場で戦局を左右しかねない戦果をあげています。なかでも、歩兵初の単独での大型魔物撃破を成し遂げたこの町の戦いは――」
熱く語る若い男。
ついこっちまで熱くなってくる。主に顔が。
他人からこんなに熱く語られたら羞恥で死ねるわ。
「他にも、開発者としての顔も知られていて、特許技術をいくつも持っていたとか。新世代機スカイの開発者、水刃のスイリュウの開発にも関わっていたようです」
「あ、動き出しましたね!」
若い男の語りを遮るため、俺は窓の外を指差す。
汽車がゆっくりと動き出していた。
まだ喋り足りなそうにしていた若い男だったが、俺が窓に張り付いて外の景色を見ていると、子供の楽しみの邪魔をするのはよくないと考えたのか口を閉じてくれた。
金属布入り魔導チェーンの高出力でようやく動かせる汽車はゆっくりと動き出したかと思うと駅のホームを滑り出て港町を後にする。
森を抜けた先に見えてくるのはマッカシー山砦。
「かつて革命軍が占拠したのがあの砦ですよ」
知ってる。
結局、マライアさんが破壊した防壁もきっちり修復され、大規模開拓団とはいえ民間団体にあっさり破壊されるようでは困ると本国が重い腰を上げて増築したのだ。
四重の防壁に囲まれ、マッカシー山は山頂から麓までを砦として改造された。
汽車はマッカシー山砦の外周を回る様に進む。
マッカシー山砦を抜けて少し進むと見えてくるのは、河原の横に安置された巨大な魔物の死骸だ。
若い男が俺を押しのけて窓に張り付いた。
「おぉ! あれが鉄の獣が倒したという世界最大の魔物クーラマ!」
何この人、ファンなの?
正直、ちょっと怖いんですけど。
訊きもしないのに、若い男が語りだす。
「あれは革命軍が決起した際にワステード司令官率いる討伐軍がマッカシー山砦に引き返すため、鉄の獣がスケルトンの群れを食い止めてほしいと依頼され――」
聞き流しながら、俺は窓からクーラマの骨を見る。
あまりにも大きすぎ、重量があるため放置されたクーラマの死骸が朽ちた物だ。百五十年前の代物とは思えないほど保存状態が良い。
それというのも、観測されている全魔物の中で最大の大きさを持つこのクーラマの死骸を見ようと観光客が集まるため、資料的な価値もあって保存団体が立ち上がったためだ。
港町のギルドで精霊人機の部品の購入代行をしていた係員が何を思ってこんなものの保存に乗り出したのかは分からないが、彼の死後もこうして保存団体は活動を継続している。
本の受け売りらしいスケルトンの群れ対開拓者の戦いを語る若い男に相槌を打っていると、ボルスが見えてくる。
「あれが開拓者たちによってスケルトンやパペッターの群れから解放された防衛拠点ボルスです。リットン湖攻略以後は開拓者たちの中継の町ボルスと呼ばれてますね」
二重の防壁に守られた大きな町だ。
一度は魔物の手に落ちたとは思えないほどに多数の人が出入りする新大陸の中でも大きな部類の町である。
クーラマの骨やリットン湖、テイザ山脈といった観光名所へ向かうには必ず立ち寄る町であり、かつて英雄と呼ばれた弓兵機アーチェの操縦士、ベイジルが学校を作った事から学術の町としての側面も持つ。
汽車が滑り込んだ町並みには本屋や塾らしきものの看板が至る所に見受けられた。
ホームに汽車が滑り込む。
「では、私はこれで。あ、こちらの本を差し上げましょう」
いらんわ、こんなもん。
若い男に押し付けられた本を見下ろす。まぁ、再会の記念品として笑いを取れるとポジティブに考えるとしよう。
汽車が出るのは昼過ぎとの事で、俺は一度客車を下りた。
駅舎から出て、様変わりしたボルスを流し歩く。
足は自然と一軒の料理屋に向かっていた。
途中で開拓者ギルドに立ち寄り、中継の町ボルスの歴史と題された冊子を購入する。
「結局、英雄のままでやんの」
英雄として戦歴を書かれているベイジルをひとしきり笑いながらページをめくっていくと、スケルトンの群れからボルスを開放した英雄として鉄の獣の名前が載っていてずっこける。
とんだところに伏兵が潜んでやがった。
青羽根のボールドウィンや月の袖引くのタリ・カラさんの名前もある。懐かしい名前を見れた事でプラマイゼロという事にしよう。
かつて口の軽い看板娘がいた料理屋はいまも営業を続けていた。
当たり前だが代替わりしているようだ。
「いらっしゃいませ」
今代の看板娘らしき二十手前の女性が元気よく出迎えてくれる。
案内されるまま席に着くと、今代の看板娘は俺が持っている中継の町ボルスの歴史の冊子を目ざとく見つけて、いたずらっぽく笑った。
「最後の方のページに、私のひいおばあちゃんとひいおじいちゃんの事が載ってるんですよ」
言われて最後の方からめくってみると、この店がベイジルの行きつけだったことが紹介されていた。後半の文章にベイジルが設立した学校の整備士科の教員とこの店の看板娘が結婚したことが少し書かれている。
整備士君、ここの看板娘とくっついたのかよ。
あれ、それじゃあさっきの娘は整備士君のひ孫?
昼時の書き入れ時だからと張り切っている看板娘を見る。言われてみれば、髪の色とかそっくりだな。
変わらない味を楽しんで、料理屋を出る。
もうすぐ汽車が出る頃だ。
駅舎に戻って汽車に乗る。
席に着くとすぐ、汽車が動き出した。同乗者はいないようだ。
暇を持て余して、若い男から渡された鉄の獣の物語という本を開く。
しかしまぁ、よくぞここまでまとめた物だと感心してしまう。
読み進めていくと、ウィルサムがファーグ男爵家を通して魔導核十年廃棄の原則を提言した後のことまで書かれていた。
犯罪組織を筆頭に原則を破った組織を鉄の獣らしき二人組が壊滅させていったというものだ。
二度十五年のブランクを挟みながらも二人組は百年以上に渡って原則を破っている組織を襲撃し、魔導核や魔力袋を収奪したという。
「良く調べたな」
思わず笑みがこぼれる。
魔導核十年廃棄の原則とは、魔導核をナンバリングして製造から十年を以て精霊を開放するという原則である。
当然、これは精霊こと魂の減少、すなわち出生率の減少を防止するための政策だ。
非合法に作られた魔導核も当然存在するが、そういった魔導核にはこの原則が適用されず、発見次第すぐ精霊を開放することになる。
本には鉄の獣がこの原則に従って非合法に作られた魔導核から精霊を解放しているのではないかと書かれている。
活動期間が明らかに人の寿命を超える百年以上に渡っているのは、鉄の獣が組織化したためだろうとしている。
ちょっと間違いだ。
「まぁ、普通は想像がつかないよな」
俺たちが転生して活動を継続しているなんてさ。
テイザ山脈の麓に到着した汽車が町のホームに入る。
終着駅であるこの町はテイザ山脈鉄道の始発駅を持つ町であり、テイザ山脈を経由した物流の要でもある。
いまから百五十年前に月の袖引くが興した町だ。
汽車を下りると、駅舎の奥に駐機状態で鎮座した精霊人機の姿があった。
「スイリュウ……」
寄る年波には勝てないとでも言おうか、百五十年前は新型機だったスイリュウも今や時代遅れの機体としてここに飾られている。専用装備流曲刀もスイリュウの手に握られていた。
町の創始者が乗っていた機体だけあって、丁寧に扱われているようだ。
感傷に浸っていると、ホームに新しい汽車が入ってきた。
テイザ山脈鉄道である。
「こっちは俺のデザインそのままか。ビスティも分かってるな」
晩年のビスティが資金提供して開設したというテイザ山脈鉄道はラック式レールを採用している。
チケットを購入して乗り込んだ車両は先ほどまでの汽車より乗り心地がわるそうだった。
基本的に貨物運搬が主だから、客車にまで金を掛けていないようだ。
テイザ山脈の向こう、ガランク貿易都市やトロンク貿易都市とを繋ぐために開設されたこのテイザ山脈鉄道だが、リットン湖攻略が終わると創始者同士の繋がりがあったために線路が伸ばされたらしい。
峻険なテイザ山脈をラック式の歯車を噛み合わせてゆっくりと登って行く。景色は森ばかりで味気なかったが、山頂付近まで来ると一気に見晴らしが良くなった。
いつか見た小さな渓谷も観光地化されているらしい。時間があったら足を運んだのだが、今回は見送るしかないな。
テイザ山脈鉄道は日が落ちても平気で進んでいく。
俺は天井にぶら下がった魔導核の製造年月日を確認してから、魔力を通して明かりをつけた。
定期的に魔物を追い払っているとの事で、静かな夜を過ごしている内に目的地に着いたようだ。
夜明けの静けさを壊さないように、汽車がホームに入る。
汽車を降りた俺を出迎えたのは、スイリュウと同じように駅舎に飾られたスカイの姿だった。
専用装備天墜を肩に担いだ雄々しい姿。
このリットン湖岸の町ウェインドリの守護神とまで呼ばれた、百五十年前の機体。
ウェインドリはボルスの復興に注力していた軍を後目に青羽根が動き、興した町だ。
リットン湖周辺に生息していた甲殻系魔物はスカイの天墜と相性が良く、攻略は順調に進んだ。
スライム新素材を用いた簡易拠点を作りながら徐々に制圧し、青羽根単独で制圧してしまったという。
利権を狙って襲ってきた盗賊まがいの開拓団さえ撃退し、青羽根はこのリットン湖にウェインドリを築くと、さらにリットン湖の北へ開拓の手を伸ばした。
百五十年を経た今でも子孫が青羽根の名を受け継いで開拓の最前線で戦っているはずだ。
俺はスカイに背を向けて駅舎を出る。
テイザ山脈鉄道に乗っている間に日が昇ったため、外は明るかった。
初めて訪れた町だが、観光する前に行くところがある。
俺は町案内の看板を見て、目的地に目星を付ける。
「こっちかな」
大通りを一本ずれて、細い道をまっすぐ歩く。
飲食店が並ぶその通りも終わりに差し掛かった頃、その喫茶店はあった。
店頭に出された看板に赤いチョークで書かれた注意書きがある。
「当店はバリスタ不在につきコーヒーを提供できません……って、おい」
喫茶店じゃないのかよ。
看板に書かれたメニューにはこれでもかとばかりに軽食やデザートが並んでいる。この世界の料理ではない。
俺は準備中と書かれた入り口の前に立つ。
ちょうど、入り口の扉を開けた少女が俺を見て目を丸くした。
歳は十三、明るく朝日を反射するストレートの金髪を背中に流した色素の薄い少女だ。
少女は俺を見て、にっこりと笑う。
「いらっしゃいとお帰りなさい、どっちが正しいと思う?」
「久しぶり、じゃないのか?」
日本語で言葉を交わし、笑みを浮かべる。
俺はバリスタ不在と書かれた看板を指差す。
「ミツキ、コーヒーは俺が淹れればいいのか?」
「ヨウ君がとびきり美味しいコーヒーを淹れて、私はケーキを作る。ほら、完璧な喫茶店でしょ?」
「そう言う役割分担か」
コーヒーの香りがしない喫茶店に足を踏み入れる。
「一息入れたらディアの組み立てから始めよう。前世は旧大陸でしか活動しなかったし、こっちでの魔導核も溜まってるだろ」
「また世界を駆け巡る事になるんだね」
ミツキの言う通り、転生したからには世界を駆け巡って違法に生み出された魔導核を処理しないといけない。
だが、いまはこの喫茶店をどうにかすべきだろう。
裏で鉄の獣として魔導核の処理をするとしても、表の仕事がバリスタ不在の喫茶店ではあまりに格好がつかなすぎる。
俺は白いコーヒーもどきを淹れながら、苦笑した。
本作はこれにて完結となります。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。