第十四話 撤退と帰還
芳朝が目覚めたのは俺たちがデイトロさんに救出された翌日だった。
問診の結果から後遺症などはないと分かったが、俺たちは回収屋の面々と共にデュラを離れて隣の港町へ帰還するべく整備車両を走らせていた。
俺は荷台に寝かされている芳朝のそばに座り、経緯を説明する。
「俺たちがゴライアと戦っている間、デュラの南側から軍の回収部隊が入ったらしい」
「出発前にデイトロさんが言っていた、マッカシー山砦の?」
俺は頷く。
マッカシー山砦は港町デュラに近い軍の駐屯地であり、要塞だ。新大陸開拓の黎明期から存在する要塞で、付近の町が魔物に襲われた際には素早く軍を出動させて防衛に当たる。
港町デュラがギガンテス率いる人型魔物の群れに襲われた際には出動が大幅に遅れたという。肝心なところで役に立たないという印象だ。
だが、今回の出動の遅れはデイトロさん曰く〝きな臭い〟らしい。
「芳朝は気絶していたから知らないと思うけど、南側から入った軍の回収部隊はギルドに向けて移動していた。本来は精霊人機を回収する任務を帯びているはずなのに、まっすぐギルドに向かっているんだ。それだけなら魔物との戦闘を避けていたのかとも思うけど、デュラへの進入を図る前にデイトロさんたちへ軍の指揮官が接触してきている」
デュラに取り残された俺と芳朝を救出するために急ピッチで蓄魔石に魔力を充てんしていたデイトロさんたちの下を訪れた指揮官は、所属部隊を明らかにするのを避けながらデイトロさんたち回収屋の面々に手を引くよう通告してきたらしい。
結局、俺と芳朝を救出するためにデイトロさんたちは軍の通告を無視したのだが、デュラで軍と遭遇した場合は口封じに殺されていた可能性もあった、とデイトロさんは笑いながら話していた。
芳朝が腕を組んで首をひねる。頭に巻かれた包帯が痛々しかったが、本人が言うにはさほど痛みを感じないらしい。長い黒髪が頭の傾きに合わせて揺れた。
「私と赤田川君の救出に成功した以上、軍と本格的に事を構えるつもりはないから町へ帰還するって事ね。ギルドの資料も回収していないのに何で帰るのかと思ってたけど、軍が出てきたんじゃ仕方ないのかな」
芳朝も納得していないようだが、不満は飲み込んだようだ。
ギルド所有の精霊人機は回収しているので最低限の仕事を果たしたと言えるが、報酬の減額は避けられないだろう。
面白くなさそうに唇を尖らせた芳朝はポケットの中から一枚の紙を取り出す。
「これ一枚を渡しても、焼け石に水だよね」
芳朝がひらひらと振る紙は、バランド・ラート博士の登録書類だ。
「勝手に書き写すなって叱られるだろうし、隠しておけ」
「はーい」
芳朝が紙をポケットにしまう。
「それにしても、マッカシー山砦の動きに違和感があるね。バランド・ラート博士も滞在していたみたいだけど」
「いずれ探ることになるだろうな。ただ、先に実力を身につけないといけない」
「報酬額を下げられると精霊人機の部品購入の代行業務を受ける権利を貰えない可能性もあるね」
芳朝が心配するが、その点についてはすでにデイトロさんと交渉してあった。
「俺と芳朝に訓練をつけてくれるようにデイトロさんに依頼してあっただろ。報酬額を下げられた場合は、デイトロさんたちへ渡す予定だった権利分で相殺することになってる」
訓練をつけてもらったのはたった一日で、しかも俺と芳朝を危険に晒した負い目もあってか、デイトロさんから提案されたのだ。
もっとも、俺たちは救出してもらった側なので金銭で報酬を払う形で話がまとまっている。
金額を告げると、芳朝は「妥当なところだね」と呟いた。
お金の管理はそれぞれで行っているため、今回はデイトロさんと直接交渉した俺が全額払う事に決めてある。
「赤田川君がそれでいいなら甘えるよ。帰ったら何かおいしい物でも食べようか?」
「奢ってくれるのか?」
「お世話になってるからね」
芳朝の言い訳に苦笑して、俺も甘えることにした。
しばらくして、港町に帰り着いた俺たちはギルドに足を運んだ。
俺と芳朝にデイトロさんの三人は受付カウンターで職員の名前を告げて呼び出す。
予定よりも早い帰還に職員さんが不思議そうな顔をしてやってきた。
テーブルに案内され、少々窮屈に感じながら四人でテーブルを囲む。
テーブルの下で俺と芳朝の足がより広い空間を求めて戦争を開始している事は職員さんもデイトロさんも気付いた様子はない。
というか、芳朝の足はかなり細い。決戦を挑むと折れてしまいそうで怖かった。
全力を出せないでいる俺に対して、芳朝はガンガン攻めてくる。
最終的に、俺の足はテーブルの下から締め出された。
「……芳朝、そのドヤ顔を止めろ」
「敗者が勝者の表情に文句をつけるなんて身の程知らずね。頭を垂れていなさい」
「くっ……」
演技がかった口調で言い返されて、俺は俯いた。
職員さんが首を傾げている。
俺と芳朝の知られざる領土争いを歴史の闇に葬るためにも、俺はデイトロさんにデュラの回収依頼に関する報告をお願いした。
「それでは、デイトロお兄さんの失敗談を話そうか」
デイトロさんが失敗したというより、軍の介入があったせいで依頼の続行が不可能になったのだが、デイトロさんは失敗談として口火を切った。
精霊人機の回収に成功した後、軍の介入があった事、回収部隊はギルドを目指して移動していた可能性についての報告を受けて、職員さんは眉を寄せた。
「マッカシー山砦からの出動が遅れた件に加えて回収屋を頼まずに回収部隊を動かしたという事は、見られたくない物を回収する予定だったのでしょう」
「おやおや、心当たりがあるのかな? デイトロお兄さんも興味を引かれちゃうなぁ」
「いがみ合ってはいませんが、商売敵ですからね。情報はある程度仕入れていますよ。特にマッカシー山砦司令官のホッグスは最近、ずいぶんと羽振りがいいらしいです。貿易港であるデュラに私物があったのかもしれませんね」
職員さんが肩を竦めて不穏なことを言う。
司令官の私物というと、山吹色のお菓子の類だろうか。一度味わってみたいものだ。誰か差し入れしてくれないかな。
冗談は置いておいて、俺は職員さんの話に口を挟む。
「軍の回収部隊はギルドに向かったんですよ?」
「内通者がいる可能性はありますよ。組織ですからね」
肝の据わった割り切り方だな。男前だ。
後はこちらで調べる、と職員さんは話を打ち切って報酬の話に切り替えた。
「精霊人機を回収してくれているので、ギルド資料分の減額となります。開拓者であるお三方に申し上げるのは憚られるのですが、ギルド資料は金銭的な価値がありませんから、盗む者もいないでしょう。減額は最小限にとどめるよう、私からも口添えしておきます」
さりげなく協力を約束してくれた職員さんは、回収された精霊人機の状態を見てくると言って立ち上がった。ついでに報酬額についての話を上と相談してくるらしい。
少し時間がかかるとの事だったので、俺は芳朝と一緒に遅めの夕食をとるため席を立つ。
「俺たちは何か食べてくるので、あとで合流しましょう」
席に残っているデイトロさんに声を掛けると、ショックを受けたような顔をして両手で口を覆う。
「デイトロお兄さんを食事に誘ってくれないなんて、一緒に過ごしたこの数日間はなんだったんだい?」
「仕事です」
間髪入れずに答えると、デイトロさんは言葉に詰まったように唸って天井を仰いだ。
芳朝がくすくす笑う。
「……無駄よ。壁の内側は私の特等席なんだから」
呟いた芳朝が俺の腕に自らの腕をからめてくる。
そのままデイトロさんに背を向けて出口へ向かう。
「デイトロお兄さんはフラれてしまった!」
天井を仰いだまま、デイトロさんが叫ぶ。周囲の開拓者から失笑を買っていた。
肩越しにデイトロさんを見ていた俺が不満だったのか、俺の腕に絡められた芳朝の腕の力が強まる。
「何が食べたい?」
問いかけられて、俺はデイトロさんから視線を外して芳朝を見る。
奢られる側としては任せたいのだが、俺が決めないと芳朝は納得しそうにない。
「ゲテモノ料理にしようか。スライムとか」
俺は笑顔で提案する。もちろん冗談だ。
芳朝の希望を聞くために、あわよくば彼女自身に決めてもらうために確実に断られる物を選んだ――はずだった。
「うん、分かった。探せばどこかにあると思うよ。海沿いの町だから、シージェリースライムを使った料理になるかな」
一切の抵抗なく俺の提案を受け入れて、芳朝は通りを見回して店を探し始めた。
俺の冗談を真に受けたのか、それとも俺をからかっているのか、長いまつげに隠された芳朝の瞳からは窺い知れない。
後者であると分かったのは、ジビエ料理屋の前で芳朝がにやりと笑った時だった。
別にジビエ自体はどれもゲテモノではないのだが、この世界の場合は野生の獣や鳥の他に魔物もジビエに含まれる。
頼もうとすれば魔物だって食べられる店に連れてこられたわけだ。
芳朝が半笑いで俺の脇腹を突いてくる。
「割と本気で焦ったでしょ?」
「いつかやり返してやる」
負けず嫌いだなぁ、と笑って芳朝が先に入店する。
店の内装はかなり凝っていた。
窓を小さくして外からの明かりを減らしつつ、橙色の魔導光が隅に若干の陰を作りながら店内を照らしている。
客席はテーブルごとの島方式で店内に分散配置されていて、ゆったりとしたスペースになっていた。これなら隣の席で魔物料理を食べる好き者がいても気が散る心配はなさそうだ。
壁には空のワインボトルを並べた棚があり、ラベルが読めるようになっている。本日のおすすめメニューと題された黒板の欄にホーンラビットのドライソーセージと書かれていた。
ホーンラビットは一応魔物だが、魔物魔物しい外観をしていないのであまり抵抗なく食べられそうだ。
遅い夕食を摂りに来たのは俺たちだけではないようで、いくつかのテーブルではどこかの商会の重役らしい男たちがワインを片手に腹を探り合っていた。なぜ、あいつらは食欲ではなく金銭欲で腹を満たそうとしているのか分からない。
肉体年齢十三歳の俺と芳朝の来店にも、店員は丁寧に対応してくれた。
テーブルに案内され、渡されたメニューを見た俺は芳朝と顔を見合わせる。
メニューには魔物を使った料理しかなかった。
ここ、魔物料理専門店だ……。
芳朝も知らなかったらしく、珍しく焦っているようだ。殊更にすまし顔を取り繕って、私は関係ありませんオーラを出している。
俺はメニューをざっと見てから、無難な物を選んで注文する。
「バロメッツのピリ辛サラダ、リモンフィッシュのカルパッチョ、おすすめのホーンラビットのドライソーセージをお願いします」
小型魔物ばかりだけど、外観的には問題なし。リモンフィッシュ辺りは姿焼きで出てきても食べる自信がある。
バロメッツは羊に良く似た形の種が入った瓢箪のような魔物だ。つる性植物の形状をしていて、周囲を通りがかる小動物をそのつるで絡めて絞め殺し、栄養にする。
リモンフィッシュは海に生息する体長二十センチほどの魔物だ。五、六匹の群れを作って回遊し、海上を飛ぶ鳥に向かってトビウオよろしく飛び上がり、集団で食らいつく。
ホーンラビットは言わずもがなの角付きウサギだ。
俺は選んだ料理に使われている魔物を再度検証し終えて、ほっと安堵する。
芳朝も俺と同じものを頼み、平たい胸を撫でおろしていた。
注文を聞いて引っ込んだ店員が小鉢を乗せた盆を運んでくる。
「お通しでございます」
そんな物まで出るの?
しかも、アルコール類は頼んでいない。
何か無言の圧力を感じて、俺はまたメニューを開く。
「アモンティリャードをお願いします……」
なんでシェリーとウイスキーしかないんだよ。後リキュールもあるけど、頼まないから。異世界のリキュールとか何が入っているか想像がつかなくて怖い。マンドゴラが漬け込んであったりしそうだ。
そもそも、向こうの商人さんたちが飲んでるワインはどこから出てきたんですかね?
芳朝が小鉢を恐る恐る覗き込んで、店員さんに声を掛ける。
「これはなんでしょうか?」
震え声の芳朝に対して、店員さんがにっこりと笑う。いい笑顔だな。
「シージェリースライムの胡麻和えでございます。お客様は魔物料理を味わった事が無いようでしたので、この機会に親しんでいただきたくご用意しました」
大きなお世話である。
シージェリースライムとは越前クラゲに良く似た大型魔物の一種だ。強靭な触手を動かして周囲五メートルの海水を自在に操作し、群れを成すと大型船も沈めてのける大渦を作り出す。
前世が日本人の俺と芳朝はクラゲを食べる機会もあったから抵抗も少ないが、この世界の人間の感覚で言えば文句なしのゲテモノ料理に分類される。
店員さんが芳朝に酒のメニューを渡す。
「どうぞ、酔ってしまえば抵抗なんてなくなりますよ」
笑顔で凄いストレートパンチ放って来たよ、この人。
硬直している芳朝に代わり、ライウイスキーをロックで頼んでおく。
「口直しの水も忘れずに持ってきてください。こいつ、酒を飲んだ事が無いので」
俺の言葉を聞いて、店員さんは笑みを浮かべたまま頷いた。
「かしこまりました」
店員さんを見送って、俺は芳朝に声を掛ける。
「申し訳程度に酒は一口だけ飲んで、あとは水で誤魔化せ」
「了解……。それにしても赤田川君、慣れてない?」
「引き籠りと違って飲む機会は多かったんだ」
「私は引き籠り以前に未成年だったんだよ」
むっとした顔で抗議する芳朝だが、成人しても引き籠ったままでは飲む機会もそうないと思えた。
店員さんが落ち着いた動作ながらも素早く運んできたアモンティリャードを一口飲む。
わずかな酸味の後、口の奥から喉の上部にかけて木の実の芳香が広がっていく。酸味が消えて木の実の芳香の余韻が長く続いたかと思えば、溶けるように存在感が消えていった。
それなりにアルコール度数の高い酒だが、気にせずに飲み続けてしまいそうな怖さがある。某エドガーさんじゃあるまいし、アル中にはなりたくない。
酒の誘惑を振り切るべく、お通しの胡麻和えを食べてみると、これが案外おいしい。
シージェリースライムはクラゲ特有のコリコリした歯ごたえに加えて旨味がある。何に近いともいえないが、海産物だと分かる旨味だ。胡麻の風味と合わさって、味がしっかりしているのに、くどくない。水っぽさも感じなかった。
向かいに座っている芳朝を見ると、意外な食べやすさに目を見開いている。
「……これ好きかも」
小さく呟いた芳朝が小鉢を空にするまで、そう時間はかからなかった。
俺もすぐに食べ切ってしまうが、どうにもこの胡麻和えは酒が欲しくなって仕方がない。
その後に運ばれてくる料理も美味しかったが、酒に伸びる手を止めるのに難儀してしまう。
なんて恐ろしい店だ。また来よう。
明日からは一日一話更新となります。