第十九話 旧大陸での歩み
ウィルサムの持ってきた研究資料をリビングに持って行き、テーブルの上に広げる。
「この悪筆っぷりはバランド・ラート博士の物で間違いなさそうだな」
ウィルサムが用意した偽物という可能性も考えていたが、手元にある資料と照らし合わせる限りバランド・ラート博士の筆跡と一致する。この悪筆を真似るのは難しいだろう。
新大陸での研究成果をまとめた物と、旧大陸に渡った後の研究資料に大別できるため、俺は新大陸での資料に目を通す。旧大陸側の資料はミツキの分担だ。
新大陸での研究資料は俺とミツキで事前に調査した物と違いはない。綺麗にまとめてはあるのだが、何分悪筆な物で読みにくい事に変わりはない。
バランド・ラート博士もこの研究資料を公開するつもりはなかったようだから、清書する必要性を感じなかったのだろう。
ミツキが俺を見た。
「旧大陸に渡った後も異世界の魂を探しながら旅をしていたみたいだけど、研究そのものは滞ってるよ。異世界の魂を見つけるのが先決だと思ってたみたいだね」
新たな発見もない事はないけど、とミツキが一枚の資料を差し出してくる。
ミツキの表情から察するに愉快な情報は書かれてないだろうな、と覚悟を決めながら資料を受け取った。
資料に書かれていたのはバランド・ラート博士の考察だった。
「召喚魔法を分析した結果、異世界の魂は魔力を吸収する能力を持たない可能性がある?」
どういう事だ。
資料を読み進めると、召喚魔法で魂を召喚する場合、召喚対象の魂が魔力を吸収するため魔力ロスが出るはずだとバランド・ラート博士は気付いたらしい。
しかし、俺やミツキの魂を召喚した際には、召喚魔術そのものの魔力しか消費しなかった。つまり、召喚対象に指定されていた俺やミツキの魂は魔力を食らわなかったことになる。
当然ながら、魔力を食らわなかった以上、前世の記憶の消去は行われない。
結果、バランド・ラート博士は異世界の魂が前世の記憶を有したまま転生したと仮定して調査に当たったという。
各地の神童や天才児の噂を収集し、ついにデュラに住む幼き才媛ミツキに辿り着く。
魔導銃という既存の技術体系から明らかに外れている特許技術を理論から組み立てた才覚を、バランド・ラート博士は前世の記憶によるものと推測した。
「決め手は魔導銃だったのか」
「予想はしてたけどね。でも、問題なのはそこじゃなくて前の文だよ」
「俺たちの魂に魔力を吸収する能力がないって奴か」
魂そのものに魔力を吸収する能力がない以上、俺たちはこれから先記憶を保持し続けたまま転生を繰り返すことになる。
覚悟は決めていたのだが、改めて研究資料として書き残されるとため息が出てくる。
「魔力の精製、放出は肉体の役割、魔術の発生は精霊が魔力を食べることによる生理現象。私たちの魂が魔力を取り込めなくても、肉体さえあれば魔術は使用できるから、バランド・ラート博士の考察を否定する材料はないね」
俺たちはどちらともなく向き直り、丁寧に頭を下げた。
「不束者ですが末永くよろしくお願いします」
一字一句違えずに声を揃えて、二人で笑いあう。
いまさら、前世の記憶が消えない事で長々と凹む事はない。
研究資料をあらかた読み終わり、バランド・ラート博士の手記を開く。
手記には旧大陸に渡る前、ガランク貿易都市からの出来事が書いてあった。
「ホッグスの使いからの接触あり、か」
デュラに到着した直後にホッグスからの使いが宿に訪ねてきたという記述があった。
どうやら、ホッグスもガランク貿易都市近くにバランド・ラート博士が潜んでいることまでは突き止めていたようだが、隠れ家そのものは発見できていなかったらしい。バランド・ラート博士も隠れ家については話さなかったようだ。
ホッグスが接触を図った理由は、やはりバランド・ラート博士の研究である魔力袋の人工的な発生方法を知るためだったらしい。
バランド・ラート博士は手記に、魔力袋の発生方法を教えるとすれば、異世界の魂を使った製造方法を確立してからだと書いている。異世界の魂の召喚については、この時点でも秘密にしていたようだ。
「異世界の魂の召喚なんて遠回りをせずとも、魔力袋さえ得られればホッグスは満足するだろうし、バランド・ラート博士の選択も妥当かな」
「魔力袋の発生方法を教えても、用済みだからと殺されそうだしな」
実際、旧大陸の宿で殺されているし。
デュラに到着した途端ホッグスに居場所を掴まれた事で身の危険を覚えたバランド・ラート博士は、護衛としてウィルサムを雇ったようだ。
ウィルサムは当時、開拓者としてではなく精霊教会の雇われだったらしい。新大陸での布教を行う司教たちの護衛を務めていたようだ。
新聞報道の熱心な精霊教徒というフレーズも、司教の護衛を務めていたからなのだろう。
精霊教会に嫌われていたバランド・ラート博士の護衛に鞍替えした時点で、熱心な精霊教徒ではないだろうけど。
旧大陸に戻ったバランド・ラート博士は各地を回りながら情報を収集していた。
しかし、バランド・ラート博士に新大陸派からの接触が相次ぐようになる。
ホッグスの使いではなく、軍の中枢にいるような人間の名前さえ出されていたようだ。
「ミツキ、ここに出ている名前を名簿にしてくれ。俺が読み上げる」
「ブラックリストだね」
「まだグレーだな」
しかし、バランド・ラート博士はグレーどころか明らかな黒だと認識していたようだ。
新大陸派は革命か、独立を企てている、とバランド・ラート博士は考えていたらしい。
新大陸にはライグバレドやガランク・トロンク貿易都市などの経済基盤が整っており、珍しい香辛料などの特産品もあるため、独立しても国としての維持は可能だろう。政治体制の確立などの問題点は多いが、海を隔てた旧大陸の本国が独立を阻止するのは難しい。
革命にせよ、独立にせよ、戦争を経ることは間違いないため、バランド・ラート博士は警戒を深めた。
魔力袋を人工的に発生させる事ができれば、俺がアンヘルを相手にやったように数の暴力で戦闘を有利に進めることができる。バランド・ラート博士の研究を悪用し新大陸派が魔力袋を量産すれば、さらに出生率が落ちてしまう。
異世界から魂を呼び込んで魔力袋に加工し魔導核として使用する事で、出生率の低下を食い止めようとしたバランド・ラート博士にとっては見過ごせない事態だ。
しかし、未だに異世界の魂を狙った場所に召喚する事が出来ないバランド・ラート博士には今までの研究資料を秘匿し続ける以外の方法が取れなかった。
「つまり、新大陸派は異世界の魂が召喚された事を知らない?」
「そういう事になるな。これで、異世界の魂が召喚された事を知っているのは俺たちとウィルサムの三人だけだ」
ウィルサムに関しては口封じするつもりはないけど、誰にも話すなと念を押した方が良いだろう。
最大の懸念事項だった異世界の魂召喚については俺たち以外に知らないという事で、今後は無視してもいいだろう。
「でも、活動中の魂の減少と出生率低下に関しては放っておけないんだよな」
「なんで?」
ミツキが首を傾げて訊ねてくる。
「俺たちの場合、死んでも記憶を保持したまま生まれ変わるわけだろ。という事は、今のまま魔導核を生産し続けて出生率を低下させ続けると、最終的には俺たち二人だけになるぞ」
「人類滅亡フラグが立ってるわけだね」
「アダムとイブになっても魂が他にないから子供も生まれないしな」
そんな事態を招かないために、魔導核をこれ以上増やさないように数量調整すべきだ。
ミツキはこめかみに人差し指を当てて、ムムム、と考える。
「地球で言うところの二酸化炭素排出量の制限みたいな?」
「そんな感じだ。理想としては各国が魔導核の生産量を決めて、生産した魔導核は何年かしたら魔力を流し込んで消失させる仕組みを作れればいいんだが……」
「律儀に守ってくれるわけがない、と。それこそ、戦争なんて始めたら戦略物資になる魔導核を密造したりもするだろうね」
魔導核には容量があり、同時に発動できる魔術の数や種類、規模に制限がかかる。魔術式の改良で容量を節約したりもできるが、この世界の文明の根幹をなす物であるため今後も依存度は高まっていく事が予想される。
国の存在意義が国民の生活を守り、文明文化を発達させていく事と定義すれば、国際条約等で制限を掛けても守る国は少ないだろう。
「まぁ、それは今後考えていくとして、新大陸派の動きも問題だな」
「ウィルサムとここで別れても、ウィルサムが新大陸派に捕まったり殺されたりして持ち物を調べられたら、バランド・ラート博士の研究資料を持っていない事がばれちゃうもんね」
ミツキが窓の外を見る。
ミツキの言う通り、ウィルサムと別れるのは悪手だが、かといって行動を共にするわけにもいかない。本人は濡れ衣だと言っているが、ウィルサムはバランド・ラート博士殺害事件の容疑者であり、指名手配犯だ。
「ホッグスは俺たちがバランド・ラート博士を調べている事を知っている。仮に撤退戦で死んでいたとしても、他の新大陸派に俺たちの事を話していないとも限らない。ウィルサムの次は、俺たちになるかもな」
「新大陸派を一網打尽にするしかないね」
「そうなるな。ワステード司令官に情報提供するのは確定として、ウィルサムをかくまう事も考えないと」
手記を見る限り旧大陸にも新大陸派の人間はいるようだし、ウィルサムに逃げ場はない。
ワステード司令官に相談するか、偽名を使わせてどこかの開拓団に放り込むか。
ウィルサムは新大陸にきてから一年間逃げ切っているし実力も相当な物だから、簡単にはやられないと思うけど。
「この家に置いておくのは?」
「万が一、ウィルサムが新大陸派に捕捉された時、ミツキの家に潜んでいたなんてばれたら、即刻俺たちへも追手がかかるぞ」
俺とミツキがウィルサムの関係者ですって言ってるようなもんだからな。
「ワステード司令官と連絡が取れるまではここでかくまうとしても、その後はどこかに行ってもらう方がいいかもしれない」
「命がけで研究資料を守り抜いてくれた相手だけに気が引けるけど、仕方ないね」
ミツキが苦い顔をした。
俺もミツキと同じ気持ちだが、意識を切り替える。
「今後の方針としては、新大陸派の革命、または独立戦争の阻止、そのためのワステード司令官との接触という事になる」
「それじゃあ、できるだけ早く私の家に番犬を置いておかないとだね」
方針を決めて、俺たちはすぐに動き出した。