第十三話 後ろ向きの覚悟
銃撃、ロックジャベリン、共に効果なし。
爆発系の魔術、腕の一振りでかき消され、少々のやけどを負わせるだけ。
「重戦車か何かか、こいつは!」
叫びつつ、俺と芳朝は共に民家に飛び込んで窓を割りながら家を挟んだ向こうの道へ移動する。
体長四メートル越えのゴライアは民家に阻まれると屋根に手を掛けて体を持ち上げ、塀でも越えるように民家を乗り越え、俺たちの後を追ってくる。
歩幅がまるで違う事もあり、単純な追いかけっこでは逃げられない。
そう思って民家を使った障害物競走に切り替えたものの、引き離すまでには至らない。
「他の魔物と出くわしたら一巻の終わりだよ。どうするの?」
「どうするって――」
本当にどうしたらいいんだよ。
芳朝が牽制のために放ったロックジャベリンを素手でワシ掴みにして投げ返してくるゴライアを肩越しに振り返って考える。
少なくとも物理攻撃が効くような相手ではない。
拳銃で撃ちこんだ銃弾は皮膚にはじかれることこそなかったが、少し太めの爪楊枝が刺さった程度のダメージしか与えていないようだった。対物ライフルでもないと効果がないと思うのだが、そんな物この場にないし、仮にあったとしても走りながら撃てるような代物ではないだろう。
南側での戦闘は激しさを増しているらしく、町全体が騒がしくなっている。あまり逃げ続けていると芳朝の言う通り他の魔物と出くわして挟み撃ちにされ、殺されるだろう。
ゴライアが瓦礫を掴んで投げつけてくるのに気付いて、俺はロックジャベリンで撃ち落とす。
すぐに近くの民家にもロックジャベリンを撃ち込んで今日一日で慣れてきた不法侵入を挟みつつ家の向こう側へと潜り抜ける。
通りに出た瞬間、俺は右足を軸に反転して潜り抜けたばかりの家に向き直った。
俺はポケットに入れたままになっている圧空の魔導核に魔力を込めながら、火炎系の魔術であるファイアアローを左手に構えた。
屋根を掴むゴライアの手を見てすぐにファイアアローを撃ち込み、魔導核に刻まれた魔術式を発動する。
圧縮された空気が生み出された瞬間に解放され、周囲へ突風を巻き起こした。
突風にあおられたファイアアローは形を崩しながらも一気に火力を増し、燃焼範囲を広げる。
俺の圧空で飛ばされた精霊がファイアアローの魔力に触れ、一時的に周囲の精霊密度が増したことにより威力が増したのだ。
屋根の向こうで体を持ち上げようとしていたゴライアは頭上を越えていく軌道を描いていたファイアアローが突然膨れ上がった事に驚いたのだろう。屋根から手を離したらしく、家の向こうで重たい物が落下する音が聞こえた。
俺は再び反転して芳朝の後を追う。
丈夫そうなドーム状の家の玄関で芳朝が手を振っている。
合流してすぐに家の中へ逃げ込み、窓から通りの様子を窺った。
屋根を越えてきたゴライアが俺たちを探して通りを見渡す。頭と左手にやけどを負っているようだが、痛がる様子はない。
ほとんどの魔術を歯牙にもかけないタフさに戦慄する。
俺や芳朝がもっと威力のある魔術を使いこなせれば違うのだろうが、俺たちは訓練らしい訓練を始めたばかりでレパートリーも少ない。
どうする。どうすればいい。
こうして身を潜めてやり過ごす以外に何一つ思いつかない。
ゴライアが通りにいない俺たちを探すことを諦め、近くの民家に拳を突き入れた。
虱潰しに一件ずつ潰していくつもりか。
「いまのうちに裏通りへ抜けよう」
芳朝の細い腕を掴んでリビングの窓へ忍び足で移ろうとした時、
「――赤田川君!」
叫んだ芳朝に押し倒された。
何事かと思った瞬間、俺たちが潜んでいた民家の屋根が吹き飛ぶ。
正確には、床上一メートルほどの高さから上の部分が丸々、外からやってきた赤黒い腕に薙ぎ払われたのだ。
石が、レンガが、木材が、はるか彼方へと吹き飛んでいく。
ゴライアがラリアットでもするように走りながら民家を端から薙ぎ払ったのだと気付くまで数秒を要した。
ゴライアが仕事ぶりを確かめるように破壊した家々を振り返る。
空から降ってくる破壊の痕跡をその分厚い皮膚で弾きながら、砂煙の中に立つゴライアの姿は悪魔じみていた。
悪魔の瞳が俺たちの姿を捉える。
獲物をしとめた時の肉食獣のそれにも似た鋭くどこか享楽的な光を瞳に宿して、ゴライアはゆっくりと歩いてくる。
「芳朝、逃げるぞ!」
縫い付けられたようにゴライアから視線を外せないまま、俺は覆いかぶさっていた芳朝を抱き起こす。
あんなものと戦おうと考えること自体が馬鹿げていたとようやく気付いた。勝ち負けを決める舞台にも立っていない。負けて食われる未来しか存在しなかったのだ。
「芳朝、何してる。早く逃げ――」
芳朝の体から力が抜けている事に気付いて、俺はゴライアを視界に収めたまま、芳朝を見る。
「おい、芳朝……」
芳朝は頭から血を流してぐったりしていた。黒髪に血が付着して不気味に光を反射している。
近くに血が付いた木の破片が落ちている事に気付いて、理解する。
芳朝の口元に耳を寄せて息があることを確認した俺は、ゆっくりと芳朝を横たえた。
ゴライアと戦って勝てるはずがない。
だから、生き残るためには逃げなければいけない。何を置いても、逃げるのが正解だ。
俺は立ち上がって、芳朝に背を向ける。
誰にも見咎められるはずがない。ここには俺と芳朝、そしてゴライアしかいないのだから。
だから、ここは逃げるべきだろう。それが正解だろう。
「――あぁ、本当に運が悪いな」
俺は拳銃を引き抜き、ゴライアの目に向けて引き金を引く。
有効射程から外れてはいるが、的が大きいために銃弾はゴライアの耳に穴を穿った。
逃げるのが正解? あぁ、その通りだ。普通の奴なら逃げて、生き抜くのが正解だ。
だが、俺は普通ではない。転生者で、落伍者で、社会不適合者だ。芳朝がいなくなればこの人生に大事なものは何一つ存在しなくなる。この人生に失敗して、これからも失敗し続けるだろう、この世界に置いてきぼりをくらった異邦人だ。
死ぬことに躊躇いはない。生きることにこそ躊躇いがある。その躊躇いを取り除くために、喪失感におびえない人生を得るために、この新大陸に来たんだ。
俺みたいな馬鹿でも予想がつく。
芳朝を失えば、またあの絶望的な喪失感に苛まれると。
だから、逃げるわけにはいかない。
もしもここで死ぬとしても、芳朝がいない世界で生きるよりずっとましなのだから。
「死ぬなら一緒がいい、か」
生き残るためではなく、一緒に死ぬために戦おうっていうんだから、俺も程よくずれている。
ゴライアが足を止めた。
俺は両手で拳銃を支え、まっすぐ前に突き出す。照準器を覗き込み、ゴライアの目を執拗に狙って撃ち続ける。
ゴライアは俺の銃撃など気にした様子もなく、別の何かを警戒するように周囲を見回した。
ゴライアの様子がおかしい事には気付いていたが、芳朝を担いで逃げ切れる相手でもない以上、俺の取れる行動は限られている。
空になった弾倉を右手で外しつつ、左手で取り出した新しい弾倉と入れ替えた。
いまだ好転しない状況の中で、それでも活路を見出そうと周囲に視線を走らせる。
南側の戦闘音はやむ気配がない。それどころか徐々にギルドの方へ移動しているようだった。
目の前のゴライアも南の戦闘音を警戒し、ちらちらと視線を向けている。俺と芳朝という餌が目の前にあるため南に行く様子はないが、気移りしているのだ。
だからこそ、ゴライアは気付かなかったのだろう。
北の民家からゴライアを覗く灰色の人型の陰に。
聞き覚えのあるリンと鈴が鳴るような澄み切った音が空気を揺らした直後、大鎌が空気を切り裂いて民家と民家のわずかな隙間から飛来する。
狙い過たずゴライアの背中に突き立った大鎌には鎖がついていた。
「うちの弟分と妹分に手を出さないでもらおうか」
デイトロさんの声が拡声器から響き、鎖が一気に手繰り寄せられる。
灰色の精霊人機レツィアは増強された腕部を軋ませ、轟音を伴って拳を放つ。
デイトロさんの卓越した技量はレツィアの拳を最高速で民家の間に滑り込ませ、大鎌を突き立てられて逃げる事の出来ないゴライアの頭を粉砕した。
頭を失ったゴライアの体がくずおれて石畳に赤い染みを広げる。
レツィアは腕を引き戻すと大鎌をゴライアの背中から引き抜いた。
「二人とも無事、ではないみたいだね。悪いけれどレツィアの魔力残量も少ない。手の上に乗ってくれ」
レツィアが地面に手を広げる。
俺は芳朝の体を背負った。
頭を怪我している芳朝を動かしたくはなかったが、今は町を脱出するのが先だ。
俺が芳朝を背負ったまま手のひらに乗ると、レツィアの腕がエレベーターのように持ち上がる。
独特の浮遊感の後、レツィアの手のひらは肩のあたりで上昇を止めた。
視線が高くなったことで、俺は周囲に整備車両がない事に気が付いた。それどころか、レツィア以外の精霊人機も見当たらない。
「デイトロさん、回収屋の皆さんは?」
「北門の外に待機させているよ。レツィアをすぐに動かすためには車両の蓄魔石からも魔力を移す必要があったからね」
俺たちを救出するために急いでレツィアを起動させたのか。
だとすると、南側で起こっている戦闘はいったい誰が始めたんだ?
南に目を凝らすが、建物が邪魔で見通しが効かず、何が起きているのかはわからない。
「説明は後だ。しっかり掴まってくれよ」
デイトロさんに言われて、俺は芳朝を落とさない様に抱え直してレツィアの指に掴まった。
レツィアが反転して北門に向けて駆け出す。
南側に魔物が集まっているのか、道中にゴライアやギガンテスは見当たらない。
南へ走って行くゴブリンに遭遇しても、体長一メートル程度のゴブリンと七メートルの鋼鉄の巨人であるレツィアで勝負になるはずもなく、道端の石にするように蹴り飛ばされていた。
大きさはそれだけで武器となり得る。
ゴライアとの戦闘でもわかったが、精霊人機の戦闘力は隔絶しているのだ。人類の最終兵器だけはある。
だが、俺は操縦することができない。
今回のゴライアとの戦いで俺は無力さを痛感した。大事な物を作れたとしても、俺は何も守れない。
力が必要だ。
新大陸では、町一つが魔物の群れに簡単に滅ぼされるのだから。
通りを走り抜けるレツィアの手の上から、魔物に荒らされた町並みを眺める。
急速に後ろへ流れていく町の景色は、人の世から置き去りにされた空虚さに包まれていた。
もはや守るものが内側に無いにもかかわらず、そびえ立つ北の防壁が見えてくる。力がないばかりに大事な物を取りこぼした、ただの壁だ。
北門を潜り抜けてしばらく走ると、デイトロさんはレツィアの速度を落とし始める。
後方に小さく見えるデュラはまだ騒がしかったが、町の外に広がる北の森は静かなものだった。
道の先に精霊人機が佇んでいる。回収屋が持つもう一機の精霊人機だ。
「異常は?」
「なしです。兄貴は無事みたいですが……二人は?」
精霊人機同士で拡声器を使った報告をして、デイトロさんはレツィアの手を地面まで下げてくれた。
「怪我をしている。整備車両に運んでくれ」
森の中に隠蔽されていた整備車両からぞろぞろ回収屋の面々が出てきて、芳朝の怪我の具合を見て中に運び込む。
「大丈夫。頭の骨にも異常はないようだから」
魔術の訓練に付き合ってくれたお姉さんに言われて、俺は胸をなでおろした。
本当にギリギリではあったが、何とか生き残れた。俺が何かをできたとはお世辞にも言えないが、それでもこうして町を出られたのは不幸中の幸いだろう。
レツィアに乗ったデイトロさんが間に合わなかったらどうなっていたかは、あまり考えたくなかった。
「ファーグ」
「……はい」
デイトロさんの声に一拍遅れて、俺は返事をする。
この世界での自分の名前がコト・ファーグだとすっかり忘れていた。コト・ファーグと呼ばれて過ごした十三年間よりも、芳朝と過ごした数日の方がよほど濃かったからだろう。
デイトロさんは返事が遅れたことに疑問を抱いた様子もなく、俺の頭の上に手を置いてきた。
「よく生き残った。正直、もうだめかと思ったよ」
本当に駄目だと思ったのなら、助けになんか来なかっただろう。
望みはあると考えたからこそ、無理をしてまでレツィアで駆けつけてくれたのだ。
「助けに来てくれてありがとうございました」
深く頭を下げる。
頭を持ち上げた時、デイトロさんの手はすでに俺の頭上から消え去っていた。
レツィアに集中させた魔力を各車両などに分散させるといってレツィアに向かったデイトロさんに背を向けて、俺は遠くのデュラを見る。
芳朝という大事な者がいる限り、俺はあの町よりいくらかマシなのかもしれない。どんぐりの背比べ程度の違いしかないのだろうけど。
芳朝の目が覚めたら、身を挺して庇ってくれたことに礼を言おう。