第十二話 撤退作戦会議
空が暗くなり始めた頃、俺たちは川の近くにある崖の側に駐留するワステード元司令官の部隊に合流した。
「よく帰って来てくれた」
ワステード元司令官が俺たちを労って、ロント小隊長に向き直る。
「天幕で被害状況を聞きたい。再編成も考慮しなければな」
ワステード元司令官が設営済みのテントを指差すと、ロント小隊長が一礼してテントへ歩き出す。
俺たちはどうしたものかと思っていたが、ワステード元司令官はロント小隊長の後には続かず、視線を向けてきた。
「そちらの開拓者はロント小隊長が個人的に雇った開拓団かな?」
「開拓団、月の袖引くの団長、タリ・カラです。こっちが副団長のレムン・ライです」
タリ・カラさんが自己紹介すると、ワステード元司令官はそうか、と言って頷いた。
「君たちの働きには感謝している。後程、ボルスまでの撤退戦について会議をする。君たちにも出席してもらいたい」
「……軍の会議に、ですか?」
タリ・カラさんが怪訝な顔でワステード元司令官を見つめる。
ただの開拓団を撤退戦の方針や作戦を決める会議に出席させる意図がつかめないのだ。
ワステード元司令官は頷き一つで肯定を示す。
「我が軍は大きな損害を被っている。無事な部隊は一つもない有様だ。再編成を行うとしても、連携は望むべくもない。君たちのようにまとまった戦力を有する者達は現状では貴重な戦力だ。会議に出席してもらいたい」
貴重な戦力だからこそ、会議に出席させてできる事や出来ない事を積極的に意思表示してもらいたいのだろう。撤退戦を行う以上、一つの失敗が全体の計画を遅らせることになり、その分生存率が下がってしまう。
月の袖引くの力を借りなければならない今、意見をすり合わせるのは必須事項だ。
「ロント小隊の損害状況や再編成の計画で少々時間が必要になる。君たちには今のうちに英気を養ってもらいたい。会議を始める前には声をかける」
「了解しました」
タリ・カラさんはワステード元司令官に頭を下げて、レムン・ライさんを連れて月の袖引くの整備車両へ戻って行く。
軍が駐留している場所からやや河寄りに陣取って、野営の準備を始めた。
空を見上げれば、星が瞬いている。散々雨を振らせていた雲もどこかへ流されたようだ。
ワステード元司令官が俺たちを見る。
「君たちには格別の感謝を。二人のおかげでボルスの状況を知ることができた。精霊人機を持つ貴重な部隊の合流も手助けしてもらえた。感謝しきれない」
「いえ、依頼のついでだったので、お気になさらず」
ワステード元司令官が苦笑する。
「そうだとしても、結果的に我々が救助された事実は変わらない。感謝している」
ワステード元司令官はそう言うと、不意に視線を河へ向けた。
連日の雨が河を増水させたらしく、濁流が轟々と音をたてて流れていた。
「君たちは濃霧の中でも索敵は可能か?」
「索敵能力が変わらないただ二つの精霊獣機なので、可能ですよ」
さすがに狙撃の精度は落ちてしまうが、照準誘導の魔術を使えば当てることくらいはできる。
ワステード元司令官はそうか、とだけ言ってテントへ足を向ける。
「君たちにも作戦会議へ出席してもらいたい」
「まとまった戦力ではないですよ?」
「豪雨の中で、中型、小型の区別なく魔物を撃破しながらリットン湖を約一周した者が言う台詞ではないな。いずれにせよ、君たちには戦力としてではなく、斥候としての能力を期待している」
そんな事だろうと思った。
俺は駐留している軍の規模を見て、ため息を吐く。
この大きさの部隊が移動するとしてどれくらいの範囲を索敵すればいいのか皆目見当がつかない。
進軍速度によっては、俺たちが索敵を終えた場所に魔物が後からやってきて、軍の後背を突く可能性だってある。
あまり求められすぎても困るのだが、この手の発言は会議でする方が良いだろう。
「それじゃあ、俺たちもしばらく休ませてもらいます」
「そうしてくれ。仮眠を取っておくのもいいだろう」
ワステード元司令官と別れて、俺たちは軍や月の袖引くから離れた場所にディアとパンサーを停める。
河の側にある精霊人機が眼に入った。行きにも見かけた、大破した精霊人機だ。
「修復できなかったんだな」
「あの壊れようだと、仕方がないね。魔導核と蓄魔石の回収くらいはするだろうけど」
ディアの角とパンサーの尻尾に布を引っ掻け、簡易テントにする。
もうやんだとはいえ、降り続いた雨の影響で湿気が凄い。
「パンサーが結露してるんだけど……」
ミツキがパンサーの胴体を拭きつつ不満を口にする。
「こればっかりはなぁ」
金属でできている以上は避けて通れない。
布を絞ったミツキがふと思いついたような顔をした。
「こんなに汗水たらして頑張ってくれたんだねぇ」
「そう取るか」
演技がかった動作でパンサーを拭き終えたミツキが布を絞ってからパンサーの腹部の収納部に放り込み、パンサーの背に寝転がった。
「つっかれたぁー」
「まったくだ。今日だけで何体魔物を仕留めたか分からない」
両手では収まらない数なのは確かだけど。
俺もディアの背に寝転がる。
海で泳いだ後のような、揺れる感じが残っている。ずっとディアの背に揺られていたからだろう。
自然と瞼が落ちてきて、意識が沈んでいく。
しかし、ディアの鳴き声が聞こえてきて飛び起きた。
何かが近付いてきたことを知らせる、ディアの鳴き声とパンサーの唸り声。
俺はディアの角から布を外して外に顔を出す。
五百メートル先に光魔術で足元を照らしながら歩いてくる軍人の姿が見えた。
ワステード元司令官が寄越した使いだろう。
「ミツキ、会議の時間だ」
「分かってる」
ミツキもパンサーの唸り声で目が覚めたらしく、手ぐしで寝癖を整えていた。
やってきた軍人は会議に出るために身支度を整え始めた俺たちを見て目を丸くした後、用件を告げる。
「ワステード副司令がお呼びです。天幕に来てほしいとの事です」
「いま行きます」
ディアとパンサーを操作して、天幕へ向かう。
軍人たちが複雑そうな目を向けてくるが無視した。
到着した天幕の側にディアとパンサーを停め、中へ入る。
「そこへ座ってほしい」
ワステード元司令官が簡易机の端におかれた折り畳み式の椅子を勧めてくる。
ミツキと並んで腰掛けながら、簡易机を囲むメンバーを流し見た。
指揮を執るワステード元司令官とその背後に立つ雷槍隊の副隊長、ロント小隊長と、俺たちがリットン湖に向かう途上で出会った小隊長ともう一人の見覚えのない小隊長、月の袖引くからはタリ・カラさんとレムン・ライさんがいた。
ワステード元司令官が口を開く。
「これで全員だ。中隊長の位にいた四名は皆、私が戦死を確認した。他の小隊長に関しても十三名中七名が死亡したようだ。残りは行方が分からない」
大損害だな。
ワステード元司令官がロント小隊長に目を向ける。
「あの戦場に最後まで残っていたのはロント小隊長の部隊だ。死亡した七名の小隊長のうち、五名は彼が戦死を確認している。また、行方不明の小隊の内、超大型の魔術で押し流された者については生存が絶望的だ。我々はここにいる者だけでボルスへ帰還する。異論があるものは?」
誰も口を開かなかった。三人の小隊長が悔しそうに歯噛みしているが、ここで捜索に出ても二次被害が出るだけだと分かっている。
いま生きているだけでも奇跡に等しいのだ。合流を果たした今でさえ、超大型と出くわせば壊滅しかねない。
物資もほとんど底をついており、早急な帰還が望まれる。
現在見つかっていない行方不明者に関しては諦めるしかないという事で意見は一致していた。
沈んだ空気を流す様に、ワステード元司令官が話を進める。
「現在、ここにある戦力は雷槍隊機全六機、精霊人機が六機、更に開拓団月の袖引くの精霊人機が一機だ。随伴歩兵と通常の歩兵に関しては負傷者も多い。基本的に車両の護衛に回すことになる。さらに、特殊な戦力がそこの二人だ」
「はい、特殊戦力です」
ミツキがにこやかに手を振る。
見覚えのない小隊長が苦い顔をした。
「鉄の獣と共同作戦とは、自分も運が尽きたのでしょうな」
「よかったね。後は溜めるだけだよ」
見覚えのない小隊長の愚痴をストレートに打ち返したミツキに、見覚えがある方の小隊長が顔をゆがめる。
「遺憾な事この上ないが、その二人の実力は本物だ。二人きりでボルスから河を越え、最速で我々の下までやってきた。機動力は申し分ない。斥候役としては非常に優秀な部類だろう」
「その通り、鉄の獣には斥候役として活躍してもらう事を考えている。中、小型の魔物が相手であれば仕留めることも逃げることもできる、優秀な斥候役であり、戦闘員だ」
ワステード元司令官が話の流れに合わせて俺とミツキに仕事を割り振ってくる。
「鉄の獣は霧の中でも索敵能力が変わらない魔術式の持ち主だ。それを念頭に置いておくように」
「霧、ですか。明日の朝から出るとワステード副司令はお考えですか?」
ロント小隊長が水を向けると、ワステード元司令官は深く頷いた。
連日の雨で地面は水気を十分に含んでいる。加えて、明日は日が出る可能性が高く、熱せられた地面から立ち上った水蒸気が霧を発生させる可能性は高い。
視界が利かない中での撤退戦は非常に危険が伴う。
俺とミツキが斥候役として出れば、魔物に奇襲を受ける可能性は低くなるだろう。
俺たちがこの場に呼ばれた理由を理解してか、小隊長たちは口を閉ざす。
ワステード元司令官が具体的な作戦を決めよう、と口火を切った。
「まずは河を渡る方法が問題となる。連日の雨により川は増水し、氾濫の兆しもある。橋も流されていて使い物にならない」
元々簡易的な物だった橋は増水した河の圧力に耐えられなかったか。
本来なら、河の水量が落ち着くまで待ってから渡るべきなのだろうけど。
「物資が致命的に不足している今、悠長に河が落ち着くのを待つ事は出来ない。超大型がいつ襲って来ないとも限らない現状では、早期に河を渡るべきだろう。渡る方法だが、精霊人機でロックウォールを発動し、橋を架けるつもりだ」
「精霊人機の数はそろっていますから、可能ではあるでしょうが……」
見覚えのない小隊長が言いよどむ。
ワステード元司令官は反論を予想していたのか、続けて口を開く。
「軍を二回に分けて向こう岸へ渡すつもりだ。精霊人機に魔力を込め直さねばならないため、一度目と二度目の間には十二時間の休憩を挟む事になる」
「その間、向こう岸の戦力は魔力切れの精霊人機と歩兵のみ、ですか。危険すぎるのでは?」
小隊長の一人が訊ねると、ワステード元司令官は肯定しつつも俺たちを見た。
「作戦の決行前に鉄の獣を向こう岸に送り込み、その索敵能力をもって安全を確認する」
「この二人にそこまでの大役がこなせるとは到底思えません。まだ子供ですよ?」
「――いや、難なくこなすだろう」
小隊長の言葉に反論したのはロント小隊長だった。
呟くような小さな声だが確信を持った響きに、小隊長が口ごもる。
隙を逃さずに、ロント小隊長は続けた。
「鉄の獣は二人きりで運用する方が理に適っている。高機動力の広範囲索敵、狙撃による遠距離攻撃といった特徴があるが、一度に処理し切れる魔物数はそう多くない。甲殻系の魔物が相手ならばなおさらだ。だが、鉄の獣は二人きりで向こう岸に送ったところで死ぬことはまずない。逃げ足も速いからな」
そうだろう、とロント小隊長が同意を求めてくる。
「そうですね。他に歩兵とかがいても足手まといになるだけですし、霧が出るのなら他に索敵能力を維持できる人もいないでしょう。安全を確認するだけなら問題はないと思います。魔物を始末して安全を確保しろと言われると厳しいですけどね」
霧が出ると狙撃能力が下がるため、魔力袋持ちの中型甲殻系魔物は仕留め難い。
俺の返答に半信半疑の目を向ける小隊長二人に対して、ロント小隊長が決めるのはワステード元司令官だとばかりに視線を向けた。
もとより作戦立案者であるワステード元司令官が反対するはずもなく、俺はミツキと共に早朝を待って向こう岸へ先行偵察に出ることが決まる。
俺は片手をあげて発言を求める。
「一つ、先行偵察に出るにあたって意見を出してもいいですか」
「なんだね?」
俺から要望が出るとは思っていなかったのだろう、ワステード元司令官は面白がるように目を細めた。
「河を渡る第一陣に月の袖引くとロント小隊を出してください。拠点を知り合いに固めてもらった方が安心できるので」
「月の袖引くは元々第一陣として出てもらうつもりだった。まとまった戦力だからな」
ワステード元司令官がタリ・カラさんに視線を向け、第一陣として出ることに異論はあるかと尋ねる。
タリ・カラさんは首を横に振った。
「異論はありません。拠点防衛という大任ですが、任せて頂けるのであれば果たしましょう」
「それを聞いて安心した。ロント小隊長はどうかな?」
「構いませんが、精霊人機の補修を完了させたいので整備士の派遣を求めます」
「分かった。雷槍隊の者を出そう」
機密情報を扱う整備士を派遣すると臆面もなく言うワステード元司令官。
俺が思っている以上に、人手が足りないらしい。
「決行は明日だ。全員、今晩はゆっくり休む様に」