第二話 テイザ山脈調査報告
二日間の調査の末、テイザ山脈を下りてボルスに帰還する。
リットン湖攻略隊がいなくなって閑散とした街の姿を横目に、整備士君と別れた。
「ベイジルさんを呼んでくるから、ギルドにいろよ」
俺の事を指差してそう言ってくる整備士君に苦笑して、俺はミツキと一緒にギルドに向かう。
「本当に人が居ないね。開拓者が戻ってきたりしないのかな?」
「一番近い町からでもここまで三日はかかるんだ。今頃はどこの開拓団もリットン湖攻略隊の出発を聞きつけた頃だろ」
つまり、ボルスへ来るまでにあと三日はかかるという事だ。
ボルスにやって来る意思を持つ開拓団がどれほどいるかは分からないけど。
ギルドのガレージにディアとパンサーを停めて、ギルド館に入る。
「こっちも閑散としてるな」
テイザ山脈の調査に向かうまでは、小隊の護衛などでやってきている開拓者の姿もあったのだが、今はその姿さえない。
カウンター越しに職員へ依頼完了の報告をする。
「では、依頼人を呼んできますね」
「ベイジルの方は同行者が呼びに行ったので、ビスティだけをお願いします」
「了解しました」
職員がすぐに手近な同僚を呼びつけて、ビスティを呼んでくるように指示する。
自分で行かないのかと不思議に思っていると、職員が真剣な顔で俺たちに向き直った。
「出発日は決まっていますか?」
「藪から棒ですね。出て行ってほしいんですか?」
ガランク貿易都市で、街の景観を損ねるから退去してほしいと言われた事を思い出しながら訊ねると、職員は首を横に振った。
「逆です。できるだけ長くとどまって頂きたいんです。周囲をご覧ください。人が少ないでしょう?」
「何かありましたか?」
職員がカウンター横の新聞紙を指差す。
前世でもホテルや図書館などで朝刊が見れたものだが、ボルスのギルド支部でもサービスを始めたのか?
新聞を手に取ってみると、小さな記事にリットン湖攻略隊本日出発の文字があった。
「扱いが小さいですね」
本来、この手の大規模な攻略戦ともなれば一面や二面記事にでかでかと掲載される。
それがこんなに小さな記事に落ちているのは、ボルスでは誰もが知っている内容だからか。
職員がため息を吐く。
「派閥争いに巻き込まれることを嫌った新聞社が今回のリットン湖攻略戦の記事を扱いたがらないんです。直接取材している新聞社がこの対応をしている以上、新聞記事の情報をもとに動く開拓団はボルスに近寄りません」
開拓団がボルスに近付きたがらない。
前々から派閥争いが囁かれていた場所だけあって、今回のリットン湖攻略隊の記事の扱いから、攻略戦中に何かが起こると推測するのはそう難しくない。
派閥争いに巻き込まれることを嫌った開拓団はボルスへ向かう依頼を受けたがらず、以前の砲撃タラスクによる被害で補修工事が必要なボルスへの資材運搬の護衛に参加しない。
ボルスは元々軍の施設だ。来たるべきリットン湖周辺の開発を見据えて作られた、宿場町としての機能もあり、経済的にも要地となる。
「開拓団がボルスに来れない以上、軍の一人勝ちです。ボルスへの護衛はギルドから軍の新大陸派に掌握されるんですよ。この辺りはまだ農地もありませんから、住人の食料品も運ぶのは新大陸派の護衛です。かなりの利権ですよ」
そこで、と職員が忙しく書類を書き上げている同僚を見る。
「各職員が面識のある開拓団に書状を送って呼び込もうとしています。ボルス行きには手当も出す、とね」
不意に大型魔物と遭遇しても対処できるように、護衛依頼を受けられる開拓団は精霊人機を持っている必要がある。
精霊人機を運用できる開拓団ならば、もっと安全な依頼を選ぶだろう。職員からの懇願もどこまで効果があるか。
職員も自分たちの影響力は分かっているらしく、俺たちを見て続けた。
「いくつの開拓団を呼び込めるか分かりません。ですから、いまボルスにいる開拓者の皆さんは出来るだけボルスで仕事を受けてほしいのです」
「それで、長くとどまってほしい、という事ですか。こちらにも事情があるのでお約束できませんけど、リットン湖攻略の成否はここで見届けるつもりですよ」
「それを聞いて安心しました。……ベイジルさんが来たようですね」
職員に言われて、入り口を振り返る。
ベイジルと整備士君が入ってくるところだった。
ミツキが開いているテーブルを指差すと、ベイジルたちは黙礼し先にテーブルへ歩く。
俺はテーブルに向かって一歩を踏み出しつつ、職員に声をかける。
「しばらくボルスに滞在するつもりですが、護衛の依頼はリットン湖攻略の成否が分かるまで受けられませんよ」
「分かりました。もともと、お二人とどこかの開拓団の合同で受けていただくつもりなので、護衛依頼に関してもすぐにというわけではありません。その点はご安心ください」
ミツキと一緒に職員に一礼して、テーブルに向かう。
「テイザ山脈の報告書はこれだ。そっちの整備士君から話は聞いてるんだろうけど、一応渡しておく」
報告書を渡すと、ベイジルはぱらぱらと流し読み、頷いた。
「これは読みやすい。こちらの簡易的な地図の分も報酬に上乗せしないといけませんね。何しろ人跡未踏のテイザ山脈の情報ですから」
「それはタダでいい。その代わりというのも変な話だけど……備えておいてくれ」
テイザ山脈における調査の間、魔物には一切遭遇しなかった。
リットン湖方面に枝が折れた木がいくつか見つかっており、これは大型魔物が通った跡だという見方が俺とミツキ、それに整備士君の中で一致している。
ベイジルが報告書を見ながら顎を撫でる。
「大型スケルトン種でしたか。実物を見たのがお二人だけ、という点で扱いに困っておりましてね」
「報告書に大型スケルトンの事は書いてませんよ。何らかの大型魔物が通った跡とみられる、と表現をぼかしておきました」
生息地域と環境から未知の大型スケルトン種とみられる、では軍の上層部に突っ込みを入れられかねない。本当にそんな魔物がいるのか、という証明から始めねばならず、証明するためにはテイザ山脈に入る必要がある。
なにより、今回の調査で大型スケルトン種、通称交通訴訟賞には出くわしていない。
それならば、何らかの大型魔物が通ったとした方が、上層部も近隣に生息する人型大型魔物ギガンテスと考えるだろう。ちょうど、デュラを落とした人型魔物の一体である首抜き童子がテイザ山脈の向こう側、トロンク貿易都市の付近で生まれたと考えられているのもちょうどいい。
「……若い開拓者と思えないほど、上への報告書の通し方を心得ているようですね」
苦笑交じりに言って、ベイジルは報告書を鞄に仕舞った。
「リットン湖攻略隊は現在、河を渡り、崖を迂回してリットン湖に向かっているようです」
防衛拠点ボルスから道なりにリットン湖に向かった後、湿地帯を進んだ先にある河と、その先にある崖を思い出す。
ミツキと一緒に登ったあの崖は、テイザ山脈と同じく精霊獣機無しでは越えられない事から、リットン湖攻略隊は崖を迂回する道を選択せざるを得なかったのだろう。
「いまあの崖にいるという事は、リットン湖への到着は明日の夜、攻略開始は明後日の朝からになりそうですね」
ワステード元司令官から渡されている進軍経路や予定されている日数などを思い出す。予定通りに進んでいるようだ。
事が起こるとすれば、明後日以降になるのだろう。
ベイジルが真剣な顔で声のトーンを落とす。
「何かが起こった際には駆けつけたいと自分も思っていたのですが、不安要素が多すぎましてね。スケルトン種がリットン湖攻略隊を襲う場合も困りますが、砦にやって来る場合も困る。そして、自分はいまこのボルスの防衛責任者です。迂闊には動けません」
ワステード元司令官も、ベイジルが迂闊に動けない様に防衛責任者になるよう画策したのだろう。
ワステード元司令官に対立している新大陸派のホッグスにとっても、生ける伝説扱いのベイジルは旧大陸派閥の救援に出てこられては厄介な人物である。
ワステード元司令官とホッグスの利害が一致したことで、ベイジルはボルスの防衛責任者となったのだろう。
「スケルトン種の事をワステード元司令官には報告するんですか?」
「そのつもりですよ。リットン湖の周辺は甲殻系魔物が多く、精霊人機がハンマーを多く装備しているのでスケルトン種との相性もいいのですが、問題は歩兵の被害です」
人骨型の魔物であるスケルトン種はその頭骨を破壊しなくては倒すことができない魔物だ。骨だけあって硬いため、倒すためにはハンマーのような打撃武器やロックジャベリンのような魔術を使用する。
しかし、精霊人機とは違って歩兵はハンマーを使う者が少ない。どうしても持ち運びに不便で、体力的な面で戦闘時間が短くなってしまうからだ。
したがって、スケルトン種との戦闘ではロックジャベリンを使用する。
だが、今はリットン湖攻略の最中であり、相手にしているのは甲殻系の魔物だ。こちらの魔物に対してもロックジャベリンなどの魔術を使用せざるを得ない。
軍隊ならば、魔力の枯渇を避けるため、数人でかわるがわるロックジャベリンを撃つことで負担を分散するのがセオリーだが、新旧大陸派閥で睨み合い、連携が取れていない状況でどこまでやれるのかは不安が残る。
倒すべき魔物に甲殻系魔物だけでなく、スケルトン種まで追加されると、歩兵の負担は膨れ上がるだろう。
ベイジルがため息を吐く。
「それに、スケルトン種は痛覚もありませんので、手や足の骨を砕かれても頭を砕かれた仲間の死骸から骨を取り出し、交換する事で平然と活動を再開します。精霊人機の部品交換では時間がかかるものですが、スケルトンの場合は一瞬で済ませてしまう。群れるほど戦闘が長引いてしまう傾向にあります。歩兵がどれほど帰ってこれるか分かりません」
あいつってそんなに丈夫な魔物だったのか。
甲殻系魔物と合流して襲ってきたりすると、苦戦しそうだ。
「スケルトン種が魔術を使えない事が唯一の救いです。遠距離攻撃だけは飛んでこない。ですが、魔力袋持ちの甲殻系の魔物と合流したなら救いもなくなります。お二人が救援に向かわれる際はくれぐれもお気をつけて」
ベイジルは俺たちに忠告すると席を立った。
「あぁ、そうだ。こちらは宿への紹介状です。いまのうちに英気を養ってもらいたいので、ご利用ください」
ベイジルは机の上に一枚書状を置き、笑みを残してギルド館の外へ足を向ける。
整備士君が続いて立ち上がり、ベイジルの後に続こうとした足を止めて肩越しに俺たちを振り返る。
「散々からかわれた仕返しもまだなんだから、死ぬなよな」
憎まれ口を叩いてから、整備士君はベイジルの後を追ってギルドを出て行った。
入れ違いに、凄腕開拓者二人を護衛に連れたビスティがやって来る。
「――どうでしたか!?」
駆け寄ってくるビスティに苦笑しつつ、テイザ山脈で取って来た新種の植物の標本と、テイザ山脈の簡易的な地図、それに新種植物の分布図をテーブルの上に並べる。
ビスティはまず標本を手に取り、すべての標本が目当ての新種の植物と同じものだと確信してから地図を手に取った。
「生育条件は睨んだ通りみたいですね。後は実際に育てて実証することになりますけど、それは数年かかりますし、やはりこの段階で……」
ぶつぶつと呟き始めるビスティの肩を、凄腕開拓者の一人が苦笑を浮かべて叩く。
「依頼なんだから、完了したかどうかの手続きを先に考えるべきですな」
「あ、そうでした。つい……」
ビスティはばつが悪そうな顔をして、依頼完了の手続きを済ませる。
ビスティがまとめた新種の植物に関する報告書や研究資料に信憑性を持たせるための今回の調査は、ビスティ曰く大成功らしい。
「現在できる裏付け調査はすべて終了です。後は実証なので、僕自らの手で育てていくだけです。なので、今から――」
ぐっと拳を握り込んだビスティは立ち上がり、報告書や標本をまとめる。
「月の袖引くにもう一度入団できないかどうか聞いてきます!」