第07話 闇の中に動く影
「ふふっ。こんなところで面白い子を見つけちゃった!」
一人の幼女が、病院の外にいた。
点滅を繰り返していつ消えてもおかしくない外灯の下で、幼女は可愛らしい真っ白いワンピースを身に纏っていた。だが、深夜にその姿はどこか異様だった。
闇の中、外灯がほのかにある中で幼女が一人で外にいるのがおかしいと気づく者はいない。
夜中のために周囲には人の姿は全くない。
かすかに明るいのは目の前にある病院からの光だが、中はともかく外はひっそりと静まりかえっていた。
幼女は一人なのに全く周囲を怖がることさえせずに、病室を視ていた。
どこか色気のある仕草で、幼女は自身の黒くて真っ直ぐ癖のない髪をくるくると指に絡める。
無表情ながら病室の方向を見る瞳の奥は、どこまでも黒く深い闇色だった。
「……あのおじさん、死ぬ以外に役立つとは思わなかった」
子供とは思えない物騒な言葉を紡ぎ出す幼女は、見た目は確かに幼女なのに年齢以上に感じさせる。
無表情のまま幼女は、数日前の出来事を思い出す。
平日のある日、太陽の見えない雲に覆われた昼間だった。
一人でお腹を押さえた一人の男性が病院に向かって歩いていた。
「あ~いててっ」
……お昼に食べた物がいけなかったのか?
昼ご飯を食べて一時間しない内に強烈な腹痛が始まった。
男性は急いで市販薬を飲んだが、数時間経っても一向に治る気配のない腹痛に、我慢が出来なくなって会社から最寄りの病院に向かう途中だった。
男性は額にうっすら汗を出していた。
どうにか我慢しながらも病院の近くに来た。痛みを堪えて周りを見てもなぜか人通りが少ない。
昼間なのに夕方かと錯覚を覚える。
こんなことなら部下たちが勧めたようにタクシー使えば良かったと男性はお腹をおさえる。
一人で行けると部下たちを振り払ったのは失敗だった。
後悔しながらも、あと少しで病院だと気力を振り絞って歩いていたときだった。
「おじちゃん、だいじょうぶ?」
綺麗な真っ白のワンピースを着た幼女が、男性の前で小首を傾げて立っていた。
突然現れた幼女を不思議に思いながらも、痛みをこらえて返事をした。
「ああ。大丈夫だよ。おなか痛いだけだからね」
男性は、痛みをかろうじて抑えて自分に声をかけてきた幼女に心配させないように笑顔を作った。
「……じゃあもう少し悪くしてもきっと平気よね?」
恐ろしい言葉を口から出した幼女の顔は、何の感情も浮かべていない。
幼女は自分の両手を突然合わせた。
「おいで、お前たち。お仲間が増えるわよ」
そこには禍々しい黒いモノが丸くなって現れた。
男性はそれを目にした途端、あまりのおぞましさに体裁などかなぐり捨てて叫んだ。
「ひっ! な、何だそれ! たすけっ」
恐怖に痛みなど忘れたかのように、男性は幼女から逃げようとした。
「ふふっ。おじちゃん、この子たちのお友達になってあげてね」
幼女の言葉が男性の覚えている最後の記憶だ。
気付くと病院らしい場所にいた。
らしいというのは、目が開かないからどこなのか正確には分からないからだ。
消毒薬や人の話す声で病院らしいというのに当たりをつけたが、身体が動かない。
ようやく目が開いて自分がいるのが病院だと確認できたのは、入院して2日目のことだった。
「これなら大丈夫そうですね」
なぜか目覚めてから言葉が出ない。
話そうとすると咳き込んでしまい、話すのをやめると咳は治まる。
身体は力が入らず看護士任せになってしまった。
「加藤さん、具合はいかがですか? 病院に運ばれて来たの覚えています? 虫垂炎がかなり悪化していたんですけど、手術で良くなりましたからしっかり休養して下さいね」
労わりながら状況を説明されるが、頷く気力もなかった。
入院する前の記憶がなかなか思い出せない。
なぜ自分はこんなに怯えているのか分からない。
そう、怯えているのだ。
目覚めて以来、何かが怖くて仕方なかった。
周囲に自分が怯えているのを話したくても声が出ない。それが余計に恐怖を煽った。
その悪い予感は的中することとなる。
「…………んんっ?」
しばらく寝ていたようだ。加藤は自分が病院に入院したのを思い出す。
腹痛が酷くて病院に向かっていたのは覚えている。
その途中で何かあっただろうか?
「……はっ!」
急に頭の中がはっきりして記憶を取り戻した。
加藤は病院に来る前に不気味な幼女に声をかけられた。
その幼女が黒いモノを自分に向けたのを最後に意識を失った。
あの未知なるモノを見たとき、自分は襲われると思った。
自分で思い出した記憶はおぞましかった。
慌てて起き上がろうとするも身体が全く言う通りに動かせない。
……何なんだ? 一体どうしたってんだ?
身動きの取れない自分に苛立ちを感じたときだった。
「……?」
加藤の周囲に突然黒いモノが現れた。
それは幼女が自分に向けたのと同じ不気味なモノだった。
「……っ!」
恐ろしさに逃げようとするがやはり身体は動かない。
声を出して助けを呼びたいが声も出せずじまいだ。咳き込みさえできなかった。
黒いモノは加藤の周囲をしばらくうろうろとしていたが、そのときはすぐに消えた。
ほっとして疲れと安堵からすぐに眠ってしまった。
「おはようございます。加藤さん、ご飯ですよ」
看護士の声で目覚めるが、状況に変化はない。
目覚めても身体が思うようには動かないことに唖然とした。
どうして身体が動かないんだ? 麻酔などとっくに切れているだろうになぜだ?
看護士によって面倒を見てもらうが、不安なのはあの黒いモノだ。
身体の自由がきかない以上はあれからも逃げられないということだ。
きっと今夜もやって来るのだろうと思うと加藤はいてもたってもいられない気持ちだった。
「……ううっ」
――やはりまた来たか。
加藤は恐怖よりも不快な気持ちを持った。
昨夜と同じ時間なのか、ふと目覚めると自分の側にはあの黒いモノがあった。
それも昨夜よりも大きさが増した状態でだ。
こんなことが続いていたら自分はどうなるのだろう?
その日も黒いモノは加藤の側に寄るだけでしばらくするとまた消えたのだった。
「加藤さん、おはようございます」
また同じように看護士に声をかけられて目覚める。
やはり声は出ないままだ。身体も相変わらず使い物にならない。
誰か助けてくれないだろうか?
加藤は必死に自分の状況を救ってくれそうな人物を探した。
「……あの、あのおじさん具合悪いんじゃないですか?」
若い可愛い声が耳に届いた。
目だけを動かして見ると高校生くらいの少女が加藤を指さして看護士に訴えていた。
「大丈夫よ」
看護士が訴えを一蹴して少女はすぐに諦めた。
それから加藤に目をやり非常に済まなそうな表情をした。
――もしかしてこの子はアレが視えるのか?
藁にもすがる気持ちで少女を見るが、少女自体もケガをしているのか身動きが取れないようだ。
やはりあの不気味な物体は存在するのだと少女の態度から察した。
そしてかなり良くない状況に陥っているのもよくよく理解できた。
「……ひっ」
理解するとともに自分がどんなことになるのかを想像すると怖くて堪らない。
どのくらいぶりか分からないが、目から涙が溢れ出た。
思わず目を閉じるが、涙腺は緩んだままどんどん涙が目から流れ出す。
少女と看護士のやりとりが微かに聞こえてしばらくすると目元を優しく拭われる。
――助けてくれっ!
加藤は祈るような気持ちでいっぱいだった。
「……うう」
やはり今夜もきたのか。
加藤にもう焦りはなかった。
毎夜毎夜決まったように夜中に目覚めて周囲には黒いモノが現れる。日を重ねるたびにどんどん面積を増していくアレに加藤は諦めの気持ちしかなかった。
すると今夜はついに加藤の身体に入り込んできた。
――もう駄目か。
苦しさと恐怖で目を閉じて絶望に埋もれていったときだった。
「きえてっ!」
確かに声が聞こえた。
閉じていた目を開くとそこには一人の少女がいた。
いつの間にか入院患者が増えていたのか見知らぬ少女が、加藤の側であの黒いモノを相手にしていた。その姿が神々しいことやかなり年の離れた少女に救われたことなど今までの複雑な思いにまたもや涙が流れた。
「……まさか、あのおじさんを助けるなんてね。ふふっ久々に面白くなりそう」
幼女は男性の状況を確認しようとして病院の近くに来た。
その結果、思いがけない事態に出くわして興味を持った。
相変わらず無表情で幼女は声だけで嬉しそうに笑った。
「誰かいるのか?」
突然気配もなく男性の声が辺りに響いた。
声がしたと同時に幼女の姿は、いたはずの場所から消えていた。
「……」
「どうした? 何かあったのか?」
最初に声を出した人物とは別の声がした。二人の長身の男性が外灯に照らし出される。
後ろから周囲を警戒しているのは、赤に染まった長い髪を後ろに無造作に束ねていてやけに色気がある男だった。
最初に声を出したのは、もう一人の男性ほど長くないが肩に届かないくらいには長い真っ黒い髪と全身を青い服を着た男性だ。
男性は長髪の男性の問いに答える。
「……何かいると思ったんだが、気のせいだったみたいだ」
「そうか? それじゃ、お仕事開始しに行こうぜ」
ぽんと青年の肩を軽く叩いて病院の中に入るように促した。
二人は音も立てず病院に足早に近付いて行った。
「……ん?」
長髪の男性は、外から病院の一画に視線をやる。
それから目を大きくして呟いた。
「おいおい。俺らの仕事がなくなったみたいだぜ」
二人して同じ病室と思われる場所を確かめる。
「……本当だ。少しずつ大きくなりつつあった負の塊がなくなった」
軽く驚きながら頷いた。
「それに関しては良かったよな。あそこには俺たちの恩人もいたんだし、何かあってからじゃ申し訳なかったもんな。……さてと、どうするか。今夜はあそこにはもう行けないな。明かりがついたってことは、皆起きてるだろうからな。……しかし他にも仕事があって当分は様子を伺いに行けそうにないな」
「ああなったからには、何も起きないだろう。今日は戻ろう」
「でもせっかく噂の恩人に会えるかと期待したんだが。まっいっか。ちゃんとしているときに挨拶した方がいいよな。今日はラッキーだったな」
「誰かが何かをしたんじゃないか?」
「おそらくはそうだろう。誰がやったか知らないが、お仲間かそれとも違うのか。どちらにせよ、なかなか素質がありそうだな。……いつも先越されたらこっちが困るをだけどな」
二人の男性は話しながら元来た道を引き返して行った。
点滅する外灯だけが残され、今度こそ周囲には誰もいなくなった。
病室ではこの時間になった頃は、ナースコールで呼ばれた看護師などが病人の様子を確認するなどして慌しく動いていた。
異常な一夜が明けたら穏やかな朝がやってきた。
翌日には加藤の体調は今までの状態が嘘のように回復していた。
「……ありがとう!」
まさか助かるなどとは思えなかった。それを見ず知らずの少女が助けてくれた。
加藤は昨夜のお礼を述べた。少女はとても恐縮しているのが印象的だった。
よくよく少女を観察したが、普通の高校生だった。容姿は数年後には美人の類に入るだろう整った顔をしているが雰囲気が大人びているためなのか、華美な印象は与えない。
昨夜見た加藤を助けたような神々しさは全くなく、やはり目の錯覚かと思った。
加藤は感謝をして退院したが、幼女のことはどうしても話せなかった。
話してどうなるものではないのだから忘れようと決めた。
だが少女の住所と名前は教えてもらった。お礼を後できちんと送るからと伝えると、少女はひどく困惑した表情を隠さなかった。
「気にしないで下さい」
優しく穏やかな声で加藤に笑顔を見せた少女は、加藤に生きているということを実感させてくれた。
やっと序盤終わりです。長かった。しばらくは閑話みたいな話が続きます。拍手小話追加してます。短編既読の方はよろしければそちらもご覧下さい。