第21話 お見舞い
昨日の出来事から一夜明けた翌日だった。
この日は曇っていて朝日が見えないとまだまだ外は暗く感じる。
まだ二月上旬なのだから寒いのは仕方ないと智菊は自分に言い聞かせて朝食を食べた。
智菊はいつものバイトに行く準備をささっと済ませて、肌寒い朝方に自転車をこいで工場に向かう。
もう数時間もすれば車が行き交う道路も今は閑散としてたまにトラックなどが走るくらいだ。
智菊は太陽が隠れていても朝は好きだ。一日の始まりだと思うと用事がなくても自然と顔が綻ぶ。
工場に到着して素早く着替えてタイムカードを押していつもの作業場に着くと何人ものパートやバイトの人たちが忙しなく作業している。
周囲にいる人に挨拶をしてすぐに智菊も作業を開始する。
「おはようございます」
「おはよう」
工場では作業着を着ると顔が目元以外隠れるが、名札を見なくても仲間内の人は大体目を見ればすぐに分かる。
智菊はキョロキョロと周囲を見回しつつも手を動かす。
刃物を使っていない場合は慣れで手元を確認していなくても大丈夫な智菊は、目的の人物を探すがいくら見回しても見つからない。
「中田さんて今日は?」
智菊たちの直接上にあたるパートの主任に尋ねると「遅刻」と教えてもらった。
それにお礼を述べてまた作業を黙々と続ける。
「遅刻なら今日は来るんだ」
一人で確かめるように呟いたあとは黙々と作業に没頭した。
智菊が作業を開始して30分ほど経過した頃だった。
「おはようございます!」
はきはきとした挨拶をして中田さんが登場した。
その顔はマスクで覆われて確認はできないが、目だけ見ても特に不調そうではないようだ。
元気そうな様子に智菊はマスクの下でほっと安堵の息を吐いた。
智菊の作業している場所に中田さんが近付いてきた。
「おはようございます! 智菊ちゃん、今日は遅くなってごめんなさいね。仕事大変だったでしょう?」
「おはようございます。……大丈夫ですよ」
中田さんがいなくてかなり急いで作業をしたが、慣れているのでその負担分はどうにかなった。
「……あとで話があるの」
作業をしている智菊の耳元にそう呟いた中田さんの声に作業で忙しい智菊は黙って頷くだけに留めた。
そのあと作業中に話を聞こうとするも昨日のように同じ作業につくことがなくこの日の智菊の仕事は上がりになった。
智菊が「お疲れさまです」と言いながら作業場を出ると廊下に慌てて中田さんが出てきた。
「智菊ちゃん! 昨日みたいに時間もらっても良い?」
「あ、はい」
正直昨日の顛末は気になっていたからそのことについて聞きたい気持ちはもちろんある。
昨日よりも残業で遅くなるという中田さんと待ち合わせを決めて帰宅した。
家の前に着いたときに弟の瑞貴の後ろ姿を目にした。
自転車を家の中にしまってから居間に向かうと居間で朝食の準備をしていた。
「おはよう、瑞貴」
「おはよう。昨日何かあったのか?」
短刀直入に尋ねてきた瑞貴に素直に昨日の出来事を話した。
「……それってやばいんじゃないのか?」
「うーん。今日はその石川さんの家には行かないよ。だから大丈夫」
「でも用心はしっかりしておけよ」
「もちろん! 私だって自衛しないで外出する気はないよ」
過保護な弟に大丈夫だとしっかりと伝えてから軽く冷蔵庫にあったサンドイッチをつまんで小腹を満たして外出の準備をする。
昨日と同じような用意を念のために用意する。
「じゃあ行ってきます!」
「何かあったらすぐに電話しろよ」
「うん、分かった」
弟に見送られて先ほどと同じように自転車を漕いで工場に向かう。
犬の散歩などをしている人など何人かの人がまばらに見える中、のんびりと自転車で工場につくと中田さんがちょうど出入り口から姿を見せた。
「中田さん」
智菊が手を振って合図するとすぎに気付いて近寄ってくる。
「智菊ちゃん。二日続けてごめんなさいね」
「いえ。大した用事もなかったですから」
中田さんの車にまた乗せてもらって昨日と同じように中田さんの家にお邪魔する。
お邪魔したのが11時で少し早めに昼食をということで智菊の分も合わせてお好み焼きを作ってもらって一緒に食べた。
食べた物を片付けしてようやく中田さんが智菊に本題を切り出す。
「……実は昨日の話なの」
「あれから石川さんはどうなったんですか?」
「病院に問い合わせたら石川さんは栄養状態なんかも悪いからしばらく入院するそうよ。それなのにご主人は病院にも顔を見せてないっていうんだからねー」
いやだいやだと首を振って呆れている中田さんに先を促す。
中田さんはすぐに話を戻す。
「今日智菊ちゃんを連れて来たのは、お願いがあったからなの」
「お願い?」
「昨夜病院から奥さんの着替えなんかを今日中に届けてもらえないかって連絡が来たの。それで石川さんのご主人に連絡をして家に入る許可をもらって準備するがかなり遅くなってしまったせいで寝坊したんだけどね。ともかく病院での電話ののときに奥さんが智菊ちゃんに会いたがっているって話してたそうなのよ」
「私に?」
思わず智菊は首を捻る。
昨日が初対面でまともに会話もしていない智菊に、なぜ会いたいなどと言うのか理解できない。
そもそもあんな状態でよく智菊の存在を覚えていたのものだとびっくりした。
「勘違いとかでは?」
「うーん。看護師さんの話ではね、奥さんが自分を助けてくれた少女に会いたいとうわ言のように何回も繰り返して頼むからどうにかできないかってことだったの。だから昨日会ったのは私と智菊ちゃんだけだし、少女だっていうなら智菊ちゃんしかいないじゃない?」
「はあ」
「とりあえず、一緒に病院までお見舞いについてきてもらえない?」
「……分かりました」
縋りつくように中田さんに言われて普段バイト先で面倒を見てもらっている智菊に断る術はない。
中田さんの運転で車で15分ほどの距離に総合病院があった。
二人で入院病棟に入ってしばらくすると個室の部屋の前に到着した。
「こんにちは」
「お邪魔します」
ノックをして中に入るとベッドの上には昨日見た女性が上半身を起こして昼食を食べている。
「石川さん、だいぶ顔色良くなったじゃないの!」
にっこりと笑って中田さんが石川さんの側に寄る。
智菊もその後ろに続いて近寄ると石川さんがすぐに気付いた。
「あなた……」
「こんにちは。昨日お宅に中田さんとお邪魔しました栗谷と言います」
お辞儀をして再度石川さんの顔を見ると彼女は優しく微笑んでくれた。
「はじめまして、石川恭子です。昨日は本当にごめんなさい」
昨日の異常な様子とは打って変わって穏やかな表情をしているのを見て智菊はこっそり安堵する。
人としてどこか危うい状態だった様子からきちんと話ができる状態にまで回復していることで彼女はもう大丈夫だと智菊は思った。
食欲も問題なさそうで昼食もほとんど食べ終わっていた。
先に食事を済ませるように中田さんが勧めて遠慮がちに石川さんは食事を終えた。
看護士の人が片付けを済ませてからようやく二人は石川さんの近くまで移動した。
「あなたみたいに若いお嬢さんにみっともない所を見せてしまって……」
「とんでもないです。顔色が良くなったみたいで安心しました」
よくよく彼女を観察して視てみても、昨日の石川さんの腰にしがみついていたような黒いモノはいなかった。
あのときに塩をかけてあの淀んだ場所から切り離したのが効果覿面だったようだ。
あれからは特に何も石川さんに害そうなモノは寄り付かなかったようだ。
お見舞いの人のための椅子に腰かけた二人を見てから石川さんはそれまでの話をし始める。
「昨日までの私はあまり現実感がなくて、夢の中をふらふらしていたような気がしたの」
「夢の中?」
「ええ。お腹も空くんだから夢なわけがないのだけれど、ちゃんと考えようとしてもどうしても考えられなくて。気がついたらあなたがいたの。救いの神様が現れたって思えたの」
「私は単なる学生ですよ。とにかく、石川さんがお元気になることが大事ですからしばらくは入院生活で大変でしょうけど、中田さんたちご近所の方もいますからこの際いろんな方に助けてもらっては?」
「そうよ! 私ら近所は世話好きな人たちが多いからこんなときは遠慮せずこきつかってちょうだい」
自分の胸をドンと右手で軽く中田さんはとても頼もしく見えた。
中田さんのその様子に石川さんも素直に頷いた。
「ありがとうございます。これからいろいろご迷惑をおかけします」
「いいのよ。あ、これお見舞いのお花なの。お水をあげてくるわね」
中田さんはお見舞い用の小さな花籠を手に持って病室から出て行った。
智菊はせっかく二人きりになったことだから、気になったことを尋ねることにした。
「……石川さん。少し聞いても良いですか?」
「ええ、もちろん」
「あの、お家のことなんです。あの家に近所に神社があるのはご存知ですか?」
「……ええ」
智菊が尋ねた途端に石川さんの顔色が曇った。
「失礼ですが、あの神社に何かされたりしませんでしたか?」
「……」
石川さんは智菊の顔を穴が開くのではないかというほどに凝視する。
「すみません。おかしなことを聞いてしまって……」
「いいえ。私もずっとおかしいと思っていたことだから。もしかしたら祟りなんじゃないのかと思っていたの」
「祟り? 何かあったのですか?」
「……」
これ以上尋ねても石川さんは答えそうになかった。
智菊は強要することなく静かに待っていると、病室に中田さんが戻って来た。
「お待たせ! さて石川さん、退院はまだ先なのよね?」
「はい、おそらく。お医者さまに数日は様子を見るようにと言われたので……」
それから雑用について中田さんと石川さんがいくつか話し合いをして智菊と中田さんは帰ろうと椅子から立ち上がった。
「それじゃお大事にね」
「中田さん、それから栗谷さん。今日はわざわざありがとうございました」
「石川さん。あの、事情はよく分かりませんが、あなただけが悪いわけじゃないはずです。だから自分を責めるよりも今は元気になることだけ考えて下さい」
はっとしたように石川さんは智菊の顔を見つめる。
智菊は笑顔を見せてゆっくりとお辞儀をして病室をあとにした。
マイナーな作品なのに拍手で更新楽しみにしていると書いて下さった方ありがとうございます。とても嬉しかったです。




