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第01話 兆し

痛い表現があります。ご注意ください。

 栗谷智菊くりたにちあきが不可思議な体験をするようになったのは、あるひとつの衝撃的体験による。

 

 それは、大学の推薦合格が決まり後は高校卒業まで通えば問題ない、と気がゆるんでいた日の出来事だった。

 秋も深まり、少しずつ毎朝起床するのがだるくなりつつある平日の朝だった。

 その日は朝から強風が吹いてマフラーをしていないと非常に寒いだろうと思われた。

 空は秋晴れなのに、強風のせいでどこかすっきりしない朝に感じた。

 智菊の登校時間は、近所の小学生の集団登校と被っている。小学校まで徒歩5分の近さのために次々と班になった子供たちが、その道路を歩いて行く姿を見かける。

 毎朝、5人の子供たちが智菊の目の前を通過する。もちろん他にも子供たちはいるが、智菊と時間が重なるのはこの子供たちだけである。他の班は大体この子供たちよりも少し前に大勢通過しているため、この子供たちの誰かが毎朝少し遅いのだろう。ただ、この子供たち以上に遅い子供たちの班が更にいくつかあるためそれほど遅いというわけでもない。

 ただ智菊にしてみれば、もう少し早ければ時間が重ならずにすんで自分が気を遣わずにすむのに、と少し恨めしい気持ちがあった。

 智菊自身も一般的に見れば子供だし智菊には弟もいるが、高校生である智菊には小学生というのは遠い存在だ。自分が小学生だった記憶も既におぼろげにしか覚えていない。だからどうしても関わりたくないという思いがある。

 智秋の家はT字道路の縦線左側、上から数えて2軒目にある。縦線の道は私道で突き当たりの家まであり、向かい側と併せて5軒の集合住宅地だ。

 そのため、私道から小学生が通るT字路の横線にあたる県道に、智菊が自転車に乗って出る際には、周りにある住宅が視界の邪魔になるために、立ち止まって左右をよく確認するようにする必要があった。

 電車の時間を考えあまり早くも遅くも行きたくない面倒くさがり屋の智菊が、考えたのが時間をずらす方法だった。

 自転車で駅まで通学する智菊が、集団にぶつからないように毎朝1分はその子達から遅れて家を出るようにしていた。子供の行動だから、1分後に重なる場合ももちろんある。その場合は仕方なく、子供たちの姿が見えなくなるのを見計らって出るようにしている。5分後になると電車に乗れなくなり、10分は駅で待たなくてはいけない。その時間の電車ではギリギリ遅刻にならないですむという時間になるため、全速力で駅から高校まで走る必要がある。

 だから登校時間は少し動作が鈍い智菊が、特に気を張り詰める時間だった。

 そんなくだらないことしていないで早く家を出ればいいのだが、そうすると別の子供たちに出くわすだけだ。遅くなりすぎると智菊が遅刻になってしまう。

 その日の智菊は、なぜかその1分が待てなかった。

 自分でそうしようと思っていないはずなのに、体は勝手に子供達に近付いて行く。

 意識はあるのにどこか自分を俯瞰して見ているような不思議な感覚だった。

 

「自転車はどうするの?」

 

 この朝は、普段仕事でめったに家にいない母親がいた。珍しくも仕事が休みになった母親は、わざわざ家の門の外まで見送ってくれていた。両親は揃って同じ会社で働いている。お金には困らないだけの稼ぎはあるのに、母親が結婚前から変わらず同じ会社で働いているのは、その仕事が好きだからだろう。

 智菊は自分がまともに働いていない学生だから、家庭よりも仕事にのめり込む両親に距離を感じている。嫌いでは決してないし、仕事へかける熱意は尊敬もしている。でも心底理解はしきれない。

 両親もそんな智菊のどこか遠慮がちな態度に、たまに辛そうな顔を見せる。でもお互い腫れ物を扱う態度しか出来ていない。もう少し大人になればこの関係も変わるかもしれない。

 母親が休みの日にこうして見送りにわざわざ外に出てくれるのも、少しでも子供と接触を図ろうとしてくれているのが分かる。朝練で登校時間が早い弟も見送ったという母親は、弟とはうまくいっている。

 智菊は両親との距離感がいまいちつかめていないが、弟は生来の立ち回りの良さを使って、両親には「優秀で優しい息子」の地位を築いていた。智菊はそんな弟の姿を見るたびに、心が痛む。

 弟は本来は不器用なのだ。優しくしたいと思っている人には、毒舌を吐いてからでないとできない。姉である智菊に対しても、よく毒舌を口にする。中学生くらいからそうなったために、最初は反抗期になったと思った。だが智菊以外には「愛想が良くて優しい子」と近所や学校からは評判が良かった。しばらく様子を見ていると、智菊に毒舌を吐いているときは本当にリラックスしている顔で、周囲に愛想を振りまいているときは肩に力が入っていた。毒舌を吐きながらもきちんと手伝ってくれたり気遣う姿を見ると、とても可愛く見える。本人に一度「可愛い」と言ったら、その後の仕返しが毒舌のオンパレードで、さすがに辛かった記憶がある。その毒舌トークは一種の甘えかと嬉しく感じたが、両親に対しても近所の人と同じように対応するのをみると、壁を作ってるんだなと自分を棚にあげて心配してしまう。

 

「智菊? ちょっと、どうしたの?」

 

 智菊の母親の声が遠くで聞こえるが、無視して集団登校の子供たちに視線をやる。

 子供たちはいつもよりも歩みが遅く、いつもの場所に到着するまであと少しかかりそうだった。

 智菊は子供たちが歩いているT字路の左側を目で追う。

 

 ブォー

 

 一台の乗用車が子供達の後ろに迫って来ていた。智菊はよくよく乗用車を観察する。

 運転席に座る男性は、携帯電話をいじっていて、子供達には注意をしていない。

 住宅街のためかスピード自体はあまり出ていないが、妙に気になった。

 

 子供たちにぶつかりでもしたらどうしよう。

 

 普段の智菊は帰宅部で運動神経は並、才能も特にない平均的学生である。智菊の二つ下の弟によればマイペースな動作がノロノロして見えるというが、智菊ははきはき動いていると思っている。

 それがこの時は、誰が見ようと機敏な動きを見せた。智菊の体が何かに急かされるように、鞄を母親の側に放って子供達の所に駆け出していた。残念ながら5人縦に並んで歩いている集団の最後列の少年は、一人石けりをしていて車に気付いていない。一番最後の子は他の子よりもかなり後ろを一人で歩いている。後ろが遅れているのに誰も気付いていないのは、その前の子供たちも眠いのか、下を向いて歩いていたからだ。

 声をかけて子供たちを怯えさせるのはやめた方が良いのか迷ったが、黙って足を進めた。

 車の運転席では、相変わらず携帯電話をいじっている男性の姿があった。

 男性だというのは分かるがやけにぼんやりとした姿しか見えない。それを不思議に思う間もなく男性の行動を見続けながら子供の側へ向かう。

 携帯電話の操作をしている途中でハンドルに触ってしまったようで、もう目の前には子供の姿がある。

 慌ててハンドルを回しながらも、前も見ずに携帯電話を離さない男性に恐怖した。

 その時の智菊の目にはやけに冷静に周りが見えていた。

 全てがスローモーションのように目にやきついた。


 ――間に合って!


 智菊の制服に包まれたあまり筋肉のついていない細い腕が、ゆっくりと少年を道路の反対側にある田んぼに向かって思い切り突き出した。

 その瞬間だった。

 

 ドォーン

 

 今までに味わった覚えのない衝撃が体に伝わる。

 校則指定の三つ編みの髪が、勢いよく智菊の顔にぶつかったのも気付かなかった。

 車の急ブレーキの不快な音が耳に届いた。 

 智菊の体が一瞬だけ宙に浮かび、二度目の衝撃が体に伝わる。


「……げほっ」


 強烈な痛みを頭が襲った。目の前の視界が赤くえた。

 そのときに軽く智菊は意識を失ったのだと思う。

 しばらくして、誰かの叫び声がいくつもあがった。

 ばたばた走る音なんかが智菊の耳に響いた。

 

智菊ちあき! しっかりしなさい!!」

 

 母親が真っ青な顔をして聞いてくる。言葉は智菊の耳に入るが、頭がうまく回らないようだ。

 どうにかして身体を動かそうとするも、しびれて動けない。

 視界は自分を見つめる母親の顔で埋め尽くされる。


「救急車がくるまでじっとしてて。大丈夫だから!」


 母親の必死の声に身体を動かすのを止める。それでも声だけは何とかしたいと思ったが、口も少しの間は声が動かなかった。パクパクと動かし舌で唇を湿らしている内にかすれ声がようやく出た。

 そんな状況で智菊が気になるのは一つだけだ。

 

「……あの子は?」

 

 かろうじて口に出せたのが、この一言だった。その声も老人の声のようにしわがれていた。

 母親の顔は真っ青に見えた。さっき赤く見えた視界は気のせいだったようだ。

 智菊の言葉に母親は一瞬泣きそうな表情を作ったが、すぐに穏やかな顔をして答える。


「何ともないわよ。無事よ」

 

 それだけ聞いて安心したのを覚えている。

 どこか遠くから「ありがとう」と、か細い声が聞こえた気もするが、夢だったのかもしれない。

 救急車に乗せられるときに、母親が泣きながら智菊の手を握っていたが、耳鳴りと激しい頭痛がするだけで声は届かなかった。目を開けているのが次第に辛くなってきた。

 腕にかすかな痛みがあった。おそらくは救急隊員の方が手当てしてくれているのだろう。

 ――救急車に乗るなんて人生初なのに、中が見れなくてもったいない。

 そんな思いを最後に頭に浮かべて智菊は、意識を失った。

 次に目を覚ましたら、家族が枕元に顔面蒼白にして立っていた。


「智菊! 無事で良かった!!」

「大丈夫か?」

「この馬鹿っ! 無茶しやがって!」


 ――これって臨終の場面なのかな? 

 話し声がやけにエコーがかって聞こえてうるさい。

 家族が全員同じようなタイミングで話し出すから、聞く側にはたまったものではない。

 少ししゃべるのやめてくれないかな?


 心配をかけているのに、どこか他人事のように考える智菊は、そんな自分が不思議だった。可愛い弟に対してでさえしゃべらないで欲しいと思ったのは初めてだ。

 目覚めた智菊に母親が代表して入院に至った過程を話し出す。

 母親の話によれば、智菊は乗用車とは軽い接触ですんだが頭を強く打ち、意識不明に陥っていた。

 家族は、事故から丸一日経過してようやく目を覚ました智菊を心配しないわけがない。

 だからどこかぼんやりとした目をして自分たちを見る智菊に、目が覚めて良かったと何度も繰り返した。

 そんな家族をぼんやりと眺めて思うのは、やはりエコーが気になるということだった。

 母親だけしか話をしていない。なのに、いつまでもエコーのように耳に響いて声を出されるだびにうるさく感じる。

 でもそんなことを少しでも話そうものなら、検査だ何だと面倒なやりとりが続くのが予想された。

 黙っていれば、その内このうるささも慣れるだろう。

 そんな考えが良かったのか、意識していたら声も違和感なく聞き取れるようになってきた。


 まさか、この事故で智菊のこれからが変わるとは思いもしなかった。

 この事故によって、今までの常識がことごとく覆される。

 狭い交友関係しかなかった智菊がいろんな人たちと知り合いになり、危険な経験もするようになるとは想像もつかなかった。

 この時はただただ、大事故にならずにすんだのを嬉しく思っていた。

 もう一度子供の安否を尋ねる智菊に、「検査したけどケガはなかった」と安心させようと答えてくれた。


「……あの小学生の男の子、田んぼに落ちたでしょう? 洋服が泥だらけになったそうよ」

「あらら。それは洗濯大変だっただろうね」

「でも田んぼだったから、あの子はケガしないですんだようなものよ。とっさによくやったわね」

「そうなの? そんなこと考えてる余裕なんてなかったよ。とっさに身体が動いただけだったんだもの。あの小学生の男の子が本当にケガしなくて良かった」

「だからって、お前がケガしてちゃ意味ないんだからな。お父さんはこんなことはもう二度とごめんだ」

「お母さんもよ。目の前で車に撥ねられるのを見て、心臓が止まるかと思ったのよ」

「……ごめんなさい」


 そんな会話をしている内に、エコーがかって聞こえた声が、いつの間にか普通に聞こえるようになったのも安心感を増した。

 そんなこともあって事故直後に、母親とは違う声がしたのを気のせいだと思い込んだ。


 それが智菊の非日常への誘いとなる最初の兆しだったというのに。

 ここから全てが始まりを告げる。





 ――――視える世界へようこそ。

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