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第16話 お化け話の真相

 藤田先生に別れを告げて二人は小学校から歩いてお昼ご飯を食べることにした。

 小学校にいたときからずっと考え込んでいた里美が、所かまわず大声をあげたのは学校のある住宅街からは離れた駅の側にあるファミレスの中でだった。

 お昼時とあって店内はそこそこ人が集まって騒がしくしている。

 だが里美の少し甲高い大声は周囲の注目を二人に一気に集めてしまった。

 慌てた智菊はテーブルから少し身を乗り出すように上半身を少し椅子から浮かせて、反対側に座る里美を注意する。


「……ちょっと、里美! 大声出しすぎ!」

「ごめん、ごめん。……でもさ、やっと分かったんだもん! もうっ智菊も意地悪しないで教えてくれれば良かったのにさ。そうすれば大声だして周りに白い目で見られなかったじゃん!」


 声だけは怒っているようだが、里美の顔は笑っていてちっとも怖くない。

 智菊も気楽に相手をしている。

 一緒にいればお互いに軽く口喧嘩もするが後味が悪くなるようなことは一度もない。 


「はいはい。ごめんなさいね」

「もうっ! 流すなんてひどいわね」


 里美がすぐに落ち着いたために周囲の生暖かい視線はすぐに逸れた。

 自分で出した答えに自信満々な里美を放ってお昼を黙々と食べる智菊がいる。

 テーブルの上にはそれぞれが注文したスパゲッティとサラダにドリンクが置かれている。

 自分の分をせっせと口に運ぶ智菊のその姿に里美はわざとらしく大きな溜息を吐いてみせる。


「ねえ、ちょっと! 少しはあたしの答えがあってるかどうかとか気にならないわけ?」

「……小学校でも言ったでしょ。確認してないから憶測では言えないって」

「そうだけど、智菊とあたしの考えが違うかもしれないでしょ」

「うん。それで?」


 あくまでも食事から目を離さずにいる智菊に呆れた視線を投げる。


「すごい適当な生返事ね。……まあいいわよ。しばらくしたら智菊が合ってるかどうか分かるんだしね」


 その言葉に智菊はようやく顔をあげて答える。


「うーん。あまり合ってて欲しくはないけどね」

「でもさ、あの藤田先生が教頭なんてなんだかウケるよー」

「どうして? ちょっとしか一緒にいなかったけどよく面倒みてくれてたじゃない?」

「そりゃそうだけど。教頭って堅苦しい印象あるじゃない? そこが藤田先生には合わないのよね」

「失礼なこと言わないの」

「えー? 智菊は思わなかった?」

「……あの薄くなった頭髪が今の仕事の大変さを示しているとは思った」

「ぶっ! なにそれ? 智菊の方が何気に酷いよ」


 そこからは里美の恋の話やらバイト先の話なんかで話が盛り上がった。

 智菊は儚かった自身の初恋には触れずに里美の聞き手に回って話を楽しんでいた。

 すっかり食事を終えて満足の智菊は、駅前で里美とは別れる。


「里美、突然だったのにいろいろ調べてくれてありがとうね」


 智菊は改めて御礼を述べると里美は笑顔で気にすることないと首を振った。


「ううん! 今日はなかなか面白かったから話してくれて良かった。また何かあったら言ってね」

「……あまり何かは起こって欲しくはないけどね」

「はははっ! まあそう言わないで。んじゃまた今度遊ぼうね!」

「うん。またね」


 お互いに手を軽く振り合って正反対の方向に分かれた。

 里美は面白がってくれたけど、さつき君の親にしてみたらどうだろうと智菊は少し憂鬱になりながら帰路についた。

 さつき君からの手紙があってすぐにお母さんからどういう内容の手紙なのかを電話で問い合わせてきたのだ。

 普段は干渉しないようにしているさつき君のお母さんだが、今回は学校から泣いて先生に送られて来たとあってさすがに心配したようだ。

 智菊は重い足取りで自宅の道を素通りして直接さつき君の家にお邪魔した。

 手紙を投函しているのですっかり家の場所は把握している。

 智菊が押したインターフォンが鳴る。

 すぐに玄関のドアを開けて出て来たのは、さつき君のお母さんだ。

 お見舞いのあとからさつき君との手紙の交流が始まり、その親であるお母さんともたまに顔を合わせていたりする。

 智菊とは大分歳の差があるが、親戚のお姉さんのような感覚で付き合える人。

 最初は近寄り難いと思ったけど、話す内に智菊とは気が合って一緒にいても身構えずにすむ貴重な存在だ。


「いらっしゃい、智菊ちゃん」

 

 出迎えてくれたのは30才すぎとは見えない若々しく美人の実姫みきさん。

 いつ見ても子供がいるようには見えない綺麗な女性でひそかに智菊は憧れた。

 男の子は育てるのが大変だと聞くが、実姫さんはしんどそうな顔を見せずにさつき君をしっかり養育しているようだ。

 彼女は智菊を見るなり笑顔で居間に案内してくれる。


「その辺りに適当に座ってね。今、紅茶を入れるから」

「おかまいなく」


 案内された居間にある大きなソファに座って人を探す。

 実姫さん以外には誰もいないようだ。


「実姫さん、今日はさつき君は?」


 実姫さんはお茶を用意しながら答えてくれる。


「私の弟たちの所に遊びに行ってるわ。さっき電話があって夕飯も一緒に食べてくるそうだから遅くなりそうね。たまには弟たちにも役に立ってもらわないとね。……ところで智菊ちゃん。その真面目な顔つきからすると電話で話した通りなのね?」


 すぐに本題を切り出したのはそれだけ気になったからだろう。

 自分の息子の通う学校に問題があれば不安になるのも仕方ない。

 智菊もすぐにお邪魔した用件に入る。


「さつき君は学校で体験したときのお話はされたんですよね?」


 智菊に紅茶を渡して向かい側のソファに座って実姫さんが大きく相槌を打つ。


「ええ。実はあなたからの電話があるまではそんな事考えなかったの。あの日は単にお友達と離れて暗い学校を歩いたから怖くなったんだろうってだけだとばかり。担任の先生もかなり心配して下さってたけど夕飯を食べる頃には元気になってたから、あの子から学校でこんな体験したって話してもらっても子供ならではの想像力だと思い込んでたのよ」


 自分が情けないと実姫さんは溜息を吐いた。


「学校の噂とかはなかったんですか?」

「多少はあったみたいよ。何人かにそれとなく話を向けてみると近所の奥さん方ではちょっとずつ噂になってきてたみたい。それが保健室のお化けにつながるとは思いもしなかったけどね」

 

 さつき君の体験した保健室の声は少なくともお化けではないと手紙に書かれた内容を読んだ智菊は思った。

 憶測だけでは何の証拠にもならないため、証拠集めは藤田先生に任せた。

 少しずつ噂が広まってきていたから好奇心旺盛な子供たちが幽霊の正体に気付いてしまうのは時間の問題だった。

 幽霊は幽霊のままに消えて欲しい。

 そんな考えで智菊は小学校に出向いたのだった。

 この幽霊の正体はある意味では怪談より恐ろしいかもしれない。

 実姫さんが紅茶を飲んでから溜め息を吐いた。

 

「……やっぱり顔がイイ男はダメなのかしらね。うちの旦那にも注意しなくちゃ!」

 

 そう言って笑った実姫さんの顔はちょっと怖かった。

 夫であるさつき君のお父さんにほんの少しだけ同情した。


「それにしてもまさか、七不思議の一つになりつつあった保健室のお化けとされた女性の声の正体があの保健医だなんて。蓋を開ければ何てことない男女間の密会というだけなんて最悪よね」

「まあ少なくとも小学校で不倫というのはいただけないですね」


 今年赴任したばかりのその保健医である女性と既婚者の男性教師が保健室で密会しているという不倫話だった。

 二人が同じ車で帰るのを何人かが見たことあるそうだ。

 以前にもこの男性教師は保護者との不倫話があったので不倫は常習らしい。

 教師が不倫をするのも困るがその密会場所が仕事先の学校というのも悪い。

 保護者たちはこの手の話題には非常に敏感だが、何よりもこの男性教師が、そこそこお母様方に人気者だから噂にもなるらしい。

 人当たりの良く口もよく動くし爽やかな笑顔が良いと同年代のお母さん方のちょっとしたアイドルもどきだった男性教師。

 お母さん方のネットワークであの先生を今日はどこそこで見かけたとか、そんなストーカー紛いの行動チェックがされていたようだ。

 保険医と二人で車で出かけるのをその内の何人かに目撃されてから、保健室を利用するのを考え出して幽霊騒ぎにまで発展させてしまった。

 智菊も紅茶をいただいてから真面目な顔で言う。


「……藤田先生にお願いしたので、早急に対応してくれると思います」

「そう? 本当に智菊ちゃんにはいつも色々面倒かけてしまってて申し訳ないわね」


 本当に申し訳なさそうに頭を下げる実姫さんを慌てて止める。


「いえいえ。私が勝手にしたことですから! 七不思議なんて懐かしい話が出たので自分の小学校時代を思い出して楽しかったです」

「ふふふっ。そう言ってもらえると嬉しいわ。……それでさつきには何て言うのか教えてもらってもかまわない?」

「そうですね。多くの人が存在に気付いたらいつの間にか成仏してしまう幽霊もいるって言おうかなと。藤田先生はしっかりした指導者ですからこうなった以上はすぐに事実確認して、事実だと分かったらすぐに保健室のお化けはいなくなりますよ」

「智菊ちゃんが早めに気付いて本当に良かったわ」

「……どうなんでしょうね。うがった見方のしすぎかもしれませんしね」

「でも私も智菊ちゃんの考えが正しいと思うわ。困ったことだけどね」


 それからしばらくして智菊は自宅に帰ろうと立ち上がった。


「じゃあ今日はこれで失礼します。さつき君によろしくお伝え下さい」

「あの子、自分がいないときに智菊ちゃんが来てたなんて知ったら悔しがるわね」

「そうですか? とりあえずさつき君には改めてお話します」


 ぺこりとお辞儀をして智菊は自宅に戻った。


 後日、藤田先生から電話があった。


「……こんばんは。藤田先生、どうでした?」

「ああ。知らせてくれてありがとうな。すぐに結果が出たよ。全くどうしようもない奴らだ」

「あらら。残念でしたね」

「とにかく、お前が知らせてくれなかったらもっと大きな噂になってた可能性がある。ありがとう」

「いえ。こんな結果で残念です」


 藤田先生の連絡は、智菊の推測した通りのものだった。

 保健医と教師はそれぞれ4月から新しい学校に赴任すると決定したそうだ。

 不倫については個人の問題だが、密会の場所が学校だったのがいけなかった。

 それぞれどういう理由で飛ばされるかを本人と赴任先には伝えた事から、これからは七不思議の一つになるような行動はとらないだろう。

 お化け騒ぎになっていると聞いてかなりしょげていたそうだ。

 男性教師は女性問題さえなければ生徒思いで生徒から好かれる先生でもあるのだから、これを機会に是非とも身辺を改めて欲しいと智菊は願った。

 こうして保健室のお化けは目撃者がいなくなったことで進展がなくなって時間とともにお化けは成仏したという形で収まった。

 子供たちはちょっと怖がりながらも新たな七不思議を見つけようと過ごすのだろう。

 ただ一つ智菊が懸念していることを除けば、学校は平和だ。

 保健室のお化け騒動は原因が生きている人間だと分かった。

 だがもう一つの昔からある七不思議の方は智菊は関与していない。

 誰もそのことについて不思議がらないし、体験したはずのさつき君もその怖かった体験よりも成仏したとされる保健室のお化けの話に興奮してその前の廊下の七不思議については眼中になかった。

 昔からある話なのでわざわざ謎を解明する必要も感じなかった。


 ――七不思議は子供たちにとって必要不可欠な要素だものね。


 智菊は胸の中でそう考えて七不思議な七不思議のままに放置することにした。





 それは保健室の幽霊騒動がすっかり影が薄くなった頃だった。

 この小学校のとある高学年の少年が一人で放課後暗くなった廊下を歩いている。


「先生もひどいよな。宿題を忘れたからって一人で終わるまで居残りだなんてさ」


 ぶつぶつ一人で文句を言っている少年がいた。

 終わった宿題を渡しに職員室に行ったら長いお説教が少年を待っていた。


「次は忘れないようにしなさい」


 ようやく解放されたのは良かったが、ランドセルはまだ教室に置いてあったために一人で取りに戻った。

 それからランドセルを背負って階段に一人寂しく歩いていると、なぜかちょっと前に噂になった七不思議の2番目の話を思い出す。


 ――そういえば、こんな風に一人で歩いているときなんだよな。あの足だけ幽霊が現れるのは。


 見たと言っていたのは、低学年の子ばかりで高学年の子は一人もいないという話だった。

 だから一人で学校を歩くのを怖がった子たちのデマだと高学年では思われていた。

 少年もデマだと信じている内の一人だ。


「……そうだよ。あんなお化け話なんてウソに決まってるよ」


 七不思議を思い出して少しずつ早くなった心臓の鼓動を落ち着かせようと深呼吸を繰り返す。

 廊下の窓から見える眺めは太陽が隠れてぽつぽつある住宅の明かり以外は見えない。

 視線を廊下に戻せば非常灯が一つだけ不気味に点滅している。


 ゴクッ


 唾の飲み込んで歩いていた足を駆け足にする。


「……はあっ、はあっ」


 もう少しで階段までという所で後ろからゆっくりと少年を追う足音がした。


 ヒタ  ヒタ


 ――今の音は気のせいだ。きっとそうだ。


 何度も自分に言い聞かせるようにして目の前の階段に進もうとするが、なぜか身体は前に進まない。


「……っ」


 自由のきかなくなった自分の身体に恐怖を感じていてもどうにもできない。


 ヒタ ヒタ ヒタ ヒタ


 耳に届く足音は少しずつ早くなって次第に少年に近付いてくる。


 ――誰かが怖がらせようとしているだけだ。


 ヒタ


 足音が少年の少し後ろでぴたりと止まった。

 後ろを見ずに階段から下りたいのに身体は言うことをきいてくれそうにない。

 自分の意思とは裏腹に少年はゆっくりと自分の後ろを振り返った。


「……なんだ。誰もいないじゃん」


 少年が振り返った先には誰もいなかった。

 大きく息を吐いて一度しっかりと目を閉じる。

 今の音は自分の気のせいだったんだと安心して身体を前に戻して目を開けた少年は、さっきまで言うことをきかなかった身体がいつの間にか元に戻っているのに気付いた。

 誰もいないのが分かって安心したが、暗い学校にいつまでもいたくはなかった。


「さっさと帰ろう!」


 今度こそ後ろは振り返らず階段を駆け下りて少年は正面玄関に辿り着いた。

 玄関に着くと何人かの生徒の姿があった。


「……さっきのは誰かのいたずらかもな」


 すっかり恐怖を克服した少年は笑顔で帰路についた。

 そうしてこの日の出来事は少年の頭からは忘れ去られることとなる。



 さきほどまで少年のいた廊下は、ひっそりと人の気配のないほんのりと暗い廊下になっている。

 少年はいたずらか勘違いだと思いこんだようだが、人のいない廊下にまたも足音が響く。


 ヒタ ヒタ ヒタ


 少年は自分の目線より下は見なかったが、見ていたら廊下には誰もいないなどとは思えなかっただろう。

 そこには誰かの足だけが確かに廊下を歩いているからだ。

 七不思議は今後も変わらずあり続けるだろう。

 智菊はあえて確かめなかったが、学校にはいくつかの幽霊の存在があった。

 生徒が放課後に一人で廊下を歩いていると、後ろから自分以外の足音が……。


 ヒタ ヒタ ヒタ ヒタ


 ――――ほら、聞こえるでしょ? あの足音が。

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