第14話 手紙と学校訪問
正月を過ぎて変わらぬ日常が戻ってきた。
智菊たちの両親はまた多忙な仕事中心の生活へと戻った。
祖母の家から戻った智菊は、変わらず学校に通学するようになった。
残りわずかとなった高校生活をしっかりと満喫するべしと自由登校であっても智菊は毎日通学することにした。
その登校時には、さつき君と挨拶を交わすようになっていた。
皆にとってプラスになったのは、一緒に登校する子たちよりも遅れがちだったさつき君だが、智菊と挨拶を交わすようになってから少しずつ遅れずになって改善されたようだ。
皆に遅れることなく一緒に歩いている姿を見て智菊は、さつき君が元気でいるのを喜んでいた。
……あのとき動けて良かったな。
智菊が「おはよう」と挨拶すると元気良く「おはようございます!」と返事をするさつき君が可愛くてたまらなかった。
昔の瑞貴もこんなだったかな、と智菊は懐かしさとすっかり成長して可愛さがなくなった弟の現在にこっそり溜息を吐いた。
毎回挨拶を繰り返す内に、さつき君だけでなくて周りの子も一緒に挨拶をしてくれるようになった。
「おはようございます! ちあきちゃん」
「はい。おはようございます。皆、前見て歩いて行ってね!」
自然とさつき君以外の子たちとも知り合いの関係になっていた。
当然、智菊の朝1分遅く出るという行動はこの時点で消滅している。
他の子たちと仲良くなるにつれてさつき君の機嫌は急降下していく。
同じ班の上級生に智菊のことで口喧嘩に発展する。
「ちあきちゃんはぼくのともだちだよ!」
智菊の目の前でそう主張するさつき君に、思わず噴出しそうになるのをこらえていると、他の子たちも負けじと言い返す。
「あいさつするのはいいじゃん! ちあきちゃんだってうれしそうだよ」
「そうだよ! ちあきちゃんは皆のちあきちゃんだよ。さつき君だけ話すのはずるいよ」
「そうだよ!」
「ちょっ、ちょっと私のことなんかで喧嘩しないの!」
なぜか智菊は子供たちの人気者になっていた。
さつき君が懐いてくれているのは分かるが、他の子たちとは挨拶をしているくらいなのに、何でこんなに好かれているのか分からない。
戸惑う気持ちもあるが、子供たちに懐かれてこんな平和な日常も良いもんだと思い始める。
ただ今みたいに喧嘩までされると対処の仕方が分からず困る。
その朝の挨拶とは別に、日々の近況を書いた手紙をやりとりするようにもなった。
お見舞いの時の約束の文通だった。
駄々をこねるさつき君を帰す方便だったが、子供は約束したことは忘れないようだった。
智菊は正直忘れていたが、ポストに見慣れぬ色の手紙が入っていたことで思い出す。
営業の手紙以外は家にほとんと来ないため、最初は郵便配達間違いかと思った。
だが手紙の宛名を見ると自分の名前があった。
差出人が一生懸命書いたという気持ちが伝わってくる「橋本さつき」とあった。
「……そういえば、手紙のやりとりをするって約束していたっけ」
入院中にあんな出来事があったために智菊はすっかり忘れていた。
でも約束をして実際に手紙が届いた以上は返事を出さなくてはいけない。
どう返事をしようかと思い悩んだ智菊は、それより重大なことが頭に浮かぶ。
「……ってやばっ! 手紙なんて書かないから便箋ないよ」
制服を着替えもせずに慌てて自室に戻った。
智菊の机の引き出しを次々開けて中を調べるが目当ての物は思った通りなかった。
「……やっぱりなかった! これは買いに行かないと駄目よね」
買いに行くのを忘れない内にと帰宅した状態のまま、智菊は慌てて便箋を買いに近くのコンビニに走った。
コンビニに到着してから自転車に乗ってくれば良かったのを後悔した。
――わたしってばどれだけ慌ててたんだってのよ!
肩を落として店内の文房具の棚に向かう。
「どういう種類が良いのか分からない。でも男の子相手に花柄とかないよね。うーん、どうするかな。無地のはつまらないから、キャラ物にしようっと! まだ1年生だからこれで大丈夫なはず!」
どうにか購入した便箋に、返事を書いて橋本家のポストに投函した。
そうして智菊とさつき君とのやりとりは智菊が高校を卒業するまで毎週のように続けられることとなる。
さつき君のお母さんによれば、毎週金曜日の下校後、自宅でさつき君は智菊宛ての手紙を書いてくれる。
内容は一週間をどう過ごしたかとかの毎日の様子を詳しく書いてくれる。
給食で大好きなカレーが出たからたくさんおかわりしただの、休んだ子の分の余ったプリンを皆でじゃんけんしたら負けてくやしいだのといったありふれた教室での風景を書いてくれる。
近所なので切手は貼らずに封だけしっかり糊付けした手紙を智菊の家まで小さな足で運んで届けてくれる。
最初は同じように家のポストに入れていた智菊も最近は手紙をさつき君のお母さんに手渡ししている。
「手紙を書くようになってあの子前よりしっかりしてきたの。智菊ちゃんには助かってるわ。……ところで過保護だとは分かっているのだけど、あの子ってば手紙におかしなこと書いてない?」
「もちろんですよ。いつも一所懸命書いてくれててさつき君の手紙を読んでると楽しいですよ」
「いつもありがとうね。智菊ちゃん」
「いえ。私の方も楽しんでいますから気にしないで下さい」
その手紙はもうすぐ2月になる少し前に、久しぶりの自由登校から帰ったら家のポストに入っていた。
学校は本格的に受験一色となっていて、進路決定している子以外は学校には来なくなっている。
半分以上の生徒のいない教室は、もうすぐ卒業だというのを嫌でも実感させる。
だが、教室にいつも一緒に過ごしている友人たちが受験で姿のない者同士が、この機会に交流を持つようになった。
今まで同じクラスなのに必要な会話以外を話さなかった人たちとの会話は新鮮だった。
でもいつも一緒にお昼を食べている友人がいないことで寂しい気持ちを抱えて帰宅したら、まさに学校生活花盛りのさつき君からの手紙に笑みが浮かぶ。
智菊も手紙のやりとりを繰り返す内に、自分の小学校時代を振り返って思い出したりこの間自覚したと同時に失った初恋を少しずつ穏やかな思い出に変えつつあって、手紙をとても楽しんでいた。
思わず鼻歌が飛び出るが、それはすぐに途絶える。
「……何かいつもより宛先の文字が乱れてる?」
学校で何かあったのかと、智菊は慌てて手紙を開いた。
いつもより誤字が多い手紙から、これがさつき君にとって、とても大事な体験なのが伝わってきた。
さつき君も手紙をやりとりする以上は、間違いがあったら恥かしいとばかりに、辞書で字を調べて誤字のないように丁寧に書いてくれている。電子辞書では身につかないと言うお父さんの教えで、買ってもらった国語辞典を開いて頑張って書いてくれているというのは、さつき君のお母さん情報だったりする。
それが今回の手紙は、一刻も早く智菊に教えたいとばかりに、いつもより焦って読み難い字で書かれている。
その手紙の出だしがこんな風に始まって書かれていたのだ。
「智菊ちゃん、ぼくの学校では七ふしぎがはやってます」
「七不思議? っていわゆるトイレの花子さんとか? 今でもそういう怪談話ってあるんだ」
そんな冒頭から始まる手紙はいわゆる学校の怪談について触れている。
「今日ぼくはその一つを知ったと思います。クラスの子たちも七つ全部は知りません。
知ってるのは5つくらい。でも今日ぼくが見たのは六つ目だと思います。
誰も知らないこの六つ目のことを智菊ちゃんに教えるかなやみました。
でも教えてあげます。これは智菊ちゃんだけにおしえてあげて、お母さんにも話しません。
だから誰にもないしょにしてね。その七ふしぎの六つ目の名は、保健室のお化けです」
とても気になる手紙を最後まで何度も読んだ。
「……どうしようかな。お化けですんでいる話をほじくり出すべきかどうか」
手紙を読んでみるとその怪談の内容で気になった箇所があった。
「さつき君は誰にもこの話をしてないって言うけど、それがいつまでもつか。好奇心旺盛な子供が黙ってられるわけないよね。うーん、七不思議にされているくらい子供たちの間では有名になりつつあるってことは、やがては保護者の話題に取り上げられる可能性も出てくるし……。あーどうしよう!」
自室をうろうろと手紙を握りしめながら何分か動いた。
「こんなときは友達に相談だよね」
一人で思い悩むよりはと智菊は中学生の頃からの友人である里美に電話をした。
彼女も既に進学が決まっていたために気兼ねすることなく連絡が取れた。
「もしもし、里美。久しぶり」
「どうしたの? 智菊が電話してくるなんて珍しいじゃない。退院ぶりじゃない。もう元気なの?」
「うん。あのね、実はどうしようか悩んでることがあるんだよね」
「なになに? 相談? それこそ珍しい!! あたしで良ければ言ってよ」
中学1年生で同じクラスになって以来、運動部の里美と帰宅部の智菊とはなぜか波長が合った。
同じ長女なのにタイプの違う二人が仲良いのは自分たち自身も驚いていた記憶がある。
高校が別になった今も月に一度は会って遊んでいる。
その里美との電話の後にもう一人重要な人に電話で話をしたら、会ってくれるというので、後日待ち合わせをした里美と一緒にさつき君の通う小学校を訪れた。
土曜日で生徒のいない学校に、門に立っていた警備員さんに用件を伝えて許可をもらった二人が周囲を物珍しくきょろきょろと見回しながら目的地の職員室に赴いて行った。
扉を開けて職員室に入ると、先生方も数人いるくらいの閑散とした場になっていた。
突然入って来た二人に先生方は眉を顰めるが、すぐに一人の先生が立ち上がったのを見て関心は薄れた。
「二人ともよく来たな」
「お邪魔します」
「こんにちはー」
智菊は丁寧にお辞儀で挨拶をして、里美は軽く左手を持ち上げて友達にするように挨拶した。
出迎えてくれたのは弟の瑞貴の5、6年の担任の先生だ。
智菊は中学から今住んでる地元に戻ったが、智菊の小学校卒業とともにこの地に戻った弟は、小学校5年からこの小学校に転校した。
智菊が弟の担任と親しくしているのは、担任だったこの藤田先生とよく会っていたからだ。
ちなみに里美の妹と智菊の弟は同じクラスだったため、里美も藤田先生とは面識がある。
智菊たちは智菊が中学入学の際にそれまでの長い間お世話になった祖母の家から今の家に住み始めたが、智菊たちの両親は帰国したばかりで仕事が忙しく、まともな時間に帰宅できるのは週1、2日くらいだった。
そんな両親のいない家庭ではあるが、家事を祖母から教わってきた智菊たちは、生活には困らなかった。
……でも弟はまだ小学生で寂しい思いをしただろう。
智菊は弟が卒業するまで祖母の家で生活したかったが、こればかりは子供たちにどうこうできる問題ではなかった。
担任の藤田先生は算数が得意な先生で、智菊たちの家庭環境をよく理解してくれた一人だ。
弟の事で中学帰りに着替えもせずに制服のままの智菊は、この藤田先生に相談しに小学校によくお邪魔した。
ちょくちょく顔を見せる智菊と話して勉強の苦手科目を聞いた藤田先生は、たまに中学の数学の宿題を教えてくれていた。
智菊の担当の数学教師よりも分かりやすい説明で、苦手な数学の成績はかなりアップできた。
弟以外に自分のことまでも面倒を見てもらったために智菊は頭が上がらない人物だ。
今は教頭になったというが、当時と変わらない内面から出る優しさが顔を柔和に見せている。
まだこの小学校にいてくれて良かったと智菊は先生の顔を見てありがたかった。
智菊がこれからする話は、全然関わりのない他の教師に話しても一蹴される恐れがあるからだ。
他の先生のいる所で話をするのに遠慮する智菊を見た藤田先生は、二人を開いてる教室に案内してくれる。
「教頭先生になって生活変わった?」
里美はにやにやして藤田先生に近況を尋ねた。
それに対して先生は苦笑しつつも答えてくれる。
「それほど変わりはないよ。これでも先生は優秀だからね。仕事は一杯あってもちゃんとやっているよ」
「おお! さっすが藤田ちゃん! 男だね」
「里美! 失礼でしょ」
「いいよ。栗谷、そんなに恐縮するな。昔のように接してくれる方が嬉しいよ」
「はい」
智菊たちの進学が決定しているのを聞いて「おめでとう」と笑顔で喜んでくれた。
30分くらいお互いの近況を報告した所で、頭部が昔よりも若干薄くなった先生が笑いながら聞いてくる。
「それで七不思議がどうしたって?」




