第11話 初恋は涙とともに
前話同様人の死についての記述があります。ご注意ください。
「何年前になるんだろうな。小学生の頃なんてほとんど記憶に残ってないよ」
アルバムでどうにかその頃の記憶を呼び覚ますのに成功する。
智菊が小学6年生の頃の話だ。
手紙を書いてくれた田中ゆうき君と智菊は同じ委員という接点しかなかった。
クラス全員が何がしかの委員にならないといけなかった。
人気のある保険委員や放送委員などはじゃんけんで決まるが、人気のない委員は立候補や推薦で決まる。
委員長の紗香は立候補で大城君は周囲からの推薦で決まった。
美化委員は人気のない委員の一つだった。
特にやりたい委員もなかった智菊は、友人で委員長の紗香から押し付けられる形で美化委員になった。
月に1度しかない美化委員の仕事は学校内の清掃活動だった。
教室や体育館などは問題ない。
誰が掃除するのかいまいちはっきりしていない場所を掃除するのが美化委員だ。
掃除をあえてしたがる子供はあまりいない。
だから美化委員は不人気だった。
その日は智菊たち6年生が、あまり作業する人のいない学校の裏庭の枯葉集めをする予定になった。
美化委員は来なくてもさほど注意のされない委員会だった。
そのために集まりが悪く、やる作業は大変だった。
結果余慶に委員会に参加する人は決まってしまった。
智菊はその内の数少ない一人だが、同じクラスの田中君も真面目に参加していた。
男子とはあまりしゃべらない智菊は、同じ委員とはいえ田中君とは話した覚えはほとんどなかった。
「これで終わりにしよう」
「やった!」
「帰れるね」
美化委員長の一言で集まっていた委員の子たちはぞろぞろと教室に戻って行った。
「もう少しで終わる」
智菊はまとめたゴミをゴミ捨て場に運ぶ係りになった。
優しい他のクラスの女子が手伝ってくれるように言ってくれたが、一人の方が気楽なので断って袋を引きずりながら歩いていた。
ようやく見えてきたゴミ捨て場を窺うと、その近くには男の子数人が固まって騒いでいた。
「さっさと置いて帰ろう」
智菊が集団に少しだけ近づいていくと、不快な声が校舎に反響してはっきりと聞こえてくる。
「……お前、この年になって何ペットの写真なんて学校に持って来てるんだよ」
「それは形見なんだ。返してくれよ」
「形見だって? ペットの写真なんて大事にしてて気色悪いな。お前」
見ると、不快は声の主は智菊の嫌いないじめっ子で有名な男の子だ。
手には小さな物が握り締められているのが遠目でも分かった。
もしあれが写真だとすれば、かなりぐしゃぐしゃになっているだろう。
「……どうしてああなのかな」
智菊はこのいじめっ子が大嫌いだった。
男子とそう接点もない智菊が、嫌いだとはっきり言えるのは理由があった。
なぜなら智菊の可愛い弟をことある毎にいじめるからだ。
弟も最近は反撃しているようだが、年下をいじめるその性根が気に食わなかった。
何度も止めるように言ったが、言う通りにせず隠れて弟を数人で痛めつけるこの子が嫌だった。
その男の子を見るまでは、無視して通りすぎようとしていた智菊だが、日頃の恨みもあったためにその考えは変わった。
今はクラスが違うその男の子は、3、4年のときに同じクラスだった。
その頃はさんざんちょっかいをかけられた。
「智菊、お前んちはばあちゃんしかいないんだろ? 俺の家で一緒に遊んでやるから来いよ」
「……いや」
「なんで? 俺がわざわざ遊んでやるって言ってやってるのになんでだよ!」
「別に遊びたくない」
「智菊のくせになまいきだな!」
「……うるさい声で呼び捨てにしないで」
「お前も俺を呼び捨てればいいじゃんか!」
「やだ。めんどくさい」
断るたびに弟に対するいじめが酷くなるために何度か遊びに付き合ったこともあった。
「智菊、これで遊ぼうぜ」
「……」
遊びに行った男の子の家には誰もいなかった。
「……家族は?」
「買い物。それよりほら遊ぼうぜ」
3度ほど遊びに行った家はいつも誰もいなかった。
後々友人に聞いたら男の子の両親は離婚する、しないでもめていて二人は子供のことは放ったらかし状態で寂しい思いをさせていた。
智菊に構ってきたのも、祖母しか大人が近くにおらずに寂しい思いをしていると思って一緒に遊ぼうと誘っていたのかもしれない。
だからといって智菊たちを不快にさせて良いものではない。
子供同士でも物事の善悪ははっきりあるはずだ。
意地悪なことをしたり言ったりせずにすめば皆が楽しかった思い出になっただろう。
その男の子も中学校に入学する前に両親の離婚が成立して転居したと聞く。
高校生になる頃にはその子の名前すらすっかり忘れたが、嫌なことをされたという記憶だけはしっかり残ったままだ。
このときの智菊は、他人には関わらないようにしていた。
弟に何かあったらとそればかりを考えて人目につかないように地味に過ごした。
やがてそれがとても楽だと気付いてからはいかに目立たずにいられるかを目標にした時期もある。
そんな智菊でも、こうも目の前で気分の悪いことを目にして黙ったままではいられなかった。
「……せんせーっ! こっちでいじめられてます。早く来て下さい!」
大きな声を出して智菊だと分からないように気をつけた。
智菊がやったとばれたら、あとが面倒くさいからだ。
ありがたいことに、智菊の姿は集団のいる位置からは死角になっていた。
ゴミ袋をがさがささせて音を出したら信憑性があったのか、彼らはこの声の内容を信じた。
「やべっ。さっさと行くぞ。……ほら、返してやるからいじめてたなんてバラすなよ!」
ばたばたとした足音がして、すぐに聞こえなくなった。
その様子を確認してから智菊はゴミを持って行った。
そこには同じ美化委員の田中君が大事そうに写真を持って立っていた。
写真を一生懸命曲がった部分を直そうとしている。
ずるずるとゴミ袋を動かした音で田中君が智菊の存在に気付いた。
周囲を見回して他に誰もいないのを確認してから、智菊の側に寄って来た。
「……もしかして、さっきの声って智菊ちゃんが?」
「うん。ゴミ捨てするのに邪魔だったから」
「あ、ありがとう! 助かったよ」
「別にいいよ。助けようとしたわけじゃないし、あの子が嫌いだからどかしたかっただけで助けたわけじゃないよ」
「それでも僕にはこの写真が戻ってきたんだ。だからありがとう、智菊ちゃん」
とても嬉しそうに笑った田中君の姿がとても印象的だった。
「……あの笑顔は嬉しかったな」
智菊は卒業アルバムから顔を上げて宙を見る。
過去にあった情景は頭からは消えて自分のいる場所が祖母の家だったと思い出した。
あれから何があったわけでもない。
美化委員で一緒のときにちょっと話すくらいでしかなかった。
智菊にとっての田中君という存在はあの笑顔の人物でしかない。
でもあの一瞬の笑顔を見て、彼に写真が戻って良かったなとは思った。
智菊のやったことだともばれずにすんだし、あのいじめっ子も田中君にあれ以降絡まなかったというから面倒くさがらずに行動して良かったと素直に思った一件だった。
そうしてこれまで思い出しもしなかった同級生である田中君からの手紙。
しっかり封がされていて中を読めるのは自分だけだ。
何が書かれているのか。
「……もうすっかり夜だ」
窓から見える外の景色は、太陽がすっかり隠れて暗闇に包まれて見えなくなっている。
「いつまでもこのままでいたら夜が明けるだけか。よしっ! ささっと読んでみよう! もしかしたら考えているのと違う内容かもしれないしね」
ゆっくりと中身を封筒から出して読み始める。
「智菊ちゃん、久しぶり。お元気ですか? この手紙は卒業して智菊ちゃんが引っ越した後に書いてます。僕のことはもう忘れたかな? 僕の大事な写真を取り戻してくれたのをすごく感謝しています。ありがとう!」
そんな前書きで始まる文字は、習字でも習っていたのか、とても美しい字で書かれていた。
「……私より断然字が上手。羨ましいな」
祖母が達筆で弟も習いもしていないのに字が綺麗だった。
智菊は一時期習字教室に通ったのに、改善せずあまり綺麗な字が書けないままだ。
中身はやはり想像したように好意を告げる内容だった。
あのゴミ捨て場での一件から、智菊がとても気になりだした。
仲良くなろうにも委員会でも結局何も言えずにいたら卒業式を終えた。
中学では同じクラスになるのを期待していたら、智菊の引越しを耳にしてチャンスが無くなったことで自分の不甲斐なさに後悔した。
そんな内容が一生懸命書かれていた。
恥ずかしくなって智菊は自分の顔が熱くなっているのを手で確かめた。
「こんな感情を持たれるなんて思わなかったものね」
智菊に好意を向ける異性がいるとは考えていなかった。
その人が既にこの世にいないというのは、切なかった。
ぼんやりしていた智菊がふと我に返ると後ろに何かの気配がした。
何かがいると思うが悪い感覚はしなかった。
ゆっくり振り向くと、小学生の面影が多少残る穏やかな表情で田中君が立っていた。
――やっぱり視ることになったんだ。
思ったのは視れて良かったと思う気持ちと思い出のまま小学生の頃だけを覚えていたかったという複雑な心境だった。
でも恐怖はなかった。
単純に知り合いだからか、こうして人の姿だと分かるように視れても驚きはない。
弟と一緒に修行していて慣れてきたとはいえ、ああいったモノを視るたびに鳥肌が立った。
何度視てもマシになることはない。
猫の件で智菊は修行の成果がはっきりと形を成してきていると思ったが、こうして知り合いの姿まで視れてしまうことは少し悲しかったが、鳥肌が立たないことで害意があるわけではないと分かった。
故人といえど意思が通じるならきちんと思ったことを伝えたかった。
智菊はしっかり相手と目を合わせて口を開く。
「……お手紙、今読みました。気持ちはすごく嬉しかったです。こんなこと初めてで、どう言ったら良いのか分からないけど、ありがとう」
「ずっと手紙を出したかったのに、勇気がでなかったんだ。名前負けしちゃって、情けないよね。まさか自分がこんなに早くに死ぬなんて思わなかったから、未練が残ってたんだ。手紙が無事に届いて良かったよ。智菊ちゃんには迷惑だっただろうけど……」
「ううん。こうして手紙もらえて良かった。あの、えっと……っく、ひっく、わた、し……」
「なかないで。智菊ちゃんを泣かせようとして姿を見せたわけじゃないんだよ。こんな風に驚かせるようにして勝手に部屋に入ってごめんね。お願いだから泣かないで」
田中君の言葉で智菊は、自分の目から涙が流れているのを自覚した。
――ああ、そうだったんだ。
遅まきながらも、智菊はどうして自分が田中君のあの笑顔が印象に残っていたのかをようやく悟った。
名前は忘れてしまっていても、中学校に入学してもしばらくはあの笑顔を覚えていた。
折に触れてあの笑顔を思い出したまにニヤついていたりもした。
そうした行動は全て一つの感情につながっていた。
「……私、今分かったの。あの写真を取り戻して嬉しいって笑ってくれた、田中君の笑顔が好きだったの」
智菊が田中君の顔を見つめながら呟くと、あの思い出の笑顔とそっくりの笑顔で喜んでくれた。
「智菊ちゃんにそう言ってもらえてすごく嬉しい。ありがとう」
かすかに聞こえた「僕も大好きだったよ」という言葉とともに、智菊がまばたきをした途端に田中君の姿は視えなくなっていた。
智菊は嗚咽をこらえず泣きたいだけ涙を流し続けた。
「来てくれてありがとう。……さようなら、ゆうき君」
初めて自分を好きだと言ってくれたのが、亡くなった人だなんてどうしようもない。
智菊は翌日田中ゆうき君の自宅を訪れた。
「お忙しいときに突然お邪魔して申し訳ありません」
「……まあ、あなたがあの手紙の……」
「はい。田中君にお礼を言いたくて来ました」
田中君のお母さんは焼香をあげに訪れた智菊を快く迎えてくれた。
仏壇に丁寧に手を合わせた智菊は、居間へ案内されてお茶を頂いた。
「これが最近のあの子の写真なの。良ければもらってくれる?」
「良いんですか?」
「ええ。あの子の初恋相手だもの。渡したらあの子も喜んでくれるわ」
「……ありがとうございます」
田中君のお母さんは智菊に何度も「来てくれてありがとう」と言ってくれた。
いかに田中君が愛されていたのかが伝わってきて泣きそうになった。
どうにか泣かずに田中家から帰宅した智菊は、皆のいる居間を避けて寝室に戻った。
部屋で手渡された写真をじっくりと時間をかけて眺めた。
写真には、智菊の前に姿を見せたときと同じ青年が笑っていた。
「やっぱり笑顔が素敵だね。ゆうき君」
今度もまたぽろぽろと涙が流れるが、智菊は拭いもせずに写真を見つめ続けた。
こうして初恋を自覚した瞬間に失恋した智菊は、それからしばらくの間は思い出に浸ることとなる。




