人見知り令嬢が後宮入りしたら条件が最高過ぎて歓喜
お父様は綺麗になでつけたロマンスグレーをかき乱し、両手の拳を硬いマホガニーの机に叩きつけた。
あんなことをしたら痛いに決まっている。
だが私はそれを止めることもできず、驚いて後ずさることしかできなかった。
「ミシェル、お前は一体いつになったら……」
声を震わせ激情をこらえる様は、乱れた髪も相まってわが父ながらなかなかに耽美だった。だがさすがにそんなことを言ったら怒られてしまうので、私は不埒な感想を喉の奥に押しとどめた。
「いつになったら、結婚してこの家を出て行くつもりだ!」
ついにこらえきれなくなったのか、父は貴族の優雅さなどかなぐり捨てて、大声で叫んだ。
一見異常事態のようにも見えるが、ここ数年この怒鳴り文句は慣例のようになっており、今や使用人たちはだれ一人驚かず聞き流しているに違いなかった。
「そりゃあ私だって、結婚したくないわけじゃありませんが」
鋭い眼光に負け、ぼそぼそと敗戦の弁を口にする。
敗戦? そう敗戦だ。
私は父が用意した見合いの席で、またしても失敗し結婚のチャンスを逃していた。
通算五十回。
私が侯爵令嬢でたっぷりの持参金付きという条件を鑑みれば、常識的に考えてあり得ないほどの断られ具合である。
でもそんな結果になったのには原因がある。
それは私が人並外れて人見知りだからだ。
お見合いなんかしても、初対面の人と話なんて弾むはずがない。
確実に何かをやらかす。会話でどもるくらい可愛いものだ。まず頭が真っ白になって会話が通じなくなるし、絶対に転ぶし、お茶を飲めばカップを倒してお茶を飛び散らせる。運が悪いと相手の服にまでかかる。
当然謝るのだけれど、そんな時は逆に私の身分とちょっときつめの容姿が邪魔をする。
「ご、ごめんあそばせ」
小さなころから、事あるごとに口にする羽目になっている言葉だ。
それゆえにかろうじて意味不明にならず、口にすることができる。
だが相手はその言葉をまっすぐ謝罪とは受け取らない。大体の場合において、気位の高い貴族の娘が自分を追い返すために嫌味を言っているという風に聞こえるらしい。
なので見合い失敗のうち二十人以上は、その場で怒って帰ってしまうことが常だった。
今までに経験した五十回の失敗を、思い出すと自己嫌悪で叫びだしてしまいそうになる。
私だって、もちろん結婚するつもりがないわけではない。
お見合いを設定されるたび、何度も自分を奮い立たせ挑戦してきた。次女に手伝ってもらって重苦しいドレスに身を包み、流行りとされる化粧をして見知らぬ相手の前に出た。
でも人見知りのせいで暑くもないのに緊張で汗をかくし、そのせいで化粧が落ちて終わるころには化け物のようになっているし、苛立った相手に罵声を浴びせられたことも一度や二度ではないのだ。
おかげで巷では見るに堪えない化け物令嬢だとか、言葉を交わすことすらしない高飛車令嬢だとか言われているらしい。
その噂を聞いた時は悲しみのあまり卒倒するかと思った。
人見知りのせいでパーティーに出られない私に、いとこのクリスティーヌが教えてくれたのだ。
最初は降るようにあった縁談も、今ではぱったりなくなってしまった。
私ももう十九歳。来年には二十歳になる。
これ以上結婚相手としての条件が悪くなったら、もう本格的に結婚は絶望的になるだろう。
かくなる上は修道院送りになる覚悟をするべきなのかもしれない。貴族令嬢にとって修道女になるというのは社会的な死を意味する。
だが私のような極度の人見知りからすると、見知らぬ相手とそんなに会わずに済むならいっそ修道院に行った方がいいのかもしれないと思わないでもない。
なにせ貴族と結婚して家を取り仕切る夫人となれば、社交は絶対の義務となる。夫を盛り立てるためにパーティーに出席して他の貴族と交流するなんて、自分にできるとは全く思えない。
父は許さないかもしれないが、もうこれしかないと私が修道院行きを提案しようとしたその時だった。
「あの……!」
「ああ。私もそれしかないと思っている」
勇気を出して口にしようとしたら、言い終わる前に父に了承されてしまった。
やはり父も私と同じように考えていたのかと、一瞬喜びが胸に湧き上がる。
しかし次に父の口から放たれた言葉によって、私は完全に硬直し地獄の穴に放り込まれた。
「お前には隣国の後宮に入ってもらう」
「こ、こここ、後宮!?」
驚きのあまり、鶏のようになってしまった。
国境を接している国はいくつかあれど、後宮のある隣国など一つしかない。野蛮人の国とも呼ばれる恐ろしい国だ。
そこまで考えて、頭から血の気が引いた。
同じ国の人間とすらまともにしゃべれないのに、異国の、それも凶悪だと噂される人々とどうやって付き合えばいいのだ。
衝撃のあまり、その場にへたり込んでしまった。
恐る恐る顔を上げるが、お父様は表情を冷たく凍らせたまま眉一つ動かさなかった。
「猶予は十分に与えたはずだ。お前には何が何でも家の役に立ってもらうからな」
そう言って、お父様は部屋を出て行った。
取り残された私は、泣くこともできずただ天井を見上げることしかできなかった。
それからはあっという間だった。
どうやらあの日の宣告は最後通告だったようで、私はそれから一週間後には隣国に行くため車中の人となっていた。
馬車はガタゴトと揺れる。
護衛兼見張りの騎士たちすら恐ろしく、私はほとんどの時間を馬車の中で過ごした。
ちなみに先方から使用人は連れてくるなとお達しがあったようで、不安を打ち明けられる相手もいない。
まるで生贄にされるような気持ちで、私は最初で最後と思われる旅をした。
残念ながらほとんど記憶はない。
正直なところ、何度逃げ出そうとか、舌を噛み切ってしまおうとか、考えたかしれない。
それでもそうしなかったのは、私の失態で二国間の友好にヒビが入ってはいけないという、貴族としてのなけなしの義務感からだった。
皇帝の寵愛なんて望まない。望まないどころかいらない。
願わくば、誰も彼も私のことを放っておいてくれますように。そう願い続けていた。
***
「あなたですか? ルーシェ王国からいらっしゃった妃というのは」
眼鏡をかけた鋭い眼光の淑女が、私の受け入れを担当してくれた女官だった。
女性が働けるのだということが、私にとってはまず第一の驚きだったのだが。
彼女はただでさえ鋭い目元をより厳しくさせて、私を睨みつけた。
初対面の人にこんな顔をされては、恐ろしすぎて思わず椅子の後ろに隠れてしまった。
そんな私を見て、イヴェット女史は呆れたようにため息をついた。
「いいですか? 我がディスペラント帝国においての後宮入りは、貴国のお輿入れとは大きく異なるのだとご理解ください」
「は、ははっははは、はい!」
さすがに返事をしないのは失礼なので、椅子の後ろからではあるが頑張って返事をした。
イヴェット女史は早くも、私の奇行を気にしないことにしたようだ。
椅子の向こうからすらすらと説明が続く。
「まず、結婚式はございません。皇帝陛下は大変お忙しいお方ですので、後宮のお妃様全員と式を挙げることなど不可能なのです。中には死ぬまで陛下のお姿を見ることすら叶わない者すらいるほどです」
ほ、ほう。そんなことがあるのか。
もともと野獣とも仇名される皇帝と会いたいなんてちっとも思わないので、私にとっては朗報である。
「また、お妃様同士で社交をなされるのも、あまり推奨されません。皆様いろいろな国からいらっしゃっておりますので、母国同士の争いになるのを防ぐためです」
イヴェット女史に見えないと知りながら、私は背もたれに隠れて何度もうなずいた。
人見知りで後宮送りになった身の上だ。誰が好き好んで社交などしたいものか。
「また、後宮の皆様には位によって差はあれど皆様給金が支払われますので、そちらの詳細は追ってご連絡いたします。もともと食住については補償いたしますので、好みによるところの大きい衣類や宝飾品の類は給金から賄ってください」
なんと。後宮というところはお給金がもらえるらしい。
そんなこと予想すらしていなかったので、一瞬なにを言われたのか理解できなかったほどだ。
だがずっと椅子に隠れている私を哀れに思ったのか、イヴェットはほんの少しだけ優しい声で言った。
「陛下のお手付きとならず一定の年齢を越えますと、本人の希望があれば外に出て別の方と結婚することも可能です。後宮上がりの女性は外では結婚相手として人気がありますので、安心なさってください」
どうやら彼女は、私のところに皇帝はこないと想定しているらしい。
この国の皇帝陛下は、後宮の女性をかたっぱしから寝所に引きずり込むような好色ではないらしい。美女を集めて後宮などを運営しているくらいだから、てっきり無類の女好きを想像していた。
何はともあれ、皇帝に会うことなく住むのならありがたい話だ。
「あ、あのの、あの」
「なんですか?」
「そ、外には絶対で、でなければならないのでしょうか?」
「そんなことはございませんが……実際行く当てのない者は後宮で働く者もおります。私のように」
その答えを聞いて、思わず背もたれから顔を出してしまった。
イヴェットも最初は妃のうちの一人だったのだろうか。その髪には幾筋も白髪が混じっているが、背中はぴっしり伸びていて若いころはさぞや美しかったろうと思うのだが。
「では、大まかな説明は異常となります。細かい規定についてはこの後に参ります女官が説明いたしますので、それまでお寛ぎください」
イヴェットはまるでお手本のように美しいお辞儀をして、颯爽と部屋から出て行ってしまった。
取り残された私は、椅子に縋りついたまましばし呆然とする。
改めて周囲を見回すと、きれいに整えられた室内は侯爵家の自室より狭いものの、何とも居心地がよさそうだ。私は根っからの引きこもり気質なので、部屋は狭い方がありがたいくらいだ。
そうして少し落ち着いてくると、今度は先ほど耳にした後宮内の決まりを思い出す。
まず第一に、皇帝と会わなくていい。それどころか他の妃にも会わない方がいいらしい。
なにそれ最高である。どんな地獄に送り込まれるのかと戦々恐々していたが、人に会わないことを推奨される場所があるなんて思いもしなかった。
その上後宮では給金すら与えられるとか。
ほしいものはそれほどないが、将来のために貯金できるのはありがたい。
イヴェットの言うある程度の年齢が来ても、私に帰る場所などない。彼女は結婚相手として需要があるようなことを言っていたが、それはあくまでディスペラント帝国での常識であって、私の国では出戻りだとしか思われないに違いないのだ。
ならばこの国に骨を埋めることになりそうだ。
もっとも、五十回も見合いに失敗した母国に未練などないのだが。
事態を整理したところ、帝国の後宮は人見知りの私が生きるのに最高の条件であることが分かってきた。
気分が高揚してきて、気を抜くとうほうほ言ってしまいそうである。
勿論初日から変な噂が立っては困るので我慢する。私は口の中で喜びをかみしめつつ、空中に握りこぶしを突き上げた。
ちょうどそこに私付きの女官がやってきて、彼女を怯えさせる羽目になったのだが、それくらいは仕方ないと思ってほしい。
***
「おい、後宮に行かなくていいのか? 確か新たな妃が入ったんだろう?」
赤い短髪の男が軽薄に問う。
問いかけられた主は黒髪の見目麗しい男だ。上背があり、窓から入る月の光が彼の白い顔を浮かび上がらせている。
「必要ない。ルーシェ王国の女など、何を言い含められているか」
強い蒸留酒をあおりながら、男が答える。
質問をした男は苦笑した。
「人質に王女を要求してみたら、代わりに侯爵令嬢を出してくるとはな。いまだにこちら新興国と侮っているらしい」
「構わない。侮られていた方が都合がいいくらいだ。価値のない人質なら相応の使い道がある」
男は優美にな顔に似合わない残虐性を浮かべていた。
古来戦争に人質はつきものだった。そして歴史上無事に祖国の土を踏むことのできた人質など一握りだ。
男は王女の代わりにと差し出された侯爵令嬢興味などなかった。興味があるのは、その娘の祖国が持つ国境沿いの鉱脈の利権に関してだ。
「恐ろしいね。この皇帝様は。イヴェット女史が言うには、面白そうな娘じゃないか」
「どうでもいい。俺の目的はこの国を豊かにすること。ただそれだけだ」
同じ頃、まさか自分が話題に上がっているなど知る由もないミシェルは、緊張と旅疲れでがちがちになっていた体を寝台に横たえ呑気に寝息をついていたのだった。




