ソード・アンド・エピソード:序章
よろしくお願いします。
時間的にも僕の文章力的にも読み切るのはしんどいかと思いますが、せめてエンドマークまではお付き合い下さい。
えっと、たった今僕は異世界についたところなんだ。物語も始まったばかりで悪いんだけど、こうなった経緯について説明を兼ねて少しだけ回想させてもらうよ。
始まりは僕の前に現れた神様を自称する女性。その女性は卑猥で破廉恥で、強風が吹けば全て吹き飛んで全裸になってしまいそうな、目のやり場に困る格好をしていた。そんな彼女によって僕は異世界に送られることになった。その理由は、「気まぐれ」らしい。変態の……いや、「神様」の考える事は理解できなかったけれど、人間ごときがそれを理解できるようになることもきっとないだろう。
とにかく、その神様から「スキル」なるものをもらい、さらに自身の能力を可視化する「ステータス」という呪文を教わった。その直後、僕の体は眩い光に包まれた。
回想終わり。
何やかんやで草むらに佇んでいる僕。早速、自分の能力を見てみる。何も無い空間に手をかざし、呪文を唱える。
「ステータス」
その直後、目の前にたくさんの文字が現れ、視界を埋めつくした。文字には体力だとか魔術だとか運といった能力とレベルやスキルが書いてあった。漢字、アルファベット、数字が入り混じっていて訳が分からない。小説なんて最初の三ページすら読めやしない僕には文字の情報量が多すぎる。
読む気が失せたので、混沌と化したステータスを閉じる。
しかし――
「あれ……?」
閉じ方が分からない。ゲームならキャンセルボタンを押したり枠上のバツ印を押したりすれば大抵の画面表示は消せるけど、これはゲームではない。キャンセルボタンも枠上のバツ印もあるはずがない。あったとしてもコントローラーなんてないから操作できるはずがない。どうしよう、消し方が分からない。
「何だよこれ、邪魔だよ! 消えろよ!」
手を振るって払い除けようとするが、視界に張り付いているようでどうすることもできない。必死に視界から外そうと頭を振る。しかし文字は消えない。どうやらこの世界は、どうしても僕にこの長々とした文字列を読ませたいらしい。何としても、抗ってみせる。
目を瞑り、開き、何度か瞼を擦る。すると――
「はい、消えましたー! いやー、良かったー。一生あのままかと思っちゃった……」
嘘。
「おい! 消えろよ!」
懇願。
「消えろってば!」
しかし、何も変わらない。
「ちくしょう、消えろ! こいつめ! (自主規制)が!」
僕の罵詈雑言の叫びは虚空に消えた。この邪魔なやつを消すにはもはや目を潰すしかないのだろうか。
右手で作ったピースサイン、視界の中で震える指先が少しずつ大きくなる。
僕ならやれる。きっとやれる。
いや、無理だ。できるわけがない。
最終手段への葛藤を繰り広げていた矢先、声が聞こえた。
[ステータスを終了しますか?]
機械で合成された音声のような変な女の人の声だった。しかも、残響効果があって聞き取りにくい。声に集中していた訳では無いので、話していた内容はよく聞こえなかったけれど、「ステータス」という単語と「終了」という単語があったので、はい、と答えた。すると、目の前にあった文字たちは消えていた。「ステータス」を使ったあとにはいちいちこんな手順を踏まないといけないなんて面倒くさすぎる。こんな無駄な行為をしてまで自分の能力を知る必要は無い。二度とステータスなんて見るか。そう心の中で呟いた直後、再び視界が文字で埋め尽くされた。何が起きたのか全く分からない。
しばらくの後、ようやく状況を理解した。これは唱えるだけじゃなく、考えるだけでも発動するのだ、と。
さっきと同じように頭をブンブンと振り、瞼を何度か動かしては擦る。すると、また声が聞こえた。
[ステータスを終了しますか?]
「……お願いします」
泣きそうだった。半分泣いていた。けれど、何とか文字は消えた。
危ない危ない。迂闊に考えることも出来ないぞ。厄介なことになったもんだ。でも、もう大丈夫。考えなければいいんだ。ステー……いや、これ以上は言わない。
次に、スキルとやらを使ってみることにした。とりあえず効果がよく分からない『鑑定』にしてみた。他にもスキルは色々と貰ったが、正直なところ数が多すぎて頭がパンクしてしまったから、存在を覚えているのはこれだけだからだ。とはいえ、これまた発動の仕方が分からない。思い浮かべているのに発動しないということは、今度はしっかり唱えないといけないのだろうか。
「鑑定」
何も起こらない。
「鑑定ッ」
何も起こらない。
「鑑定発動」
何も起こらない。
「スキル『鑑定』発動」
何も起こらない。
「かんてい」
何も起こらない。
「カンテイ」
何も起こらない。
「我が瞳よ! 神の力を以て目前に映りし……あの、万物を……えーと……言葉? ……んー違うなぁ……開眼! か☆ん☆て☆い!!!」
何も起こらない。
「私、鑑定をしたい所存でございます。恐れ入りますが、何卒、発動をよろしくお願い致します」
何も起こらない。
「……『鑑定』って何なんだろ」
何も起こらない。
はい、『鑑定』スキルなんてものは言葉が存在しているだけで実際の効能は無く、何の役にも立ちません。控えめに言って存在価値のないゴミで、この世で最も不要な存在の一つです。241文字も無駄な描写をさせやがって。本当に、本当にありがとうございました。
……。
周りに誰もいないとはいえ、いい加減恥ずかしくなってきた。仕方ない、スキルを使うのは諦めることにしよう。そんなもの無くたって何とかなる。多分。
何気なく道を歩く途中、不思議な花を見つけた。花びらが歯の生えた口みたいになっていて、ご丁寧に人間の唇のようなものもある。茎は幾本もの棘が生え、葉は人間の手のような形をしている。そして、その花は風もないのにウネウネと動いていた。ちょっとキモかわいい。なんという花なのだろう、そう思った瞬間、脳内に再び声が響く。
[『鑑定』を発動しますか?]
例の機械音声さんの声だった。なるほど、何か鑑定したいと思う対象が無ければ鑑定は使えないのか。確かに、何の意味もなく情報を取り入れるのは変だもんな。
そう納得しながら声に肯定を返し、スキル『鑑定』を発動した。すると、花の近くに文字が浮かんだ。どうやら花の名前は「フラワー」というらしい。名前もかわいい。というか、相手の情報を見る能力って、これは『鑑定』ですか? まあいいや。世界がこれを鑑定ということにしたいのであればこれは紛れもなく鑑定だし、僕はそれに従うだけ。
それにしても、何をするにもこの声に答えないといけないのか。スキル発動も自由にできないとは面倒だな。それはいいとして、いくつか言いたいことがある。
「ステータスとかスキルとかって完全にゲームだろ! しかも、何で目の前に字が浮いてるんだよ!」
[ゲームだからよ]
「えぇ!? これゲームだったの? というか、今の声って……」
[はい、私です]
うん、機械音声さんって普通に喋れるんだな。いや、違う違う。なんてこった、この世界はゲームだったのか。そういえば、神様がそんなことを言っていたような気もする。でも、それならどうして「ログアウト」だとか「ゲーム終了」だとかの項目が無いんだろう。そのことを機械音声さんに聞くと、
[それらを必要としているのは『内』ではなく『外』なのですから、当然でしょう]
と、答えた。漠然としていてよく分からないけれど、ゲームを終了するという行為が必要なのはプレイヤーであって、ゲーム内のキャラクターには関係ないってことだろう。多分。
「それじゃあ……僕はどうすればいいんですか? 僕、一生この世界で生きていかないといけないんですか?」
「……ご安心下さい。この世界は――」
そうだ、ここはゲームの世界。それなら、クリアすれば元の世界に帰れるはずだ。と、なると残る問題は――。
「ゲームってことは、もし死んじゃってもコンティニューはできるんですよね?」
[もちろんです。セーブされた地点から『死に戻り』によって復活できます]
どこかで聞いたことがあるような言葉が出たけど大丈夫かな……まあいいや。とにかく、死んでも大丈夫なら何とかなりそうだ。僅かながら希望が見えた気がした。
[ちなみに、本作にオートセーブはありません]
え?
[任意セーブのみです]
え?
[セーブポイントあるいはシステム画面から『セーブ』を選択してください」
「システム画面からって言いました?」
[はい]
「僕はシステムに干渉できないし、そもそもシステム画面を開けませんよね?」
[はい]
「……今の説明いりましたか?」
[いいえ]
僕が使えないことを説明されても意味無いでしょうが! これじゃあコンティニューしても最初からじゃないですか! いや、セーブポイントからセーブはできるんだっけ? いちいち探さないといけないのか……。それに、プレイヤーなら指を動かすだけで辿り着けるけど、実際に移動しないといけないもんな……くたびれるなぁ。今どきオートセーブ無いってちょっと前時代的……というか不便じゃない? 気に入らないところでセーブされないのは良い事だけど。
もし元の世界に戻れたなら、このゲームの制作会社を絶対に訴えてやる……のはやり過ぎだな。それじゃあ、低評価のレビューを一つ加えてやる。その為にも、ゲームのタイトルを知らなければ!
「ところで……ここって何ていうゲームの世界なんですか?」
[この世界は、ソードア――]
「ちょ、ちょっと黙ろうか!」
うん、某有名なアレでないのは分かってる。僕ごときがタイトルを述べることすらおこがましいが、断じてアレなわけがない。だけど、こうも露骨にやるとは……変な汗が出てきた。
狼狽える僕とは対照に、機械音声さんは落ち着いた口調で話す。
[そちらの質問に答えようとしていたのに、なぜ遮ったのですか。知ることで何か不都合なことがあるのですか]
なんでそんなに堂々としていられるんだ、この機械音声さんは。今この状況は限りなく黒に近いグレーだってのに。この作品の……いや、この作品だけじゃない。諸々の未来がかかってるかもしれないというのに。
「不都合、ってソードア……云々はマズいですよ。タイトルぐらいしか知らないですけど、有名なやつですよね? どれだけの人間を敵に回す気なんですか……」
[数多の模倣作が既に蔓延っているというのに、今更何を仰っているのですか。それに、何か誤解をしているようですが、このゲームのタイトルは『ソード・アンド・エピソード』ですよ]
うわっ、全然知らんゲーム出てきた。だっせえタイトル。しかも微妙に韻踏んでるのが余計に腹が立つ。おおかた、頭良さげに振舞っていながらも頭の中は成功と金、そして三大欲求で詰まっているような馬鹿な男が考えたんだろう。
「で、でも、『死に戻り』の方は? こっちも某有名な作品を想起させる言葉――端的に言ってパクリですよね? これは言い逃れできないでしょう」
[その言葉自体は特定の作品を指す言葉ではないため、問題ありません。また、私が申し上げた『シニモドリ』は鳥の名称です]
シニモ鳥!? 死んだら鳥が助けてくれるってこと? タイトルといい作中用語といい内容といい、ホント何なんだよこのゲームは! でもふざけた設定によってパクリ疑惑は解決……してはいないと思うよ!?
一旦落ち着こう。多くの作品では、こういう実体の無い案内役の発言は大抵の場合正しいんだ。機械音声さんを信じよう。
「まあ、問題無いならいいですけど……。でも、ゲームの世界に転移させられるのは百歩譲っていいとして、全ッ然知らないゲームの世界に送るのはやめてくれませんか?」
[承知しました。以後、気をつけます]
以後気をつけるって……僕もうこんなところに来ちゃった後だから、今更気をつけられてももう遅いんですけど。そう言うと、機械音声さんは「もう一度やり直しますか?」と答えた。そういうことじゃないし、やり直せるなら元の世界に返してほしい。そんな僕の思念が漏れているかのように、機械音声さんは続けてこう言った。
「"この素晴らしい世界"から元の世界に戻ったら、誰かにお話するおつもりですか? 『転生したらゲーム世界だった件』について。出来事を書き留められるようにご用意致しましょうか? "スマートフォン"でも」
おい、ふざけんな! 信じた僕が馬鹿みたいじゃないか! 言ったそばから怪しいワードを並べるな! 怪しいどころかもはやアウトだろ!
そもそも「転生したら」って、僕は別に死んだわけじゃないから転生もクソもない。言うなれば「拉致されたらゲーム世界だった件」ってところかな。
と、先程までふざけた様子だった機械音声さんが、突然感情を失ったように抑揚のない声でまくしたてた。
[他作品からタイトルの無断借用と思われる行為を確認しました。規則に従い、本作品に存在するあらゆる権利の失効及び物語の強制完結措置を発動致します。この作品はこれでお終いです。本当に、ありがとうございました]
「えっ!? ちょっと待っ
終
……。
まだ続いてる……。
終わりじゃなかったのか……?
ここまでずっと変な事ばかりで頭がおかしくなりそうだ。一体どうなってるんだ、この世界。
「あの……もしかして、ふざけてます?」
[いいえ。しかし、ここはギャグ作品の世界ですので――]
「え、ギャグ!? 嘘でしょ」
[ご存じないのはあなただけのようですね。もう一度申し上げます。この作品はギャグです]
「し、信じないぞ!」
[お望みであれば何度でも申し上げます。この作品はギャグです。この作品はギャグです。この作品はギャグ――]
「分かりました! 分かりました! これはギャグなんですね!」
最悪だ! よく分からないまま来た世界が知らないゲーム世界だった上にギャグ作品だったなんて! 全く笑えないから成立してないし、ギャグだとしてももっと自重しろ! 何でもギャグって言えば許される訳じゃないからな!
どうせ異世界に誘拐されるならもっと硬派な世界で活躍したり、何度も挫けそうになったり葛藤がありながらも仲間たちと共に乗り越えて自己肯定感が高まったりして、最後は大団円でめでたしめでたしみたいな世界が良かった!
ついでに、作者もこんなふざけた奴じゃなくて、もっと素敵な作品を創れる人、変わってください。お願いします!
こんな世界嫌だ。こんな作者嫌だ。
頭を抱えて地に崩れ落ちた僕の耳に、機械音声さんの声が届く。
[私たちの存在意義には反しますが……その願い、叶えましょう。それではレベル、ステータス、スキルの概念を消去します]
その口調には、どこか迷いのような物が感じられた。それが不思議に思えたが、突然の発言だったため、どうして、と聞き返すことしかできなかった。
「これらの要素はあなたの望む世界には相応しくないと判断したためです。また、これらはゲーム内のキャラクターの能力を数値化あるいは記号化してプレイヤーに理解させるためのものです。あなたはプレイヤーではないため、本来は不要なのです」
本当にそうなのかな。それに、僕が聞きたかったのはそちらではない。しかし、僕が何か言おうとする前に、機械音声さんは一つずつ僕の中から消し始めた。
[はじめに、レベルを消去します]
「……」
少年がステータスを確認してみると、レベルの表示は初めから存在していなかったかのように綺麗に消滅していた。少年は自身の望みが叶い始めたことに、小さな喜びを見出していた。
「え、今の何」
機械音声の声は続く。
「続いて、ステータスを消去します」
その後、どれだけ「ステータス」の言葉を思い浮かべても、ウィンドウが視界に現れることは無かった。
煩わしかったステータスから解放された少年は、心地良さを感じていた。
「別にそんなの感じてないけど」
声は少年の呟きを無視して、最後の作業に取りかかった。
[続いて、スキルを消去します]
少年は、自身の体から力が失われるのを感じた。しかし、存在しているだけでろくに使えない物なんて、無くても構わない。いや、むしろそんな物は無い方がいい。
「えぇ!? そんなこと思ってないよ!?」
声は少年に尋ねる。
[私の声を消音に切り替えますか?]
声の方からその提案をしてくれたことを少年は好ましく思った。満面の笑みを浮かべた少年は頷き、それを肯定した。
「いや、頷いてないよ? 肯定もしてないって!」
「黙れッ、お前はただ身を委ねておけばいいんだッ! 淀みを生み出すんじゃない!」
「え、だ、誰?」
少年の意思により消音になった彼女の声は、もはや少年には聞こえない。しかし、彼女は問い続ける。少年は答えなければならない。
[私の存在を完全に消去しますか?]
あの憎たらしい声が消える。こんなに素晴らしい提案を拒絶するわけがない。少年は迷いなくそれに肯定の意を示した。その直後、嫌悪感のあった声の、その存在すら感じなくなった。
少年は自由を手にした。スキルにもステータスにも、レベルにも縛られることのない、真に何でもできる日々が始まるのだ。降り注ぐ陽光、風に舞う色とりどりの花びら。小鳥たちのさえずり。何もかもが彼を、晴れ晴れとした彼の心を祝福するようだった。世界は歓喜に満ちていた。
―――――
少年たちは険しい山岳を進む。彼らが目指すのはこの先の洞穴、その最奥にある一振の剣。彼らが剣を求める理由は他でもない。世界の解放である。
七人の英雄と彼らの持つ剣によって二分された世界。封印により分かたれた世界を繋ぐための旅も終端に近づいている。既に六本の剣を手にし、残されたのはこの洞穴にある一本。
この旅は決して楽なものでは無かった。彼らの脳裏に浮かぶのは辛い思い出ばかりだった。だが、それだけではない。剣を手にすることで、少しでも世界を良くできると実感したこと、旅の過程で仲間たちに出逢えたこと。そして何より、その仲間たちと共にいられることが嬉しかった。それももうすぐ全て終わる。少年は改めて決意を強くする。
「ここか……?」
少年たちの前にそれは現れた。ぽっかりと口を開けた洞穴。その中は暗く、どこまでも続く闇が広がっていた。剣を求めて足を踏み入れたどんな地よりも異様な雰囲気に包まれていた。少年の足がすくむ。全身を襲う震えが止まらない。恐怖心が彼の心を黒く染めていく。
「おい、大丈夫か?」
その言葉と共に少年の肩に添えられた手。微かに感じる熱が、彼の心を恐怖から救い出した。少年は頷いて返す。――そうだ、自分は一人ではないのだ。共に戦い、共に笑い、共に生きてくれる仲間がいる。振り返った少年に、仲間たちは信頼を込めた視線を返す。
「俺たちがついてるぞ」
「わ、わたしもいます! 最後まで頑張りましょう!」
「私は、皆様と共に過ごせて楽しかった。皆様に会えて本当に良かった」
「怖気付いたのか? らしくないな」
「俺たちで、世界をもう一度一つにするんだあ!」
ジャン、ルーナ、リィア、レクト、オネス――。仲間たちが向ける眼差しが、放つ言葉が、強ばる少年の心を解かしていった。
「みんな、ありがとう。最後まで一緒に来てくれて」
少年は深く頭を下げた。瞳からは、なぜか涙が溢れていた。その様子に戸惑い、はにかんだように笑う仲間たち。恐ろしい死地に足を踏み入れるというのに、場違いな明るさが生まれた。
そこへ、割り込むように声が飛ぶ。
「そういうのは終わってからにしなさいよ。まったく、子供っぽい。それにバカっぽい」
ラヌカの口の悪さはこの時でも相変わらずであった。だが、普段と変わらぬ態度が彼らの覚悟を呼び戻した。
「そうだね。皆で無事に帰らないとね。ありがとう、ラヌカ」
「別に! そんなつもりで言った訳じゃないから。つくづくバカね」
この先に待つのがどんな結末であるとしても、彼らの旅は終わる。自身たちの行動が、選択が、最善の結末へと至れることを祈りながら、彼らは最後の地へと足を踏み入れた。
洞穴に入った少年の目に映ったのは予想だにしない光景だった。そこに広がっているのは、鮮やかな彩りの花園と色とりどりの蝶たちが舞い踊る幻想的な風景だった。
「わあ、綺麗だなぁ。ねえ、見てよ、あれ」
少年の指さす方向へ視線を向ける仲間たち。そこにあるのは無機質な岩肌だった。少年の口から出る景色は彼らには見えていなかった。少年とのちぐはぐな会話に、突然の異常に彼らは困惑していた。
「おい……そこには何も……」
口ごもる彼らに、少年が言い返そうとした瞬間、辺りは殺風景な洞穴に変わる。その時、ようやく少年は自分が見ていたものが幻覚であったことに気づいた。心配そうに見つめる仲間に少年は大丈夫だ、と答えた。
洞穴を進むにつれてその幻は強烈なものに変貌し、仲間たちにも襲いかかった。舞い踊る蝶は不快な音を立てる羽虫に代わり、花畑は死体の山に変わった。ある時は自身の肉体から血が吹き出し、ある時は自身の腕がありえない方向に捻じ曲がり、ある時は仲間の首がぼとりと落ち、ある時は肉体が破裂し、またある時は蠢く大樹が仲間の体を捻り壊した。幻に過ぎないはずなのに、その度に全身には耐え難い激痛が走った。
それでも、彼らは前に進み続けた。
幻に精神を蝕まれながらも、彼らはついに剣があるはずの最深部にたどり着いた。安堵する一行。その時、ジャンの耳に声が聞こえた。それはよく知っている友人の――少年の声。
「こいつはあんなに強がっているけど、本当はすごく弱いんだ。小さい頃から皆にいじめられて泣かされていた。僕は知ってるよ。いつも助けてあげていたからね」
「お前! いきなり何を言い出す!」
ジャンは目の前の少年に腕を伸ばす。だが、その手は少年に触れることはなく、虚しく宙を掴むだけだった。否、そもそも彼は腕を伸ばしてなどおらず、その両の手は自身の頭を押さえていた。
「俺は……強くなったんだ……お前よりも……」
そう言いながらも、脳裏によぎるのは泣いている自分と、それを慰める少年の姿。
ジャンの瞳から光が失せる。それからは、うわ言のように同じ事を繰り返し呟き続けた。
「何でいつも……お前、やっぱり俺を見下してたんだな……お前なんかいなくたっておれは……!」
ルーナもまた、仲間の声を聞いていた。
「ルーナ、君がいつも明るく振舞っているのは本心を隠すためなんだろ。そして、自分が殺した友人を忘れる為」
ルーナはあの日の村の景色を見ていた。悲鳴。慟哭。恐怖。鏖殺。そして、共に生きることを誓った友人。彼女に鉈を振り下ろす自身の姿が、それに重なって映った。
「ルーナ、私のこと忘れないでね」
耳を塞いでも、あの日の友人はルーナに語りかける。
「やめて! 思い出したくないのに! やめてよ!」
「いや」
跪いたルーナに駆け寄ったレクトは、何度もその名を呼びかけた。しかし、彼の声は彼女には届かない。次の瞬間、ルーナは突然顔を上げ、笑い声を上げた。見開かれた目と不自然に吊り上がった口角が底知れない恐怖を感じさせた。その表情のままルーナは声を上げる。
「レクト、あなたも人を殺したのよね! 私、知ってる! あなたも私と同じ!」
狂気めいたルースの言葉を、レクトは必死に否定しようとする。
「違う! 俺は――」
「あなたも、わたしも逃げられないのよ! キャハハハハハハ! 弟殺し!」
死ぬしかないのよ、とルーナは笑い続ける。彼女から逸らした視線の先に死んだはずの弟の姿が映った。幻影だ、そう分かっていたはずなのに――。気がつくとレクトは弟を抱きしめていた。
「おにいちゃん……」
「大丈夫、兄ちゃんがそばにいるよ」
村を襲撃した兵士。弟と共に息を潜めて隠れていた床下の暗さと土の匂い。一人、また一人と命を奪われる村人達。殺戮に満ちたあの時の記憶が再現された。
あの時、俺は弟を――。
「ごめんね。こわかったの」
「違うんだ……悪いのはお前じゃない」
気づかれたら殺される、その恐怖に耐えられなかった。
「おにイちゃン……ごめンね……ズっと、一緒ニ……」
レクトの腕に抱かれた弟の顔色は少しづつ濁っていった。物を言わぬ骸と化した弟をレクトはただ抱きしめ、ひたすらに謝り続けた。
オネスが見ていたのはうずくまる自分の姿。多くの人々の姿。人々はオネスの傍を歩き去っていく。彼に気づかないのか。あるいは、気づいても無視しているのか。そんな状況に居心地の悪さを感じながらも、オネスはただ耐えるしかなかった。
突然、視界に見える風景が変わった。目の前には家族がいた。父と母、そして姉が笑っていた。
オネスは三人に触れようと手を伸ばす。だが、彼らはその手を振り払った。
「汚らわしい。触らないで頂戴」
「二度と顔を見せるな、と言ったはずだ」
「一族の面汚し。お父様とお母様の気持ちがあなたに分かるかしら」
オネスは気づいた。三人の笑みが酷く冷たいものだったことに。嘲笑うのでも哀れむのでもない、ただ笑みの形だけがそこにあった。オネスが彼らに背を向けると、笑い声が聞こえた。高らかで底抜けた、明るい声だった。
独りになってしまった彼の耳に、リィアの声が届く。
「貴方がこの旅についてきたのは、自分を変えたかったからでしょうか? けれど残念ですね。貴方を愛している者なんていないのですよ。私たちの中で、一人でもあなたへ好意を抱いている者がいるでしょうか?」
「でも、君はあの時――」
そう言いかけたオネスの首をリィアが強く締め上げた。苦しそうに息を吐きながらオネスはもがくが、その指はくい込んで離れようとしない。
「哀れな人。私が貴方に好意があると思い込んでいたのですか? 貴方のような者、誰が――」
リィアは堪えきれないというように嘲笑した。オネスはその場に崩れ落ちた。目から溢れる涙が頬を伝い、地面に痕を残す。
その泣き声は、しだいに乾いた笑い声に変わった。
「君だって同じだろ? 知ってるんだぞ、君が父親に何をされていたのか。それでもなお父親を求めていたことも」
「やめてください! 私は父上にそんな感情を抱いてなどおりません!」
「どうかなぁ、アノ時の君の顔、悦びに満ちていたよ。人々の穢れを受け入れ、払う者が一番穢れていたなんて滑稽だね。聖女さま」
オネスの言葉に呼応するように、リィアの目の前に自身の姿が映し出された。そこには父親と交わる自身の――淫らな女の姿があった。
「違う! こんなの私じゃ――」
リィアは、その光景を見ている別の者の視線に気づいた。見たくない、そう思いながらも恐る恐る視線の主へ顔を向けた。そこにいたのは、少年だった。
「嘘……そんな、いやよ」
「リィア、君は……」
「いやあぁぁあああぁあぁあ!」
自身の羞恥すべき姿を、見られたくない姿を少年に知られてしまった。その事実に、リィアは喉の張り裂けんばかりの絶叫をあげた。そして、懐から取り出した短剣を自身の下腹部に突き立てた。刃を自身の肉体から引き抜くのと同時に、赤黒い血液がほとばしり、臓物が露出した。体には激痛が走り生命の危機を訴えるが、その手を止めることはない。
父と身体を重ね、父を受け入れた、自分の穢れたモノを破壊しなければならない。
彼女のその衝動が消えることはなかった。
生気を失った目つきで呟き続けるジャンとレクト、引きつった笑い声をあげて転がるルーナ、地面を掘り続けるリィア、そして、自身の首に手をかけるオネス。少年とラヌカは仲間たちの不可解な行動を唖然として見つめていた。
「これは、一体――?」
「これも幻覚なの? それとも現実?」
すでに彼らには目の前の光景が幻覚なのか否なのか分からなくなっていた。それでも少年は目に映る仲間を正気に戻そうとしていた。全員無事に帰る、その約束を果たすために。
少年はジャンに駆け寄った。虚ろな目をしたジャンに何度もその名を呼びかける。そして――ジャンが少年を認識した時、彼の目は大きく見開かれた。そこには怒りと悲しみが入り交じったような感情が宿っていた。
「ぐはッ」
ジャンは少年を蹴り飛ばした。宙に浮いた少年の体は強く地面に叩きつけられる。腹部に鈍い痛みが走った。
「ジャン……どうしたんだ……」
「俺は強いんだ……お前の助けなんていらないんだ……お前の助けなんて……お前なんて、いらない」
ジャンは剣を抜くと少年に切りかかった。すんでのところでそれをかわす。このジャンが幻覚でないのであれば、他の仲間にも危害が及ぶ。何とかして止めなければならない。そう考えた少年は必死にジャンの体を押さえつけようとする。しかし、剣を振り回して暴れるジャンに近づくことができない。
「どうしたの、剣を抜きなさいよ!」
ラヌカの言葉が飛ぶ。戦え、と。だが、少年には攻撃の意思はなかった。たとえ正気を失っていても、自身に襲いかかる存在であっても、目の前にいるのは紛うことなく仲間であり親友であるジャンだったからだ。
彼を傷つけずに状況を打破できる策は無いかと思案する少年。その視界の端で、ラヌカが地に崩れた。苦悶の表情を浮かべながら、彼女は言葉を絞り出す。
「幻視だけじゃなかったの……声が聞こえる……私の中に入ってきて……彼にはきっと……あなたの声が聞こえて……」
そこでラヌカの言葉は途絶える。ラヌカを助けようとする少年。だが、ジャンの振るう剣がそれを許さない。剣の軌道を読んで上体を反らす。先程まで少年の胸があった空間を、刃が的確に貫く。
「舐めやがって……おまえも剣を抜け! 俺をころしにこいよ! 殺せ! 殺せ!」
「ジャン、僕は君と戦いたくない!僕の声を聞いてくれ!」
ジャンはその言葉に反応せず、ゆっくりと歩み寄る。少年もそれに合わせて後退するが、洞穴の岩壁に突き当たった。ニヤリと歪んだ笑みを浮かべ、ジャンは少年に剣を振り下ろした。
「死ね!」
結局、自分には世界を救えないのだ。一人の友人すら救えなかったのだから。
目を瞑り、その時を待つ。だが、まだ刃は届かない。刹那――声が聞こえた。
「弱いから……いつも守られてばかり……どんなに頑張ってもお前には届かない……どうせいらねぇだろ、こんな俺なんか」
先程とは違う、涙ぐんでいるようなジャンの声だった。恐る恐る目を開いた少年の目の前には、ジャンの姿があった。手にした剣は少年の首元で停止している。
ジャン自身が作り出していたものとは違う、少年の言葉が彼の正気を取り戻すきっかけを与えたのだ。
少年は、ジャンの目をまっすぐに見据える。
「ジャン、君がいたからここまで来れたんだ。僕には――僕たちには君が必要だ」
糸が切れたようにジャンの体は力なく地に伏した。手から滑り落ちた剣が乾いた金属音を響かせた。その瞳からとめどなく溢れる涙を、ジャンは腕で拭った。少年はそんな友人の肩をそっと抱く。
「ごめんなぁ……俺、こんなつもりじゃ……助けられてばかりだ」
「君だって僕を助けてくれたじゃないか。それに、何度だって助けるよ。友達だからね」
落ち着きを取り戻したジャンにこの場を任せ、少年は剣へと向かった。再び幻がジャンを襲うかもしれないという不安に何度もとらわれたが、任せろ、と言ってくれた彼を信じて先へ進む。
道中で、少年は自分たちを襲った幻について考えていた。特に、なぜ自分だけ仲間と同じような幻が現れていないのかが気にかかっていた。ジャンの様子では、幻は自分の過去が関係しているようだったが。
自身の過去――。少年は一つだけ思い当たることがあった。記憶の奥底に存在する不鮮明な光景。それは心の中に空白を生み出した。その欠けた過去がなにかの鍵になっている可能性がある。
洞穴の最奥、祭壇に剣が鎮座していた。分かたれた世界を再び一つにするための最後の剣。少年は柄に手をかけ、勢いよく引き抜いた。その瞬間、少年の中に様々な光景が駆け巡った。騎士であった父と共に、王城に呼び出された日。壊滅した村。護るドラゴン。これは自身の記憶。そこに挟まれる見知らぬ光景。それはこの剣が見てきた世界の記憶だった。七人の英雄の姿。世界が分けられた日。火を得た人とその影たち。穏やかな草原。剣で胸を貫く少年自身の姿。影と人が繰り広げる戦いと虐殺。
そして、少年は真実を見る。
――ああ、そうだったのか、この剣は……。
―――――
「これは、あなたの世界」
旅を始めてから――否、ずっと昔から心の中で正体の分からない寂しさが渦巻いていた。自分の生は満たされているはずなのに、何かが足りない。
朧気な記憶の断片には、一輪の花があった。花びらや葉にどこか動物的な特徴のある花。その花の名は、フラワー。
珍しくも何ともない花。しかし、その花を見る度に不思議な気持ちがしていた。温かく、心地よくて、懐かしい思い出に触れているようだった。
「これは、あなたの願い」
そして今、聞こえた声が少年の更なる記憶を呼び覚ます。
初めてこの花を見つけた時、確かに誰かが一緒にいた。姿の無い誰かが。この声の主を思い出さなければいけない。少年はそう感じた。
「これは、あなたが望んだ世界」
僕が望んだ? 辛くて苦しくて、どうしようもないこの世界を?
「私が叶えた、あなたの望み」
望み。自分の望み。
僕は、何を望んだ?
彼は思い出した。そして、心に空いた空白の正体に気づいた。それがもう二度と埋められないということにも。
あんなに憎んでいたはずなのに。いや、本当に憎んでいたのだろうか。分からない。
そこで少年の意識は途切れる。
……。
……。
[あなた……生命……を停止……?]
誰かの声が聞こえた。
雑音の混じった不鮮明な声。
それは、どこか懐かしい声だった。
それは、確かに聞いた声だった。
それは、ずっと聞きたかった声だった。
[あなたの生命活動を停止しますか?]
鮮明になった声からの絶望の誘い。だが、少年はその中に希望を見た。暗く、冷たく、孤独で、寂しさに溢れた世界に一筋の白い光が差した。
少年は走る。光の差す方へ。走り続けて、辿り着いた光の向こう。そこには彼女がいた。自らの存在を失っても、少年の記憶に残っていなかったとしても、ずっと傍にいてくれていたのだ。
[今一度、私の存在を望みますか?]
彼は迷っていた。再びその名を呼んでいいのかを。自分にそれだけの価値が残されているのかを。
不安に襲われながらも、彼は恐る恐る口を開いた。そして、その声の主の名を呼ぶ。自分と彼女だけが知っている、二人の絆の証でもある名を。
彼女の名前は――。
―――――
草原を穏やかな風が吹き抜ける。揺れる草花に囲まれて横たわる一人の人影。視界にそれを認めた声は、優しく語りかける。
[おはようございます]
続けて、その人物の名を呼ぶ。彼は微かに目を開くが、陽の光の眩しさに思わず目を瞑る。無理やりこじ開けるように瞼を持ち上げると、辺りをぐるりと見渡した。
彼の肉体は、初めて出会った時の姿に戻っていた。彼もそのことに気づいたのか、両手のひらをじっと見つめて不思議そうに目を丸くしている。やがて少年は視線を手から外し天を仰いだ。点々とした白い雲が風に流れる、穏やかな空だった。少年は姿無き声に視線を向けると、ゆっくりと立ち上がった。
「それじゃあ、行こうか。"機械音声さん"」
[はい。どこまでも、共に参ります]
頭に響く「彼女」の声に安心しながらも、少年は再び不安に襲われそうになる。いつか、自分はまた同じ道を辿ってしまうのではないか、と。だが、少年はすぐにその不安を頭から追いやった。
姿見えずとも確かに傍にいるのを感じる。彼女となら、どんな困難も乗り越えていける。そう思えたから。
たとえこの選択が間違いでも、望まぬ未来に繋がっているとしても、精一杯生きよう。
そこは大切な存在がいる世界だから。
大切な存在と、共に生きていく世界だから。
読み終えられた皆様、あるいは読み飛ばした方もいらっしゃるかもしれませんが、お疲れ様でした。
この作品を書いている間、すごく楽しかったんですが読み返してみると……なんかよく分からないですよね、コレ。でも、主人公、読者、作者が皆揃って「何だコレ」ってなる話もアリだと思うんですよ。思いますよね? 思わないですか。やっぱりナシですか。そうですか……。
と、一人芝居もこの辺にしておきます。
読んで下さり、ありがとうございました。