グラスホッパーマウス(3)
――十数分前。
彩乃は、有坂ら両道聖会の構成員たちと、パトリシアと光莉が囚われているビルに攻め入っていた。
相手は戦闘においては素人の暴力団員とテロリスト予備軍の若者たち。道路に面した一階部分は、瞬く間に制圧できた。しかし、その先が難しかった。二階部分を攻め落としている間に三階へ先陣を切った班は倒され、階段部に即席のバリケードまで設置されてしまった。突破を試みようと姿を晒せば、銃火器で迎え撃たれる。拳銃以外にも散弾銃や自動火器があるらしく、相手のほうが火力は優勢。おまけに先陣の遺体も行く手を阻む障害の一つとなっている。単純だが効果的なキルゾーンが、偶然にも形成されていた。
想定以上の抵抗に攻めあぐねている状況。エレベーターもあるが、使おうものなら待ち伏せは必至。非常階段で迂回するという手も考えられたが、いま彩乃たちが進入を試みている薄暗い室内階段こそが、このビルの非常階段だった。
行き止まりの中、彩乃は階段の角から腕だけ出して牽制射撃をしていた。自前のMDP9があるが、それは使わず、敵味方から拝借した拳銃を使っている。S&W M49を撃ち切ると、後ろに待機させた構成員の用意したCZ83と交換し、射撃を続ける。彩乃の射撃が途切れると、上階から銃弾が降ってくる。
不器用な会話をしているよう。ターン制制圧バトル。
とにかくこの場は、命中せずとも圧力をかけておく必要がある。相手がバリケードを築き、こちらの射撃に反撃しているうちは、むしろ安全だ。自分たちが大人しくすれば、相手が攻勢に出てくる可能性もある、そうなると圧殺されるのはこちら側だろう。それだけでなく、敵の増援が来る可能性もある。さきほど街中で騒ぎを起こした一団は警察に押しつけてきたが、仲間がそれで全員とは考えにくい。ジャミングで外部との通信を妨害しているが、この状態が長く続けば、不審がった敵の仲間が呼ばれずともこの場所に集まってくることはありうる。それはそれで彩乃たちには好都合だが、依頼者であり協力者の有坂たちを失う危険が高まってしまう。
彩乃は、陽が落ち完全に暗くなるまではこのまま粘り続けても構わないと考えているが、他の面々も同じとは限らない。部屋のほうでは、なにやら言い合っているようだった。膠着してものの数分だが、両道聖会の構成員たちの多くはしびれを切らしつつあった。
「俺に行かせてくれ」構成員の男が言った。
男は、パイプ椅子に雑誌類を粘着テープで固定し盾を作っていた。銃器の前では大して役に立たないのは目に見えて明らかな造形。
「やめてくれ」有坂が言った。
銃の威力について具体的な知識のない有坂にも、男の持つ粗雑な盾では銃弾を防ぐのは難しいだろうと想像できた。
「なら、俺も」そう言い、何人かが次々と前へ出る。
鎧のつもりか、身体に椅子の座面や、棚板、雑誌などを粘着テープで巻き留めていた。室内から漁った工事用のヘルメットを被っている者もいる。
「いくら頭数が増えようと許しは出ない。気持ちはありがたいが、行かせられない。お前らの命で引き換えてくれるような話のわかる相手じゃねえんだ」
「そう、そんなんじゃダメだ。ヤル気あるならもっといい装備用意して」
彩乃と有坂は、自殺志願者を止める。
有坂率いる旧派。彼らは、両道聖会の解散を認めており、遅かれ早かれ足を洗うことに決めた者たちだった。その矢先にこの事件が起こった。最後に一花咲かせる覚悟、士気だけは異様に高い。
彩乃と有坂は、そんな彼らを抑えながら指揮を執らなければならなかった。何もしなければ、ただ無策に突撃し、死体を積み上げるだけになるのは容易に想像できた。とはいえ、戦闘訓練も受けていない彼らにこなせる仕事は突撃して刃物を振り回すか、銃を乱射することしかない。そうした状況ゆえに、この古いビルは難攻不落の要塞と化していた。
外では猫澄が監視と援護射撃の役を担っているが、それも効果を発揮しにくい環境に置かれていた。
バリケードの置かれた階段部には窓がなく、射線が通っていない。ビルは築数十年の古い建物、構造は鉄骨造、外壁は気泡コンクリートパネル製。壁ごとバリケードの背後を抜くという強硬手段も現在の装備では不可能だった。連続射撃で破壊することは可能だが、どのみち手持ちの弾薬量では足りないし、作戦上必要な行動でもない。それどころか、手近な壁や床が銃撃で貫通可能と敵に知れたなら、不利なのはこちらだ。
「ネコ、そっちはどう?」インカムへ言う。
『三階はさっき撃ったので警戒されてて、カーテンまで閉められた。これ以上撃つとこっちに反撃が来る』
「わかった。じゃあ、凪子さん待ちね」
蜂須賀にバリケードを突破しうる装備を持って来るよう連絡しておいた。数十分で到着するはずだ。彩乃にしてみれば、敵が堪えきれずに手榴弾でも使ってくれたほうが手っ取り早かった。投げ返してバリケードを壊せるのに、と頭の悪いことを考えていた。
『だな、ちょっと待って――上で動きがあった。パトシリアとお嬢さまが脱出しようとしてる』
「わかった。そっちをお願い」
『りょーかい』
「何かあったのか?」彩乃の背に、有坂が尋ねた。
「ああ、いえ、お姫さまは無事みたいって話ですよ」
有坂は一瞬、安堵の表情を浮かべた。すぐに顔を戻す、まだ事態は終わっていない。
「なら早く攻めなければ」
「まぁ、秘密兵器が到着するまで待ちましょ。いま突っ込んでも無駄に撃たれるだけだってわかるでしょ? だいたい、いまが死に時だって湧いてる人たちを望みどおりにさせたくないわけ」新しい銃を手に取り、目を細める。「だって、ずるいじゃない」
/
彩乃との通信を終えた猫澄は、三脚から派手なカスタムARを外し、階段を駆ける。対面のビルの五階部分が見通せる位置まで階段を上る。手摺にクランプ三脚で固定しておいたカメラの隣にライフルを据えた。
円筒形のハンドガードと被筒に三分の一ほど収まったサプレッサー、青系統の色で構成されたスプリッター迷彩風のペイントが特徴的なAR‐15タイプの短銃身ライフル。
JP Enterprises社のSCRを、トリガーやストックなどのパーツを猫澄の好みのものに換装してある。.300ブラックアウト弾仕様の10・5インチ銃身。ディオン製の1‐10倍可変スコープ、HuxWrxサプレッサー、シュタイナーオプティクス製のデュアルレーザー、マグプル製のバイポッド、下部に赤いテープの巻かれた二〇発弾倉。スコープの前にはレールマウント式の戦術装備、ハンドガードの左側には携帯端末のホルダー。
クリスマスツリー一歩手前の張り切りさんコーデ。
サイドレールの9時の位置にマウントした端末を展開。端末の画面には三階と四階の映像を映すよう設定。作戦開始前に各階を真横から撮影できるようにカメラを設置していた。
こういうときドローンオペレーターがいるといいな、と猫澄はつくづく思っていた。人手不足ゆえに、力押し気味な方法を採らざるを得ないのは、せっかくのハイテク装備が泣いている。
「階段走るとさすがに暑いな……」
春も終わり、温かくなってきた時期。日没前後の時間帯とはいえ、モノクロブロックパターン柄のマントを被り、ゴテゴテ盛り合わせされた自動ライフルを担いで階段を駆け上がるのは、なかなかに骨が折れる。そこそこ鍛えている猫澄にしてもだ。
猫澄は、マントの下で、トラックジャケットのファスナーを下ろし、シャツをばたつかせ空気を送った。
目標との位置関係は、道路と空地を挟んだ向かい合わせ、距離は20メートルも離れていない。近距離も近距離。ビルの中は灯りもなく薄暗く見にくいながらも、肉眼でも室内の様子は窺えた。パトリシアが四人と対峙し、一人を殴り倒しているところが見えた。
急いでスコープを覗き込む。ズーム倍率は1倍。低倍率下では、イルミネーションをオンにすることでドットサイト代わりになる。
照準器の視界に映ったのは、パトリシアが頭一つ大きい男を昏倒させ、銃のスライドを握って制止する大立ち回り。それを見て、
「すげえな、あいつ」思わず独り言が零れる。
猫澄には意外だった。
見慣れぬ格闘の光景に少し楽しくもあった。
彩乃はあまり格闘戦をしない。したとしても、彩乃は身長170センチオーバー、ガチガチでないにしろそこそこ鍛えているのがわかる体格。人を殴り倒したとしても意外性がない。鉛筆やワインオープナー、グラスで五人をたちどころに殺したところは見たことがあるが、彩乃ならできるだろうなという予想の範疇だった。
それに対し、「組織」で訓練を積んでいる以上は格闘をこなせるのは当然だが、パトリシアのような華奢な少女が大人の男を圧倒する様は見応えがある。しかも、見た感じ、力押しだ。非現実感が猫澄の脳を酔わせる。
(おっと、見惚れている場合じゃないな)
逃げ出そうとする最後の一人に光点を這わせる。パトリシアが銃を向けているのが見えたが、
(いいものを見せてもらったお礼だ)
内心呟き、ガイズリー製のフラットトリガーに指を添える。撫でるように力を加える、2ステージの引き金はわずかに沈み込んだあと、重くなり、一旦指が止まる。
走る際に腕を引いたタイミングを狙う。ほとんど真横からの射撃ゆえに少しでも対象の見かけ上の面積が広い時を狙いたい。
素早く二連射。湿気った銃声が重なる。薬莢受けの中を薬莢が跳ね、貯金箱のような音を鳴らす。
放たれた.30口径の110グレイン弾頭は、窓ガラスを煙中を通り抜けるかの如くまっすぐ進み、ターゲットに突き刺さった。遮蔽貫通用の高速弾は、ドアやガラスなどの遮蔽物を通過しても弾道に変化が少ないよう設計されている。それこそ障害物などまるで見えていないかのように。
一発目は肩付近に命中、姿勢が崩れる、二発目が左胸に吸い込まれる。銅製のポリマーチップ弾は、人体に命中すると四枚に花開き、ミキサーブレードのように体内を傷つける。撃たれた女はその場で崩れ落ちた。
ナイスショット、と自分で自分を褒める。
ひとまず戦闘が終わったことを見て、まだ数発残っている弾倉を外し、上着のポケットから取り出した新しい二〇発弾倉と入れ替える。
再度、出入口に動きがないことを確かめ、スコープから目を外しパトリシアの探しものを見守る。連絡手段が見つからなかったら見つからなかったで、援護を続けるつもりだが、情報のやりとりはできたほうが都合はよい。
携帯端末を見つけたパトリシアが、猫澄にコールしてきた。
「ヤッてんねえ」にやける。
『やってないです』鋭い口調、嫌そうな顔がありありと浮かぶ。『状況はどうなっているんですか?』
「彩乃と味方のヤクザらは二階まで進入してる。でも、思ったより抵抗が強いんで難儀してるみたいよ」
『じゃあ、わたしが加勢します』
「いや、そこで待機してな」
『わたしは平気です。できます』
「少し休め」命令だ、と言い足す。
猫澄から見て、パトリシアは休息を要する状態にあった。
パトリシアのチョーカーはバイタルセンサーになっている。義手に装着したスマートウォッチではバイタルサインは計測できないために用意された代替装備。モニターされたパトリシアの心拍数は150を超えていた。センサーの誤差や交戦直後の興奮もあるとはいえ、好ましい状態とは言い難い。普通の人間に比べて身体に大きな特徴があるパトリシアにとってはなおのこと。このまま負荷をかけ続けて、戦闘中に倒れられては困る。
そのことをストレートには伝えられなかった。パトリシアの性格上、彼女の悩みを増やすことになってしまうのではないか、と猫澄は思った。自分たちのチームの人手不足を埋めてくれる、せっかくの可愛い新人だ、長持ちさせたい。
「お前の仕事は塞城光莉の護衛だ。わざわざ火の中に飛び込む必要はない。それに、装備が足りてないだろ」反論しづらい事柄で押す。
『……わかりました』
「おっけー。下が片付くまで、その場で持ちこたえてくれ。援護はする」
通話を一旦切って、端末の監視映像を確認する。他の階に動きはない。スコープに意識を戻す。パトリシアと光莉が防御を整える様子を見守ることにした。
「――彩乃、上はひとまず片付いた。このまま上のサポートを続けるが、そっち手伝うか?」彩乃へ通信。
すぐ応答『こっちは大丈夫。パトちゃんとお姫さまを守ってて』
「おっけー」
彩乃との短い通信を終える。パトリシアは作業を終えている。出入口に金属棚や机で背の低い簡易バリケードが完成した。パトリシアの心拍数はいくらか下がり、落ち着きを取り戻しているようだった。回復はしているようなので、ひとまずは問題なさそうだ。
そのパトリシアは、光莉にも銃を渡して、防衛に参加させている。一瞬、やめさせようとも思ったが、光莉を共犯にするのも面白いと、猫澄の心中の悪魔が常識心を制した。
微笑ましくも、危なっかしくもある。
――そして、突然爆音が響いた。
爆発物によるものだとすぐにわかった。
猫澄のいる建物にも振動が伝わってきた。風とは違う空気の動きが肌を舐める。手摺から軽く乗り出し、ビルの下方を見る。
ビル一階の出入口から煙が吐き出され、ガラスも何枚か割れている。路上には、破片が散らばっている。その中のいくつかは「人だったもの」だろうことは想像に難くない。それからすぐに、何人かの構成員がふらふらと這い出てきた。何かが起きたのは明らかだった。
事態が動くか――。
面倒だけど楽しくなってきたな、猫澄は思わず呟いた。
――
「い、いまの爆発? 何が起こってるの?」光莉は縮こまり、尋ねた。
「わかりません」即答するパトリシア。すぐさま通話。「彩乃先輩? ネコ先輩? 何があったんですか?」
『わからん。一階から煙が出てるのは確認できるが』
『――エレベーター爆弾。爆発物持たせて下の階にいるわたしたちを攻撃しようとしたみたい。一階にいた人たちが何人かやられた』ノイズ混じりの彩乃の声。
『生き急いでんな』呆れ気味の猫澄。
「先輩、無事ですか!?」慌てて呼びかける。
『わたしはね。……パトちゃんも無事でよかった、よくやってくれた。いま、凪子さんに応援に来てもらってるから、もう少しで突入できると思う。それまで待っててね、防衛戦だよ』背後で怒号が飛び交っている。誰かが彩乃に泣きついているようなやりとりも聞こえた。『落ち着いて! ……落ち着けって言ってんだよ! あんたが吹っ飛ばされたわけじゃないんだから――。ごめん、わたしは一応大丈夫だから、必要があればこっちから繋ぐから――アウト』
「彩乃先輩……」
「平気だって、ね? パトリシア……」励ます光莉。
「……うん」頷く。
『――パトリシア、こっちはこっちで敵さんのお出ましだ。ドアの陰に何人か見える。バリケードに気付いて慎重になってんな』
「わかりました」
パトリシアはドアの向こうを睨んだ。暗い階段フロアに気配を感じるが、深く探ろうと意識を集中させればさせるほど自身の鼓動の音が邪魔をする。経験不足さに、溜息が出る。
携帯端末の通話をハンズフリーに切り替え、横倒しの机に立てかける。
「光莉、敵が来たみたいです。戦闘準備を」
「わ、わかった」
光莉は、声を震わせながらも、回転式拳銃の照準器を出入口の暗がりに合わせ、引き金に指をかけた。身体が震えるのを抑えられない。その震えで引き金を引いてしまうのではないかと心配だったが、想像していたよりも引き金は重く、不意の発砲はなさそうだった。その代わり、少し怖くなった。心理的な意味での引き金の重さを感じずにはいられなかった。命や責任の重さ、覚悟が、自分の指先に集まっている。
パトリシアも、場に漂う緊張の匂いに息が止まりそうになった。意識が遠のくような、眩暈のような感覚が迫ってくる。
それを引き戻す声があった。
『――シア――おい、パトリシア――』猫澄の呼びかけ。
「あっ、はい」
『撃つか?』
「お願いします」
『了解、牽制する――3、2、1』
ピシッと、ガラスを突き破る音がした。階段フロアから弾頭が壁に叩きつけられた音が響いてくる。
同時に、暗がりから狼狽する声が聞こえた。普通ならば、自分たちが狙われていることを知れば萎縮する。しかし、彼らは違った。攻撃に晒されたことで、むしろ前に進むしかないと思い込んだ。戻れば指示役に責められるかもしれないという意識も彼らの背を押した。
拉致犯一味は、角刈りの男を先頭に雄叫びをあげ、突入を試みた。簡易バリアを乗り越えようとしている。
「く、来る――」震える光莉。
『そこは大人しくしといてくれって』愚痴り、引き金を引いた。
猫澄の射撃で、先頭の男が崩れ落ちた。それでもなお、後ろの仲間たちは続こうとしている。
「射撃開始! 中らなくてもいいです。とにかく撃って、あいつらにここは危険だと教えるんです」
パトリシアは拝借した拳銃を両手に握り、撃った。
隣のパトリシアが撃ったのを見て、光莉も続く。ダブルアクションの重い引き金を一息に引ききった。心臓が一瞬止まったような感覚があった。銃声が耳を刺し、銃から伝わる衝撃が骨と肉を軋ませ、発砲炎と破裂音が脳を揺さぶる。目は眩み、放たれた弾丸の行き先がどこなのか、わからなかった。
跳ね上がった腕を戻す。照準を定める余裕はどこかへ飛んだ、銃口が前を向いていることだけわかればいい。引き金をもう一度、引く。
(――2)
光莉は、頭の中で撃った回数を数えた。銃に入っていた弾の数は五。二発撃って、残りは三。パニックにならないように、最低限の意識を保つには、こうするのがいいと思った。