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グラスホッパーマウス(2)

 パトリシアと光莉は、とあるビルの一室に閉じ込められていた。物置に使われている三帖程度の窓のない部屋、剥き出しのLED電球の眩しくも狭い光が冷たく二人を照らしている。

 バンに乗せられるときに、イヤーマフとアイマスクを装着させられたおかげで、自分たちがどこに連れられてきたのか二人にはわからなかった。体感では移動時間は一時間もなかったように思えたが、それだけでは場所の見当もつかない。意図的に遠回りされた場合、経過時間はノイズにしかならないだろう。せいぜいわかることといえば、高速道路を使っていないことと、閉じ込められている部屋が五階にあるだろうことくらいだった。


 パトリシアと光莉は、手首と足首を結束バンドで拘束されていた。パトリシアのほうが拘束が厳しく、後ろ手に手首だけでなく親指と人差し指の根元も縛られ、さらに前腕を粘着テープで巻かれていた。


「……ねえ、あなた護衛なんでしょ。なんで一緒に捕まってんのよ」


「お嬢さまを守るためです。あの場では大人しくしておくのが一番被害が少なかったんです」


「そう言って自信がなかったんでしょ。それかボディーガードなんて嘘だったとか。わたしと同じくらいの年齢(とし)よね、そんな子が護衛とか漫画じゃないんだから、ありえないでしょ」茶化す。


「――そうですよ。わたしなんかが人のために尽くすとか無理なんです。さっきだって、あとで先輩たちが助けてくれるかと思って。わたしはなんにもできない新人だから……」そっぽを向いて言った。


「え、やめてよ。そんないじけられても困るんだけど」


「事実ですし」


「こんなところに一人で閉じ込められるよりは寂しくなくてずっとマシよ。あと彩乃さんよりは、あなたのほうが落ち着――、そういえば名前は?」


「あ、パトリシアです」


「こう言うのも変だけど、パトリシアが一緒でよかった」


「――お嬢さまは優しいんですね」嫌味と本音半々。


 顔をしかめ、言い返す。「そのお嬢さまっていうのやめにしない?」


「なんて呼べば」


「光莉でいいよ。とにかく、お嬢さまと名字呼び以外ならなんでも」


 その言葉から、光莉が「塞城家や両道聖会の光莉」という立場によい感情を抱いていないことは、パトリシアにも察せられた。このくらいの年頃の少女であれば、自らの家のことを不満に思ったり反発するのはおかしな心の動きでもない。光莉のような特殊な家の事情なら、なおさらだろう。ずっと昔に両親も家も失っているパトリシアにしてみれば、そうした感情を家族や家柄に抱けるのは羨ましくも思えた。そして、自身の将来に対して自分で選択肢を用意できないという点では、共感しうる部分もあった。


「わかりました、光莉」


 よし、と光莉は笑った。気紛れに、手首を締める結束バンドが外れないか腕を動かしたが、すぐに諦める。

 溜息を零す。「はぁ、わたしたちどうなっちゃうのかな」


「光莉は組の乗っ取りに利用される、奴らの計画どおりに。――で、わたしは海に沈められると思います」


「最悪」


「そう最悪、です。でも、そうはならない」


「仲間が助けに来てくれるって?」


「はい、きっと」


「……」


「……」


 会話が途切れる。仲良くお喋りをしている場合ではないが、大して身動きも取れない状況では他にすることもない。とはいえ、楽しい話題があるわけでもない。二人は、なんとなく気まずさと気恥ずかしさを抱えていた。


「……」沈黙に耐えられず、口を開く光莉。「パトリシアはさあ――、あの――」


「あ、パトリシアって長くないですか、呼びにくくないですか?」


「え、別に。綺麗な名前だと思うけど。口に出したくなる名前。パトリシアって」


「そう、ですか」


「うん。それでさ、聞きたいんだけど」


「はい」


「パトリシアと彩乃さんの仕事って、なんなの? 有坂は護衛だって言ってたけど。あぁ、有坂っていうのは、おじいさまの会の理事長の人ね」


「すみません、それは詳しく答えられないんです」


「――だよね。忘れて」


 光莉には思い当たる話があった。

 政府の裏仕事をする組織があるという噂話を耳にしたことがある。それだけでなく、マイナーな都市伝説にもテロリストや反逆者を暗殺する部隊の存在が語られていた。パトリシアと彩乃は、そういう秘密組織の人間なのではないか。こんな状況でなければ、非日常な体験に胸を躍らせることができただろう。


「でも、カッコいいと思うよ、わたしは」ぽつり、と零した。


「うん?」パトリシアは、何のことだ、と光莉を見る。


「ま、どうなるにしろ、わたしたちにできることはないんだ。しばらく二人で過ごしましょ」拘束された手足を見る。「パトリシア、もしかして、これ、外せたりする? あっでも、外せても敵の中を逃げるなんて無理か」


 パトリシアは首を振った。「映画じゃないんですから」


「映画じゃないんだから、か」光莉は、ふふっ、と小さく笑った。


「何か変なこと言いました?」


「映画とか漫画の世界にいそうな人が何言ってんだか」


「それを言ったら、あなただってそうですよ」


「そうかな。メキシコとかアメリカ、イタリアあたりなら、結構ありそうじゃない? マフィアとかギャングとか」


「そう?」


「いや、わかんない」


「テキトーじゃないですか」


 二人は顔を見合わせ、クククと声を抑えて笑った。拉致監禁状態にありながら大した度胸だな、と互いに思った。目の前の少女を鏡として、自分たちはどうしようもなく普通ではない、と感傷的に震えそうだった。



「――ねぇ、パトリシアはさ、友達とか、大事な人っている?」尋ねる。


「いえ、いないです」


 光莉は「家族は?」と言いかけたが、押しとどめた。代わりに、少し困り顔を作った。

 両親が健在、あるいは不仲でないのなら、自分と同年代の少女がこんな仕事をしているはずがないと思った。ヤバい仕事を請け負う人たちは、本人も大概ヤバい経歴なり境遇があるものだ。祖父の仕事のことはあまり見ないようにしてきたが、知らないなりに自分の観測範囲内では、この法則は成り立つ。


「光莉はどうなんですか、友達多そうですけど」


「前はね」噛みしめるように言う。「お父さんとお母さんが死んでから、友達はみんな捨てた。自分は普通の家の子じゃないんだって、思い知ったから」


「反社会的な犯罪組織の子、しかも会長の孫娘で、たった一人の肉親」


「さすがに知ってるか」空笑いしたあと、長く息を吐いた。「――みんなさ、ヤクザの子とか気にしないって言うけど、こっちは気にしてんだって話よ。将来のこと考えると、わたしとの関係は悪い汚れになることは目に見えてる。だから、長い間ずっと友達でいるなんてさ、大人になってからも付き合いをさ、続けるなんて無理。他人の人生を、虐めたりとかそうことしないで滅茶苦茶にするかもしれない責任なんて取りようないでしょ。後になってお前のせいだとか言われても嫌だし。だから……わたしは存在し《い》ちゃいけない人間なんだって、そう思うと悲しいけど、気がラクになった」


 つい、深刻な様子で耳を傾けてしまうパトリシア。そんなパトリシアを見て、


「そんなつもりじゃないんだ、気にしないで。――ただ、なんかわたしたち、ちょっと立場みたいなものが似てるんじゃないかなって。そういう意味では、わたしたち友達になれそうじゃない? あなた普通の人じゃないし、気を遣う必要ないし」


「たしかに、いまは一緒に閉じ込められてますけど」


「もう面倒臭がらないで、ちょっとは乗ってよ」


「だって友達になれそうとか言っても、この件が終わったあと、お互い連絡取れます? 関係を維持することが仕事柄許されるかどうかもわからない。それはそっちもそうじゃないですか」


「それじゃ、パトリシアのところに就職するわ」


「それこそ、いまここでわたしに言われても困る」


「ま、無事にここを出られたら」


 ですね、とパトリシアは相槌を打ち、背後を見やった。つられて、光莉も後ろを振り返った。何てこともない、ただの壁があるだけだ。

 光莉は、上を向き、目を細めた。


「はあ、家のこととか、会のこととかどうでもよかった。どうでもよかったけど、こんな滅茶苦茶やられたら、さすがに頭に来る――」声が震え、熱が増す。「おじいさまが死んで、会は解散するはずだった。有坂もそのつもりだった。わたしには普通に生きてほしいって。わたしを箔付けのための道具にしたくないって。――でも誰かが裏切った。きっと塩山だけじゃない」


 光莉は、眼前に道が現れる感覚を得た。道の先からは光が差しているが、その向こう側に〝明るい未来〟はないことは予感できた。

 本当の裏切り者は自分だ。


「この代償は払わせる。でも、わたしにはそんな力はないことはわかってる。だから、あなたたちに協力してもらいたい」


 そう告げた光莉の顔を、パトリシアはまっすぐ見て、頷いた。

 光莉はパトリシアの視線を感じ、横を見る。目が合い、一瞬ドキリとした。「なに?」と、口を開きかけたとき、パチンと音がし、パトリシアが腕を前へ回した。音は、拘束に使われていた結束バンドと粘着テープが千切れた音だった。

 パトリシアは疲れたというふうに、腕を伸ばし、テープの切れ端を剥がした。光莉は驚きと困惑を同時に覚えた。


「え……、それどうやって」


「力づく」ぽつりと答え、足の拘束も引き千切った。


 感心する光莉。「ほー、すご……」自分にもできるかもと、腕に力を込めた。「――うーん。無理」


「光莉は真似しないほうがいいです。痣になったり切ったりしたら大変」


 パトリシアはそう言い立ち上がると、スカートの中からフィンガーリング付きの小振りで薄い、メスに似たナイフを取り出し、光莉の拘束を解いた。ナイフを仕舞い、次はP365SAS(ピストル)とモジュラーサプレッサーを取り出した。弾倉を抜き、弾が込められていること確かめ、戻す。ティルトバレル用の3ラグスレッドに3バッフルの短小構成モジュラーサプレッサーを被せて捻り、スライドを引いて初弾を薬室に送った。

 光莉は、その様子をポケっと眺めている。


「すご、どんどん出てくる。どんなマジックよ」


「太腿の内側。ボディーチェックが甘くて助かった。……見ます?」冗談だが冗談ではない、真面目な顔。


「いや……、こんなとこでスカートの中覗きたくないわよ」視線を外して言う。「でもさ、外せるならすぐ外しちゃってもよかったと思うんだけど。ちょっと意地悪じゃない?」


「もし、敵がわたしたちの様子を見に来て、拘束を解いてるのを見たら何されるかわからない。だから、タイミングを待っていたんです」


 ちょうどそのとき、階下から破裂音が複数聞こえてきた。異なる銃器による散発的な銃声。怒号も漏れ聞こえてくる。


「え、嘘……銃声よね? 助けに来た? タイミングって――」


「そう。逃げ出しても、敵全員を相手にしなくても済むタイミングです」


 襲撃を受ければ、拉致犯たちは光莉を盾に襲撃者を牽制することは目に見えている。その機を待ってもよかったが、こちらへ一切意識を向けていないタイミングで後方から攻撃を仕掛けることで、敵にプレッシャーをかけようと考えた。というのは建前で実際には、少しでも暴れて戦果を出しておきたかった、という極めて私的な理由が根底にはあった。


「では、脱出しましょう」


「は、え? どうやって?」


「――こうするんです」


 パトリシアは、言い終える前にドアを蹴った。雷が落ちたような、強烈な衝突音が響いた。


「痛っ――」光莉は轟音に堪らず耳を塞いだ。


 内開きの金属製のドアは蹴り飛ばされ、向かいの壁に叩きつけられた。身長160センチ足らずの細身の少女が引き起こしたとは思えない破壊の光景。


「行きましょう」


「やば……」ぼそりと言った。




 部屋から出るパトリシアと光莉。しかし当然のことながら、ドアの破壊を目の当たりにした拉致犯たちの注意は二人に集まっている。彼らにしてみれば、階下では襲撃を受け、人質はドアを打ち破り脱走、と厳しい状況に置かれていた。

 じりじりと見合う。片や、多勢に無勢。片や、ドアを破壊しただけでなく銃を手にした想定外の脅威。動くに動けない。

 その塞がった状況を崩すべく、パトリシアが天井へ向けて発砲した。サプレッサー+亜音速弾のマナーモード仕様だが、フルサイズに比して減音性能の低い短小構成ゆえに、銃声は階下から響く銃撃戦の喧騒に埋もれることもなかった。屋内至近距離での威嚇には充分な威力。


 意外にも大きな銃声に、拉致犯たちは怯んだ。階下で戦闘が起こっているが、彼らにとってはまだ対岸の火事だった。サプレッサー装備の小型拳銃という映画に出てくるようなプロっぽさを感じさせる武器が、彼らを余計に萎縮させた


 パトリシアは銃口を視線の高さに戻した。「動くな。動いたら撃つ」と無言で圧力をかける。パトリシアと光莉の眼前にいる敵は四人。暴力団構成員らしき男が二人に女一人、非構成員の男が一人。出入口は敵の背後、室内には壁際に机と金属棚がある以外は、パイプ椅子が数脚に、段ボールやコンテナ類、飲料などが置かれている程度。


「大丈夫、殺さないから」背後の光莉へ告げた。


「そんな変な気の遣い方しなくていい。あいつら裏切り者」吐き捨てる。


 睨み合いの中、女が男の肩に手を乗せた。この中で位が一番高いのが彼女だった。男は「はい」と小さく答え、ジャケットのポケットからフォールディングナイフを取り出し、展開した。目はギラつき、額と首には汗が光っている。

 パトリシアは光莉を下がらせた。光莉は、一瞬まごつくも、壊れたドアを盾のようにして、事の次第を見守ることにした。


 先鋒に指名された男はパトリシアを見据えると、大きく息を吸った。彼はこのわずかな間で様々な決心をしているようだった。一拍ののち、男は裂帛の声を発し、パトリシアへ突進を仕掛けた。

 全体重を乗せた一突きはパトリシアへ吸い込まれていく。パトリシアは避ける素振りも見せなかった。


「パトリシア!!」光莉は思わず叫んだ。


 仕留めたか、とざわつく観衆。しかし、攻撃した本人は異常に気付いていた。細身の少女が、成人男性の突進を受けて、姿勢を崩さずに立っていられるはずがなかった。

 パトリシアは、フォールディングナイフの刃を左手で掴んで受け止めていた。男がナイフを引き剥がそうにも、刃はがっちりと握られ、ビクともしない。普通なら、指が飛んだり、痛みに気を失ってもおかしくはない。パトリシアはといえば、顔色一つ変えず、血もほとんど出ていなかった。


「ありえねぇ――」思わず零す。


 パトリシアは、男の足の甲を撃った。

 男は撃たれたショックでナイフを手放した。その隙を逃さず、膝蹴りを腹に入れ、崩れたところへ拳を打ち下ろす。床に叩きつけられた男は、嗚咽とともに動かなくなった。

 呆気なく先鋒が倒されたのを見、残りの三人は殺気をパトリシアへ集中させた。体格のいい男がスーツのジャケットを脱ぎ、剣鉈を抜いた。もう一人、一般人らしき男も拳銃を腰から引き抜き、スライドを引いた。女も回転式拳銃を構えた。


 パトリシアは銃口を三人へ向け直した。

 それを合図とばかりに、体格に似合わぬ甲高い叫声をあげ、男は斬りかかった。剣術の心得があるのか、鋭い一撃がパトリシアに迫る。

 一振り、二振り目を躱すも、三度目の攻撃は避けるには難しい剣筋。室内に置かれた荷物も邪魔し、回避行動も制限された。パトリシアを袈裟斬りにせんとする一撃が下る。

 ゴッと鈍い音で、刃が止まった。パトリシアが剣鉈の一太刀を左前腕で受け止めた。男は構わずそのまま圧し切ろうとするも、わずかに沈み込むだけで、求める結果にはならなかった。

 男は目を見開いた。自分が斬りつけたのは人間なのか。奇妙な手応えに、当惑よりも怖れが頭の中を覆った。身が竦んだ。男にとっては長い時間が流れる。その非現実感を痛みが上書きした。

 右腕に赤い花が咲く。二発の135グレインのSCHP弾が上腕を切り裂いた。脱力する腕、剣鉈を取り落とす。霧散する銃声、転がる薬莢、落ちた剣鉈が、死の影を形作る。男は迫る死に恐怖し、よろけながら後退った。


 パトリシアは、一歩踏み込んだ。男の顎を蹴り上げ、ノックアウト。顎は砕け、歯が飛んだ。素早く姿勢を戻し、スカートの裾を払った。

 もう一人の男のほうを振り向く、と同時に、

 弾丸が髪を掠めた。

 銃撃者は、上半身の構えこそきっちりとしているが、腰が引けていた。顔を歪め、二発目を撃つ。

 パトリシアは身を低くし、射線と視線を外した。焦る男が三発目を撃つ前に、肉薄しスライドを掴んだ。

 瞬間、発砲。男は、もう一度引き金を引く、撃発されない。スライドを握られたことで、動作が妨げられ、回転不良。

 拳銃を押さえたまま手首を捻り上げ、足を払い、組み伏せる。拳銃を奪い、捨てる。空いた片方の手で頸部を圧迫、絞め落とす。

 事を終え、ゆらりと、パトリシアは立ち上がる。


 残った女は、パトリシアが三人目を組み伏せている間、回転式拳銃を撃っていたが、結局は一発も中らなかった。弾倉内の五発を撃ち切ったことにも気がつかず、引き金を引き続けていた。ハンマーが起き上がり、シリンダーが回転、ハンマーが落ちる、のサイクルを無意味に繰り返している。パトリシアが彼女へ顔を向けると、ようやく状況を認識し、銃を取り落とし、逃げ出した。


 もし、彼らに勝機があったとすれば、それは一人目の突貫の時だった。刺突が止められた隙に味方ごと撃ってしまえば、少女の姿をした怪物を仕留められたかもしれない。もっとも彼らの銃の腕と、手持ちの銃の威力では、それも難しかった。


「逃げる!」光莉が叫ぶ。


 遅かれ早かれ増援は来るだろうが、女を行かせなければ猶予が増える。

 パトリシアは、逃げる女の背に拳銃の尾部を重ねた。水準器様の特殊な照準器は精密な射撃には向いていないが、光点をサイトの中心に置いておきさえすれば、銃で隠れた範囲に弾が届く。3メートルも離れていないこの状況では、数発撃てばターゲットへ確実に命中する。これまでに四発撃った。残弾は六。撃つなら二発以内に無力化したい。

 撃って中れば、まず致命傷になるだろう。

 意を決する。


 しかし、パトリシアが引き金を引くより先に、女は倒れた。倒れる瞬間、白い筋が横切った。

 窓ガラスに歪な穴が開いていた。複数発の弾丸が狭い範囲に中り、貫通したことによるものだった。さきに見えた白い筋は、ガラスの微小破片によって視覚化された弾丸の軌跡だった。

 パトリシアは倒れた女に近寄り、状態を確認した。見た限り、胸と肩の二ヶ所に弾丸を受けていた。いずれも貫通せず、弾は体内に留まっている。肩や乳房から入射したことで、侵入距離が増え、余すことなく破壊力が伝わった。心臓と肺、鎖骨下動脈や腋窩動脈に損傷を受けており、もう一〇秒もせず絶命するだろう。


 広がる血の海から目を逸らすかのように、パトリシアはもう一度窓を見やった。向かいのビルの外階段に人影が見えた。白黒のブロックパターンのマントを被り、手摺に自動ライフルを依託している。猫澄であることを示すタグがスマートコンタクトレンズに表示された。近くにいる仲間のITIS端末を介して、限定的ながら機能を使える。没収された携帯端末を起動すれば、より高いサポートが得られる。

 出入口に注意を払いながら、室内を見回す。車に乗せられた際に取り上げられた携帯端末とスマートウォッチを探している。

 戦闘が終わったことを見て、光莉はパトリシアに近寄った。パトリシアの顔はうっすら青白くなり、汗が滲んでいた。呼吸も荒い。傷が深いのではないか、と光莉は心配そうに声をかけた。


「大丈夫?」


「ああ、服が切れてしまいました」


「そうじゃなくて、手」


「義手です」他人事のように言い、腕を捲る。


 掌の傷も前腕の傷も、絵に描いたような深い切創で、肉の奥に白い物体がのぞいている。これが義手なはずがないと、光莉は疑った。恐る恐る顔を近づける。

 違和感はすぐに見つかった。見れば見るほど、絵具のように鮮やかな赤色。撃たれた拉致犯たちの出血と比べても、明らかに明度が高い。血にしては赤すぎるうえ、匂いもしなかった。肉の部分も、白く弾力のある繊維質が目立ち、骨らしき物体も表面に織物様の模様が透けている。人工物であることが見て取れた。


「え、嘘。本当――」


 意のままに動く義手の存在はニュースで見たことがあるが、それはここまで高度なものではなかった。見た目はほとんど生身で血まで出るパトリシアの腕は、現代でも実現できていないSFの産物だ。

 もしかして脚もそうなのか、それどころが全身サイボーグなのでは、と思い至ったが、口にはしなかった。人の身体のことを興味本位で聞き漁るのはよくないと思った。自分で明かしたからには可能性は薄いが、もしパトリシアにとって触れられたくない事柄だったなら、機嫌を損ねて自分の身の安全の保障がなくなるかもしれない。そうした不都合を恐れてのこと。

 そうはいっても、やはり気になるし、不安にもなる。


「痛くないの?」


「痛覚はありません」だから何の問題もない、とさらっと言った。


 仮にそうだとしても痛そうな見た目であることには変わりない、と光莉は思った。こういう戦い方をするということは、いざとなれば自分の命を差し出せると言っているのと同じだ。寂しく思えた。

 深刻な面持ちでパトリシアを見る光莉をよそに、パトリシアは机を漁り始めた。探し物はすぐに見つかった。所持品を入れさせられたナイロンバッグが、そのまま折り畳みコンテナに放り込まれていた。

 端末の電源を入れ、猫澄へ通話を繋ぐ。


『ヤッてんねえ』応答するなり言った。


「やってないです」きっぱり言う。「状況はどうなっているんですか?」


『二階まで進入してる。思ったより抵抗が強いんで難儀してるみたいよ』


「じゃあ、わたしが加勢します」


『いや、そこで待機してな』


「わたしは平気です。できます」


『少し休め。お前の仕事は塞城光莉の護衛だ。わざわざ火の中に飛び込む必要はない。それに、装備が足りてないだろ』


「……わかりました」


『おっけー。下が片付くまで、その場で持ちこたえてくれ。援護はする』


 通話を一旦切った。

 パトリシアは、ノックアウトした拉致犯たちを壁際に移動させ、手近なロープや粘着テープで拘束した。あまり意味はないかもしれないが、止血処理も施しておいた。


 なんで助けるのかと、光莉が不服そうにしている。

 どのみち彼らは事が済んだあとには〝処理〟される。いまここで死んでしまったほうが幾分マシかもしれない。

 それでも、命を奪わずにおいたのは、パトリシアの中で「殺し」に対する答えが固まっていないからだった。処刑じみたことを無抵抗の相手にする余裕は、いまのパトリシアにはない。彼らはパトリシアのエゴイズム的な感情で徒らに延命されたことになる。もっとも、気絶させた相手も死んでいないだけで、神経系や骨格にダメージを負っているのは間違いない。目を覚ましたとしても、後遺症が残る可能性は高い。ほとんど殺したも同然なのは、理解している。


 パトリシアは、拉致犯たちの処分を終えると、金属棚を倒し、出入口の障害にした。部屋に置かれていた荷物から拳銃類をいくつか拝借、弾が入っていることを確かめる。光莉にも回転式拳銃を持たせておく。簡単ながらも籠城の準備を整えた。

 携帯端末を操作しITISの機能をオンにした。床の向こうに、味方を示す青色の四角いマークと彩乃のネームタグが表示される。近距離の味方を障害物越しに確かめられる機能。仕組みとしてはバイタルセンサーの内蔵されたITIS端末の位置を示す簡易的なものだが、あるのとないのとでは大違いだ。

 光莉は、渡された回転式拳銃を机にもたせかけ、部屋の出入り口に銃口を貼りつけている。顔どころか全身を強張らせ、銃把をがっちりと握っている。


「来るなら来い――、来るなら来い――」ぶつぶつと呟く。


 パトリシアは、自分よりガチガチに緊張している光莉を見て、いくらか力が抜けた。


「……光莉、もう少し――」声をかける、


 そのとき、突として大きな爆発音が階下から轟き、建物が揺れた。

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