ボーダーライン(4)
階段を上りきった彩乃を、銃弾の嵐が出迎えた。
止まることなく、まっすぐに半開きのドアへ低い姿勢で転がり込む。ドアの隙間から銃撃していた敵メンバーがいたが、体当たりで転ばせた。その部屋には彼しかいないことは、スマートコンタクトレンズの透視レイヤーで確認済みだった。冷静に、その男性メンバーを射殺し、銃撃の止んだ通路側の気配を読む。
二階にいる「ヘルズゲート」のメンバーの数は、透視情報が正しければ一〇人。そのうち六人が彩乃のいる部屋に向かっている。二つあるドアへ、二手に分かれて、突入しようとしている。その中には長谷川もいた。
彩乃が飛び込んだ部屋は事前情報ではシャワールームとされていた部屋だった。シャワースペースとロッカールーム、通路側にはパーティションで区切られた椅子の置かれたスペースがある。
室内に遮蔽物になりそうなものはない。シャワースペースとロッカールームを隔てる仕切りや出入口からの視線隠しの衝立があるが、樹脂や木製の薄い板だった。カバーにするにはあまりにも心許ない。防音ですらない通常の断熱材入りの壁が頼もしい遮蔽物に思えてしまうほどに。
ならば、先手を取ろう――。彩乃はそう考えた。
銃撃戦になれば、スパスパ抜ける壁なら視えているこちら側から狙い撃てばいい。
彩乃は、さきほど射殺した男を引き摺り、薄暗いロッカースペースへと進んだ。廊下から入る光と、オレンジ色の常夜灯室内を照らしている。
男をロッカールームのベンチにもたれさせる。
それから、MCXの弾倉を赤テープの貼られた弾倉と交換し、薬室の一発を抜き取った。弾倉内の弾は先までの亜音速弾ではなく、軽量弾頭の超音速弾。数ミリ程度の板や住宅内部の壁やドアのような遮蔽物ならば、弾道変化を考慮しなくてもいい。
「ヘルズゲート」たちの動向は、投入の準備は済んでいたが、すでに開いているドアのほうは警戒している。
彩乃は、耳を覆い、うずくまるように身を低め、男の死体の陰に隠れた。フラッシュバンか、殺傷用のグレネードが来ると考えた。
予想どおり、すでに開いているドアから何かが彩乃のいる部屋に投げ込まれた。激しい音と光が室内を一瞬白く塗り潰した。直後、閉じたドアを勢いよく開き、二つのドアから戦闘員たちが入ってきた。
彩乃は、立ち上がった。一人目はスルーし、覗き込んできた二人目に狙いを定めて、撃った。
壁を貫通させて、弾を届ける。
数発、撃ったあと、すぐに身を低くする。
当然、相手も撃ち返してくる。彼我の装備はほぼ同格。敵はこちらの弾薬規格を知らないが、ARタイプの自動ライフルを装備していることは把握している。こちらの弾が殺傷力を維持したまま壁を抜けるなら、相手の7.62×39mm弾も同様だ。
瞬く間に、パーティションの目線の高さのあたりが虫食いだらけになり、彩乃の背後にあるロッカーも崩れていく。射撃に続いて、室内に残りの戦闘員が突入し、加勢する。射線が目線の位置から下がっていく。パーティションの穴から互いの位置が見えてきた。ベンチの死体に銃弾が集まっていく。
彩乃は死体の陰の低い位置から、後続のほうを撃っていく。胴や胸を数発撃ち、動きを止めさせる。防弾プレートで致命傷にはならないが、身体の中心部にライフル弾を受けるショックはそのまま。被弾者は後退り、入り口を塞ぐ。その間に逆サイドにも撃ち込み、圧力をかける。
やがて、最初に突入した二人のうち、片方がロッカースペースに突入した。このままでは埒が明かないと考えたようだった。捨て身の覚悟で彩乃に掴みかかる。
彩乃は、MCXを手放し、肉薄する男に対応。男の右肘関節を折り、男を拘束した。流れるように、男のレッグホルスターから拳銃を抜き取り、リアサイトを男のプレートキャリアの布地に引っかけて、スライドを操作。装填済みの一発が排出。そのまま、奪った拳銃でもう一人の頭をパーティション越しに撃った。
サプレッサーなしの銃声に、現場が一瞬固まった。
拘束した男を盾にロッカースペースから出る彩乃。
「た、助けてくれっ――」男は絞り出すようにドアの向こうへと呼びかける。
「――って、この人は言ってるけど」
「た、頼む、お願いだ」
「わたしを殺すなら、いまこの人ごと撃つのがチャンスだと思うけど?」彩乃もドアの向こうの裏切り者へ。
彩乃は敵に意識を向けながらも、下をチラと見た。スマートコンタクトのオーバーレイには、パトリシアが地下階を制圧した様子が窺えた。
「や、やめ――」
「……わかった。何が望みだ」長谷川が言った。
「わたしたちは人質の救出に来たの」
「そんな見え透いた嘘に騙されると思うか。組織の裏切り者を始末しに来たんだろう? でなきゃ、お前らみたいなのが来るわけがない」
「本気で殺すつもりならたった二人、しかも二手に分かれてなんてふざけたことしない。そう思うでしょ?」
彩乃のスマートコンタクトの視界には、長谷川に向かって首を振る男のシルエットが壁越しに見えている。
「そのふざけた奴に何人殺された?」別の男の声。「滅茶苦茶にしてくれやがって」
声の後ろで、カチャン――、と小さな金属音が鳴った。小さな金属片が床に落ちた音。
彩乃は、盾にしていた男を突き飛ばした。
その瞬間、手榴弾が投げ込まれた。手榴弾と、突き飛ばされた男が衝突した。
彩乃は素早く、手榴弾が投げ込まれた側とは別のドアから部屋を飛び出した。瞬間、轟音が彩乃の背後で炸裂した。
ドアを警戒しているメンバーがいたが、彩乃は横をすり抜け、彼の背後に回りながら、腕を掴んで自動小銃の筒先の向きを変えさせた。フルオートで吐き出された弾丸が廊下を舐め回す。
銃声が止むと、男が一人、逃げていった。彼は、さきほど下階で彩乃を待ち構えていた指揮役だった。
その場に残ったのは、仲間を撃ってしまった戦闘員と、彼に撃たれて絶命した戦闘員が一人。足と腕を赤く染めた長谷川。
そして、手榴弾を投げただろう男。彼は、「ヘルズゲート」トップ3の一人だった。腕に弾丸が掠り、袖口から血が滴り落ちている。
「クソがっ」悪態を吐きながら、拳銃を彩乃へ向ける。
彼の背後からは、残りのメンバーたちが現場に向かってきている。スキャンによると、逃げた男と二階にいる推定人質を除いて、残存メンバーの全員がこの廊下にいることになる。
同士討ちをさせられ呆然としている戦闘員を彩乃は前へ押し出し、右腰のホルスターからFN509を引き抜いた。顎の高さまで持ち上げ、スライドに左手を添える。前へ突き出すようにしてスライドを後退。戦闘前に装填してあった初弾が吐き出され、新しい弾丸が送られる。スライドから離した左手が、右手を包み込む。
「や、やめ――」
戦闘員は両手を上げる。
メンバーたちは彼を避けて彩乃だけを撃とうとしたが、簡単なことではなかった。彼の声と命は、9mm弾と7.62mm弾の発射音で引き裂かれた。
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作戦区域、目標ビル「ヘルズゲート」から200メートル強離れたビルの塔屋看板下のスペース。
猫澄がライフルサドルを載せたカメラ用三脚に据えたライフルで、建物を見張っていた。
カスタムR700――使用弾薬6.5mmクリードモア。16インチ銃身、KRG製シャーシ、Cadex製のレシーバーとボルト周り、TriggerTechのトリガーなどで構成されたレミントン・モデル700。ナイトフォース製の4‐20倍可変スコープ、サンダービーストアームズ製のサプレッサーとハイダーを装着。スコープの前にはクリップオン式の戦術装備。樹脂製の五発装填可能な弾倉に、120グレインの銅製ポリマーチップ弾頭をハンドロードした弾薬が三発収まっている。
16インチという狙撃仕様にしては短めの銃身と折り畳み式の銃床も相まって、ギターケースに収納可能なコンパクトな構成。16インチの銃身は、使用弾薬のパフォーマンスをフルに引き出すには短い銃身だが、それでも近中距離でマンターゲットを撃つには充分な性能を発揮できる。
200メートル程度の距離で使うには多少大仰なライフルではある。
しかし、50メートルでゼロを合わせてある.300ブラックアウト弾仕様のライフルでは、そのまま200メートルを狙った場合、照準点から頭一個分ほど落ちて着弾する。亜音速弾を使えば、さらに1.5メートル近く落下する。それに対して、100メートルでゼロインされた|6.5CM弾仕様のR700《このライフル》なら、200メートル地点での弾丸のドロップは.300BLK超音速弾の半分以下。中てやすさは段違い。残存エネルギーも倍近く高い。
事前情報で、敵はNIJ規格旧レベル3相当の防弾プレートを装備している可能性が高いとされていた。このクラスの防弾装備は.30口径級のライフル弾を停弾できる。.300BLKも6.5CMもこのようなライフル弾対応の防弾装備を貫通することはできない。ならば、より打撃力が高いほうで殴ったほうが圧力をかけられるし、中てやすいほうが射手も楽だ。そういう理由で、猫澄はこの偵察仕様のライフルを持ってきていた。
「おぉ、やってんなぁ」
猫澄は、もう一台の三脚に固定したタブレット端末を横目で見た。「ウォールハック」された建物の内部での敵味方の動きが表示されている。ライフルの戦術装備でもターゲットの透視画像を視界にレイヤーできるが、ライフルを無闇に動かして、チャンスを逃すのは避けたい。ライフルのスコープは目標ビルの屋上を見張り続けている。
「欲を言えば、わたしもあっちがよかったな」溜息交じりに零した。
猫澄は、もっと近い距離でドンパチやりたいと思っていた。最近は、狙撃支援の役割が多かった。仕事ができるならなんでもいいと言ったのは自分だが、少し欲求不満だった。好戦的な危険人物としての性は、どうしようもない。
都市内で強力な銃器の使用が許されてはいるが、無条件で撃ちまくれるという話ではない。当然、一般人に見つかってもいけない。
特に今回の条件だと、ビル外での撃ち合いに発展した場合、流れ弾による周辺被害は必至だ。わざわざ200メートル離れた位置に陣取ったのも発見される確率を下げるだけでなく、被発見時に敵方が無理にこちらへ撃ち返してこないようにするためだった。理屈の上では相手の銃の有効射程に含まれる距離だが、相当撃ち慣れていないと即座に射撃できない程度の距離感だろう。ましてや夜間で、向こうからすれば撃ち上げる形になる。難易度は決して低くはない。猫澄自身も、この条件の射撃を敵の立場でこなせと言われたらやりたくはなかった。
猫澄は、画面の中でバタバタと敵が倒されていく様を眺めている。
「おっと――」
三階部分から、一人が屋上へと階段を上っているのが見えた。スコープの透視画像レイヤーをオフにし、ドアを監視する。
利き手の指に息を吹きかけ、ライフルのセーフティを解除する。
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長野は息を切らし、階段を駆け上がる。
背後からはサプレッサーで減音された銃声と、仲間たちの叫びが追いかけてくる。
なんなんだ、あの女は。プロだとかそういう次元のレベルじゃあない。とんでもないバケモノだ。
仲間たちがいくら素人に毛が生えた程度の能力とはいえ、訓練の一環で行っていたサバイバルゲームでも好成績を収めたチームだ。実銃とエアソフトガンでは勝手が違うのはもっともだが、だとしても実銃でもそれなりに射撃訓練を行ってきている。何百発と撃って一発も中らないなんてことはありえない。
仮に、こちらが特殊部隊に一方的に蹂躙されるならまだ理解の範疇だ。相手が想像を上回るプロフェッショナルだった、あるいはこちらの力量不足だった――それだけの話だ。だが、彼女はそうではない。たった一人にほとんど真正面から捩じ伏せられた。まるで理解できない。あんなものは災害と同じだ。身構えてどうにかなるものではない。
まだ戦っている仲間たちには悪いが、ここは退くべきだ。
出入口は押さえられているはず。隣のビルの屋上へ飛び移れば、逃げ切れる可能性がある。このまま、黙って捕まったり殺されるわけにはいかない。
とにかく逃げ延びて、「あのお方」の元に戻らなければ。
ドアを勢いよく開け放ち、屋上へ出る。助走も兼ねて、一直線に駆ける。
不意に、胸に衝撃が走った。一瞬、息が詰まり、思わず膝を突いた。
「クソッ、痛え――」
撃たれたのはすぐにわかった。狙撃手がいることは想定していた。しかし、まさか全力疾走する移動目標に中ててくるとは思ってもみなかった。しかも、防弾装備がなければ致命傷になるだろう場所に中ててきている。
被弾箇所を触ると、防弾プレートが熱を持っていた。貫通はしていないし、痛みも動けないほどではない。不意の被弾に驚いただけだ。
(撃たれた、どこからだ――)
銃声らしき音は聞こえなかった。当然サプレッサーを装備しているだろう。ある程度の距離が離れていれば、亜音速弾だろうが超音速弾だろうが、都市の喧騒に紛れて被弾者には銃声とは認識できなくなる。
顔を上げた。ほぼ無意識に正面に見える建物たちの高層階に目を走らせた。自分が撃つなら、どこから狙うかを考えてのことだった。
数百メートル離れたビルの屋上広告に目が留まった。
狙撃手がいるなら、あの辺りだろう。
すぐに、その行動が過ちだと悟った。
逃げるよりも、攻撃者の所在を確かめることへ意識を割いてしまった。時間にして五秒に満たない静止、ゆっくりと息を吸って吐くほどの間。しかし、戦場ではあまりにも長すぎる。
そして、立った状態での胸の位置と、膝を突いた状態での頭の位置――それらの高さがほぼ同じことに気付いた。
「しまっ――」
瞬間、二発目の弾丸が長野の頭を撃ち抜いた。
/
まだ、命の残り香のある遺体の転がる廊下を歩く彩乃。両側の壁には多数の弾痕、床には薬莢と血が広がっている。天井と床には、虫食いのようにぽつぽつと穴が空いている。
彩乃を除いた、このフロア唯一の生体反応のいる部屋のドアを彩乃は開いた。
予想どおり、そこにいたのは「鈴江葵」ではなかった。
しかし、スマートウォッチ型の戦術デバイスは、装着者を「鈴江葵」として、彩乃のスマートコンタクトに表示していた。
年齢は、鈴江と大差ない。鈴江の戦術デバイスを装着させられている女性は、「ヘルズゲート」でも協力関係にある別組織の構成員でもないように見える。おそらく、別件の犯罪行為の被害者だろう。
サバイバルゲーム用のチェストリグを着て、椅子に座っている。リグのポーチには、プラスチック爆薬が収められている。それだけでなく、彼女の手には拳銃が握られていた。
「死ねっ――」
人質の女性は、彩乃を見るなり、叫びながら拳銃を撃った。反動で腕が跳ね上がるのも気にせず、一息に全弾を放った。
彩乃には、一発も掠りさえしなかった。
「なんでっ――」
女性は拳銃を捨てて、携帯電話を取り出した。起爆スイッチ代わり。コールするが、繋がらない。もう一度、コールするが、やはり繋がらない。
「な、なんで……、この電話なら繋がるから大丈夫だって――」
数回、コールしたが、彼女の意図した結果にはならなかった。
激昂し、携帯電話を床に叩きつけた。「ぁあっつ、もうっ――」
自分が壊した端末を見て、女性は、数秒前とは別人のように泣きそうな顔で床にしゃがみ込んだ。
縋るような目で、彩乃を見た。が、彼女の視界に大きく映ったのは、サプレッサーの銃口だった。
「や、やめ――、こ、こうすれば、褒めてくれるって――」喚く。
放たれた9mm弾が、彼女の言葉と意識を断った。ゴトッ――と床に倒れた女性の頭に、さらに二発撃ち込んだ。
「はぁ……、自爆する本人が起爆するなら有線にしときなさいって。イキって、携帯使うから」吐き捨てた。




