隣人のメッセージ
チャイムが鳴った。依頼主がやってきたのだと思った僕は「鍵は開いています」とだけ外の人物に告げて、客に出すためのお茶の準備をした。
「彩花さんが言っていた探偵はあなただったのね」
僕が経営している探偵事務所にやってきた女性は顔見知りだった。彼女は酒井昭美さん。実家の裏の家に住んでいるおばさんで、小さい頃からよくしてもらっていた。
「はい。僕が探偵です。昭美さん、依頼ですか?」
「そうなのよお。彩花さんがね、行方不明になっちゃって。しっかり者なんだけど、ほら、若い女の子だから。心配になっちゃって」
「えっと、一応この紙に依頼内容を」
「あらそうなの。悪いわねえ、前のめりになっちゃって。おばさんの悪い癖ね。あ、こういうのって探す人の写真があった方が良いわよねえ。家を出る時にもそう思って、持ってきたはずだけど……あったわ。これで大丈夫ね」
相変わらずのマシンガントークに圧倒されつつも差し出された紙を受け取る。
「えっお隣さん行方不明なんですか!?」
「ええ。ここ数日、全く見かけなくて。長期の外出は必ず声をかけてくれたし、風邪でも引いたかと家に行ってみても誰もいなくて……」
確かに、ここ数日ゴミ出しの際に出会うことがない。ゴミ出しの時間を変えたのかなと思っていたが、顔の広いおばさんにも情報が入ってこないとなると……。
「この依頼、引き受けさせてもらいます」
お隣さんが心配だ。だがそれと同時に少しワクワクしている自分がいた。
探偵というと殺人事件の犯人を見つけ出すというイメージがあるが――僕もそのイメージを持っていたが――現実でそんなことはまず起こらない。犯人を探すのは警察の役目だ。
では僕の主な業務は何かというと浮気調査だ。それは僕にとって苦行だ。誰かの後を追って誰と会ったかどこに行ったか記録するだけなんて探偵じゃない。
その上、浮気調査は人格に問題がある人間と関わる率が高い。前に出会った中で特にヤバかったのは、恋人でもないのに調査を頼んだストーカー男と、監視したがる黒髪の女、浮気を僕のせいにして怒り狂ったヒステリック女だ。依頼する側が善人でも、調査対象に逆ギレされることもあった。世の中から浮気が消えてくれと何度願ったことか。
その点、失せもの探しは良い。人間関係のいざこざに巻き込まれることはほとんどなく、僕の推理力も活かせる。こういう訳で、隣人が酷い目に遭っているかもしれない状況にも関わらず、僕の胸は高鳴っていた。
【依頼内容】
五日ほど前から行方不明になっている橋本彩花の捜索。
【特徴】
身長:166cm 体重:55kg(昭美さんによる推定)
明るい茶髪のボブ。丸みを帯びた金色のフレームの眼鏡をかけている。服装は清楚系を好み、最後に見た際はフレアスカートのワンピースにデニムのジャケットを羽織っていた。
「はい、これあの子の家の鍵」
お土産でも渡すような軽いノリで、鈴が付いた鍵が渡された。
「家の中に何かヒントがあるんじゃないかと思ったのよ」
「確かにそうかもしれませんが……。僕だって男ですよ?」
「大丈夫よ。あなたのことはずっと知っているもの」
「信頼されているのは嬉しいですけど」
「だってあなたヘタレだもの」
「……」
僕は顔を引き攣らせ、彼女を事務所から追い出した。僕は出す予定だったお茶を飲みながら預かった鍵を眺めた。
「お邪魔します」
鍵は二つ付いていたが、上の一つしか掛かっていなかった。比較的新しい家であるためか、鍵はするりと入った。
脱いだ靴を揃えてから家に上がって軽く間取りを確かめる。調べた情報と相違はなさそうだ。2LDKロフト付き。一人が住むにしては広いがそれは中古の物件を彼女が買ったからだろう。
全ての部屋が綺麗に片付けられていて、感嘆してしまうほどだ。すぐに散らかしてしまう僕とは違って整理整頓が得意なタイプなのだろう。
色々な場所の収納を悪いと思いつつも片っ端から開けていく。使用量が少ないためか、空の収納も多く、常に物で溢れかえっている我が家を考えると勿体無いと感じてしまう。
その一方で、キッチンの収納スペースには調理器具が多く仕舞われていた。料理が好きなのだろうか。卵焼きですら面倒に感じる僕とは大違いだ。レトルトの一つも入っていないなんて。
冷蔵庫の中身は何もないと言っても問題ないほど片付けられていた。中にあるのは麦茶などの飲み物、ドレッシングなどの調味料だ。冷凍庫の中には冷食が多少入っていた。お高いけど美味しいアイスが一つと一箱に何本も入っているお徳用アイスを見つけて少し嬉しくなった。家事スキルが高い人だけど、こういう所は僕と同じなんだな。
彼女の寝室も特に変わった所はなし。寝室ではない方の部屋は物置になっていて、引越しした時のままなのか、段ボールがそのまま積まれている。冬服も仕舞われていた。ここも変わった所がなかったが、きちんと(?)片付いてない部屋もあって少しだけ安心した。
行方不明と言っていたが、どこかに出かけた様子はないと言っていた。消える前日まで普段通り生活していたとのこと。ならば疑ってしまうのは殺人や誘拐。彼女の容姿は整っているから、ストーカーが……なんてこともありそうだ。
「……!」
僕の読みは当たっているかもしれない。リビングのソファーに隠されているコンセントに刺さっている機械を見つけた。……これは盗聴器だ。
盗聴器はリビング、物置部屋、寝室、洗面台の四箇所で見つけることが出来た。カメラはあったが堂々と設置されていたため、盗撮機ではなく、彼女自身が仕掛けた防犯カメラだろう。
行方不明がストーカーによるものとして考えるか。まずは殺人の場合。僕が今までに出会ってきたストーカーの性格から考えると、「気持ちが受け入れて貰えなかったから殺した」となるだろうか。この場合、衝動的に殺したということになり、事前準備ゼロの状態で犯行に及んだことになる。
どこで殺したとしてもこの白を基調とした部屋では目立ちすぎる。壁の素材から考えて、血を付けてしまうとすぐには取れないだろう。やったとしたら浴室か。だが、ストーカーと浴室に入る状況なんてどう考えてもおかしい。
誘拐の場合。これは外に呼び出してそのまま拉致したと考えられる。昭美さんは彼女のことを用心深い人だと言っていた。何かあればすぐに相談するように言っている、と。
相談せず外に出るとなると、何か弱みを握られていた……? 集めた資料には弱みとなりそうなものはなかった。この路線で考えると知り合いが犯人である可能性が高いか。
いや、弱みならあるのか。昭美さんは「彩花さんが言っていた探偵はあなただったのね」と言っていた。正直、僕は有名ではない。僕のことを知っているのは探偵を探して調べた人くらいだ。だから、探偵に頼むようなこと――弱みは持っていたのだろう。彼女と仕事で会った記憶はないが、僕が忘れているだけなのか、依頼はしていなかったのか。
のんびりした声の中の強い意志、どこか遠くを見ているような、闇を含みつつも優しげな目。仕事中に会ったような気もするが……。
考えても仕方がない! とにかくもっと手がかりを探せ!
部屋や普段の様子から考えて彼女はしっかり者だ。ならば災害用の備蓄がないはずはない。冷蔵庫に碌な食料がなく、レトルト食品もない状況。彼女が災害のことを考えないとは思えない。
キッチンの下のスペースに食べ物を常温で保管できるようなスペースがあることも多い。キッチンのカーペットをバサリと捲る。
「あった!」
カーペットの下から扉が出てきた。鍵はかかっているが、この程度の鍵は僕ならピッキングで開けられる。
確かな手応えを感じ、扉が開く。食品があるだけだろうと思いつつも、地下室という響きに心を躍らせる。
手が掴まれる。僕の体は前へと傾き、地下へ吸い込まれるように落ちていく。落ちていく中、微かな光で見えたのは……。
「捕まえた」
行方不明と言われていた彼女だった。自分の家の地下に監禁? と疑問に思ったが、すぐに理解した。この女は自ら地下に引き篭ったのだ。
彼女は眼鏡を外していた。この目は見覚えがある。あの女と同じ名前だ。珍しい名前ではないにしても、なぜ気が付かなかったのか。
「私のメッセージに気がついて来てくれたと思ったんだけど……。なぜ不思議そうに見つめるの?」
「メッセージ……?」
「ちょっと回りくどかったけど、合鍵も渡したでしょう? これで同棲みたいなものよね。同棲ってことは夫婦と言っても問題ないってことよね」
笑えない。あの時は「確かにこれは逃げたくなりそうだ」と他人事のように思っていた。くそ、あの時の自分に言いたい。次は僕だったぞ、と。
「黒髪は気に入っていたんだけど、あなたが好きと言ってた色に染めてみたの。思い切ってボブにもしたわ。公私を分ける人だと知ったから、眼鏡をかけてみたの。これなら仕事で会った私と分けられるかなって思って」
「そんな、こと。あなたに言った覚えは……」
「ふふ、あなたの事務所には私からの贈り物が沢山あるの」
「……! いつ、から……!」
「あなたの仕事を見て好きになっちゃった」
「彼氏さんは……」
「浮気する男よりよっぽど魅力的だわ。ってごめんなさい。比べられたくないわよね」
呼吸が荒くなっていく。早く、早く逃げなくては。
梯子に手を伸ばし急いで上ろうとしたが、足が上がらない。何かに引っ張られている。
「ごめんなさい。あなたが混乱しているうちに付けさせて貰ったわ。逃げようとすると思って」
彼女は悪戯をした子供を叱るように優しく微笑みながら言った。だが、いつもの彼女とは違って恐ろしく見えた。
「ここで待っていてね」
彼女はそう言って地下室から出ていった。
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