婚約破棄 その①
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メアリが何とか動けるようになったのは、王都に帰還し数週間が経ってからだった。
そんな彼女は、全身を引きずるようにして将軍の執務室に向かっていた。
ロービスからの呼び出しを受けたからだ。
そういえば自分が寝込んでいる間、ロービスが自分の部屋を訪れたことは一度もなかった―――そんなことを考えながら、メアリは歩いた。
王宮の廊下を通り抜け、ロービスの待つ執務室へ。
メアリが現れると、執務室のドアの前に居た従者が一礼し、ドアを開けた。
その向こうでは、ロービスが分厚い書類に目を通していた。
「……ロービス様、何の御用でしたでしょうか」
声をかけると、ようやくロービスは顔を上げた。
書類を机の脇に置き、メアリに向き直る。
「伝えておかねばならんことがあってな」
「私に……ですか?」
「そうだ。このようなことは早い方がよいからな」
ロービスが何を言おうとしているのか、メアリには想像もつかなかった。
そんな彼女を前にして、ロービスは告げた。
「メアリ・ドリッシュ、貴様との婚約を破棄する!」
その言葉は、当然のことながらメアリを驚かせた。
「……なぜですか、ロービス様」
ロービス将軍はメアリの質問を鼻で笑う。
「ふん。なぜですか、だと? それはお前自身が一番よく分かっているはずだ」
「私が……?」
一瞬考え、メアリはロービスが日ごろから口にしていたことを思い出す。
「……私が醜いからですか?」
メアリは恐る恐る言った。
彼女の黒々とした髪、黒い瞳―――そのどちらもが、金や銀の髪色の者が多いシュヴァルツェ王国では異様だったのだ。
「その通りだ。全く、国王陛下のご依頼でなければ、貴様のように貧相な醜女と婚約などしなかったものを」
「ロービス様……」
「実はな、ブラックレイ公国から最新鋭の武装を輸入することが決定した。公国は我が国にだけ特別に格安の値段で武器を販売してくれるそうだ。これで我が国の戦力も増大。お前のような者に頼らずとも戦争ができる」
「私に頼らず……」
「そもそもお前はロクに家事もせず、屋敷のことは使用人たち任せではないか。俺が将軍の執務で忙しい毎日を送っている間も、お前は部屋に籠りきりで自堕落な生活を送っていると聞いている。お前のような怠け者は必要ないのだ」
それは、とメアリは胸の内でだけ反論する。
西方遠征と反乱の鎮圧、それら大規模な戦闘が何度も続いたのだ。
規格外な補助魔法を使用した結果、どのような反動が自分の身を襲ったか、ロービスも知らぬわけではないだろうに……。
「お前と婚約を破棄することは国王陛下の承諾も得ている。ドリッシュ家の救済も兼ねた婚約だったが――そもそもお前の母親も亡くなったのだろう? ドリッシュ家は事実上消滅している。もはや婚姻関係を維持する必要性もない。所詮ドリッシュ家もお前のような怠け者の集まりなのだろう? 没落して当然だ」
「では、私は……?」
「今すぐ屋敷から出ていけ。お前の荷物をまとめておくよう、使用人たちにも言ってある。二度と王宮に足を踏み入れることも許さん。お前はこの王宮から永久に追放だ。これも国王陛下の承諾を得ている。今まで将軍である私の婚約者だったからこそ許されていたことだ。それが出来なくなるのも当たり前だろう」
「……はい、分かりました」
メアリは覚束ない足取りで執務室から出ようとした。
そのとき、執務室の扉が向こう側から開かれた。
姿を見せたのは、美しいドレスを着た金髪で碧眼の少女だった。
「ロービス様、お待たせしました」
「おお、よく来てくれたなアレサンドラ」
ロービスはメアリに一度も見せたことのないような笑顔で少女を迎え入れると、駆け寄ってきた少女の腰に手を回し、言った。
「そうだ、最後に紹介しておこう。お前も知っているだろうが、彼女はアレサンドラ・ルーシュ。ブラックレイ公国の大公閣下の姪に当たる方だ。私の新たな婚約者でもある」
新たな婚約者。
その言葉が、メアリの胸の奥底に突き刺さった。
結局、メアリが身を削って補助魔法を使ってきたことを、ロービスは何とも思っていなかったのだ。
メアリがどんなに身体を痛め、心を苦しめても、彼にとっては武器に傷がついた程度の感覚でしかなかったのだ。
「そうですか、婚約者ですか……」
「お前とは二度と会うことはないだろう。せいぜい生きながらえるんだな、怠け者の醜女め」
メアリは何も言わず、ロービスとアレサンドラに背を向け、執務室を後にした。
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