メアリ、令嬢の運命 その③
◆◇◆◇◆
数日が経った。
西方への遠征もひと段落したころ、ロービスのもとへ国王からの伝令が届いた。
戦勝セレモニーのために一時帰国せよ、とのことだった。
「勝機を逃せば、勝てる戦も勝てぬ。国王は何をお考えなのか」
と、ロービスは舌打ちをしたが、国王の後ろ盾なくしては戦争もできないと思いなおし、帰国を決意した。
そして、衰弱しボロ雑巾のようになったメアリとともに、シュヴァルツェ王国の王都へと帰還したのだった。
シュヴァルツェ王国に勝利をもたらした『英雄』を、国民たちは盛大に出迎えた。
勝利を祝うセレモニーは3日3晩続いた。
メアリもロービス将軍の婚約者として、失神しそうなほどの疲労を厚く塗り固められた化粧の奥に押し隠し、そうしたセレモニーに出席した。メアリは会場の隅で目立たないように座らされているだけだったが……。
将軍の屋敷に戻るや否や、メアリは窮屈なドレスを半分脱いだ状態で自室のベッドに倒れこんだ。
疲れが泥のように全身へ纏わりついていた。
そうしてふと、ある事実に思い至った。
「……お母様」
王都に到着して3日。
メアリは一度も母の姿を目にしていなかった。
メアリを心配するあまり、毎日のように手紙を送ってくれるような母だ。メアリの前に姿を見せないはずがなかった。
浅い眠りから覚めたメアリは日の出とともに体を起こし、質素な衣服に着替え、一人で屋敷を出た。
戦勝ムードが冷めやらぬ街中で馬車を拾い、郊外にある彼女の実家へと向かった。
目的地が近づくにつれ、メアリの胸中には不安が押し寄せてきた。
嫌な予感がしていた。
そうして馬車が停まり、客車から降りたメアリの眼前に現れたのは、荒れ果てた生家の姿だった。
きれいに手入れされていたはずの庭は荒れ、草木が伸び放題になっていた。
木造りのドアは傾き、錆びついた門はメアリが押し開けると軋んだ音を立てた。
「そんな……」
目の前の光景を現実と認識できぬまま、メアリは庭の敷地へと足を踏み入れた。
変わり果てた庭を横切り、ドアを開けた。
中からはカビの匂いがしたものの、整理整頓された室内には母の面影があった。
しかし、家具には埃が積もっている―――。
「メアリお嬢様……!?」
背後で声がし、メアリは驚いて振り返った。
庭先に立っていたのは白い髭をたくわえた老人だった。
メアリはその顔を覚えていた。
「……庭師のおじさま?」
メアリの声に、老人は破顔した。
「おお、おお、覚えていてくださったのか。光栄でございます」
「私がお屋敷にいたころ、よくお庭の木を切ってくださっていたおじさまですね。植木を私の好きな動物の形にしてくださったこと、今でも忘れていませんわ」
「そんなことまで……いやあ、ありがたいことです。いつお戻りになられたのです?」
老人はメアリに歩み寄り、尋ねた。
「つい三日ほど前です。祝勝セレモニーにも出席を……」
「ああ、めでたいことですな。お嬢様もご立派になられた」
そう言って老人は満足そうにうなずく。
が、彼がその表情の裏に何かを隠していることは、メアリには分かっていた。
だからこそ、敢えて直接的に訊いた。
「おじさま、お母様はどちらへ行かれたのですか?」
「そ……それは」
老人は答えにくそうに言葉を切り、辛い表情を浮かべ顔を伏せた。
しばらくの間そうしていたが、決心がついたのかメアリを見上げ、言った。
「ついてきてください、お嬢様」
老人が歩き出し、メアリはその後に続いた。
やがて屋敷の裏庭にたどり着き、老人は立ち止った。
「……あちらを」
老人が差し出した手の向こうには、小さな石造りの墓標があった。
メアリは思わずそちらに駆け寄り、墓標の前にかがんだ。
そこに刻まれていたのは、紛れもなくメアリの母の名前だった。
「お母様は……亡くなったのですか?」
「体調を崩されたのは、ロービス将軍が西方遠征へ向かわれてすぐのことです。肺を悪くされ、間もなく亡くなられました。……時々こうしてお墓の掃除に来るのですが、人の手が入らなければ庭もすぐ荒れてしまいましてな」
西方遠征が始まったのは半年ほど前のことだ。
仮に母の容態が悪くなったことを知っていたとしても、戻っては来られなかった――だからこそ、母も自身のことをメアリに知らせなかったのだ。メアリに余計な気遣いをさせないために。
「お母様……!」
メアリの瞳から涙が零れた。
「奥様は最期までお嬢様を心配しておられました。そして、もし自分が死んだら墓は家の庭に作ってほしい、メアリが帰って来たときに迎えてあげられるように、と……。申し訳ありませぬ、お嬢様。この身体がもう少し若ければ、このお屋敷も、お庭も、このように荒れ果てた姿にはしませんでしたものを」
老人は悔しそうに歯ぎしりをした。
唯一メアリを愛してくれていた母はもう、この世には存在しない。
その事実を認識したとき、メアリは孤独になってしまったのだと気が付いた。
これから先、軍の道具として使わる日々が永遠に続いていく。
メアリは目の前が真っ暗になるような錯覚をした。
「……またここへ来ても良いですか、おじさま」
「もちろんでございます。わが身に替えてもこの庭とお墓はお守りいたします」
「ありがとう、庭師のおじさま」
墓石の前で深く頭を垂れ、メアリは立ち上がった。
地獄のような毎日が待ち構えていると知りながらも、メアリの帰る場所はロービス将軍の元しかなかった。
だから―――メアリは考えるのをやめ、将軍の屋敷へ戻る馬車へ乗った。