避けられぬ戦乱 その⑤
「……何でしょう、メアリ様」
アレサンドラがメアリの方へ向き直る。
その冷たい瞳を見て、メアリは手が震えるのを感じた。
しかし歯を食いしばり、答えた。
「ヤークト帝国との決着をつける手段は、戦争でなければいけないのでしょうか?」
「どういうことかしら?」
「た、たとえば、お話合いなどで、お互いに理解しあうことはできないのですか? ブラックレイ公国とヤークト帝国は仲の良い国同士にはなれないのですか?」
メアリは真剣だった。
真剣に考えた末の発言だった。
しかしアレサンドラは呆気にとられたような表情を浮かべた後、大声で笑い始めた。
「あははははっ! 面白いことをお考えですのね、メアリ様は!」
「い、いえ、そんなことは」
「なるほど、おっしゃりたい意味は分かりますわ。確かに戦争以外の方法で問題の解決を図る、という考えもありますわね。ま、ヤークトの野蛮人に言葉が通じればの話ですけれど……。でもメアリ様、戦争以外の解決方法としては、話し合いの他にもあるのではないかしら?」
「話し合いの他……ですか?」
メアリが訊くと、アレサンドラは茶器の中からナイフを取り出し、把手の部分をメアリに向けた。
「そうですわ。例えば私が戦争を起こす前に、私を殺してしまうとか」
「な……ま、まさか、そんなこと、私には」
「できるでしょう? あなたの補助魔法なら、自分自身を強化することもできるはず。そうすればこんなケーキを切るためのナイフでも、私程度なら容易く殺せると思いますわよ」
アレサンドラはナイフをメアリに押し付ける。
反射的に、メアリはそのナイフを手にしていた。
把手を握る指に力が入り、刃先が震えた。
「……メアリさん」
ピンファが声をかけた瞬間、メアリは口を開いていた。
「―――あなたを殺すようなことはできません。争いを止めるためにここへ来た私が、新たな争いの種を生むようなことは、できません」
「そうかしら? 補助魔法で味方を強化し何万もの兵士を屠ってきたあなたなら、人間のひとりくらい躊躇なく殺せると思ったのだけれど」
「だからこそ、です。人が人を殺すことの恐ろしさを、私は今まで嫌というほど味わってきました。もう二度と、あんな地獄を繰り広げさせるわけにはいきません」
メアリはアレサンドラの瞳から目をそらさなかった。
二人はしばらくの間見つめあい、そして、アレサンドラが一言、そう、と呟いた。
「メアリ、あなた――私が想像していたよりずっと強い女性だったのね。やっぱりロービスには勿体なかったわ。あの男にあなたの価値は分からない。もし私がブラックレイ公国の君主でなければ、もっとあなたと仲良くなれたかも」
「……光栄です、アレサンドラ様」
ふう、とため息をつきながら、アレサンドラは言葉を続ける。
「あなたたちの望みは分かりましたわ。いいでしょう、ヤークト帝国との会談に出席いたします。ただし、戦争を回避するという保証はできないわ」
「あ――ありがとうございます、アレサンドラ様!」
ピンファは勢い良く立ち上がり、言った。
アレサンドラは窓の外へ視線を向けながら、
「もう夜も更けてしまいましたわね。お泊りになるなら、お部屋をお貸ししますわよ」
「お心遣いは大変ありがたいのですが、それはまた次の機会に。馬車も待たせてありますので」
「そう。ではまた、ヤークト帝国との会談でお会いしましょう」
「ええ。本日はお時間をいただき、ありがとうございました」
ピンファとメアリはそれぞれ礼をし、部屋を出た。
「……助かりましたよ、メアリさん。あなたの言葉が無ければ交渉は失敗でした」
王宮の出口を抜けたころ、ピンファはそう言った。
メアリはぎこちない微笑みを返した。
「たまたまうまくいっただけです。私も、どうしてあんなことが言えたのか分かりません」
「ひょっとするとこれが愛の力というやつですかね?」
「……かもしれませんね」
二人は顔を見合わせ、笑った。
◆◇◆◇◆
「……ここです」
馬車に揺られ二人がたどり着いたのは、建設が途中で終わっている兵舎のような施設だった。
その片隅にはまだ更地の箇所が残っていて、馬車から降りたメアリは迷いなくそちらへ向かうと、何かを見つけたように屈んだ。
「メアリさん……」
ピンファがその傍らに立つと、メアリは呟くように話し始めた。
「ここはかつて、私の生家があった場所です。私が婚約し家を出た後は、母が一人で住んでいました。あちらには小さくても手入れの行き届いた花壇が、そしてこちらは日当たりのいいお庭でした。でも……私がロービス様に連れられ戦争に行っている間に母は死に、そしていつの間にか更地にされてしまっていたのです。兵士の訓練場を作るために」
「……シュヴァルツェ王国がブラックレイ公国の侵攻を受けたことで、計画が中途半端なところで止まってしまったのでしょうね」
骨組みだけの建物を眺めながら、ピンファが言う。
「そしてこれが私の母の墓石の―――破片です」
メアリが見下ろすその黒い石の塊は、以前メアリが王国を後にする前に立ち寄ったときと同じ場所に、同じ様子で転がっていた。
誰からも気づかれることなく――誰にも触れられることなく。
その表面に刻まれたメアリの母の名も、変わらないままで。
「つらい思いをされましたね、メアリさん」
ピンファは沈痛な面持ちでメアリの肩に手を置いた。
「……戦争で大勢の人が死ぬということは、こんな風に家族を失い、悲しい思いをする人が数多く生まれるということでしょう? 私は、そんな戦争は起こしたいとは思いません」
「僕も同じ気持ちですよ。誰もが傷つかずに済むのならそれが一番だ。メアリさん、その墓石は持ち帰り、王宮の近くにお母様のお墓を立て直しましょう。こんな寂しいところに放っておくのは耐えられない」
「ありがとうございます、ピンファ様」
メアリは母の墓石の欠片を片手に立ち上がった。
その頬を涙が一筋伝った。
それが意味するのは、母を一人で死なせてしまったことへの悔恨か、今に至るまで母の墓石を放置していたことに対する懺悔か、それとも兵士たちに尋常ならざる力を与え、数万もの人々を殺戮させたことへの自責の念なのか――それは、メアリにしか分からないことだった。
「……帰りましょう、メアリさん。空気が冷えてきました。それに我々にはまだやるべきことが多く残されています」
「ええ、ピンファ様」
メアリはもう一度、周囲に視線を向けた。
月明りに照らされた廃墟のような建造物は、シュヴァルツェ王国の――そしてロービスの亡霊のようにも見えた。
◆◇◆◇◆