避けられぬ戦乱 その③
◆◇◆◇◆
馬車に揺られること数刻。
王都に到着したときには、既に日が沈みかかっていた。
「思ったより時間がかかってしまったね。とはいえ約束には間に合いそうだ」
ピンファはメアリの手を取りながら馬車を降りた。
ヤークト帝国の総督府からここまではそれなりの距離があった。
しかし、一日以内で行き来できる距離だ。
敵対する両国がいつでも戦争を始められる位置に拠点を構えている――その事実は、メアリには恐ろしく感じられた。
「…………」
馬車を降りたメアリは何気なく周囲の様子を見渡した。
王都の様子は、メアリが追放されたあの日からそれほど変わってはいなかった。
しかし街の片隅には、ブラックレイ公国による侵攻時についたであろう傷がまだ残っていて、何より―――王宮に掲げられている旗がシュヴァルツェ王国のものではなく、ブラックレイ公国の国旗になっていた。
「もし気が進まないのなら馬車で待っていてもいいんですよ」
心配そうに言うピンファに、メアリは首を横に振ってみせた。
「お気遣いは無用です。むしろ、私がピンファ様に街を案内してあげたいくらいです。街並みは私が知っているままですから」
「なるほど。そういうことなら交渉が終わった後、デートとしゃれこみますかね。はっはっは」
豪快に笑いながらも、ピンファはメアリの肩を自分の近くへ抱き寄せた。
そのときはじめて、メアリは自分の身体が少し震えていることに気が付いた。
「あ……」
「大丈夫ですよ、メアリさん。何も心配はいりません。僕がついていますから」
「は、はい……ピンファ様」
「王宮へ行くにはこの道をまっすぐ進めばよかったはずでしたね?」
「ええ、そうです。この道を直進です」
ピンファに肩を抱かれたまま、近衛兵を数名引き連れ、メアリは歩いた。
慣れ親しんだ王都の街並み。しかし既にシュヴァルツェ王国という国は滅亡しているのだ。
現在の名称はブラックレイ公国・シュヴァルツェ地区。
こうして街を眺めるのは、西方遠征の祝勝セレモニーのとき以来だった。
あれから一年と経過していないのに、はるか遠い昔の出来事のように思えた。
王宮に到着すると、警備兵がこちらに歩み寄ってきた。
「ノッドカーヌ王国のピンファ王とお見受けしますが?」
「ああ、その通りだ。会談のために参上した」
「承っております。では、こちらへ」
警備兵のひとりについてくるよう促され、メアリたちの一行は王宮へ足を踏み入れた。
王宮の内装もシュヴァルツェ王国時代のまま―――しかし、かつて王宮内に飾ってあった肖像画やタペストリーはすべて撤去されている。恐らくはシュヴァルツェ王国の名残を消すためだろう。
「どなたが面会をしてくださるのですか?」
メアリが訊くと、
「この区画を任されている人物です。彼とも昔、いろいろありましてね」
「ご友人なのですか?」
「まあ、似たようなものです。友達が多いとこういう時に役立ちますよ」
「……ピンファ様はどなたとでも仲良くなれる才能をお持ちなんですね?」
「まさか。僕は人見知りな方ですよ。はっはっは」
とても人見知りとは思えない快活な笑い声をあげるピンファ。
ちょうどそのとき、メアリたちを先導していた兵が立ち止った。
「この扉の先でございます」
メアリは思わず息を呑んだ。
目の前の扉の先にある部屋―――それが、かつて将軍の執務室として使われていた部屋だったからだ。
「……ああ、ありがとう」
兵士に答え、ピンファは自らドアを開けた。
部屋の中はメアリが知っているものとは大きく変わっていた。
家具は落ち着いたデザインのものに置き換わり、部屋の雰囲気もロービスが使用していた頃とは全く違うものになっている。
そして、部屋の中央に置かれたソファには金髪の少女が腰掛け、こちらを見つめていた。
「……ようこそ、ブラックレイ公国・シュヴァルツェ地区の総督府へ」
「アレサンドラ・ルーシュ・ブラックレイ―――大公代理」
金髪の少女の名を呟きながら、メアリは頬を冷たい汗が伝っていくのを感じた。
「これはこれは、大公代理自らお出迎えとは恐縮ですね。この総督府の担当の方はどうされたのですか?」
ピンファは動揺の色などまるで見せずに言う。
しかし、メアリにはその声が微かに震えているのが分かった。
そんな二人の様子を見て、アレサンドラはあどけない笑みを浮かべる。
「無理を言って私に代わってもらったんですよ。あら、そう緊張なさらないで。どうぞおかけください、ピンファ王。それから、メアリ様」
「ではお言葉に甘えて」
ピンファがアレサンドラの向かいのソファに座り、メアリもそれに倣いピンファの隣に腰かけた。
「貿易関係のルートから、ピンファ王がコンタクトを取りたがっていらっしゃると聞いて急いで駆け付けましたのよ」
笑みを崩さないまま、アレサンドラはピンファの表情を見つめる。
「まさかご存じだったとは、お恥ずかしい」
ピンファは照れ隠しのように後頭部へ手を当てた。
「直接言ってくださればいつでもお会いしましたのに」
「いえいえ、ご多忙な大公にお時間を割いていただくわけには」
「まず外堀を固めてから、というのがピンファ王の得意とされている外交のやり方でしたわね?」
「……私は小心者でしてね。偉い方とお話するのには緊張してしまって、いつもそのような形になってしまうんですよ」
「まあ、そうなんですの? でしたら、私と話されるときは緊張などされる必要はありません。お互いに国家を代表する者同士、正直な話し合いをしましょう」
アレサンドラは表情豊かに喋る。しかしその表情は、メアリには、仮面のように見えた。