悲劇を起こさぬために その②
「どうされたんです、メアリさん?」
すぐ傍までやって来たピンファが、深刻な表情を浮かべるメアリの顔を覗き込む。
そんな彼にメアリは微笑みを返した。
「いえ、なんでもありません。到着が予定よりも早まったんですね、ピンファ様」
「そうなんです。メアリさんと一刻も早く会いたくて」
わはは、とピンファは明るく笑った。
「では私たちは、ノッドカーヌ王国へ戻るのですね?」
「はい。メアリさんをはじめ、皆さんよく働いてくれました。あなたたちの働きが何人もの命を救ってくれたのだと―――僕はそう確信しています」
いつの間にか太陽は沈もうとしていた。
地平線の向こうから差し込む夕暮れが、避難民たちの居住区を照らした。
疲れた顔で道端に座り込む男性、赤子を連れた母親、はしゃいで通りを走り回る子供たち――――。
「いえ、この避難所を作られたのはピンファ様です。あなたがいなければ彼らがこうして戦火を逃れることはできなかったと、私は思っていますよ」
メアリの言葉に、ピンファは照れたように自分の髪を触った。
「そう言っていただけて光栄ですよ。僕らの後は、かつてのシュヴァルツェ王国が引き継いでくれます。だから僕らは国に帰って―――彼らのような避難民を生み出す元凶に対処しなければなりません」
ピンファの声のトーンが真面目なものになる。
メアリは彼を見上げ、言った。
「ヤークト帝国とブラックレイ公国の戦争ですね」
「……賢いですね、メアリさんは」
それ以上は何も言わず、ピンファは避難民たちの居住区に背を向けて歩き出した。
メアリもまた、それ以上は追及することなく、ピンファのあとを追った。
◆◇◆◇◆
「共感、ですか?」
ノッドカーヌ王国へ向かう馬車の中で、ピンファはメアリに尋ねた。
「はい。私は今まで補助魔法を、他者の身体能力を強化するために使ってきました。ですがそれを共感する力を高めることに使えば……」
「使えば?」
ピンファがメアリに言葉の続きを促す。
彼の背後の窓からは、戦闘に巻き込まれ廃墟と化した町が見えた。
半壊した家屋の壁には黒く焼け焦げた跡があった。火薬を使った武器が使われたのだろう。
「……私の感じる戦の悲惨さを他人と共有することも可能なのではないかと」
「つまり、誰もにメアリさんの悲しみや苦しみを理解させることができるということですか?」
「おそらくはもっと双方的なもの―――お互いにお互いの気持ちを分かりあうことができるはずなんです」
ああ、とピンファは合点が言ったように声を上げた。
「理解しあえない者どうしを理解させることができるということですか」
「補助魔法の使い方次第では、おそらくは」
「それは素晴らしいですね。その力があれば、きっとこの世界から戦争が無くなるでしょう。……しかし」
「なんでしょう?」
「メアリさんの身体には負担がかかるでしょう?」
「やってみなければ分かりませんが……」
ピンファは微笑む。
「それは最後の手段にとっておきましょうか、メアリさん。かつてロービス将軍はあなたの身体を顧みず西方遠征を行ない、メアリさんを深く傷つけた。僕はそれに倣うようなことは、あまりしたくないのです」
「は……はい」
「とにかく今はノッドカーヌへ戻り、支援施設での疲れを癒してください。メアリさんはよく働いてくれました。本来なら僕があの施設で指揮を執るつもりだったんですが、それをメアリさんが代わりにやってくれたことで、かつてのシュヴァルツェ王国諸侯と交渉することができたのですから」
そう言うピンファの表情は穏やかではあったものの、隠しきれない疲労の色があった。
シュヴァルツェ王国の貴族たちとの交渉は、やはり簡単なものではなかったのだろう。
メアリは窓の外へ目を向けた。
道の両脇には、燃えて炭化したどす黒い木々が並んでいた。
かつては自然豊かであったはずのその土地は、戦によって焦土と化してしまったのだ。
シュヴァルツェ王国の領土内での争いにもかかわらず、これだ。
ヤークト帝国とブラックレイ公国の戦争が始まれば被害はこんなものではない――このナラシア大陸すべてを焼き尽くしまうことも、ありえない話ではなかった。
「ピンファ様、なぜ人は争うのでしょうか?」
「理由はいくらでも考えられます。些細な感情のぶつかり合い、民族同士の問題、資源やの奪いあい。個人的な揉め事から国家間の紛争まで、規模は様々でしょう。もちろん争いは犠牲を生みます。しかしその犠牲より、争いに勝利した後の利益が優先されることがある。だから人は争うのだと僕は思っています」
「誰かを傷つけたり、命を奪ったりすることで得られる利益がある……?」
「悲しいことに、そう考える方もいるのですよ」
ピンファは口を閉じ、何かを考え込むように目を瞑った。
馬車が揺れる音だけが客室に響いた。
メアリたちを乗せた馬車は、支援施設の職員たちが乗るいくつもの馬車と隊列を組んで、ノッドカーヌ王国への道を駈けていった。