悲劇を起こさぬために その①
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旧シュヴァルツェ王国内の勢力争いは、ドルガが予言していた通りヤークト帝国の侵攻によって幕を閉じた。
各勢力は圧倒的な兵力を持つヤークト帝国軍に各個撃破され、旧シュヴァルツェ王国の領土の3分の2ほどを手中に収めたのだった。
しかし、そんなヤークト帝国もメアリのいる避難民たちの支援拠点を攻撃することはなかった。
それは、ドルガなりのメアリに対する気遣いだったのかもしれない。
武力衝突にある程度の収拾がついたことにより、支援拠点を訪れる避難民の数もずいぶん落ち着いた。
ピンファが拠点へ戻ってきたのは、そんなときだった。
彼は、支援拠点の資金提供や運営の引き受け先を探すために奔走していたのだった。
そしてピンファが見つけた新たな支援者―――それは戦火を逃れた旧シュヴァルツェ王国の貴族諸侯らが資金を結集し組織された財団だった。
彼らはピンファの説得により、現在ノッドカーヌ王国が行っている避難民の支援事業をそのまま受け継ぐことに合意した。
かくして、メアリたちはノッドカーヌ王国へ戻ることになったのだ。
メアリが初めて支援拠点を訪れてから、半年の月日が過ぎようとしていた頃である。
「すみませんメアリ様、こちらの書類はどこに片づければ良いですか?」
「それは倉庫に。でも、名簿類はまだ受付に必要ですから残しておいてください」
「メアリ様、物資受け入れの対応はどうしたらいいんですか?」
「まず物資の種類ごとにリストを作成してください。それから物資保管庫に案内を」
「はい!」
次にメアリを待っていたのは、財団が用意したスタッフへの業務引継ぎだった。
もちろんメアリだけではなく、ノッドカーヌ王国から支援拠点の運営のためにやってきた役人たちも、それぞれ業務の引継ぎに追われていた。
メアリをはじめとする手慣れたスタッフと素人同然の新人たちが右往左往する光景は、大変に騒々しいものだった。
これなら避難民の対応をしていた方が楽だったかもしれない、とメアリは思った。
しかし―――それでも、戦場で補助魔法を使っていたときより、彼女は遥かに充実していた。
「メアリ様、居住区の方を手伝ってほしいと要望が……」
「分かりました。すぐ行きます」
職員の声を聞いて、メアリは手近にいた別の職員に後を任せ、居住区へ向かった。
居住区では、数名の職員が避難民たちと何かを話し合っていた。
「どうされたのです?」
メアリが尋ねると、職員の一人がメアリの方を振り向き、答えた。
「食料の分配についてです。どうもこちらが把握している人数が実際のものと違っているようで、全体にいきわたっていない場合があると……」
「なるほど、それはいけませんね。急ぎリストと避難民の方々の照合を行ってください。担当の方が変わったタイミングで漏れが生じたのかもしれません。新しく財団から派遣された皆さんにも協力をお願いしましょう」
「はい。……すぐに対処します。ご報告に感謝します」
職員たちは避難民に言うと、すぐにリストが保管してある書庫へと駆けていった。
一方の避難民たちも事態が解決したのを感じたのか、それぞれ居住区へ戻っていく。
大きなトラブルにならず良かったと胸を撫でおろすメアリだったが、居住区へ戻らず一人残った避難民に気づき―――その顔を見た瞬間、思わず目を見開いていた。
「……国王陛下?」
「まさか―――メアリ・ドリッシュか?」
間違いない。
記憶している姿と比べてしわや白髪が増えているものの、それはかつてシュヴァルツェ王国の国王を名乗っていた老人だった。
「なぜこんなところにいらっしゃるのです、陛下」
メアリの質問に、国王はかつての厳かさを忘れてしまったかのように、気の抜けたような笑みを浮かべた。
「陛下はよしてくれ。わしはもう何者でもない。死に場所を失い生き恥をさらすだけの、ただの老人だ。避難民たちもわしの正体は知らんのだよ」
「首都はブラックレイ公国に侵攻され、占領されたのではなかったのですか?」
「その通りだ。しかしわしは何の因果か、城を占領される前に首都から脱出できたのだ。それから数か月、わしは数名の家臣と戦火の中を逃げ惑った。家臣たちは次々に倒れた。結局わしだけが、この避難所に辿り着いた……」
そう言って、かつての国王は自分の左腕を撫でた。
長袖の衣服を身にまとった彼の左腕は、肘のあたりから先が無くなっていた。
「そのお怪我は」
「報いだよ。国が滅びてもなお生きのびた、このわしに対する報いだ。わしは愚かだった。度重なる戦勝報告に浮かれておった。その結果がこれだ。民の一人も救おうとせず、わしはただ逃げることしかしなかった」
「…………」
「メアリ・ドリッシュよ。本当にすまなかった。王たるわしがロービスの暴走を止めるべきであった。お主の優れた魔術の才能が人殺しのためだけに使われたのは、わしの責任だ。許せとは言わぬ。ただ、覚えておいてほしい。戦乱の先にあるのは破滅だけだと。お主の力が今度こそ、平和と友愛のために使われることをわしは願っておる」
老人は震える右手をメアリに差し出し、彼女の肩に触れた。
そのとき、遠くでピンファの声が聞こえた。
「メアリさん! お迎えに上がりましたよ!」
振り向くと、こちらに駆け寄ってくるピンファの姿が見えた。
「国王陛下、私は……」
もう一度メアリが老人の方へ顔を向けたとき、そこにはもう誰もいなかった。
幻を見たのか、と思うメアリだったが、彼女の肩には確かにまだ、老人の右手の感触が残っていた。
自分の力を、人殺しではなく平和と友愛のために使う―――。
そんなことが出来るのだろうか。
メアリは自問した。