故国へ その②
そこでようやくメアリは自分を連れ去ろうとしている男の姿を見た。見知らぬ中年の男だ。体格がよく、このまま抵抗しても敵いそうにない。
「暴れるな。大人しくしてろ」
「……さっきの子も仲間だったんですか?」
「その辺にいたガキを食べ物で釣ったんだ。『あの黒髪の女を入り口に連れてこい』ってな。今頃は母親のところに戻ってるさ」
「あなたは何者なんですか?」
「何者? それはこっちが訊きたいね。ロービス将軍の婚約者だったはずのあんたが、なんでノッドカーヌ王国の施設で働いてるんだ?」
「……!?」
「ま、細かいことは良いさ。独立を図る連中の中にゃ、旧シュヴァルツェ王国の人間を恨んでいる奴もいる。強引な遠征を行なったロービスなんてのはその最たるものだな。そいつらにシュヴァルツェの関係者を売り渡せばちょっとした小金が手に入るってもんよ」
「それで私を……!」
「ロービスなんかと婚約した自分を恨むんだな。しかし黒髪に黒い瞳か。こりゃ価値も下がるだろうな」
「―――!」
男の視線がメアリの髪に移った。
その瞬間を見逃さず、メアリは補助魔法で自分の肉体を強化しようとした―――が。
「――なんだそりゃ。まるで悪役の言い分だな」
突然第三者の声が聞こえたかと思えば――死角から赤い髪の青年が現れた。
かと思えば、青年は目にもとまらぬ速さでメアリを羽交い絞めにしていた男の頬を殴った。
男の身体は弾かれたように地面を転がり、メアリは自由になった。
「てめぇ! 何しやがる!」
「アホが! そりゃこっちのセリフだ!」
赤髪の青年はいきなり攻撃されて激昂する男の拳を躱し、そのがら空きになった体を思いっきり蹴りつけた。
衝撃で男は吹き飛び、地面へ倒れ込む。
「ぐあっ!」
「出直してこい、三下。てめえじゃ相手にならねえ」
「なんなんだ、てめぇは……!」
「なんでもいいだろ。悪いがこっちが先客だ。さっさと消えろ」
「そんなわけにはいくか。こいつ、舐めやがって……!」
悪態をつきながら立ち上がった男は、懐から刃物を取り出した。
「おいおい、消えろって言ったのが聞こえなかったか? それとも俺の言葉が理解できねえのかな。確かヤークトとシュヴァルツェは、公用語は同じはずだったけどな」
「殺してやる……!」
「やってみるか? ただしお前が生きてたらな」
「何!?」
男が刃物を構えた瞬間、乾いた音が周囲に響き渡った。
次にメアリの目に映ったのは、地面に落ちたナイフと手から血を流す男の姿だった。
―――拳銃だ。
いつの間にか青年が握っていた拳銃が、男の手を撃ちぬいていたのだ。
「……て、てめえ! こんなことしてただで済むと思ってんのか!?」
「もう一度だけ言ってやる。さっさと消えろ。そのでかい図体に穴開けられたくなけりゃあな」
「く……くそ!」
命の危機を感じたことで観念したらしく、男は一目散に逃げだして行った。
その様子を呆然と眺めていたメアリだったが、彼女の方を振り返った青年と目が合って、ようやく我に返った。
「あ、あの……ありがとうございました」
「礼なんて要らねえよ。成り行きでこうなっただけだ」
「でも、何も撃たなくても」
「ああいう奴に威嚇は効かねえ。痛い目にあわせてやらなきゃ理解できねえんだ。動物みたいなもんさ。それにな、火は完全に消さないと危ないんだぜ? 何かがきっかけでまた燃え出すか分からねえからな」
「そういうものでしょうか……?」
「あんたがどう思うかにかかわらず、俺はそういう性分なんだ。何事も後始末をつけとかなきゃ落ち着かない」
面倒くさそうにそう言いながら、青年は銃を収める。
メアリは彼の姿を見たことがある気がした。
赤い髪は西方の人間の特徴だ。そんな人がどうしてこんなところに……?
「あの……私、メアリ・ドリッシュと言います。あなたは何者なのですか? シュヴァルツェの人間でもノッドカーヌの人間でもないようですが……」
「ドルガ・ヤークト。職業は皇帝だ」
「……え?」
ドルガがあまりにも自然に口にしたので、メアリは呆気にとられてしまった。
同時に、見覚えがあったことも腑に落ちた。一国の皇帝なのだから、どこかで顔を見ていたとしても不思議はない。
「ヤークト帝国の……皇帝」
「その反応だと気づいていなかったらしいな。ま、シュヴァルツェとヤークトは国交断絶状態だったわけだし、当然か。けどな、俺はアンタのこと知ってるぜ。シュヴァルツェ王国の『魔女』さんよ」
「……『魔女』?」
そんな風に呼ばれたのは初めてだった。
メアリは不思議そうに首を傾げた。
「なんだよ、その顔は」
「いえ、聞きなれない呼び名だと思いまして。『魔女』なんて名前はどなたが考えたんですか?」
「ヤークト側じゃもっぱらの噂だったぜ。シュヴァルツェ王国軍には人間を化け物に変えちまう『魔女』がいるってな」