故国へ その①
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「みなさん、順番に並んでください。食べ物は十分にありますから! 慌てる必要はありません!」
旧シュヴァルツェ王国の、片田舎の村。
シュヴァルツェ王国が国家として機能しなくなった今、この村はどの国にも属していない領域となっていた。
そして奇跡的に戦火を逃れていたことから、独立戦争によって住む場所を追われた人々はこの村に集まっていたのだった。
ピンファはそこに目をつけ、この村に避難民たちの居住区や食料等の貯蔵施設を備えた支援拠点を開設した。
それだけではない。彼は村の周辺で戦闘を続ける諸勢力に対して自ら交渉し、支援拠点への不可侵協定まで結んだのだ。
その活動は、裏社会へと身を潜めた旧シュヴァルツェ貴族諸侯の協力もあり、今のところ順調だった。
そしてピンファとともに支援拠点へとやって来たメアリは、避難民たちの受け入れや物資の配給、その他トラブルへの対処などに奔走していた。
何せ、シュヴァルツェ王国中の避難民たちがこの村へ押し寄せてきているのだ。
忙しくないわけがなかった。
今も避難民たちの一団が到着し、その受け入れ作業に追われているところだった。
「あのう、ジヤブロ村から逃げて来た者なんじゃが……」
受付口に立つメアリに、老人が尋ねる。
「ええと、少々お待ちください。今、避難所の空きを確認しますから。あなたが村長さんですか?」
「ああ、そうじゃ。ジヤブロ村は悲惨な状況でのぉ。次から次に矢が降ってくる。わしの妻もその流れ弾で……ううううう」
泣き出す老人を見て、その背後にいた若い男が代わりに話し始めた。
「とりあえず、何をすればいい? ここに来れば食料と寝床を提供してくれると聞いたんだが」
「は、はい。こちら名簿に避難された方々の名前を記入して、あちらの建物でお待ちください」
「分かった。世話になるよ」
若者はメアリから名簿を受け取ると、十数人の村人たちらしき人々を引き連れ、指定の場所へと歩いて行った。
不意にメアリは実家のことを思い出した。
王都のはずれにあったあの場所は、今はどうなっているのだろう。
兵士の訓練場になると聞いていたけれど……。
「すみません、オディサの町から避難してきたんです」
声をかけられ、メアリは現実に引き戻された。
慌てて目の前に立つ子連れの女性に向かって答える。
「はい、まずこの名簿に記入をお願いします!」
支援拠点の運営のためにピンファが用意した人員は決して少なくなかったが、予想以上の避難民の数に、既に対応できる人数を超えつつあった。
「……ふう」
対応がひと段落したメアリは、額に浮かんだ汗を拭った。
身に着けた質素なドレスも、砂埃で薄黒くなっていた。
「メアリ様、少しお休みください。ここに来てからずっと朝から晩まで働き通しではないですか」
傍らで護衛をしていた兵士がメアリに言う。
「いえ、心配はいりません。助けを必要としている人たちはまだまだ大勢いるのですから」
「そういうわけにはいきません。メアリ様をお守りしろとのご命令です。どうかお願いです。一度休息を。メアリ様が倒れられたら、ピンファ様も悲しみます」
メアリは疲労を押してでもまだ働くつもりだったが、自身が倒れることによってどれだけの人間に迷惑が掛かるのかもよく理解しているつもりだった。
「分かりました。ではお言葉に甘えて、少し休ませていただきます」
「承知いたしました。では、職員用の休憩所までご案内を――」
「ねぇ、お母さんはどこ?」
兵士の言葉を遮るようにして、二人の足元から声が聞こえた。
視線を下げてみると、そこには不安そうな表情をした男の子が立っていた。
メアリはその男の子の前で屈み、目を合わせた。
「大丈夫? お母さんとはぐれちゃったの?」
「うん。さっきまで隣にいたのに……」
「あら、大変。安心して、お姉さんが一緒に探してあげるから」
村人たちの団体の一人だろうか、とメアリは応対した避難民たちの顔を思い出す。
「メアリ様、よろしいのですか? この子供は他の者に任せた方が……」
「安心してください。この子の親が見つかったらちゃんと休みますから」
「そうですか。ではそれまで私が護衛を――」
「ここはさっきまで俺が並んでた。だから俺の方が先だ!」
「ウソつくな! なにか証拠は!」
今度は待機している避難民の列から言い争うような声が聞こえてきた。
こうして避難民同士が争う様子も、ここでは珍しくなかった。
状況が状況だ。仕方のないことだろう。
「ええい、また喧嘩か。仲裁してきますので、メアリ様はここでお待ちを!」
「……は、はい、お気をつけて!」
喧嘩をする二人の間に割って入る兵士の姿をぼんやり眺めていると、男の子から袖を引っ張られた。
「どうしたの?」
「あれ、お母さん」
そう言って男の子が指をさしたのは、大勢の人間でごったがえす避難民たちの居住区の入り口だった。
「あそこにいるの?」
「うん。あの茶色い服を着た人」
「そっか。じゃあ、あそこまでついて行ってあげるね」
あれだけの人混みだ。今追いかけなければ見失ってしまうだろう。
そう判断したメアリは、子供の手を引いて避難民たちの居住区へと向かった。
「お母さん、優しい?」
「うん、優しいよ」
子供は無邪気に答える。
その表情を見て、メアリは自分の母親のことを思い出した。
シュヴァルツェ王国が滅亡する前に亡くなった母は、ある意味で幸せだったかもしれない――そんなことを考えた。
そして人混みの中をかき分け、ようやく男の子の母親らしき人物へたどり着こうとしたときだった。
「よし、確保だ」
男の低い声とともに、メアリは腕を強く掴まれるのを感じた。
「……っ!」
あまりにも咄嗟のことで声が出ない。
それが何者なのかも分からないまま、メアリは強引に引きずられるようにして人目につかないところまで連れ出された。