メアリ、令嬢の運命 その②
ロービスには、シュヴァルツェ王国をブラックレイ公国やヤークト帝国に並ぶ強国にするという野望があった。
ナラシア大陸の中央部に位置するシュヴァルツェ王国は、東西諸国における領土争いの緩衝地である。
裏を返せばそれは、いつ大規模な戦争に巻き込まれてもおかしくはないということを意味していた。
シュヴァルツェ王国の東方にはブラックレイ公国、西方にはヤークト帝国という軍事的に強力な国家があり、その両国はシュヴァルツェ王国をはじめとする諸処の小国を挟んで睨み合っているのだ。
シュヴァルツェ王家の血を引くロービスは、それが気に食わなかった。
両大国に挟まれた小国という構図を覆したかった。
だからこそ、メアリは彼の野望を叶えるための重要な―――駒なのだった。
ドリッシュ家という落ちぶれた家の出身の、そうであるがゆえに自分の言うことは何でも聞く便利な駒。
ヤークト帝国やブラックレイ公国に匹敵する力を与えてくれる存在。
メアリの力を得てからというもの、シュヴァルツェ王国は破竹の勢いで周辺国家への侵攻を進めた。
勝利に勝利を重ね、シュヴァルツェ王国の領土はロービスの将軍就任前の倍近くにもなった。
そしてロービスはついに西方―――すなわち、ヤークト帝国への侵攻を決意したのである。
士気は衰えることなく、立ちふさがる小国を次々と打ち破ったシュヴァルツェ王国軍はついにヤークト帝国の国境付近まで迫っていた。
ロービスは自分のことを選ばれた存在だと思い込んだ。
少年時代に憧れた伝説上の英雄たちに匹敵する存在になったのだと。
しかし、勝利の要因はロービスの戦略などにはなく、ただひとえにメアリの並外れた補助魔法の性能にあった。
だが―――ロービスにとってメアリは、槍や剣と同じように破損すれば替えが利くモノであるという程度の認識しかなかった。
「火の手が上がった。メアリ、西方の遊撃部隊にも補助魔法だ」
「……はい」
早朝。
ロービスの計画通り、敵陣の本隊への奇襲が行われた。
前日の大敗を受け後退を始めた敵軍を、さらなる追撃によって壊滅させようという狙いだ。
第一陣が敵軍の中枢に襲い掛かり、敵陣には第一陣によって放たれた炎が上がっていた。
テントに引火したのか、炎は徐々に広がっていく。
相手の残存部隊の周囲にはシュヴァルツェ王国の各部隊が配置されており、決着がつくのは時間の問題だった。
ようやく敵国の反撃が始まるも、闇の中に潜むシュヴァルツェ王国軍に対して有効なダメージは与えられていない。
反対に、シュヴァルツェ王国軍は暗闇から的確に敵兵を攻撃していた。
「なんと他愛のない。鎧袖一触とはこのことだな!」
前線を目視できる位置から、ロービスはそう言って笑い声をあげた。
シュヴァルツェ王国軍が闇の中でも昼間のように動ける理由―――それはメアリの補助魔法により、兵士たちの感覚機能が強化されているからだ。
彼女は十分に休息をとることもできず、再び戦場で酷使されていた。
メアリは激しい頭痛に苛まれながら、その痛みを紛らわすように故郷の母の姿を思い浮かべていた。
心労で早逝した父に代わり、メアリの母は女手一つでメアリを育てた。
ロービスとの婚約が決まった時、メアリの母は皴の増えた目尻に大粒の涙を浮かべて喜んでくれた。
メアリがロービスからの過酷な扱いに耐えられるのも、母のことを思えばこそだった。
「はあ……はぁっ……!」
気づけば、メアリの口から漏れる呼吸は異常に荒くなっていた。
心臓の鼓動も激しくなっている。
そして肺が軋むような音を立てたのを合図に、メアリの視界は徐々に暗くなっていった。
上下がわからなくなり、再び視界がもとに戻った時、彼女は頬に冷たい地面が触れているのを感じた。
「……おい、誰が寝ていいと言った」
頭上でロービスの声がする。
しかしメアリは指先一つ動かすことができなかった。
「ふん、だらしのない女だ。良いか、今は優勢だからこそ被害が出ていないものの、貴様がそうして怠けている間も兵士たちは命のやり取りをしているのだ。この恥知らずめ!」
生温かいものがメアリの顔面に落ちてきた。
おそらくは―――ロービスの吐いた唾だろう。
「あ……」
謝らなければと思い口を開いたメアリだったが、乾いた喉から言葉は出てこなかった。
「……もうよい。おい、誰かこの役立たずをテントへ運べ。それから軍医を呼んでくるのだ。まだ死なれては困るからな」
薄れゆく意識の中で、メアリは誰かに身体を持ち上げられるのを感じた。
そしてその誰かがロービスではないことだけは、確かだった。
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