混乱する世界 その②
◆◇◆◇◆
「くしゅん!」
豊かな自然が広がるノッドカーヌの王宮。
その庭先で、メアリは小さいくしゃみをした。
そんな彼女の様子を見て、隣で一緒に散歩をしていたピンファが心配そうに尋ねる。
「大丈夫ですか、メアリさん?」
「いえ、お気遣いなく。ちょっと鼻がくすぐったかっただけなので」
「ノッドカーヌは田舎ですからね。シュヴァルツェ王国のような都会と比べるとホコリっぽいのかもしれない」
「ふふ、そんな冗談を言っていると、王宮のメイドさんたちに怒られますよ?」
「それは困る。皆には内緒でお願いします」
「うーん、どうしましょう」
「せ、せめて婆やだけには秘密にしておいてください」
と、両手を合わせるピンファに、メアリは微笑みながら言う。
「大丈夫ですよ、ちゃんと冗談だってわかっていますから」
「ああ、それなら良かった……。ま、まあとにかくですね、ちょっとでも体調が悪かったら言ってください。風邪は万病の元といいますし」
「心配しすぎです。もしかしたら、誰かが私の噂をしているのかもしれませんね」
そう言ってメアリは冗談交じりに笑顔を返した。
あれから―――シュヴァルツェ王国との戦いから二週間が過ぎた。
周辺諸国を侵略し急激に大国化したシュヴァルツェ王国だったが、その滅亡後、残された領土をめぐっての新たな戦いが勃発しようとしている。
その影響はシュヴァルツェ王国の近隣に位置するノッドカーヌ王国にも及んでおり、ピンファやメアリはその対応に追われていた。
そのことを、ピンファは日々申し訳なく思っていたのだった。
「ごめんなさいメアリさん。まだ結婚式も挙げられていないのに、王族としての仕事をこなしていただいて」
「いいんです。部屋でジッとしている方が落ち着きませんから。それに、今のシュヴァルツェには助けを必要としている人が大勢います。まずはその人たちを救いたいのです」
「ええ、僕も同じ気持ちですよ。……メアリさん、お伝えしておかなければならないことが」
「なんですか?」
小首を傾げるメアリに、ピンファは意を決して告げた。
「実は、僕も明日から旧シュヴァルツェ領に向かい、避難民への支援活動の規模をより大きくしようと考えているんです」
当然ながらメアリには初耳だった。
驚きのあまり、メアリは一瞬口を開けたまま固まってしまった。
「ええと……ピンファ様が自ら出向かれるのですか?」
「はい。助けを求めている方々を助けたいというのが一番の理由ですが、僕が現場で指揮を執る必要性が出てきたというのも理由のひとつです。こういう混乱した状況では、私のように立場のある人間が直接指示をした方がより素早い対応ができるのです」
「ですが……危険ではないのですか? 今のシュヴァルツェ王国はとても安全な環境とは言えないと聞いています」
「だからこそ迅速な支援が必要なのです。場合によっては、避難民たちを我が国へ受け入れることも考えています」
ピンファは真剣な眼差しでメアリを見つめる。
確固たる意志と、揺るぎない覚悟を感じさせるその姿を見て――メアリも、とある決断を下した。
「では、私も同行させてください」
「……え?」
数秒前の凛々しい顔つきから一転、ピンファは驚きで目を丸くする。
何を言われたのか理解できず、彼は混乱した。
「ええとですね、旧シュヴァルツェ王国領は様々な勢力が国家として独立しようと争いあっている状況です。いわば内紛状態なのです。とても危険なんですよ!」
「分かっています。安全な環境ではないと聞いている――と、さっき申し上げたばかりでしょう?」
「いや、しかし、だったらどうして?」
「私が祖国に帰るのに、理由が必要なのですか?」
ん、とピンファは声を詰まらせ、頬を掻いた。
「そ、そういわれると困りますね……」
「シュヴァルツェ王国へ行けばピンファ様のお役にも立てるし、祖国へ里帰りすることにもなる。良いことばかりだと思うのですが」
「……ちなみに、諦めるという選択肢は?」
「ごめんなさい、ありません」
「ですよね……」
ピンファは諦めたように天を仰いだ。
シュヴァルツェ王国が侵攻してきた際にも、メアリは結局、彼の反対を押し切って戦場に赴いた。
やれやれ頑固なお嬢さんと婚約してしまった、とピンファは自嘲気味に笑う。
しかしメアリのそんな部分も、ピンファにとっては魅力に感じられたのだ。
しばらく空を眺めていたピンファだったが、あることを思いついて、その首の角度を元に戻した。
「……じゃあ、こうしましょう。僕がメアリさんの要求を飲む代わりに、メアリさんは私のお願いを聞いてください」
「お願い……ですか?」
「ええ、結婚式についてのお願いです。僕はこの動乱が無事に終わったらあなたとの式を挙げたいと考えています」
唐突な宣言だった。
メアリは顔が熱くなるのを感じた。
「は―――はい、あ、ありがとうございます。も、もしかしてそれがお願いというわけではないですよね? 私たち、あの、婚約していますから、結婚式を挙げるのはお願いされるようなことではないというか、むしろ式のことを考えてくださっていたのが嬉しいというか」
あたふたし始めるメアリを見て、ピンファは胸がときめいた。
彼女を抱きしめたい衝動に駆られた。
が、理性でそれを押し留めた。
「あのですねメアリさん、お願いはここからですよ。あなたにはその結婚式の際に、真っ白のウェディングドレスを着ていただきたい。上から下。ヴェールからヒールに至るまで、これ以上ないくらい純白の装いで式に臨んでください」
「……はい?」
今度はメアリが目を丸くする番だった。
いったい何を言い出すのかと、メアリは混乱した。