王国の侵攻 その②
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ノッドカーヌ王国の高台に上ると、国境付近に布陣するシュヴァルツェ王国の軍隊が見えた。
このまま進軍されれば、ノッドカーヌ王国の首都は陥落してしまうだろう。
「国防大臣、シュヴァルツェ王国とは不戦協定を結んでいたはずだが」
ピンファの問いに国防大臣が答える。
「つい先ほど、一方的に協定を破棄する旨の通達が届いたのです。ノッドカーヌ王国による資源の独占を許すわけにはいかないと……」
「シュヴァルツェ王国へは、古くからの同盟国として優先的に資源を供給してきたはずだ。伝令を出してくれ。話し合いの場を設けたいと伝えたい」
「はっ、仰せの通りに……」
「待ってください!」
メアリが声を上げる。
「どうしたのです、メアリさん」
「伝令は無駄です。私は何度も見てきたのです、和平交渉をするために遣わさされた伝令が無残に殺されるのを。ロービス将軍は相手を蹂躙するまでは、決して戦争をやめません」
「しかし―――我々の軍隊は貧弱です。シュヴァルツェ王国と戦闘になればどんな被害が出るか」
「こ、国王! ご覧ください!」
国防大臣が敵軍を指さす。
それはちょうど、シュヴァルツェ王国の弓兵たちが武器を構え、雨のような矢を放った瞬間だった。
「いかん! 大臣、直ちに民衆を首都から避難させろ! それから兵を集め、迎撃の準備を整えるんだ!」
「承知いたしました!」
国防大臣が王宮へと駆けていく。
シュヴァルツェ王国が挨拶代わりに放った矢は国境を越え、ノッドカーヌ王国の領土に突き刺さった。
これはロービスが侵略の前に好んで行う、虐殺の合図のようなものだった。
「せめて民衆が避難するまでの時間を稼がなければ……!」
苦々しく呟くピンファを見て、メアリは咄嗟に口を開いていた。
「ピンファ様、私にもお手伝いさせてください」
「何をおっしゃるのです。メアリさんも避難を。屈強な兵を数名お供させましょう。こんなことになってしまって本当に申し訳ないが、どうかご無事で」
「いいえ、王宮を追放された私を助けて下さったご恩を返さなければなりません」
「しかし―――それはあなたが補助魔法をお使いになるということではありませんか? ……メアリさん。私も魔術について多少の知識は持っています。あなたの身体に負担をかけるようなことはしたくないし、何よりあなたを戦場という危険な場所へ連れて行くわけにはいかない。さあ、避難を」
ピンファはメアリの肩に手を載せ、この場から離れるよう促した。
メアリが思い出していたのは、初めて戦場に連れて来られた日だった。
血と煙の臭いが充満した荒原で、メアリはロービスに言われるまま補助魔法を発動した。
そしてシュヴァルツェ王国軍は勝利した。敵兵を一人残らず殲滅した。圧倒的な暴力を受け、原型もわからなくなった肉の塊がいくつも戦場に転がっていた
メアリは罪悪感に苛まれた。
相手の国の兵士たちが地獄のような目に遭うのは、自分の魔法が原因なのだと。
しかし母のため、ドリッシュ家のため、ロービスのため、シュヴァルツェ王国のため、彼女はすべての感情や疲労を押し殺し、補助魔法を使い続けた。
ようやくその役目から解放されたのに、再び自分から補助魔法を使おうとしている―――それが彼女には不思議だった。
しかしピンファの顔を見た瞬間、その理由が分かった。
だから、言葉をつづけた。
「ピンファ様は私に、心ゆくまでここに居て良いと仰ってくださいました」
「それはそうですが……今は状況が違います」
「だとしたら―――妃を置いて先立つおつもりですか、ピンファ様」
「妃?」
「先ほど婚約をしてくださったばかりではありませんか。私も夫となる方を最期までお守りしたいのです。そしてあなたが守りたいと仰るこのノッドカーヌ王国を、私も守りたいのです」
ピンファとメアリは少しの間見つめ合っていた。
やがてピンファは根負けしたように苦笑した。
「私の負けです、メアリさん。ではあなたの夫として申し上げましょう。……最期まで私と共に来てくれますか、メアリさん」
「もちろんです、ピンファ様」
二人は手を取り合い、戦場へと駆けた。
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