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Aster-Answer

作者: 黒猫B

目覚めなさい。


「…うーん」


目覚めなさい、優斗。


「おあ?」


目覚めなさ―――い!!


その瞬間、俺はベッドからがばっと起き上がった。

なにやら脳内で大声が響き渡った気がしたのだ。


窓からは一日の始まりを告げる朝日が燦燦と差し込んでいる。

俺は頭をポリポリと掻きながら、寝ぼけ眼を正面に向ける。


「…夢か」


あくびをしながら、体を倒そうとすると


『目覚めろって言ってるでしょーが!!』


やはりさっきの声が脳内に響き渡る。


「誰だよ、こんな朝早くによ」


俺はごしごしと目をこすりながら、自分の部屋の周囲を見渡す。

しかし、誰も人はいない。

俺は不思議に思い、首を傾げていると


『こっち、こっち!』

再び先ほどの声が脳内に聞こえた。


俺は声の方に目を向ける。学習机の上に飾ってあった一輪の青いアスターが目に入った。


「えっ?」

俺は驚きながらそろそろとアスターに近づく。

そして枯れ始めているそのアスターに恐る恐る指を近づけた。


『やめ、やめなさい。くすぐったいでしょ。その指をどけなさい』


俺はその声を聴いた瞬間、口角が自然に吊り上がるのを感じた。

そしてつんつんとそのアスターをつっつく。


『やめ、やめなさーーい!』


俺はげらげらと笑いながら、やっとこさ指を離した。

笑いすぎたからか、目の横には涙が浮かんでいる。


「はは、どうなってんだよ」


俺は今、目の前で起きていることがにわかには信じられない。


その声の主は、先月亡くなった母の声だった。


--


「母さん、どういうことだよ」

『こっちが教えてほしいくらいよ、気づいたらこの花の中にいたのよ』


にわかには信じられない。それはまるで俺がこの一か月願い続けていた奇跡のようだったからだ。


俺は確かめるように再びアスターの中心部に指を擦り付ける。


『ちょっ!くすぐったい、というか臭い!あんたへそ触ったでしょそれ』


母が不満げに口を尖らせる。

俺はくすくすと笑い声をあげた。


「こりゃたまげた、正真正銘、母さんだ。」

『だから言ってるでしょ、まったく』

アスターは呆れた様子で左右に揺れた。


俺は母を横目に見ながら、机の上の置時計を見た。

時刻は10時。少し寝坊したようだ。


俺は朝ご飯を食べようと扉に向かおうとした時、母の鋭い声が響く。


『あんた、学校は?』

「今日、土曜日だよ」


『嘘おっしゃい』

「えっ?」

俺は驚きの声を上げる。

母は確信に満ちた様子で口を開く。


『あんた、嘘つくとき左腕を押さえる癖があるのよ』

慌てて、左腕を見ると確かに腕の上に手が乗せられていた。


俺は頭をポリポリと掻いた。


「ごめん、さぼった」

『いつからさぼってんの?』

「今日だけ」

『だから、意味ないわよ』


俺ははっとして押さえられた左腕を見た。

そして観念したかのように首を振った。


「…母さんが死んでから」

『なんでそうなるのよ』


俺はそれには答えずに自室を出た。


--


「どうなってんだよ…」

俺はリビングでご飯を頬張りながら呟いた。


これは何かの間違いだろうか、俺はついに精神がおかしくなってしまったのだろうか。

自嘲するかのように、一人鼻を鳴らす。


あの日から俺の中に重く沈みこんで消えない思い。

それがこんな幻覚を見せつけているのであろうか。


俺は箸を置き、瞳を閉じて深呼吸をした。


--

母は生まれた時から心臓が弱かった。

医師から渡される薬を毎日飲まなければ、発作が起きてしまうほどであった。


だから、父も俺も母の体調には誰よりも敏感で誰よりも気遣うようになった。


父は家に5台もの空気清浄機を備え付けた。

その言い分は『俺はホコリアレルギーなんだ』だった。シンプルに初耳だった。


かくいう俺も人のことは言えない。

心臓にいいとされるワカメを大量に購入し、みそ汁を作るようになった。

母に「あんたもワカメ好きねえ」と言われるたび、

「ワカメって女子受けいいんだぜ?」と訳の分からんことを言って誤魔化した。


母もそんな馬鹿な男二人の気遣いを敏感に察していたのだろう。

母はどんな時も、そして誰よりも俺と父に優しかった。


そう、俺はそんなことは分かっていた。

分かっていたはずなのに。

あの日の俺はどうかしていたのだった。


その日、俺は嫌に虫の居所が悪かった。


うだるような暑さに息苦しさを覚えたからだろうか。

別れた彼女への未練が残っていたからだろうか。

勉強も部活も、なにもかもに集中できないでいたからだろうか。


俺は夕食の場でも胸に宿る灰色の思いを滲ませていたのだった。

だからなんだ。

だから、母はあんなことを言ったのだ。

なのに俺は…


「うるせえよ!!」

にやにやとしながら頬に触れようとする母に、俺は自分でも驚くほどに声を荒げた。

『ほっぺにご飯ついてるよ』

ただ、それだけの言葉だったのに。


母も俺の変わりように大きく目を丸くしていた。

しかし、ぶくぶくと大きく膨れ上がり始めた俺の思いは母に向けて爆発した。


「母さんはいっつもいっつもくだらないことばっかり気にかかって…!

楽しいかよ?人をおちょくるのは」


それからのことはあまり記憶にない。

ただ、俺のでたらめな暴言を母が何も言わずに受けて止めてくれたいたことだけは覚えていた。


だから、そこで止めておけばよかったのだ。

なのに俺は、その言葉を吐き出してしまった。


「なあ、母さんがそんな体でさ。

 俺たちが…父さんと俺がどれだけ気にかけているのか知ってんのかよ」


「…えっ?」


その時の母の、僅かに歪んだ表情が頭にこべりついて離れない。


――もう、うんざりなんだよ!早く…


そこで俺の記憶は止まっている。


気づくと俺は近くの河川敷に座り込んで川を眺めていた。

しばらくして、ポケットに入れていた俺の携帯が小刻みに震えた。


俺はその電話を終えると、頬を何かが伝ったのを感じた。


母との別れはあまりにも突然だった。



--

俺は再び2階に上がる。

そこには先ほどと変わらず枯れかけた青いアスターが飾られている。


『遅かったじゃない』

「まあ、な」

『それじゃあ、準備なさい』

「なにを?」

『が・っ・こ・う!』


俺は顔をしかめそっぽを向いた。

そしてベッドに身を投げ出すと、 頭の下に腕を滑らせ瞳を閉じた。


『あんた、起きなさい!学校!学校行くわよ』

耳元で母の説教が止めどなく聞こえてくる。


しかし、不思議だった。

生きていた頃はあんなにも鬱陶しく感じられたのに今はそれがとても…嬉しい。


俺はふと思う。


このまま、こんな風にいられたら…。


また、3人で生きられたのなら。

どんなに幸せだろうか。


あの日のことも清算して、元に戻れたのなら。


俺はつい想像してしまう。

俺と父の馬鹿を、傍らであきれつつも優しく見守ってくれる母との生活を。


その時、俺の中で名案が閃く。


いや、何言ってるんだ。生きられるはずだ。

俺は机の上の青いアスターを見つめる。


死の直前。母がどこかからか見つけてきた青いアスター。

その花を母は愛おしそうに飾っていた。


だから俺は母が亡くなった後、そのアスターを守り抜くことを誓った。


切り花の知識など何もなかった。インターネットや本で調べ上げ、時には近所の花屋さんにまで行き、切り花の生け方を身に着けた。


ある本の中で夏の切り花はもって1週間と書かれていた。

しかし、俺はこのアスターを今日まで生かすことに成功した。


1か月だ。その期間は1か月だ。


それを知った父は必死にアスターを手入れする俺の頭を優しくなでながら言った。

『すごいな、優斗は。まるで奇跡だよ。』


そうだ、これは奇跡なのだ。

だから、俺が描いた夢物語みたいな想像だって叶わないとは言わせない。


奇跡を起こし続ければいいのだ。

今まで通り、いや、今まで以上に丹念に手入れすればいい。

そうすれば、いつまでも母といることができるのだ。


俺の中で燻っていた思いが徐々に晴れ始めたのを感じた。

そして、俺は母の方を振り向く。

しかし、いつだってそれは突然なのだった。


--


『ぐっ、うう』

母の悲痛な呻き声が脳内に響きわたる。

「かあさん!?」


俺は飛び起きると、素早く青いアスターに手を添えた。

その瞬間、弱々しい花びらが一枚ひらひらと机に落ちた。


『あいたたた、死んだってのにまーたこの痛みを味わうとわねえ』


「この痛みってどういうことだよ」


『死ぬ直前の痛み、だよ』


「なんだよ、それ」


『…あたしの命はそんなに長くないみたいだね。せっかちだね、まったく』


母が嫌に気丈に笑い出す。

俺は母を、青いアスターをじっと見つめる。

一瞬、病室で横たわる母の姿が脳裏をよぎる。

俺はとっさに首を振り、その雑念を振り払った。

そして、再び母に向き直った。

俺の思いは固まっていた。


「ぷ、ばーか。母さんは死なねーよ。

世迷い事は死んでからいいな、あ、もう死んでるか」


『ああ?あんたねえ、経験者は語るんだよ。

死ぬったら死ぬよ』


「死なねえよ」


俺は力強く言い放った

驚いたようにアスターの花弁が微かに上向いたように感じた。


そして俺はすぐさま、あるものの開発に取り組む事を決意する。

それは…「水」だ。


切り花で最も重要な要素が何を隠そう、「水」なのだ。


今までも、切り花延命剤を配合した水を使用していた。

しかし、それは『完璧』ではない。あくまで一般的な『よい』水だった。

目の前のこの『アスター用』ではない。

だから、そこに俺は可能性を見出した。


「待ってろよ、母さん」


--


俺は急いで一階から十数本の花瓶と、漂白剤、炭酸水などを持ってくる。

母は漂白剤の方に顔を向け、びくびくと震えている。

「今から、母さんに最適な水を作る。だから、『味見』してくれ」

『はあ?味見?』

そして、俺はいくつかの一本の花瓶を取り出し、炭酸水と少量の漂白剤・砂糖などを混ぜ合わせた。

今まで、怖くて試すことができなかったのだ。

万が一、失敗してアスターが枯れてしまったらと思い、手を出さなかった。

しかし、今は違うのだ。母の声が聞こえる。

だから感想をもらえばいいのだ。そうして修正していけば最終的には完璧な「水」を作れる。

我ながら、名案だった。


そして俺は母の喚き声をシャットアウトして、実験を繰り返したのだった。


--


‥それから、どれくらいが経っただろうか。

気づくと、窓から差し込む夕陽で室内は橙色に染まっていた。

俺は目の前の光景を見つめながら、拳を握りしめた。


「なんで…」


机の上には幾本もの花瓶が無秩序に散らかっている。

そして、その中心に母が差さっている花瓶がぽつんと置かれている。

その周りには数えきれないほどの花弁が落ちている。


「止まれよ…止まってくれよ」


『優斗』


その時、母の優し気な声が俺を包む。

俺は母のほうに振り向いた。その瞬間、また一枚。花びらがひらひらと抜け落ちた。


『いいのよ、別に』


「いいわけ、あるかよ」


俺は歯を食いしばりながら、ギュッと握り拳を作る。

その時、病室での母の姿がフラッシュバックする。


俺は父からの電話を受けるとすぐさま病室に向かった。

そこでは母がまるで眠るかのように横たわっていた。


死んでる…?これが…?

俺はにわかには信じられなかった。

まるで生きているかのように張りのある皮膚も、生前と変わらぬ優し気な表情も死者のそれとは到底思えない。


俺はふらふらと母に近づいた。

母は生きている、そう確信しながら。


そして、僅か数歩で俺は母の横にたどり着く。

俺は母の腕に触れようとした。


まるで赤子がねだるように腕をゆすろうと思ったのだ。

起きてくれ、早く起きてくれ。言わなくちゃいけないことがあるんだ…。


ゆっくり、ゆっくりと手が腕に近づく。

そして、ついにその指先が母の腕に触れたとき、目まぐるしい速度でその感覚が俺の体内を駆け巡り、脳を震わす。


その瞬間、俺はボロボロと泣き出した。


「つめてえ、つめてえや」


俺は人目もはばからずわんわんと泣き続けた。

こんな別れ方あるかよ、こんな終わり方あるのかよ。


泣き疲れて眠るその時まで、俺は嗚咽を漏らし続けたのであった。


--

しばらくして、母が再び口を開く。


『優斗、連れてってほしい場所があるの』


俺は母の方を再び見つめる。既に3分の1ほどの花びらが抜け落ちていた。


「どこだよ、どこにでも行ってやるよ」


そして母はある場所の名を呟いた。


--


「着いたぞ」


花瓶を丁寧に持ちながら俺は正面を見つめた。

目の前には赤、青、白、色とりどりのアスターが咲き誇っている。


家から1時間、俺はこの花畑にやってきた。

母は懐かしそうに目の前の景色を眺めていた。


『また、見れるなんて思わなかったわ』

母がぼそりと呟いた。

手の中の青いアスターは既に半分以上の抜け落ちていた。

その姿に俺は瓶を握る手を思わず強めてしまう。


「こんなところあったなんて知らなかった、

教えてくれればいいのに」


『秘密なんて、一つや二つあるものでしょ?』

母が茶目っ気交じりに言った。


--


『私が生まれつき心臓が弱かったのは知ってるでしょ?』

「ああ」

『だから、ね。あんたを初めて生むとき言われたんだよ。お医者さんに』

「…なんて?」

『命を落とす可能性が高いって』

「え?」

初耳だった。母が生きている間、母も父もそんなことはおくびにも出さなかった。

「聞いたことなかった」

『そりゃあね、あんたに変な気遣いさせたくなかったもの』

「…そうか」

俺は手元のアスターを見つめる。母は正面の花畑をじっと見つめていた。


『私はそりゃあもう、迷ったよ。

子供は産みたい。

でも、それをしたら私は死んでしまうかもしれない。

お父さんは産まなくていいって言ってくれた。

でも、私は決心がつかなくてね。

そんな時、私はこのアスターの花畑に初めて訪れたんだ。』


その時、花瓶の中のアスターが小さく震えた。まるで楽しくてはしゃいでいるようだった。


『綺麗だなって思った。赤、青、白、ピンク、紫。

色とりどりのアスターが私を出迎えてくれた。

それを見ていたらなんだか現実を忘れちゃってね。

気持ちよかった。いつまでもここにいられたらなって思った。

そのうち私はまどろみ始めちゃってね。

気づいたら夢を見てた。』

 

「どんな、夢だったんだ?」

アスターが楽しそうに揺れた。


『この花畑にいる私がはっきりと映ったの。

そこにいた私はとても幸せそうだった。

自分のこんな笑顔、初めて見たと思った。

でも、すぐに納得した。

だって…

私のそばにはお父さんと、もう一人。

あなたがいたんだもの』


『私は家に帰って、アスターの花言葉を何気なく調べてみたの。

赤、青…色ごとに違うのね。そしてピンクの花言葉を見たとき、なんだか可笑しくって笑っちゃった』

「なんだったんだよ」 

『甘い夢』

 

 俺もふっと笑った。それはまるで…

 

『私が花畑で見た、あの夢。

それをあのアスターが見せてくれたんだと思った。

ずるいわよね。そんなの。

そんなことされたら…死んだって見たいに決まってるじゃない』


それから、母は決死の覚悟で俺を産むことを決めたのだそうだ。

結果はこの通りだった。俺は無事に生まれた。


『でもね、あなたに謝らなくちゃいけないことがある』

「なんだよ」

『私の心臓病はそれ以来悪化しちゃってね。

今年に入って余命を知らされていたんだ。

それが…今年の夏だったんだ。』

 

なんで教えてくれなかったんだ、という問いかけを仕掛けて俺はやめた。

その答えをもう聞いたような気がしたからだ。


でも、それでも…。


「言ってくれよ。…俺だって家族なんだから」


やはり俺は知りたかったと思う。


この胸に宿るしこりのような思い。

それを持つこともなかったのかもしれないのだから。


その時、母が顔を上げた。

 

『だから、感謝しないとね。あんたには』

「えっ?」

『あんた、このアスターどれくらい生きてるのよ?』

「…一か月くらい」

あははは、という母の笑い声が脳内に響きわたる。


『あのずぼらなあんたが、そんなことできるなんてねえ。

このアスターもよほど嬉しかったんだろうね』


「どういうことだよ」


『だからこうして、あんたともう一度話せるチャンスをくれたんじゃないかって』


俺はハッとして母を見つめる。アスターの花弁はもうすでに8割ほど枯れ落ちている。

母との時間の終わりも近づいているのが分かった。


『だから、ありがとう。そしてごめんね。

急にいなくなったりして。そのことだけが気がかりだったんだ。』

ふふっと母が笑う。


違う。

その時俺は強く思った。


違う。

違うんだ、母さん。

もし、このアスターがチャンスをくれたのだとしたら、

それは…俺なんだ、きっと。

だから…


「母さん、俺、母さんに言わないといけないことがある」

『うん?』


「母さん、ごめん。本当にごめん。

俺、あの日。母さんと別れた日。

ひどいこと言った。俺、あの日どうかしててそれで心にも思ってないのに

あんなことっ、言っちゃった。 

違うんだ、本当は。

俺、母さんのこと、ちゃんと…好きだったんだ」


俺はしゃくりあげながらも言い切った。

両目から涙がにじむ。肩がひくひくと小刻みに震えている。

でも、花瓶だけは落とすまいとぎゅっと力を入れていた。 


『馬鹿ねえ』

「うっ…うっ」

『そんなこと、言わなくてもわかってるわよ。

私はあんたの…お母さんなんだから』


俺は鼻水をすすりあげながら、母を見る。

もうその花びらのほとんどは抜け落ちていた。

 

最後だ、これが最後だ。

母さんに想いを伝える最後のチャンスだ。

 

「母さん!」

『うん?』

「おれ、大丈夫だから。父さんと二人で…いや、一人でだってちゃんと生きていけるから。

だから、心配すんなよ!

あっちで俺らのことなんて忘れて、のんびり過ごしてくれよ。

病気のことなんて忘れて楽しく過ごしてくれよ」


『ふふ』

母が笑った。俺は驚いてアスターを見つめる。

『言われなくてもわかってるわよ。でもね

一つだけ、約束できないかな』

「えっ?」


『あなたたちのこと、忘れるわけないじゃない』

 

その時、最後の花びらがゆっくりと舞い落ちた。

俺はさっと手のひらでそれを掴んだ。

 

目の前には来た時と変わらず、さらさらとアスターが揺れている。

  

俺は夜が満ちてアスターが見えなくなるまで、その景色を眺め続けたのであった。


--


「父さん!ご飯できてるよ」

「ああ、ありがとう」

「早くしないと!遅刻しちゃうよ」

「やれやれ、まるでお母さんみたいだな」


あの奇妙な日から2週間ほど経った。

俺はというと学校にも復帰し、父と分担して家事もこなすようになった。

母が当たり前にやっていたことも、いざ自分でしてみると中々上手くいかず感慨深い。

とはいえ、少しずつそんな生活にも慣れ始めていたのだった。


その時、腕時計を見た父が慌てて立ち上がった。

「まずい、こんな時間だ。急がないと遅れてしまう」

父は大急ぎで背広を羽織ると、カバンを持ち上げた。

「じゃあ、俺は行くぞ!戸締りは頼んだ!」

俺はやれやれと呆れながら首を振る。


「父さん待って!忘れ物!」

俺は走り出そうとする父に風呂敷を差し出す。

もちろん中身は俺が真心こめて作った弁当だ。


「ああ、悪い。助かった!じゃあ本当に行くからな」

俺が頷くと、父は廊下に続くドアに向かった。

しかし、扉を開けようとした父は思い返したようにこちらを向いた。


「そういえば、言い忘れたことがあった。」

「どうした?」

「それ、いいな」

父が首をくいくいと上げてテーブルの方を指し示す。

俺はそこにあるものを見つめた。

そこには…一輪の白い(・・)アスターが生けられていた。

「いいだろ?」

「ああ、ばっちぐぅだ。じゃな!」


「古い…」というツッコミを寸でのところで押さえ、手を振った。


俺は白いアスターを軽く触った。柔らかい感触が少しだけこそばゆい。


「花言葉、か」


その時俺は母の言葉を思い出していた。

『アスターにはね、色ごとに花言葉があるの』


母と別れたあの日、家に帰った俺はアスターの花言葉を調べた。

赤は『変化』

ピンクは『甘い夢』

紫は『恋の勝利』

そして青は…『あなたを信じているけど心配』


「最後の最後まで、人のことばっか心配しやがってよ」


俺は小さく笑った。

涼しげな白いアスターもまたほほ笑むかのように微かに揺れた。


「だからこれが…俺の答えだよ」


俺は片付けを終え、リュックを背負うと玄関に向かって歩き出す。

花言葉に込めた俺の思いが天国の母に届くことを祈りながら。


白いアスター。


その花言葉は…『私を信じてください』


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