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病めるときも健やかなるときも、お前だけは絶対許さないからなマジで  作者: あだち
第五章 星の血統

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64 失うもの

 ***


 刃がぶつかり、剣身が擦れ、打ち払う音が続く。


 ロレンツィオが上から一撃を打ち込めば、受け止めたヴァレンティノは自分に向く切っ先を横に逸らす。

 狙いを逸らされたロレンツィオが、すぐに重心を取り戻してヴァレンティノの喉を狙って突き入れる。


 それをまた剣で弾いて逸らすと、ヴァレンティノは大きく退いてロレンツィオから距離を取った。


「どうしたよ。その手で殺したかった割には、さっきから防戦一方じゃないか」


 グラスから変えた剣を手に、ロレンツィオは意地悪く笑った。

 ヴァレンティノはその挑発を冷ややかに受け止める。ただ、ロレンツィオが呼吸一つ乱していないのに対し、その肩はわずかに上下していた。


「接近戦は想定外だったか。魔術師はいつもそうだな」


 言いながらロレンツィオが再び切りつける。ヴァレンティノの剣が受け止める。

 

「殺す殺すと息巻くくせに、その手で肉を断ち血を浴びることはまるで考えてない」


 刃を挟んで睨み合う。鋭い眼差しのまま、ヴァレンティノが抑揚のない声で小さく答えた。


「……必要ないからな、魔術師には」


 ヴァレンティノの目が己の剣へと向く。

 途端、細い剣身に青い光が走った。それを見てロレンツィオは瞬時に相手の刃を斜め下へと押し払い、大きく後ずさる。

 直後、ヴァレンティノが振り抜いた斬撃が空を切って、体勢の整わないロレンツィオに向かった。


 薙ぎ払えば、斬撃が壁と床を裂いた。


「体を張って血に塗れるのは、君たち騎士の領分だろう」


 荒い息の合間に絞り出された声は、怒りに満ちていた。まるで粗相をした従者を叱る主人のように、尊大な物言いだった。


「自分の役割も忘れて、おこがましくも魔術師を志して。心底癪に障る奴だったよ、昔から」


 ロレンツィオはすました表情を変えなかった。その目つきが火に油を注いだかのように、ヴァレンティノは激情をあらわにし始める。


「宮廷付きも、彼女も、本来はお前のような身分で手に入れていい物じゃないだろうが!!」


 ヴァレンティノが駆けて剣筋を叩きつければ、ロレンツィオがそれを弾く硬い音が響く。


「目障りだった! ずっと、ずっとずっと!! 宮廷付きになったあの春に殺しきっておくはずだったのに、結婚式の夜に今度こそと思ったのに、本当にしぶとい奴だなロレンツィオ!!」


 溢れ出した敵意と殺意に顔を歪ませたヴァレンティノがさらに一撃、一撃と刃を重ねてくる。ロレンツィオはそれを至極落ち着いて受け流し、払い落としていった。


 そして生じた、息継ぎのような隙を窺う。


「もう終いか? この程度の罵倒、あの女なら前哨戦なのに」


 距離を取って薄く笑えば、ヴァレンティノの手が近くの椅子を掴んだ。


「人を食ったようなその態度、本っ当に嫌いだった!!」


 飛んできた椅子をロレンツィオが避けると、壁に当たって壊れる大きな音が響いた。


 ――まずいな、彼女に聞こえたかもしれない。


 ロレンツィオが注意を背後に向けた一瞬。


「失うものなど何もない、誰にも何も望まれてないお前たちばかりが……なんで」


 零して、ヴァレンティノは一気に距離を詰めた。相手に剣を構える猶予を与えず、まっすぐ胸を狙って剣先が突き出す。


 その切っ先から、半身引いて急所を守ったロレンツィオは、刃の中ほどを右の上腕と前腕で挟んで止めた。


「っ!」


 ヴァレンティノが剣を引き戻そうとしたとき、すでにロレンツィオは左手一本で刃先の狙いを相手の喉元へ定めていた。


 突き立てれば終わりだった。

 二対の視線が交錯する。

 薄青の目には、確かな憎しみが宿っていた。


 ――それでも、七年間見てきた友人の目だった。


 迷いが生じた。わずか筋繊維一本動かすだけの、わずかな遅れに過ぎなくても。

 それでも、仕留める手は確実に躊躇した。


 勝敗を分けるに十分すぎる隙だった。


 ヴァレンティノが笑う。ロレンツィオの目が惑うように揺れる。


「魔術師は血を浴びる気がない、か。その通りかもな」


 腕で止めたはずの剣身は蛇に変わり、その太い腕に服ごと貫く深さで牙を立てていた。


 集中力が散った一瞬で、ロレンツィオは床に倒された。相手は間髪入れず馬乗りになる。左手を踏みしめ、手から離れた剣を蹴り飛ばす。

 

「君と違って、私はもう頭からつま先まで浸かってる」


 魔術師に、なれなかったからな。


 ヴァレンティノの手の中に残っていた柄から短剣が生じる。

 男はそれを高く振り上げて、獲物の喉元目掛けて振り下ろした。単純な動きをロレンツィオは蛇に噛まれた右腕で阻んだ。


 上下の力が拮抗したそこへ、フェリータが息せき切って現れた。


「ロレンツィオ、なんの音……!?」


 ほんの少し走っただけで、フェリータの体力は大きく削がれていた。胸を抑え、青ざめて現れた女に、ロレンツィオが「外に出ろ!」と鬼気迫る顔で叫ぶ。


 だがフェリータも、目の前の光景に我を忘れた。

 赤い目に戦意が迸る。レリカリオの有無も自分の状態も度外視して、魔力を放出しようとしていた。


 しかしそれは、背後から床へと押し倒されて、集中力が霧散し不発となる。


「グィード、何を!?」


「っ、お許しを。衰弱したお嬢様に決して魔術を使わせるなと、厳命にございます」


 その言葉に、フェリータは目を見開いて怒鳴った。


「パパの命令!? ええいどきなさいっ、どけ!!」


 フェリータの必死の抵抗を、心得た忠実な騎士は難なく抑えつける。


 頭の痛みと心臓を突き破りそうな拍動。それに加えて首筋を圧迫され、フェリータの意識が急速に遠のいていった。


「やめ……」


 ほんの数メートル先で命の危機に瀕する男に、フェリータの手は届かない。ヴァレンティノの短剣を握る手は緩むことなく、目はまっすぐ標的を見下ろしている。


 刃先が、ロレンツィオの喉元へと着実に近づいていく。


 ――その緊張を、扉の開く重い音が遮った。


「お、おじゃましまーす。ヴァレンティノ、……さんに、お会いできますかー?」


 玄関ホールから響いた声に、部屋の空気が固まる。


「……ウ、ルバーノ?」

 

 ロレンツィオの呟きは驚きと焦りを含んでいた。

 名前はフェリータにも覚えがあった。挙式と、そのあとの宴に招いた客の一人だ。


 ロレンツィオの、学生時代の友人だ。


「夜分遅くに申し訳ないですが、鍵が開いていたもので。自分はヴァレンティノさんの学院時代の友人でして、ロ……友人夫妻が行方不明って聞いたので、ちょっと相談したいんですけどー……あれ。あの、誰かいますかぁ?」


 場違いな、どこか間の抜けた声だった。


 来てはいけない、と思ってもフェリータには何もできない。伯爵からよほどきつく言い含められたのか、グィードの拘束は固く、意識もギリギリ保つのがやっとだった。

 だがこのままでは“ウルバーノ”も殺されてしまう。恐れと焦りで、ヴァレンティノへと視線を向けると。


 男は、短剣を握りしめたまま、声のする方に蒼白の顔を向けて固まっていた。


「こちらのご令息なら、何かご存知かなと、思いましてー……」


 途中途中で別の部屋を覗きながら歩いているのか。声の合間にカチャ、カチャ、と扉の開閉音を挟みながら、声はだんだんと近づいてくる。

 ヴァレンティノの様子を受けて、フェリータにのしかかるグィードが隠し持った短剣を抜く気配があった。投擲する気か。気づかれれば、外れれば、ロレンツィオが危ない。


 けれどその緊張を、また脳天気な声がかき乱す。


「ロレンツィオの、親友だったのでー……」


 どこか遠慮しがちな、けれど何も疑わない、信頼しきった声。

 ヴァレンティノの唇が震えながら、くるな、と動いたとき。


 ゴツッと鈍い音がした。


 赤茶の髪が揺れて、短剣が床に転がった。馬乗りになっていた体が傾ぐ。

 と思うと、倒れ込むヴァレンティノと入れ替わるように、ゆっくりとロレンツィオが体を起こした。


「……死んだの?」


 フェリータの落ち着きを察し、護衛騎士が上から退く。

 床に手をつき上体を起こして問うと、ロレンツィオは目を倒れた男に向けたまま、無言で首を振った。


 そこでようやく、新たな客人が居間に到着した。


「いないのか、ヴァレン……あれ、ロレンツィオいるじゃん! えっ何この状況、喧嘩か!?」 


 混乱した声が、やけに虚しく響き渡る。


 立ち上がったフェリータが隣に行くまで、ロレンツィオは座り込んだまま、指先一つ動かさなかった。



 ***



 グィードが呼んだ憲兵団には、宮廷付き魔術師長であるパンドラと、大司教も随行していた。


「世話をかけた。最初の通報ですぐ宮廷付きの誰かが向かえていればよかったんだが、リカルドの件で人が出払っていたものでな」


 泡を食って「大聖堂は騙されたのだ!」、「本物の侯爵夫人はどこにおられるのだっ、畏れ多くも教皇猊下の姪御だぞ!!」と憲兵たち相手に騒ぐ大司教を背後に、パンドラは申し訳無さそうにそう口にした。


 対応するロレンツィオは、もういつも通りのすこし気怠そうな、不遜にも見える態度に戻ったように見えた。その背後には、拘束されたヴァレンティノが憲兵に囲まれている。


 場をかき乱したウルバーノは、部屋の隅の椅子で呆然と、ひとり座り込んでいた。


 己のレリカリオを取り戻したフェリータは、その光景を複雑な気持ちで見つめたあと、女主人の寝室へと向かった。

 パンドラと男の話が終わって自分が話す番が回って来るまで、フィリパの様子を見るためだったが。


「……あら?」


 寝室には、憲兵たちがいるばかりで、侯爵令嬢の姿はどこにもなかった。

 憲兵隊付きの魔術師に行方を聞いても、「侯爵同様、捜索隊を出しているところでございます」としか返ってこない。


『なんで!!』


「……はやく見つけてさしあげなさい」 


 言って魔術師を解放すると、フェリータは部屋を見渡した。

 割れた窓。

 人形の寝かされた寝台。

 いびつな肖像画群。

 隠し部屋と、その奥にあるという通路。


 フィリパや侯爵が見つかるのは時間の問題だろう。

 裁かれる彼らに――彼女に、フェリータができることはもう何もない。


 フェリータは隠し部屋を見つめた。白骨はすでに回収されて寝室へと動かされているが、今のそこには黄金の首飾りが並ぶだけで、ほとんど人がいない。


 この家の人間は、どんな思いでこの部屋を見ていたのか。

 輝く黄金のおびただしい数は、チェステ家の過去の栄光そのものだった。

 それはそのまま重荷となり、やがて呪いに転じた。


(ペルラ家も、いつこうなってもおかしくないのかもしれないということ?)


 失われたのは魔力が先か、レリカリオが先か。

 この屋敷の蔵書から、記録から、暴かれ、調べ尽くされる。多くの魔術師の一族がそれを知りたがるはず。グィナの教会も、天罰として大々的に喧伝するかもしれない。守護者に任じたことなど棚に上げて。


 フェリータは呪物への吐き気と同時に、虚しさを抱えて、隠し部屋へと近づいた。


 そしてそこで、自分の目を疑った。


 多くのレリカリオのうち、隠し部屋の入り口近くにあったひとつ。

 フェリータが中身の腐敗を確認したペンダントは、ロケットの蓋が開いたまま。


 空っぽの、容器の内側を晒していた。


『誰かが、金色の棺から“魔女の心臓”を取り出す夢を――』


 フェリータは鬼のような形相で、近くにいた憲兵の腕を掴んだ。


「誰か、この小部屋のレリカリオに触った!?」


 目を白黒させて、憲兵が首を振る。大声に動きを止めた他の憲兵や魔術師に視線を動かせば、彼らも勢いよく否定した。


「わ、我々のだれも……魔女の心臓が腐っているのですから、触れませぬ」


 フェリータは少し冷静になって声をトーンダウンさせた。


「……でも、それなら誰が」

 

 ――誰が?

 決まっているではないか。


 フェリータは部屋を飛び出した。廊下を駆けて階段を飛ぶように降り、もう一度居間へと舞い戻った。


「パンドラ!」


 ロレンツィオと向き合っていた魔術師ふたりは、駆け込んできたフェリータに目を向けた。


「すぐに宮廷付きたちに、フィリパ・チェステ嬢の捜索をさせ、全島に厳戒態勢を敷いてください!」

 

「何だ、急に」パンドラが眉を寄せる。


「腐敗した“魔女の心臓”が、外に持ち出されましたわ!!」


 その言葉に、二人だけでなく、その場にいた全員の顔色が変わった。大司教が「はぁぁ!?」と上ずった声を上げる。


 確信していた。母の言葉は“器に魔女の心臓を収める”ことができるリカルドではなく、今のこの“器から魔女の心臓が持ち出される”事態を予知していたのだ。

 

 フェリータは憲兵を押しのけて、ヴァレンティノの胸ぐらを掴んだ。


「お前、妹がどこにいるか分からないの!?」


 醒めた目で見上げてきて口を開けない男の頬に、フェリータの平手打ちが炸裂した。


「……」


「次は灰皿で殴りますわよ!!」


 ウルバーノが焦って腰を上げ、青褪めた大司教が床に転がっていた灰皿を袖の下に隠したとき。


「……運河かもしれない」


 ヴァレンティノの低い声に、パンドラが「わかるのか?」と険しい声で確認した。


「わからない、けれど白昼夢ではそうだった」 


 唖然としたフェリータだったが、ヴァレンティノにふざけた様子は見て取れない。男は同じ調子で続けた。


「大運河にいた。カーニバルで式典を行う、中腹あたりだった。……父上と一緒に、ゴンドラに乗っていた」 


 

 

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