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病めるときも健やかなるときも、お前だけは絶対許さないからなマジで  作者: あだち
第四章 魔力なき呪い

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46 信頼の瞳


「急に呼び出したりして悪かったね」


 二人で待ち合わせるのは、決まって運河をのぞむカフェのバルコニー席だった。


 宮廷付きの夜の番が終わる、お昼を過ぎた時間。

 いつもどおりの席。いつもどおり先にいた美しい幼馴染み。


 日傘をたたみ、向かいに腰を下ろしたフェリータに、リカルドは緑の目を少し細めて笑った。


「昨日ロレンツィオにちょっと怒られたから、そっち行くの気まずくて」


 フェリータは「そう」とだけ返して、注文を取りに来た給仕を制し下がらせた。

 リカルドはそれを横目で見送って、コーヒーを一口飲んだ。


「何に怒られたか、聞かないんだ?」


「あの人、いつも不機嫌ですもの。今さら興味なんて湧きませんわ」


「いつもって。そんなこともないと思うけど」


「いいのよ。それでも気になったら、本人に聞きますから。それより」


 フェリータはレースの手袋に覆われた右手を、リカルドに向かって差し出した。


「レリカリオ、直してくださってありがとう」


 リカルドは銀色のまつ毛を伏せてその手を一瞥すると、ジレのポケットから金色の鎖に繋がれたロケットを引き出し、かすかな金属音を立ててそこに置いた。


「こんど夫婦喧嘩に魔術を使ったら爆発するように設計しといたから」


「なら、次にあなたに会うときはお葬式だわ」


 リカルドは口元を手で抑えて「冗談だよ」と笑った。


 けれど、フェリータはぴくりとも笑わなかった。渡されたレリカリオを見つめる女の思い詰めたような顔に、笑いを収めたリカルドは不思議そうに問いかける。

 

「何かあった?」


「昨日、ママが呪詛されたの」


 リカルドは目を丸くした。


「ジーナ様が? 無事なのか? 容態は」


 そこで、リカルドは言葉を切った。


「……フェリータ?」


 黙り、俯いたままのフェリータを覗き込むように、リカルドが再び問いかける。

 フェリータは浅く息を吐き、固い声を出した。


「……パパは、ちょっとお腹が出てるけど、国で最高レベルの魔術師のひとりで」


「うん」


「別々に暮らしているママのこと、あんまりわたくしの前で話さないけど、すごく気にかけてますの。特に身の安全に関しては、自分のお腹周りより、ずっと」


「わかってるよ。あの方の実力も、腹囲のことも」


 頷いたリカルドの目を、フェリータはようやく見た。

 赤い目は、何かを恐れるように揺れていた。


「だから、その守りを破れるのは、同じレベルで魔術を扱える者だけなの。……ねえリカルド」


 レリカリオを握りしめ、フェリータは縋るように問うた。


「違いますわよね?」


 それを前に、リカルドがまた、困ったように笑った。


「それ、他の宮廷付きにも逐一聞いていくつもりなの?」


 呆れ混じりの言葉に、フェリータは言い返すよりも沈黙することを選んだ。

 聞いたことを後悔するように、頬にはじんわりと朱が浮かんでいた。


(やっぱり、考えすぎだったのですわ)


 タイミングが悪かっただけだ。


 ヴァレンティノが、昔のリカルドを冷たい男のように言うから。フェリータの母に険しい目を向けていたなんて言うから。


 ロレンツィオが、リカルドから連絡がなかったかなんて聞くから。呪詛者は父伯爵をしのぐ強さだなんて言うから。


 だから、こんな突拍子もないことを聞いてしまった。リカルドは大事な幼馴染みなのに。


「だいたい、面と向かって聞いて、もし僕が犯人だったら正直に言うわけないでしょ」


「そうですけど」


「そうだよ普通は。それこそ拷問の呪いでもかけなきゃ」


 気恥ずかしさにまた下を向きかけていたフェリータの顔が、驚愕の表情とともに上がった。

 男は相変わらず、穏やかな微笑みを浮かべてそのさまを見ていた。


「……リカルド。今、なんて」


「ところでフェリータ」


 ぱちん、とリカルドが指を鳴らした。

 それに呼応するように、かち、とフェリータの手の上でも音がなる。


「ほとんど正解出してたのに、のこのこ一人で来ちゃったわけは聞いたら教えてくれるの?」


 茹でられた貝のように、ぱか、とひとりでに口を開けたロケットの中身に、フェリータの目は自然と吸い寄せられた。


 リカルドが開けたからだ。

 見ろと、促したからだ。


「……ああそっか」


 そこに、“魔女の心臓”とともに収められた、ぐるぐると巻かれた、細い、長い、薄茶色の繊維質のものを。

 ジーナ・ペルラの髪の毛のように見えるそれを。


「ロレンツィオに内緒で、て言ったから、そのとおりにしちゃったんだ?」


 蒼白になったフェリータはすぐにロケットから母親の髪の毛を引き出し、素早く蓋を閉めて立ち上がった。

 フェリータが退いた椅子の背もたれから銀色の鎖が飛び出し、まっすぐ男に向かう。


 しかし、鎖は対象に到達する前に、砂になってさらさらとバルコニーの床に落ちた。


 その砂の中から人の腕ほども太さのある蛇が現れ、リカルドの足から胴へと這い登る。一秒もない速さだった。


 そのまま、リカルドを両腕ごと巻き込んで拘束しようとした蛇だったが、突如その頭が見えない刃に切り落とされたようにズズッと胴からずれ、床へ落ちていった。


 吹き出した血は煙のように空気に溶け、程なくして体も同じように無くなった。


 立ち竦んだフェリータと座ったままのリカルドの間に、はらはらと鷲の羽が舞い落ちる。


 真珠の粒は床に一つも落ちなかった。

 ペルラの魔術が全部塗り替えられたからだ。上から、エルロマーニの魔術に。


「……リカ」


「なんか弱くなっちゃったね」


 大きくなった鼓動を抑えつけるように胸元の布地を握りしめていたフェリータの目が、リカルドに釘付けになったまま揺らいだ。


「ほんの数日休んでただけなのに。レリカリオを壊したのなんて、つい一昨日のことなのに。そりゃレオナルド殿にも勝てないし、母親の解呪もろくにできないわけだ」


 フェリータは数秒前とは異なる理由で頬を赤くした。奥歯を噛み締め、眉を釣り上げてテーブルに立てかけていた日傘を取りマスケット銃に変えると、男の鼻先に荒々しく向ける。


 銃口を前にしても、リカルドは眉一つ動かさなかった。


「でも、そうやって睨まれるのはちょっと効くな」


 ただそう言うと、リカルドは立ち上がった。フェリータの背筋に悪寒が走った。


 リカルドとはほとんど模擬決闘をしたことがない。彼は真似事でも争いが嫌いだったから、フェリータもあまり付き合わせなかった。

 けれど、数少ない練習で、フェリータは一度も勝てたことがない。


 勝つイメージを持ったこともない。


 こんなふうに対峙することなど、考えたこともなかったから。


 リカルドが右手を上げる。立ち上がって胸の高さに変わった銃口に触れる。


 フェリータは焦った。


 向こうが動く前に、先に引き金を――。


「やめて、フェリータ」


 フェリータは固まった。恐る恐る、相手の顔を見た。


 そこには、悲しそうな表情を浮かべる幼馴染みがいた。


「渡して」


 フェリータは言葉を忘れ、呆然とリカルドを見つめた。

 大きく、しなやかな手が銃口を掴んでいる。しかし奪おうとする力は込められていない。


 フェリータにじっと視線を注ぐ緑の瞳には、なんの緊張も窺えない。敵意もない。悪意すらも見て取れない。


 そこにあるのは、純粋な信頼だけだった。


「あ、……わ、わたくし……」


 何かに操られるように、フェリータはマスケット銃から手を離した。


 リカルドが満足そうに、それを両手で掴み直す。右手が銃身を滑っていき、グリップをゆるく掴み。


「よっこらしょ」と前後を反転させられたマスケット銃は、術者の方に銃口を向け。


 なんのためらいもなく引かれた引き金と爆発音を最後に、フェリータの意識は闇に落ちた。






 男の足がめんどくさそうに、バルコニーから羽を蹴落とす。


「目が覚めたら、怒るかな。まさかね。怒らないよね」


 リカルドが冷たい目で一度手を打ち鳴らせば、他の客と給仕たちに暗示がかかる。


 その瞬間から、彼らは突然バルコニーで始まった声なき戦闘のことを忘れ、意識をなくしたフェリータをリカルドが抱えて階段を降りて行くことにも、なんの関心も示さなくなった。


 無論、その口から低く小さく漏れ出す独り言なんて、意識にも上らせない。


「君はまだ、僕が一番大事だもんね」


 誰に咎められることもなく己のゴンドラまで運ぶと、リカルドは寝かせたフェリータの首に自らが直したレリカリオをかけてやった。胸元で日差しを反射するそれに、満足げな笑みを浮かべる。

 

 そして、ロケットをかけたのと同じ手で、流れるように左手の薬指にはめられた真新しい指輪を外し、運河にぽちゃんと落とした。


 


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