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3 【十日前】悪夢の始まり

***


「もうなんてこと! 時間外労働でデートに遅刻なんて!」


 ぶつぶつ呟きながら運河のゴンドラから降りたフェリータは、待ち合わせしたカフェに飛び込んだ。

 支配人の挨拶を制して二階に上がりバルコニーに出れば、パラソルの下に目当ての銀髪の青年を見つけた。


 美しい幼馴染みは椅子の上で目を閉じ、手のひらを膝の上で組んでいる。


「……リカルド、遅刻したことを怒ってる?」


 息と前髪を整えたフェリータがおずおずと問いかけると、ゆっくりと瞼が持ち上がり、緑の目があらわになった。


「まさか。出張明けの休暇中にすら仕事する、真面目な君の勇姿をのぞき見してただけ。お疲れさまフェリータ」


 青年が微笑んで右手を宙に差し出せば、指先に小さな鳥が止まった。大きさは燕だが、大きな黒いくちばしはカラスのそれだ。


 鳥の形をした小さな使い魔は、虚空に吸い込まれるように収縮して消えていく。術者の手に、茶色い小さな羽を残して。


「見ていたなら加勢してくださっても良かったのに。あなたなら、ここからでも十分対処できるじゃない」


「呪獣の気配に気づいたときはそう思ったんだけど、使い魔飛ばしたら君が埠頭に向かってるのが見えたから、これ大丈夫だなって思って。一人、勝手に飛び出した奴がいたのは予想外だったけど」


 リカルドがカラスより鷲の羽に似たそれを払い落とす傍ら、フェリータは付いてきた護衛に目で合図してバルコニーから退出させる。


 そしてテーブルを挟んだ向かいに腰を下ろせば、椅子は運河とその先の街並みを見渡すように置かれているため、二人は横に並ぶ形になった。


「それより、ロエネ島の出張どうだった。サルヴァンテ育ちの君には離島は不便だったでしょ」


「そうね。でも小うるさい人もいないからかえってリラックスできて、そう悪くありませんでしたわ。パパも一緒だったもの」


 そこまで言ってからフェリータは少し考え、「でも」と声を小さくした。


「リカルドと会えないのは、寂しくてつらかったわね……」


 しおらしく口元を扇で隠しながら呟いて、伏せた横目で相手の様子をうかがう。


 果たして、リカルドの目は手すりに向いていた。その先の、人々の活気のある声と、花や布や人形で飾られ始めた街並みに。


「……」


 フェリータは馬鹿らしい気分になって、ひそかにため息を吐いた。


 十九歳の伯爵家長女と、二十歳の公爵家末息子。家ぐるみで仲のいい二人は、幼馴染み兼婚約者“のようなもの”である。


 のようなもの、というのは、王国法で定められている貴族の婚約に必要な手続きが、まだとられていないからだ。


 別にフェリータはそのことで焦ったり、幼馴染みの挙動にやきもきしたりはしていない。

 適齢期ではあるが行き遅れではないし、国のエリート魔術師として貢献を求められている自分たちは同世代の貴族たちより忙しい。


 何よりその貴族たちから、二人はすでに婚約者も同然、公認カップルとして見られているのは自覚していたからだ。


 けれど、最近フェリータは考えていた。


 どんなに周囲に婚約者“同然”に見られていても、それはやはり“の、()()()()()”にすぎない、と。

 

 焦る理由はないが、先延ばしにする理由もない。

 そろそろ、婚約の手続きを進めてもいいはず。

 結婚に向けて、本腰入れて動きたい。


 とはいえ、父親たちを急かして事務的に進めてしまうのも味気ない。大恋愛のようにとはいかなくても、幼馴染みから本物の婚約者へと切り替わる、はっきりとしたイベントが欲しかった。


 ――ありていに言えば、リカルドから求婚の言葉が聞きたかった。老後に孫へ何度も聞かせてうんざりされるような、ロマンチックな決めゼリフが。


 そんなわけでこの半年ほど、フェリータはリカルドと会うたび、それとなくさり気なく念入りに、かき集めたよそのカップルの求婚エピソードを話して聞かせていた。フェリータが父親と一緒に王都を離れていたここ一ヶ月の間も、三日と空けず手紙を送った。


 しかしそんな甘い呼び水は、夏のカーニバルの準備に追われる喧騒で届かなかったのかもしれない。


(……次に期待)


 思い直したフェリータは扇を閉じ、運ばれてきた紅茶に手を伸ばす。

 ちょうどそのタイミングで、リカルドが顔をフェリータに向け口を開いた。


「フェリータ、僕たちってまだちゃんと婚約してなかったよね」


「ぷぐっ、ンッ……ゴホ、そ、そうだったかしら? あ、あんまり気にしたこと、ンッなかったもので」


 気管に入った茶にむせながら、フェリータはどうにかすまし顔で言葉を返す。

 突然待ち望んでいた話題を放り込まれて、期待に胸を激しく高鳴らせながら。


「そうだよ。うちの兄さんたちが先に片付くのを待ったり王家の周年行事を避けたりしてたからね。それで、そのことについてなんだけど」


 改まって言われ、フェリータは追加の咳をこらえた。口元を必死に拭い、赤い目を見開いて相手の顔を見る。


 リカルドは、女性的なその美貌に、いつもと変わらない端正な微笑みを浮かべてこちらを見つめていた。


 ――なんて意地の悪い人だろう。涼しい顔して肩透かしを食らわせておいて、不意打ちで本命の話を切り出すなんて。

 リカルドの口が開く。フェリータは身構えた。返事は決まっている。


 あなたの求めなら。


「僕、オルテンシア殿下と結婚するんだ」


「喜んで!!」


「え?」


「え!?」 


 互いに顔を見合わせ間の抜けた声を出し合ったが、「ハモったね」と照れたように笑う男に、女は立ち上がって食い下がった。


「ちょちょちょちょっと待って、オル、は? どういう意味ですの!?」


「そのままの意味だよ。僕は第一王女殿下と結婚するよって話。婚約期間を一年くらい挟んで、式は多分来年の夏か、早ければ春かな。ぺルラ伯爵にはこのあと王宮で父上と一緒に伝えるから、君に説明の手間は取らせないよ」


「婚約って、式って、説明って、え、そんな、え」


 混乱で言葉が続かないフェリータの手を、リカルドが優しく引っ張り座るよう促す。


 行き場のない手から扇を取り上げ、そこに飲みかけの紅茶を持たせると、フェリータから目をそらさずにつらつらと話を続けた。


「そうそう、大運河のカーニバルは毎年二人で見物してたけど、今年はそんなわけだからフェリータと一緒に過ごせそうにない。僕は王女殿下についていなきゃいけないし、君はフランチェスカと楽しんでおいで」


 男は緑の目にひとかけらの曇りも見せず、「じゃあ、僕もう行くから」と立ち上がった。チャリ、と胸元から垂れた金鎖のロケットが音を鳴らす。


「もちろん、これからも僕たちの関係は変わらないよ。なんにもね」


 言うだけ言ってそれきり、振り返ることもなく、リカルド・エルロマーニはバルコニーから去った。


「お嬢様? リカルド様が“後を頼む”と仰っておられたのですが……あの、フェリータ様?」


 何事だと言う顔で近づいてきた護衛に声をかけられても、フェリータはカップを持ったまま、しばらく指の一本も動かせなかった。

 


 ***



 魔術師と判明した者が最初に受けるのは、精神の安定を保つ訓練である。

 でないと、ストレスやショックを受けるたびに、術者の近くで火花が散ったり物が割れたりと、異常現象が頻発してしまうから。


 同胞たちはそれを、『無意識魔術』と呼んでいた。


 ――ちょうど、ぺルラ伯爵邸の居間で誰も触っていない壺や椅子がカタカタと小刻みに揺れているのがそれにあたる。


「呪われろ……王家もエルロマーニ家も、この世の一切合切呪われろ……」


 不穏な空気が漂う部屋の真ん中の、装飾が美しい長椅子に、死体のような顔色でうつ伏せに倒れ込んだ女がいた。


 ストロベリーブロンドがゆるく波打って広がって、それはさながら浜に打ち上げられたピンクの海藻である。女中たちは怯え、遠巻きに見つめた。


「……なにが水の都サルヴァンテか。名前通り、全て海の藻屑と化せばいい」


「お姉様、いい加減にしないと王国への呪詛罪で告発しますからね」


 フェリータが伏せる長椅子の背もたれ側から一蹴したのは、フェリータによく似たピンクの髪に、若干あどけない顔をつんとさせた少女だった。その背後には、ティーセットを乗せたワゴンを押す女中がいる。


「グィードに支えられて帰ってきたと思えばずっとそればかり。由緒正しい我が家から罪人を出さないでくださいな」


「……今わたくしが死んだら、サルヴァンテを猛毒で覆いつくす“魔女の心臓”が出来上がるでしょうね」


「ではきっとエルロマーニ家の皆様が良い“聖遺物容器(レリカリオ)”に作り替えてくださいますね。わが家の家宝がまた一つ増えます」


 打てば響くような冷たい言葉に、フェリータは一転して「ひどいわフランチェスカ!」と跳ね起きた。


「なんて冷たい妹なの!! 幼いころから婚約者同然に育てられてきて、公爵家のご兄姉がたも結婚して、次はリカルドとわたくしの番だと思ったのがそんなに変!? この絶好のタイミングで、『王女と結婚するからお祭りには妹と行け』って言われるのはぜんぜん普通のことなのかしら!? ていうかカーニバルのこととかもはや些末過ぎてそんなこと言われなくてもよかったのに!!」


 髪をかきむしってまくし立てる姉をフランチェスカは呆れ顔で見下ろし、女中を「もういいわ」と下がらせる。


「それは確かにお気の毒だと思います。お姉様をさしおいて選んだ相手が、よりにもよって一年前に離婚したばかりのオルテンシア様というところも含めて」


 言いながら、フランチェスカは慣れた手つきでお茶を淹れ始める。程なくして、甘くて濃い、ほんの少しブランデーの混ざったミルクティーの香りが部屋に漂い始めた。


「相手が悪うございましたね。王女様がお相手なら、いくらエルロマーニ公爵家が希少な“レリカリオを作れる一族”だとしても、そうそう断れないのでしょう」


「ふざけないで断るべきでしょ、このわたくしがいるのよ!? そもそも王女様側もおかしいわ、なんでほぼ婚約者みたいな相手がいるリカルドに手を出すの!?」


 妹の冷静な言葉は、姉の興奮に油を注ぐだけだった。

 フェリータが拳でソファの座面を叩いても布地は大してへこまなかったが、天井のシャンデリアが無意識魔術で大きく揺れた。


 ため息をついたフランチェスカが、パンッと両手を打ち鳴らす。シャンデリアは叱られた子どものようにしんと静かになった。



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