同日 20:20〝カウント〟無効
さっきまでいた部屋を通過し、階段を下って廊下を進み、クランクの角を曲がった先に、件の部屋はあった。勿論、その途中の壁、天井は写真で覆い尽くされ、窓のカーテンも全て閉められている。
『……フン、ドールハウスの窓、何で鍵とカーテン付いてんのが外側なのかってずっと不思議に思ってたけど、そういうことかよ』
『みたいだな』
廊下の途中、利根と波部の二人が唯一交わした遣り取りだ。例によって、アタシだけが置いてけぼり。まあいい。どうせ聞いたところで答えてはもらえないだろうし、だったら自分でその意味を探るまでだ。
一階フロアの最奥に、その部屋はあった。扉には大きく『ここで四桁の番号を入力せよ』の文字。露骨と言うか、逆にミスリードを疑いたくなる明示っぷりだ。
『ここ――で間違いないんだろうな』
『見ての通りだ』
波部に尋ねる利根も、若干声に呆れが混じっている。
『言った通りでしょ。見れば分かる。嘘は一つも吐いてない』
『おめェに聞いてねェよ』
苛立たせる発言を繰り返す主催者を一蹴し、パパラッチはドアノブに手をかける。しかし、扉が動く感触はするものの、開かない。どうも内側から施錠されているらしい。
『どういうことだよ、今度はこのドア開ける鍵を探せってか?』
『……いや、さっき俺と須藤が見た時は開いていたんだがな……』
珍しく波部が狼狽えている。想定外の事態らしい。自然、皆の視線は蕗屋に集中することになる。
『フフ、ここもちょっとした細工がしてあってね』
数瞬前に酷い扱いを受けたばかりなのに、もう得意気になっている。自分の仕掛けを見せたくて仕方がないらしい。
『中にいるの、須藤さん!? 作業を止めて一旦出てきてもらえないかなー!? みんな来てるんだ! 装置の説明をしたい!』
扉の前で大声を出す蕗屋。双児館の壁や扉は防音になっているのだっけか。扉の前に立っていても、ある程度の大声を出さなければ室内には届かないらしい。
蕗屋が声をかけてから数秒後、物置の扉は内側に開く。
ひょこりと、低い位置から顔が覗く。鈴だ。
『……来たんだ』
幾分顔色が優れない。いや勿論〝ドール〟で顔色など分かる筈もないのだけど、緩慢な動きやいつもより低いトーンの声音などで推測することはできるのだ。
『ンだよ、疲れた声出して』
利根も同じ感想を抱いたらしい。
『それがさあ……ああ、いや、見てもらった方が早いや。入って』
『須藤の自室という訳ではないけどな』
波部の冷静な指摘を流して、一同は物置へと足を踏み入れる。
部屋の広さは先程までいた客室と同様、六畳ほどだろうか。しかし体感的にはもっと狭く感じる。恐らく、両側の壁に設置された棚のせいだろう。何も載せられていないのだけど、天井まである棚が両側にあるせいで圧迫感があるのだ。
北側の棚には二段の移動式踏み台が置いてある。
そして――その棚の一番上に鎮座する、妙な装置。
横長の直方体の上部に、四つの平べったいドラム状の物体がくっついてる、何とも形容しがたい形をしている。箱のこちら側にには液晶画面がついているが、今は何も表示されていない。
『あ、カイちゃん、鍵を閉めてもらっていい?』
一番最後に部屋に入った私が声をかけられる。『内側にあるでしょ』
腰くらいの位置に、トイレの個室などによく見るスライド錠が取り付けられている。扉に付けられた横棒をスライドして壁に付けられた受け具に固定して扉を開かなくする、アレだ。私は言われるまま施錠する――と、短い電子音と共に、今まで何も表示されてなかった液晶画面に四つのゼロが並ぶ。
『スライド錠と連動してスイッチが入る仕組みなんだ。部屋に鍵をかけないと、番号の入力自体を受け付けないってことだね』
相変わらず得意気な蕗屋。腹が立つ。
『そのギミック、いるか?』
『暗証番号を打ち込む時に後ろから覗かれたりしたらカンニングになっちゃうからね。番号を打ち込むのは鍵のかかった部屋でやってほしいんだ』
もっともらしい説明をつけている。この細工も業者に頼んでやってもらったのだろうか。この男、努力の距離感がつかめないタイプらしい。
『……あそこ、穴が開いてるが、それはいいのか』
波部が扉のある壁の右上を指す。そこには棚の上から二段目と接するように、ぽっかりと丸い穴が穿たれている。
『エアコンの排気用に開けられた穴だね。うん、波部が直径二〇センチの穴を出入りできるなら、塞いでおかないといけないね』
平板な口調で波部の指摘を退ける。二〇センチというのは実際の屋敷に穿たれた穴のサイズであって、ドールハウスのこれはそれの更に一〇分の一、つまり二センチということか。確かに、そこを通り抜けるのは不可能だ。
『おっと、肝心の解錠装置の説明がまだだったね。須藤さん、悪いけど続きをしてもらってもいいかな』
『みんな見てるけど、いいの?』
『大丈夫だよ』
どうせ合わないと思ってるんでしょ……口の中でモゴモゴ呟きながら、鈴は踏み台に足をかけて棚と向き合い、装置に手を伸ばす。
鍵と連動して入る特殊なスイッチを備えたこの装置、入力方法もまた独特だった。
液晶画面の下に小さなツマミが出ていて、それを引っ張ると長細い帯状のモノが引っ張り出される。何かと思って注視すると、そこには目盛りが書き込まれている。
『メジャーか、これ』
『正確に言うなら、コンベックスだな』
利根と波部がそれぞれ口にする。なるほど、洋裁や建築などで使う測定用具か。言われてみれば確かに、引き出される帯は金属質で内側に湾曲している。箱の上の平べったいドラムはその巻取り装置か。鈴は左の二つは手を付けず、三番目の帯を五センチ、四番目の帯を六センチ――今の私たちの感覚だとその十倍になるのだが――引き出して手を止める。ストッパーでも働いているのか、引っ張って手を離しただけで帯尺はそこで静止する。そして、液晶画面には〝0056〟の表示。ここまで見てようやく合点がいった。
『引き出した長さがそのまま数字として入力されるんだ。中途半端な長さだとより近い方の数字が入力されるから気を付けてね』
蕗屋が解説する前で、鈴は液晶画面の右下に小さく表示された〝EN〟というキーをタッチする。それが確定ボタンらしい。
チカチカ、と数秒画面が点滅したと思った次の瞬間、伸ばされていた二本の帯尺が音を立てて瞬く間に装置に収納される。掃除機のコードを巻き取るのに似ている。液晶画面は再びゼロに戻る。
鈴は軽く息を吐き、今度は三本目を五センチ、四本目を七センチ――〝0057〟にして確定ボタンを押す。数秒して巻き取られる尺。〝0058〟、巻き取られる。〝0059〟、巻き取り、〝0060〟〝0061〟〝0062〟――
『須藤、お前まさか、0000から順番に試しているのか?』
怪訝な声をあげたのは波部だ。
『そうだよ? これならいつか必ず正解に辿り着くでしょ?』
疲れを滲ませて鈴は答える。賽の河原で石を積んでいるようにも見える。積んだ石を崩す鬼は、蕗屋か。
『いや――それは賢い方法とは言えないな』
『何よぅ、波部っち。解けるかどうかも分からないヒント探して歩き回るより、よっぽど確実で効率的じゃない』
『暗証番号が若い数字ならそれでもいいんだが――仮に、9000番台ならどうする? 四桁で0から9まで入力出来るということは、番号の種類は一万通りだ。一つの番号を打ち込むのに五秒かかると仮定すると、かかる時間は五万秒、つまり、一時間二十三分二〇秒になる。普通にヒントを解いて正解の番号を探した方が早い』
実に理路整然と鈴の方法の瑕疵を指摘する。文系のくせに計算も速いらしい。
『わかんないじゃん! 若い番号かもしんないよー!? あともうちょっと頑張れば、正解に――』
「ううん、でもそれは無駄なのよねえ」
右方向からの声。今日、幾度となく繰り返されてきたシチュエーションだ。もうその程度で驚くアタシではない。余裕で顔を上げたアタシは、部屋の掃き出し窓の向こう、開け放たれた窓いっぱいに広がった巨大な顔に、あらん限りの悲鳴をあげる。
「……声をかけただけで叫ばれるって、結構傷つくものなのね……」
ぼやける視界の先、この屋敷の主で市松人形ライクの面相をした隻脚車椅子の人形作家が困ったように眉を下げている。〝ドール〟から見た生身の人間がどれだけ巨大に見えるか、日頃のショーで知悉している筈なのに。瑠璃が窓から覗いてくるのだって、アタシは最初に経験していた筈なのに。
『……耳がキーンとしたっつの』
『瑠璃より、カイラの悲鳴に驚いたな』
利根と波部が耳を塞いでいる。
『え、何でそんなに冷静なの!?』
思わず立ち上がっていた。全身の血管が脈打ち、蒼白だった顔が紅潮していくのが、自分でも分かる。顔色の変化など相手には分からないだろうが、さっきの醜態は充分に伝わっている。
『瑠璃が窓から覗いてくるの、初めてじゃねぇからな。そりゃオレらだって最初はメチャクチャ驚いたけど、二度も三度も繰り返されたら、嫌でも慣れるっての』
「カイラも早く慣れてね」
『無理無理、心臓に悪いもん』
思わず本音が出た。
『だいたい、皆が装置に注目している時に音を立てずに窓とカーテンを開けている時点で故意犯だろう。最初から驚かすつもりだったんじゃないか』
『波部君の無駄に鋭い所、昔から何も変わっていない』
『無駄ではない』
窓越しに益体のない会話をしている。アタシは動悸が収まるのを待って、話を本筋に戻す。
『それより、さっきのは何。鈴の頑張りは無駄だとかどうとか言っていたみたいだけれど』
「あ、そうそう。蕗屋君、黙ってないで教えてあげなさいよ」
瑠璃の視線が動いた先、アタシたちの後ろで、蕗屋は腕を組んで壁に凭れている。いつものことながら、〝ドール〟なのにニヤニヤしているのが分かる。
『黙っていた訳ではないよ。言うタイミングがなかっただけ。機を見て口を出すつもりではいたよ』
『は、何よフッキー。ちゃんと解かないと無効とか言い出すつもりじゃないよね。脱出さえできれば方法はなんだっていいんでしょ?』
『まあね。ただ、その装置には仕掛けがしてあってね――三回連続で入力番号を間違えた場合、三〇分は何を打ちこんでも無効になるように設定してあるんだ』
『そ、そんな……』
ゆらり、と鈴の体が揺れる。彼女が〝0000〟〝0001〟〝0002〟三回連続不正解を出した時点で、それ以降は何を打ち込もうと――仮にその中に正解が含まれていようが――無意味だったと言う訳だ。アタシは感心していた。鈴などが考えそうなことは全て想定してあるらしい。
『そういうことは、早く言ってよ……』
『正攻法で解くしかねぇってことだな』
利根が大きく息を吐く。腹を括ったらしい。