同日 20:10〝ポーズ〟考察
先に部屋を出た利根は左に曲がり、廊下を進んでいく。
『さっき部屋を出た時、こっちから何か物音がしてたんだよな』
波部か鈴が探索作業をしているということか。
『二人とも、家探しをしてるのよね? 結構時間たってるけど、スタート地点からほとんど離れてないとこで何の探索をしてるって言う訳?』
『そんなもん――本人に聞け』
廊下の突き当りを左に曲がると、ほんの数メートル先に右に曲がる角が見えてくる。波部貴夜は、そこにいた。こちらに背を向け、何か作業をしている。
『首尾はどうよ、センセイ』
『……その呼び方はやめてくれ。こんな格好してるんだから』
現在、波部は中学で国語を教えているという話だったが、メタルフレームの眼鏡に制服をきっちりと着こなした今の彼は、確かにただの高校生にしか見えない。決して変化することのない能面をちらりとこちらに向け、再び壁に向かう波部。手には一メートル程の杖状の何かが握られ、それを壁に押し付けている。
『そっちの経過を先に報告してくれ』
ガリガリと何かを壁に押し付けながら、背中で尋ねてくる。何をしているのかと近寄って見れば、何てことはない。壁にはこの屋敷の見取り図が貼られていて、波部はそれに対して何やら書き込みをしているのだ。杖に見えたそれは、何の変哲もない鉛筆だった。軸の色はオレンジ色で、末端部分には〝2B〟と印字されている。
『でっけえ鉛筆だなぁ』
『鉛筆が大きいんじゃなくて、俺達が十分の一サイズになっているんだ。もう忘れたのか?』
〝ドール〟もドールハウスも同じ縮尺のために、つい失念しそうになる。意識していられるのは、壁や天井を覆う巨大な写真群のおかげだ。すでに馴染んでしまっている自分がいるが、まるで不思議の国のアリスにでもなった心持ちだった。
『分かってるっつの。ってか、さっきから何やってんだ? その鉛筆はどこから持って来たンだよ』
『色々と聞きたい気持ちは分かるが、先に俺の質問に答えてくれないか。写真は見つけたのか』
『ああ、それなんだけどな――』
ついさっき二人で見つけた写真を――正確に言うと、その裏に描かれたヒントを波部に見せる。
『……ああ、そういうことか。これは俺が教えてやったことなんだけどな――まさか、それを俺に出題するとは』
彼はそれをざっと眺めて数秒で、おおよその意味を理解したようだった。意味の分からないことを呟いている。
『もしかしなくても、分からないのはアタシだけって訳ね』
『なんだ、久宮は分からないのか』
『人気モデルは多忙で睡眠不足なんだそうだ。オレが先に分かったのが気に喰わないみてぇでな、分かったならさっさと教えなさいよ! って随分な剣幕で怒られたぜ』
『そんな言い方してないでしょ……いいから、勿体ぶってないで教えなさいよ』
『それは駄目だよ』
突然声をかけられるのにも、もう慣れてしまった。さっき失態を演じたばかりということもあって、アタシは特にリアクションも見せずに、ただ静かに視線だけをスライドさせる。
角を曲がってすぐの壁、アタシたちのいる場所からちょうど死角となる位置に、蕗屋透が腕を組んで壁に凭れて立っていた。
『何で普通にいるんだよ、クソ主催者』
他のメンバーと違って常態で薄ら笑いを浮かべているかの如き蕗屋に向かっていつもの悪態をつく利根。
『そりゃいるさ。参加者が自分の作成した問題で右往左往しているのを観察するのがゲームマスターの一番の楽しみでね。できるなら、もっとも近い場所で観劇したいじゃないか』
『見世物じゃねぇっつの』
『第一、誰も右往左往などしていないんだがな。俺も利根も、写真のヒントは一目見てその意味を看破したんだから』
波部の言うことは常に冷静で論理的だ。取っ付きにくさはあるが、こういう時は本当に頼りになる。
『いやいや、一つ一つのヒントは敢えて簡単に作ってあると言ったでしょう? 敢えてなんだよ、敢えて。僕の用意したヒントを全て見つけ、解析して組み合わせ、出口から脱出する――勝ち誇るのはそれからにしてもらいたいね』
プライドを傷つけられたのか、若干声を大きくして強調する。
『それより、駄目ってどういうこと? アタシたち、協力して謎を解いてるんですけど』
『情報収集に関してはそれでもいいだろうね。限られた時間の中で効率的にヒントを探すのは手分けして作業するのが一番。ただ、その先はどうだろうね。競い合ってゴールを目指した方がゲームとして盛り上がると思うんだけど』
腕組みをした姿勢のまま蕗屋はそう言う。言の端からニヤニヤとした表情が伝わってくるかのようだ。
『知らねェよ。あのなァ、オレたちはこのクソゲームを終わらせてェだけなんだよ。一刻も早くゴーグルを外したいの。ゲームの盛り上がりとか、知ったこっちゃねェんだよ』
『右に同じくだな。お前に従う理由がない。文殊の知恵が得られるとも思えないが、俺達は協力して脱出口を探させてもらう』
『そう? 残念だなあ。せっかく、一番で脱出できた人には豪華賞品が用意してあったんだけどなぁ』
人参をぶら下げる作戦にでたようだが、それに釣られる利根たちではない。
『どうせクオカードか何かだろ? いらねぇよ、クソが』
『高級ビンテージワインだよ。出版社のビンゴ大会で当てたんだけど、僕は飲まないからさあ』
『……まぁ、そうだな、無駄にすんのはもったいないからな……』
釣られてる!? 嘘だ!?
『悪いな蕗屋。俺も普段はほとんど酒を飲まないんでな。高級ワインじゃ釣られない』
『音又路井戸先生の〝ノック・イン・ザ・アイ〟初版サイン本。我が友貴夜は、高校の時よく読んでたよね? アシ時代に何度か飲む機会があって、書いてもらったんだよ。ま、いらないって言うんなら、持って帰るだけだけど』
『――お前はお前なりに、本気と言うことだな。分かった。ならばこちらも、本気で応えようか』
何この人もっともらしいこと言ってんの!?
好きな漫画家のサインに釣られただけじゃん!
と言うかこの人、漫画読むんだ!?
いくつも湧き上がる心の叫びを出すべきかどうか数瞬迷ったが、今は内心に留めておくことにした。ここで取り乱すのはカイラらしくない。あの人はもっと、ふてぶてしい態度をとる筈だ。
『……ちょっと、アタシへの賞品はない訳?』
『あれ、カイラも一位狙ってんの? と言うか、写真のヒントの意味、二人に教えてもらわなくていいのかなー?』
『今は頭が働かなくて遅れとってるだけなんですけど。パパラッチと田舎教師に負ける久宮カイラだと思う訳?』
『おお、まさか強気発言きたね! いいよいいよ。カイラはそうじゃなくっちゃね!』
そしてまた正解を引き当てたらしい。とにかく強気に高飛車にいけば久宮カイラに成り切れるらしい。
〝ガワ〟はどんどん分厚くなっていく。
それでいい。これが、いい。
『カイラ用には地元秩父の地酒を用意してある。純米大吟醸だ。相変わらずの酒豪なんでしょ?』
『アタシには日本酒な訳? まあ良しとするか。好きは好きだし。その代わり、このアタシに頭脳労働させるんだから、それ相応の価値がないと承知しないからね!』
『その類のクレームは一位を勝ち取ってから受け付けるよ。いいよね? ってことで、情報収集以外での教え合いは禁止ってことで』
まんまと言いくるめられてヒントを教えてもらえなくなってしまった。
謎解きは、自力で。
端からやる気のないゲームだし、目的はあくまで未成年飲酒の写真探しだが、こうなると俄然燃えてきてしまう。ゲームの賞品が酒というのが皮肉な話ではあるけれども。
『……話がえらい脱線しちまったけどヨ、それで結局、波部は何してたんだよ。それ、この屋敷の見取り図だよな?』
『出口探しは須藤に任せて、俺は屋敷に散らばった人形を把握して回ってた』
『人形――って、瑠璃の? そう言えばずっと気にしてたもんね』
『そうだ。アレがヒントの一部であると言質もとれているからな。恐らくあの一体だけではないだろうと推測して、出口探しの傍ら探索した。その結果が、これだ』
巨大な鉛筆を指し棒のように使って壁面に貼られた屋敷見取り図を指し示す。
屋敷の構造は意外とシンプルで、基本は二階建ての洋館となっている。クランク状に折れ曲がった廊下が屋敷全体を貫き、客間、食堂、厨房、物置やトイレなどが廊下に接するように置かれている。特筆すべきは一番南の階段室だ。ここだけ五階建ての尖塔になっている。四階と五階の東側には展望台が置かれているようだが、車椅子の主には無用の長物だろう。
見取り図は屋敷の部屋割りがフロアごとに描かれている。その中に、いくつか丸がつけられている箇所がある。一階の厨房、一階と二階の廊下奥、二階の階段を上がった部分、四階フロアの北西、五階の北東――合計六ヶ所だ。これが波部が調べたという瑠璃の人形――〝L〟という名だったか――が置かれていた場所だろうか。
更に、丸の横には小さく『目隠し』だの『バキュン』だのと小さな字で付け加えられている。
『波部くん、これは?』
『人形がとっているポーズを、記憶があるうちに記録しておいた。何か意味があるのかもしれないと思ってな』
巨大鉛筆を顎に押し当て、思案の様子を見せる波部。
『んで、何か分かったのかよ』
『結論から言うと、さっぱりだ。人形同士の位置関係、顔の向き、伸ばした指の方向まで視野に入れて考察したんだが、何も見えてこない。見取り図にまとめて俯瞰で考えたら何か分かるかと期待したんだけどな』
『きっと、まだピースが揃ってないのよ。組み合わせて考えないと解けないらしいから』
ちらりと蕗屋を見たが、変人の漫画家は肩を竦めるだけだった。気取った所作だ。
『人形のことは取り敢えず保留でいいんじゃねェか?』首筋を掻きながら利根が前に出る。『それより、出口はどうしたヨ? 見つかったのか?』
『ああ、それは探索を始めてすぐに分かった。ここだ』
手に持った鉛筆で、L字型に曲がった通路の先に丸をつける。巨大鉛筆の扱いにも慣れたものだ。職業柄、板書は得意なのだろう。と言うか、ここって――
『んだよ、普通に屋敷の正面玄関じぇねェか!』
『そう。出口は出口。何のひねりもないな。だがその扉に到達するL字通路への扉が施錠されていた』
『えっと、鍵がかかってたのに、その先にある扉が出口だって分かったの?』
『施錠された扉に〝この先、出口アリ〟って大きく書いてあった』
脱力した。この主催者、徹頭徹尾、人を馬鹿にしている。
『問題はその解錠方法にある。解錠するための装置が、別の部屋にあったんだよ』
そもそもそういう話だった。出口はすぐ分かる。問題は解錠方法――だけど、取り敢えずその場所は探し当てたらしい。着実に出口には近づいてはいるようだ。
『んで、それはどこなんだよ』
利根の問い掛けに対し、波部は無言で一階一番奥の部屋に米印をつける。
『ここって、物置として使われてた部屋だったよな。何でここに解錠装置があると思ったんだ』
『……それこそ、見れば分かる。行こう。須藤はまだそこにいる』
言うが早いか、階段に向かってさっさと踵を返す波部。巨大鉛筆を肩に担いで歩き始める。
アタシと利根、蕗屋の三人は、黙ってその後をついていった。